ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

☆「二百十日」と「三顧の礼」

2008年11月17日 00時55分25秒 | 文学
夏目漱石の「二百十日」を読んだ。引き続き、同じ文庫に入っている「野分」を読んでいる。
どちらも初めて読む。
「二百十日」は落語のような雰囲気だった。ふたりの人物を漱石が座布団に座って首の角度を変えて話し分けている感じだった。華族と金持ちに対する恨みを感じた。
「野分」もまだ途中だけれど、金の話が出てくる。
夏目漱石の小説は三角関係が多いということくらいしか共通点を考えたことはなかったのだが、よく考えてみれば、金の工面をする話も多いように思う。
「野分」では、妻が主人公の兄に金の無心をしに行って、「あなたからも直接お兄さんに頼みなさい」と主人公に諭しているところまで読んだ。主人公は兄にそんなことはしたくない。
初めて読むのにものすごい既視感がある。
金のことなんて考えたくもないのに考えさせられる。そういうことがよく描かれる。
たぶん、もしかすると、ひょっとして、僕が夏目漱石に惹かれるのはそういうところなのかもしれない。

吉川英治の「三国志」はやっと孔明が登場。
孔明本人の登場までに賢そうな人物が何人も出てきて「お前が孔明か? お前か? 違うのか! お前か?」というふうに話が続いていた。
かなり引っ張られた。
孔明はやはりすごそうな雰囲気だ。
「三顧の礼」は三回目の訪問でやっと許しを得ることができて、それまでの、一顧、二顧の礼は断られたのかと思っていたら、会うことができなかっただけで断られたわけじゃない。
読んでみないと分からないことは多い。
一顧、二顧、三顧の礼と言えば、オスマン・サンコンの往年のギャグを思い出す。
コメント