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(1974年=34歳で購入移住の埼玉県北本住宅)
本土在住の沖縄・奄美出身者の多くは関東では鶴見、川崎に住んでいます。私の奄美親族の殆どが大阪大正区、尼崎在住です。両者に共通するのはいずれも港湾・港町です。そんな中しばしば「重田さんはなぜ何故埼玉?」と聞かれます。
私は琉球大学を一年で中退し、東京に移住、予備校、早稲田、琉球新報東京支社、総理府行政監察局(現行政評価事務所)と10年以上を「京王沿線」の笹塚と上北沢で暮らしました。埼玉移住の切掛けは琉球新報東京総局勤務時代、当時の池宮城社長から「重田!沖縄本社に転勤せよ!」との指示を拒否し1年で退社しました。その理由は当時の日本復帰前の沖縄在住の奄美大島出身者は外人扱いで様々な制約があり、沖縄安謝に住む両親もいずれ本土に引き揚げる意向があったのです。新報を退社し、たまたま採用通知のあった行政管理庁関東行政監督局に転職しました。当時の行監には本庁、神奈川、千葉、埼玉の監察局があり、私は浦和の埼玉行政監督事務所に配属され、これが私の埼玉移住の切掛けでした。この時、横浜、千葉総局に配置されていたら私は神奈川県民か千葉県民になっていただろうに!
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