(昭和40年、埼玉県北本市の一戸建て住宅購入、移住)
首都圏在住の沖縄、奄美出身者の多くは鶴見・川崎等に住んでいますが、時に「重田さん、どうして埼玉に住むようになったの?」と聞かれ、我と我が身の経緯を振返りました。満州、奄美、沖縄、東京と漂流した私は大学も琉大、早稲田、中央大、東大(新聞研)を転々。とは言え、卒業したのは早稲田だけ。琉大は1年、中央大(第2学部)、東大(新聞研)は数カ月で中退。その経緯は後程。職業は新聞記者、公務員、コンサルタント、IT会社経営と転職の経緯も後程。琉球新報東京支社の記者を1年で辞め、関東行政監察局に転じ、浦和の行政監察事務所に配属され京王線・上北沢から3年通いました。その節、沖縄の両親を呼び寄せるべく、埼玉県が北本市に住宅団地を建設、分譲することを知り、購入申し込みをしたのですが、庭付きの一戸住宅で購入競争が激しくなかなか(´Δ`;)そこで上司に相談した所、何と県担当者に掛け合い?購入することができ、両親と妹弟を呼び寄せ、成婚、以後その北本に5年間住むことになりました。ここで両親を送り、北本の寿命院墓地に両親の墓を建立しました。 その後、私はビジネスコンサルタント社に転職するのですが、北本市からの高崎線での東京への通勤は遠く、転居を目指し、昭和61年、何とか大宮以南の現在の与野市で住宅を購入転居、以来40年以上埼玉県民として今日に至りました。
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