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「満州の思い出」~「私の履歴書」⑳

2020年10月07日 | 「私の履歴書」

    
               (大連広場)
 私は満州の哈爾濱で生まれ、7歳まで大連で育ちましたが、この二都市はロシアが設計し、日本が建設したと言われています。大連はダリーエンと言うロシア語に由来し、その中心街はエッフェル塔を中心とするパリ―を模写しそっくりです。当時の哈爾濱には白系ロシア人が多く移住し、私達の哈爾濱の大家さんもロシア人で私が生まれた時も“ハラショウ!シンパチュナー、スパシナ!”(コンニチハ!カワイイ)等々と可愛がってくれたと母が言っていました。
 大連で私達が御付合いのあった中国女性の多くは背が高く色白で、後に私が北京や福建省でお会いした中国人とは違った印象があります。今思うと大連は漢族ではなく清族で、親日的要素があります。中国に進出した多くの日系IT企業が大連の親日性を言います。20年前、傘寿を迎えた母を連れてかって暮らした大連の澤ビルを訪ねた時もお住まいの中国人に暖かく迎えられました。
  勿論、旧日本軍による満豪侵略、占領、「五族協和、王道楽土」を是とする訳ではありませんが、この満州は戦前の"新官僚"による満州開拓結果の一側面を感じます

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