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「幻の安謝中」~「私の履歴書」㉒

2021年07月29日 | 「私の履歴書」
          
 私は小学6年、奄美大島から沖縄に移住し、転校入学した安里小学校は間もなく安謝小学に校名が変わります。当時、那覇北端僻地の安謝は小中学併校で、1961年に中学が岡野に“安岡中”として校名変更し移動するまで9年間、当時那覇地区では珍しい“安謝小中学校”でした。校長も生徒会長も小中同一で、私が3年の時、生徒会長を務めた安謝中学は今は無き“幻の母校”です。安謝中同期は3クラス、全校でも400人にも満たない弱小学校で、私達は上野山、真和志、那覇中等々当時の那覇のエリート?中学への劣等感に苛まれました。当時の安謝中は“アジャパー中”と揶揄われることがありましたが、当時の岡野地区への移転に伴い安岡中に改名したのでは? 安謝中で忘れられない同期には後に「沖縄ジャズ協会」会長を務めるジャズピアニストの屋良文雄と「藤原歌劇団」のオペラ演出家の粟国安彦、中学2年担任の新川初子先生です。後で気付くのですが、共に小中高、琉大と唯一の同期生は屋良文雄君ですした。私は法政科、屋良君は教育科と専攻は別でしたが、何と共に中退の仲した(^-^*)。 
        
        (那覇の「寓話」で故・屋良文雄君と!)
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