吉村昭:わが心の小説家たち

2009-04-02 00:00:03 | 書評
吉村昭を年間1冊読んでいたように思っていたが、最近は3冊くらい読んでいる。何しろ、厚い。そして、内容が重い。ちょっと文体が冷たい(というか、怖い)。本を開いて、読み始めると、その文体で、前に進まない。そして、時代考証的に小説の背景説明が濃密なので、しばし、我慢が必要だ。そして、やっと文体に慣れてくると、今度は内容が重い。人類の性(さが)みたいなものになるのだが、遠藤周作みたいなのじゃなくて、時代の荒海の中で木の葉のように吹き飛んでいく人間を描くことが多いから生半可ではない。



そして最期は、体に差し込まれたチューブを自分で引き抜いて人生に結末をつけた。


彼が、自分の文体、小説のスタイルを築きあげていった過程で、愛読していた小説家、そして小説を紹介した本である。

森鴎外:歴史小説を書くのに、原典を探しだし、その原典を鴎外がどのように小説に仕上げたかを吉村昭は調べている。原典といっても鴎外から見れば素人の作者である。原典から感情や個人の類推を捨象して、自分なりの小説に変換するわけだ。

志賀直哉:吉村昭は志賀直哉の文体を大いに参考にしているそうである。特に、暗夜行路。若い時に読んでも面白くなかったそうだが、年をとって読むと俄然わかるようになっていたとのこと。暗夜行路の主人公(ほぼ志賀直哉本人)はあちこちに住まいを変えるのだが、それを追って吉村昭も旅をしたそうだ。そして、志賀直哉の「食べ物の描写」を大いにけなしている。味に興味がなかったようだ、と。

川端康成:一見、似ていないが、読んで芸術的に楽しむ文体だそうだ。文章の手抜きがうまいとのこと。そして、みるところ描写するところが、普通の作家とはかけ離れていて、特に死体の描写がすごいとのこと(確かに、先日読んだ「名人」でも、死んだ本因坊の顔を写真機で写す描写が不必要に長々と書かれていて、小説全体の流れの中で違和感を感じていた)。でも、絶対にまねのできない文章だそうだ。

岡本かの子、平林たい子、林芙美子:この三人の女性作家は永遠に日本文学の宝であり、作品が少ないからといって、だんだん読めなくなるのは大いに残念とのこと。特に、林芙美子は47歳で心臓麻痺で死ぬのだが、「仕事のし過ぎ」が原因とされているのを、大いに評価。死ぬほど書くのは作家の本望ということだそうだ。そういえば、書けなくなって自殺する作家は多いが、書きすぎて死んだ作家とは聞いたことがない(売れなくなって死んだ作家というのも聞かない)。

梶井基次郎:文章が新鮮ということらしい。実は、梶井基次郎も志賀直哉も読んだことがない、というか読み終わったことがない。吉村昭の読みにくさってそういうところからきているのかもしれない。個人的には、少しダラっとして、わずかに遊びやつやがあるような文体が好きなのだが。これらの作家に再挑戦してみようかな。

太宰治:斜陽は失敗、人間失格は成功だそうだ。斜陽を書くには太宰は田舎者過ぎるとのこと。精神的にはニセ貴族と見破っている。吉村昭が昭和23年、21歳の時のこと。結核末期患者として生死の境を行きつ戻りつしていた時に、太宰の自殺の報に触れたそうだ。自分は必死に生きたいと願っているのに、方や自殺してしまった。何ということか、と大いに違和感を覚えたそうだ。

そして、手術を受け徐々に健康を取り戻し小説を書き始めるようになり、「星への旅」を筑摩書房で応募を開始した太宰治賞に投函。最初の受賞者になったそうだ。(身代わりなのだろうか)


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