舞の海の頭頂部にシリコンを入れたのは誰?

2009-04-01 00:00:06 | スポーツ
1612a250.jpg先週、NHK相撲解説者の舞の海秀平氏の話を聴いた。相撲と解説の大きな違いは、「勝負がはっきりつかないこと」だそうだ。後で、解説を自分で聞き直してみると、語彙が少ないことと、次の取り組みの力士が土俵に上がっているのに、まだ前の取り組みの話をしていたりと、なかなか反省点が多い、ということだそうだ。まあ、あまりそういう反省までしている人は少ないだろう。「自分は国語の勉強をしなかったから・・」という言い方は、誰かへのあてつけのようにも聞こえる。

まず、解説の方の話では、「力士の人格を傷つけない」ということと「感情に走らない」ということが重要だそうだ。「みのもんた式」では、いけないそうだ。ごもっとも。

話は、最近の不祥事のことになるのだが、NHK解説者らしく、危ない方には話は及ばない。具体的な話ではなく抽象的になって、「相撲界は社会の変化の速度についていけない」と言われていた。(異論あり。若麒麟など見ていると、社会の変化以上にぶっ飛んでいると思うけど)

また朝青龍については、「いないと、盛り上がらない」「今までの相撲界の常識と違うことが多く、一石を投じている」と微妙な言い方で。支持しているのかいないのか、よくわからない。ただし、稽古が少ないので長くはもたないだろう、との予言。

今後、期待の力士は「稀勢の里」と「豪栄道」だそうだ。「稀勢の里」は強気が売りで、「豪栄道」はパワーはないが、相撲の巧さが売りだそうだ。


そして、舞の海が幕内で活躍するまでの自伝的な話になる。

まず、出身は、青森県の鰺ヶ沢(このブログでは過去に二回ほど登場した地名。太宰治とか赤い靴はいてた女の子に関係あるのだが省略)。相撲の盛んな町で、神社で行われる小学校の相撲大会ではよく優勝していたそうだ。

しかし、やはり相当なヤセ型だったので、中学では、ついに団体戦のメンバーからはずされることになる。そして悩みぬいた結果、退部届を出し、放課後、帰宅しようと校門のところまで行くと、そこに、怖い相撲部の先生がいて、「やめちゃいかん!!」ということになる(津軽弁で)。そして地元の木造高校でも補欠。もう足を洗おうかと思っていると、いつの間に日大相撲部へ推薦入学ということになったそうだ。

聞いていて笑ったのは、日大相撲部というのは「相撲の東大」だったそうだ。要するに相撲部屋と同じ。合宿で飯を食いまくって稽古に励む。競馬の厩舎みたいだ。そして4年が過ぎ、卒業にあたり、高校で社会科の先生になる予定だったそうだ。

が、舞の海氏が大相撲の世界に入ろうと思ったのは、大相撲を目指していた1年後輩が不幸にして急死したことによるそうだ。とりあえず、新弟子検査を受けるか、と、検査に行ったのだが、一回目は身長不足で失格。規定では173センチだったのだが、わずかに足りなかった。この時には髪の中に鬢付け油を固めて身長を水増ししたそうだが、折からの気温上昇で、油が流出。検査場で大破綻したそうだ。

そして、満を持して二度目の検査に行くために考えついてのが、頭にシリコンを注入して臨時的に背丈を延ばすこと。そして、ある美容整形医に頭部改造手術を任せることにした。

ところで、普通、シリコンは女性の胸に入れるものと相場は決まっているが、請け負った手術は頭の上である。他人事ながら、よくやるよね。胸とは随分違うような気がする。

舞の海は、当初、「ちょっと麻酔して、眼が覚めたら手術が終わっている」ようなものと思っていたらしい。

が、それはとんでもない間違いだった。

まず、検査の一ヶ月前から施術は始まる。頭の皮を剥がすそうだ。そして剥がしたところにビニールの袋を入れて、また頭の皮を縫い合わせる。そして、何回かに分けて、外からその頭の中の袋に少しずつシリコンを注入していくそうだ。

そして、猛烈に頭は痛み、一ヶ月間、24時間のたうち回りながら、医師からは「やめてもいいんだよ」と脅かされたそうだ。

ちなみに、その袋は取り出されたのか、まだ頭皮の内側にあるのか、はっきりしなかった。取り出すためには、もう一回、皮を剥がさないといけないだろうと思うのだが。


舞の海氏は、3年で関取(十両以上)に上がれなければ、辞める気だったそうだ。どうしても体格が見劣りするからだ。とうとう100キロには到達しなかったそうだ。ところが、もともとの自分の型である「左差し下手投げ」というのが、十分通用して、10か月で十両に上がり、さらに3場所で幕内に上がったのだが、ここからが、彼の苦闘である。なにしろ大型力士ばかりである。小錦や曙は体重が3倍。研究に研究を重ねて「技のデパート」と言われるようになったのだが、彼の思考法の一端がわかったのは、土俵のこと。

私は、「土俵は円型」だと思っていたのだが、彼はそう思っていなかったそうだ。

「土俵は円柱」と思っていたそうだ。変化技は右と左ではなく、上と下への変化も考えたそうだ。潜ったり、ジャンプしたりということだ。

曙戦の秘話を話してもらったのだが、地方巡業などで少ない土俵で稽古をするときなど、曙に稽古相手に指名されないように、他の力士の陰に隠れていたそうだ。何しろ、大きな力士が嫌いなのは、怖いからではなく、土俵が狭くなって、自分の動き回る場所がなくなるからだそうだ。横綱に指名されると仕方ないので、土俵に上がると、両手で一突き。一秒で終わるそうだ。

そこで、本場所で当たる時に秘策を繰り出す。立会に変わるのだが、右とか左ではなく下。しゃがんだそうだ。すると両手は頭上を通り越していき、眼の前には曙の無防備なまわしがあったそうだ。

そして、あれこれと苦闘した結果、ついに技を出しつくしてしまって引退。ということだそうだ。幕内通産241勝287敗の負け越しだが、一つ勝つことに彼ほど苦心した力士はいないのかもしれない。未だかつて誰が、「土俵は円柱だ」などと考えたものがいるだろうか。

ところで、頭にシリコン袋を縫い込んだ医者って、誰なのだろう?


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