同志社大学周辺散策

2017-06-14 00:00:14 | たび
まず、同志社大学。京都御所の北側にある。市内の一等地にこれだけの土地を得て大学を作るというのも明治時代だからできたのだろうか。あるいは、今治の山中に獣医学部を新設するようなコネがあったのだろうか。ちょっと前の記録すら残らない国なのだから、明治の初めのことがわかるわけもないが、同志社の場所は薩摩藩の藩邸だったそうだ。薩摩藩は江戸にも沢山の屋敷を持っていたようで、京都や大阪にも出張所があったわけだ。

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明治になって、藩邸など要らなくなったわけだ。さらに帝国政府の中心に旧薩摩藩士がいたわけだ。しかし、薩摩藩邸の土地は、誰のものだったのだろう。政府か、島津家か。


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次は、「とらや」。東京のとらやは、京都から江戸に支店をつくったことになっている。つまり東京支店ということ。京都の茶寮に入ったり、羊羹を買って、東西羊羹食べ比べでもしようかともよぎったが、時間がないので、今回はパス。


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室町幕府。現在の京都御所の北西に「花の御所」といわれる足利幕府の建物があった。石碑が一本立ち、『従是東北 足利将軍室町第址』と書かれている。今は何も残っていない。夢のあとである。

しかし、この大正四年に建てられた石碑だが、根元から10センチのところで折れた形跡(修繕箇所)がある。交差点の角に立つので車が当たったのだろう。歴史上影の薄い室町時代の存在証明にふさわしいともいえる。


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次は御霊神社。本来はこの神社に祀られている天皇のことを書くべきだろうが、それよりも歴史上の事実を書けば、この神社の前で応仁の乱が始まった。11年にわたる内戦の始まりでもある。とかく歴史小説では室町、鎌倉時代は嫌われるのだが、最近はよく書かれているようだ。どうして戦うことになったか、説明するのが難しくストーリーが始まる前に読みつかれそうだ。


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猿田彦神社。最近は猿田彦珈琲が有名だが、特に関係ないらしい。京都にある猿田彦神社はかなり小型である。無人方式かな。どうも旅の神らしい。伊勢に大きい社があるそうだ。当日の京都ミニ旅が無事に終了することだけを祈る。


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