戻れなくなった戻り橋(一条戻橋)

2017-06-13 00:00:53 | たび
晴明神社の近くに一条戻橋(通称:戻り橋)がある。観光地としては些かマイナーだが、故事来歴は一流だ。

まず、この場所は現在の京都御所の西にあたるのだが、平安時代の御所からは北に位置する。京都は御所から南に向かって一条、二条・・・九条なので、一番端の方だ。そこにある橋をなぜ戻り橋というかというと、いくつかの出来事が起きたからだ。

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延喜18年(918年)、文章博士だった三善清行が亡くなった。その息子「浄蔵」は紀州熊野の僧であり、やっとの思いで京都についた時に、すでに葬儀が終わり、埋葬の列がこの橋の上を通っていた。しかし、息子が仏に祈願したところ、父が一時蘇生して、何か父子で物語を語らったということだそうだ。遺産相続とか愛人の後片付けとか話したのだろうか。つまり、死んだ者が蘇ったり、生きている者が死んだりする境界線だったのだろう。

次の例は、近くに住んでいたスーパー陰陽師の安部晴明。こちらも父の保名が、この橋の付近で殺害されたのだが、かけつけた晴明が呪術をもって父を蘇生させた。

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さらに、平安中期の武士である渡辺綱(わたなべのつな)が、この橋のそばで、容姿端麗の女子から「暗いので怖いから家まで送ってほしい」と頼まれ、下心があったかどうか不明だが、馬に乗せて進み始めたら、女はたちまち鬼と化したそうだ。そして、綱は頭に血が上り、刀を振り回して鬼の腕を切り落としたそうだ。切り落とされた腕が戻ってきた話はない。この太平記の記述より、渡辺姓の家庭では「豆撒き不要」ということになっているそうだ。鬼が渡辺一門を恐れているという仮定だ。むしろ鬼は復讐に燃えているかもしれない。

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ところが、この橋だが、下を流れる川や、その土手と一緒に平成7年に新築されている。古い橋は細く、かつ長さが短い。


ところが。この戻り橋だが、画像を確認したら、一方通行の標識が見える。行ったら戻ってこられない。が、うっかり行ってしまった。


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