港区立郷土歴史館は驚愕のすばらしさ

2020-03-29 00:00:20 | 美術館・博物館・工芸品
以前、三田駅の近くの区立図書館の上階にささやかに存在していた港区の郷土資料館がリニューアルされたことは知っていて、「どうせ、前の展示品を運んだだけだろう」と思っていた。戦前の旧公衆衛生院の建物を壊さずに、そのまま東京都が引き受け、リニューアルして郷土館に使うというのも、単なる与党の復古主義の一環だろうと思っていた。

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復古主義の方は、たぶんそうなのだろうが、展示については、意外なことに、膨大であり精緻。さらに行き届いたデジタル化とたくさんの館員という至れり尽くせりで、歴史を鳥瞰的に愛好する人たちにとっては垂涎の極みと思える。一日いても楽しさは尽きないだろう。11の部屋に分かれているが、一部屋2時間いてもいい。

よく考えると、港区というのは、普通の歴史では教科書的に重要とされる奈良時代から室町時代までを除いた時代、かなり輝いていた。何しろ海の幸が豊富で東京湾という穏やかで遠浅の海が前面にあったので、採取文化の縄文時代の痕跡は大量にある。貝塚はもとより遺跡は多数。一方、徳川家康が開いた江戸幕府は世界最大都市であったが、現在の港区は、武家屋敷、寺院といった公権力側の街でもあり、海沿いの地区は町民の町だった。しかも幕末にはお台場を10個も作ることになる。

明治以降はまさに首都的な歴史を刻んでいるし、駐留軍の遺物(現在も駐留しているが)も大量に影を残している。

残念なのは、現在のコロナ戦争。戦争下、来館者数は激減していると予測していったのだが、確かに来館者は少ないが、その分、手持ち無沙汰の館員とお話をすることになり、今回は失礼ながら早々に失礼することになった。

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同時に、入居している建物は『旧公衆衛生院』。もともと昭和13年にアメリカのロックフェラー財団の支援と寄付によって関東大震災の後の復興支援として「公衆衛生院」がここに建てられた。まさに、現代に必要な組織なのだが、奇妙なことに、2002年に「国立保健医療科学院」として統合され、和光市に存在するそうだ。現在、一向に名前を聞かない組織だがどうなっているのだろう。

建物の設計は内田詳三氏で、東大の安田講堂も手掛けたそうで、よく似ている。現在の東大の本郷キャンパスの多くの現存の建物は彼のデザインだそうだ。館内に残る院長室だが今で言うと社員1000人程度の中企業の社長室程度の規模かなと思うが、そもそも米国財団の寄付で作られたのだから華美を求めることはできなかっただろう。それでも竣工7年後に戦争を始めたのだから、財団関係者はさぞ憤慨しただろうと思われる。

機が収まれば、またゆっくりと訪問したい博物館と言えるので、もう少し事前に勉強をしておこうと思うが。その時には、まもなく一介の主婦として国際弁護士の夫の母親の借金の返済に追われる元プリンセス学芸員を看板館長にしておいてくれないかな。

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