オアフ鉄道、そして移民の話

2019-03-21 00:00:06 | 歴史
ハワイ移住150年ということで、明治元年に日本を離れたいわゆる『元年者』の話を昨日書いたのだが(実際は数日前)、その時の事情は、米国にとって南北戦争の後で、国内需要が旺盛で特にお菓子類の大量消費が始まって、キューバとハワイ諸島が代表生産地となったことと、奴隷制度が崩壊したことにより、サトウキビの生産や砂糖工場での加工に労働力が不足していたわけだ。

しかし、実際に特に日本から大量(2万9千人)の移民が渡って行ったのは1885年の官約移民協定からである。なぜ、突然、そういう方向になったのか。元年者の記事は、公立の「海外移住資料館」の資料を基に書いたのだが、なんとなく引っ掛かるものがあった。

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1906年の「ホノルル府要図」というのがあって、日本人街の近くの地図の画像を眺めているうちに、地図の左側に鉄道の線路があって『オアフ鉄道停車場』とあり、始発駅であることがわかる。まず、この日本人街の場所を特定してみよう。もっとも鉄道は、現在、オアフ島にはない。(後述するが、ホノルル・レール・トランジットという鉄道が建設中で2020年に一部開通する。)

当時の地図を見て現在の地図にあてはめるのだが、道筋が三角形になっている場所に記憶がある。さらにアアラ公園やリヴアーと書かれた川(運河?)を手掛かりにすると、ワイキキの西側、国際空港の東側、現在のチャイナタウンの場所であることがわかった。つまり、過去の日本人街がチャイナタウンになったのも不思議だ。

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ということで、このオアフ鉄道の路線や建設した状況を調べ始めると、オアフ島の南側(ホノルル市の中央から南海岸から西海岸の海岸沿いに沿って島の半分を通っていた。

1886年にオアフ鉄道という会社が設立、1889年に一部(9マイル=15キロ)が開通した。車両の多くは貨物車で、一部客車が連結される。当初はサトウキビの輸送に使われていたが、その後、真珠湾の海軍基地が米軍によるフィリピン攻略の起点となり、多くの軍人や軍用資材が運ばれている。真珠湾の東側(ホノルル)に港湾があり、西側が農園である。

この1886年という年は、実はハワイはアメリカではなかった。ハワイ王国という独立国で国王はカラカウアといってアメリカ資本がハワイに進出してくる中、アメリカ人が増加することに不安を感じていた。歴史の事実として、この翌年の1887年に最初のクーデターがあり、さらにカラカウア没後の1893年に次のクーデターが起こり米国傀儡政権としてハワイ共和国が成立し、5年後の1898年に米国の準州に組み入れられ独立国が世界から一つ減少した。

遡ること数年、1881年にカラカウア国王は訪日して、明治天皇と重大な会合をもっている。天皇家とハワイ王室と婚姻関係を結び、さらに移民を増やして関係を強めようという提案があった。つまり米国ではなく日本と同盟国になろうとしたわけだ。それは通常の条約を超えた大規模な提案であり、王位継承権のある王女と日本の皇族の婚姻を図ると同時に、米国とではなく日本と連邦国を作ろうというものだった。

しかし、明治政府は当時の日本の国力と米国の国力との差を脅威と考え、移民増加に絞って協力したわけだ。実に1890年の段階でハワイ総人口の40%が日本移民になっていたそうだ。実際、上述の米国によって仕組まれたクーデターの際は、後の日露戦争で軍神となった東郷平八郎はまだ一介の艦長であり、邦人保護の理由で軍艦「浪速」他一隻を率いて真珠湾で米艦隊を牽制するように艦を並べていた。

歴史に「if」は禁物だが、あちこちに「if」を考えたい話だ。

そして鉄道の話に戻ると、1948年にオアフ鉄道はすべての営業を終了し、その遺構の多くは朽ちているのだが、真珠湾の北側に観光用として細々と営業が再開されている。日本のトロッコ列車というか軽便鉄道といった趣である。

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そんなホノルル市は海岸沿いに市街地が横に並ぶ街の構造上、一日中渋滞で苦労しているわけだ。そこで、今進んでいるのが、ホノルル・レール・トランジットという電車である。西側がカポレイでエリア1、エリア2は真珠湾の北側、そしてダニエル・イノウエ空港のあるエリア3、そして官公庁や企業のあるシティセンターがエリア4になる。エリア4の終点が、アラモアナセンターである。つまりワイキキにはほんの少し足りない。ワイキキのホテルからは、JCBのピンクの無料バスに頼らないといけない。一応、ワイキキの北側のハワイ大学が最終目的地という話もあるが、途中にはゴルフ場がある。

旧オアフ鉄道と比べると、エリア3とエリア4の区切りのあたりが旧オアフ鉄道始発駅だったので、そこから東側に街の中心が移動したことになる。第一期工事として、エリア1とエリア2が2020年に開通で、エリア4までは2025年となっていたのだが、ごく最近、エリア3までで、予算を使い切るのでエリア4は期日未定という報道がなされ、騒ぎになっているようだ。なにしろ、エリア4のシティセンターに通勤する車で渋滞になるのだから本末転倒ということだ。しかも、エリア3で終了!ということになれば、それでは旧オアフ鉄道と同じになるだけだ。


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