ハワイ「元年者」を調べてみた

2019-03-20 00:00:04 | 歴史
昨年(2018年)は、『ハワイ日本人移住150周年』だった。ということは、2018-150=1868ということで、西暦1868年。ということは、明治元年である。

本題とは異なるが、明治元年のことだが、1868年は、そもそも慶応4年だった。1月に鳥羽伏見の戦いがあり戊辰戦争が始まる。そして、あっという間に薩長軍が江戸に進撃し5月3日、江戸城が明け渡しになる。そして9月4日に「慶応」が「明治」に改元になると同時に江戸も東京に名称変更となる。

ただし、その時、正月に遡り明治とするということになったので、慶応4年は、なかったことになる。ここまでは、わかりやすいのだが、当時は太陰暦(旧歴)であり、旧暦の方が約1ヵ月先行していた。ということで、明治元年(慶応4年)1月1日というのは、西暦1868 年1月25日であるため、西暦1868年1月1日から24日までは、慶応3年ということになる。

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で、話を戻し、ハワイ移民の件だが、明治元年5月17日153人が帆船サイオト号で横浜からハワイに向かって出港している。そして6月20日に151人がハワイに上陸した。江戸城開城から僅か2週間後にあわただしく出国しているのだが、実は、新政府はもともと幕府がハワイ王国と前年に「臨時親善協定」を締結したことを認めなかった。ところが、この条件は、国内の農民には格段の好条件だった。移民は月26日労働で4ドル。食事と住居はハワイ持ちで3年契約という条件だった。サトウキビ畑の仕事が待っていたわけだ。

ということで、混乱に乗じて、当初予定の300人に満たなくても、無許可で出航したわけだ。

ところが、上手い話はなかったわけだ。炎天下でサトウキビ畑は辛いし、鞭で叩かれたり、そもそも日本語通訳もいない。そして、日本政府にSOSとなる。その結果、新政府が交渉することになり、42人の即時帰国が行われた。3年後には、さらに帰国するものが現れ、結局90人がハワイに残ることになり、正式な移民となる。

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その後、明治18年(1885年)には官約移民の労働約定書が制定される。約定書によれば、3年の契約中、一ヶ月9ドルの給料と6ドルの食費、サトウキビ畑の作業は1日10時間、砂糖工場で働く場合は1日12時間労働と定められている。

15ドルの給料を換算すると、当時の日本国内に比べ、3~7倍ということだそうだ。こうして、官約移民は10年間に29,000人以上の移民をハワイに送り出すことになる。そして47年後には、すっかり日系人のことを忘れたかの如く、日本人街に近い真珠湾を爆撃したわけだ。

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