「バルトの楽園」は骨太だった

2006-07-17 00:00:20 | 映画・演劇・Video
ea3db0c1.gif映画「バルトの楽園」が公開された。第一次大戦ドイツ青島守備兵の日本での捕虜物語となれば、見ないわけにはいかない。しかし、この映画はカール・ユーハイム話ではない。徳島の坂東収容所でベートーベンの第九交響曲を演奏する話だ。実は、弊ブログ12月14日号「第九にふさわしくない場所」に紹介した実話を映画化したものだ。ユーハイムを追っているうちに、この映画が松平健主演で着々と撮影されていることは知っていた。彼がどんな役にはまるのか、今ひとつわからなかったのだが・・

まず、この映画、仕上げが荒っぽい。決して外国の映画賞を受賞するような美しさや緻密さはない。ただし、きわめて骨太。ぐいぐい押してくる。あらかじめ、ハンカチを胸ポケットに入れておく必要がある。さらにコンタクトは流出の危険あり。筋立てそのものは書かないが、松平健は坂東収容所の所長としてドイツ人の人権を守ろうとして陸軍の中で奮闘する。要するに映画の前半は彼のワンマンショーなのである。はっきりいって、暴れん坊将軍。そしてドイツ語をしゃべるので日本語の字幕が出る。会津出身者の陸軍内での葛藤もテーマの一つ。

ea3db0c1.gifそして途中からプロテスト映画に変わる。戦争が生んだ数々の悲劇が徐々に明らかになっていく。マツケンさんの露出時間も減っていく。戦局は終戦に近づき、収容所の周辺では日本人との交流も進み、ついに捕虜の製作した工芸品やお菓子の展示即売会まで開かれる。そして、ついに終戦。マツケンさんが登場し、元捕虜たちに、「これからは平等な人間」宣言をする。

帰国前に(元)捕虜たちが、日本最初の第九を演奏し、フィナーレとともに映画は終了し、一部の観客はコンサートホールのように拍手を続けるのだが、アンコールはない。

あえて言えばこの映画は最後の第九が謳いあげる「人類の希望」という大テーマの前には「浅い」。戦争と人間と国家の対立といったレベルまでである。だから最後が第九なのだろう。

さて、この映画が後半になり「低俗」から「骨太」に立ち直るのは、実は少女や少年たちの活躍が大きい。演じるのは、大後寿々花さん(1993年生)、タモト清嵐(そらん)くん(1991年生)など。特に大後さんは、「北の零年」「SAYURI」と明治から昭和までの近代史の中の動乱の少女を演じ続けている。期待しよう。


ところで、この映画の中で登場するカルル・バウム青年は青島ではパン職人だった。その他民間人も何名か捕虜になったのだが、これは明らかに国際条約違反と考えられる。なぜ、問題にならなかったかと言えば、ドイツが負けたからだろうし、その後は歴史の中に埋没したのだろう。映画ではその事情はわからなかった。バウム青年が実在人物だとすると、捕虜解放の一年前1917年に創立した神戸屋に就職したのかもしれない。

そのように、一部のドイツ人は日本に残り、欧州文化=ドイツ文化というように日本の中に親独気分を高めていったわけだ。一方、ドイツに帰国した人達は、祖国の惨状の中で、徐々にファシズムに傾いてゆく。ドイツ青島捕虜の処遇は、二つの国がいずれ、近づいていく遠因でもあったのだ。第九はその後、芸大から学徒出征があるたびに壮行演奏されることとなる。

そして、映画のスポンサーの一つはユーハイム社だった。4ヶ所ほどにバウム・クーヘンが登場するが、それは、ちょっと・・。カール・ユーハイムが収容されていたのは坂東収容所ではなく広島収容所。坂東と同様に広島でも展示即売会が開かれる。カール・ユーハイムは展示会のため、バウム・クーヘンを焼いてみるのである。

さらに、その時の広島の展示会場は、今も名前を変えて現存している。「原爆ドーム」である。広島が原爆投下地に選択された理由の一つは、米国人の捕虜収容所がなかったから、と言われているのだ。ea3db0c1.gif


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