岡本太郎の遊ぶ心-岡本敏子-

2005-12-18 22:27:28 | 書評

f7117c4f.jpg岡本太郎の造形は楽しい。ただし、それは絵画のように持ち運びが可能なものではなく、またロダンやヘンリー・ムーアのブロンズのように同一主題での複製が可能なわけでもなく、「太陽の塔」をはじめ、それぞれの構築物があちこちに単独で存在する。したがって展覧会として、まとまって見られるのは絵画が中心になる。表参道の旧邸宅である美術館もそうだし、川崎市にある美術館でも屋外展示物はあるものの、やはり絵画中心だ。だからと言って、あちこちにTARO-ハンティングに行くのも困難ということで、本を読んでみた。50年間の秘書で、後に養女となった岡本敏子さんの著。

この本は、主に大量の作品を製作始めた大阪万博以後よりも、それ以前に詳しい。子供時代、戦前のパリでの著名人との交流、そして日本で縄文土器の再評価、そして数々の趣味。スキー、クルマ、ゴルフ、カメラ、ピアノ。そして生涯唯一のペットである「カラス」。多芸というコトバでは包括できないのは、それらの総体が彼のすべてということだからだ。(それにしても、カラスの足に紐をつけ、凧のような状態で散歩をしていたというのは、世界中で彼だけではないだろうか。)

f7117c4f.jpgこの書で特に触れているのは、ピカソとの出会いだ。一時、絵が描けなくなった太郎が、ある画廊でピカソの100号の大作に出会ったそうだ。そしてその絵に強い衝撃を受け、再び筆をとることになる。南仏のピカソのアトリエに行った時に、太郎は、「均衡や調和ではなく、悪趣味でもって調和や均衡といったものを壊していくべきではないか」と持論を展開するのだが、ピカソに「そうだ。僕はそれをやっているんだ」と一蹴されている。太郎によれば、別れ際にピカソと握手をしたところ、ピカソの手は小さく柔らかく、その感触が心臓に伝わってきた、と述懐している。

そして、彼の生涯最大の作品は、言うまでもなく「太陽の塔」だ。当時、このテーマ館のプロデュースには自薦他薦さまざまな候補がいたそうだ。そして。もめにもめた後、太郎に白羽の矢が飛んできたそうだ。そして、そのもめたのが良かったかもしれないのだが、彼の意見はかなり企画段階で優遇されることになったそうだ。

ところが、ここからゴタゴタが始まる。まず、万博のテーマは「人類の進歩と調和」なのだが、ピカソに彼が話したとおり、「調和」は太郎がもっとも嫌う言葉だ。創造的破壊とか芸術の普遍性というのが彼の持論なのだから、食い違うのが当然。そして、決定的な対立が、テーマ館設計者の丹下健三との間で爆発する。なにしろ、岡本太郎が万博会場に建てようとした高さ70メートルの「太陽の塔」は、せっかく丹下健三が設計したテーマ館の巨大天井をつき破らなければ、おさまらない大きさだったからだ。

そして、最後のダイスを振ったのは、万博協会会長の石坂泰三である。彼が、なぜ岡本太郎の肩をもったかはわからないが(運がよければ自伝にかいてあるかもしれない)、結局、会場の中に、「進歩と調和」と「人類の普遍性」という二つの巨大テーマが混在することになり、何だかわからないうちに6422万人が大阪に引き寄せられていくのである。

この書には、いくつかのTARO語録が紹介されている。

人間は その根底において 美しいし、尊いのだ
みんなが 真の人間的な存在 つまり芸術家になれ
悲劇に真正面から取り組み 生命をひらくことが、真のいきがい、遊びなのである
男に生まれた以上、世界中の女の 男であるべきだ

そして、さらに驚異的なのは、

私は父母に生んでもらったんじゃなくて、自分で決意してこの世に生まれてきたのだ

「芸術は、爆発だ!」とはあるビデオテープのCMだったが、もっと正確に言うなら、「岡本太郎の人生は爆発だ!」ということだろう。そして敏子さんは2005年、慌しく永眠。



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