河原城の意味

2016-05-19 00:00:21 | The 城
河原城(別名若鮎城)は秀吉が鳥取城に立て籠もる吉川経家を攻めるために、ベースキャンプとして急遽作られた城である。基本的に防御のためではなく攻撃のための城なので、天守閣はない。

kawahara1


しかし、現在、城郭の復元と同時に天守閣ができてしまった。城域は狭いので不要の天守閣を作らず、いくつかの屋敷が建てられていたのだろう。まあ、城といえば天守閣ということで、観光用には必要なのだろうが、わからなくもないがどうしたものだろう。

kawahara2


城内は郷土資料館といったところだろうか。人工的に作られた物なので、眺望もいい。まさに要所を選んだということだ。山々に囲まれているが川筋に開けたところを進軍していけば鳥取市街地に至る。

鳥取城にはこの後行くのだが、険しい山を背景に高石垣で正攻法には強い城なのだが、それが災いして、日本史の中でもことさら惨い落城となった。信長にしろ、秀吉にしろ、目的のためには手段を選ばすということだろう。河原城を基地とし、鳥取城の傍に陣を張り、包囲した。

kawahara3


展示物の中に、鳥取地方に伝わる「麒麟獅子」の展示があった。獅子舞の上を行く麒麟獅子。あやつるのは一人ではなく二人一組だそうだ。若い男が二人で組むのだろうか、あるいは男女で組んでラブロマンスの始まりになったりするのだろうか。男は地元に残り、女は都会に出ていき、十年の歳月の末、祭りの夜に再開する。中上某のような作家なら書きそうだが、鳥取出身でもないし、今はいないし。