有馬温泉と秀吉

2016-05-05 00:00:23 | たび
有馬温泉駅の近くに橋が二つあり、一つは太閤橋といい、もう一つはねね橋という。秀吉と正妻ねねを記念していて、銅像も二体ある。

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秀吉は生涯に9回、有馬温泉を訪れたと言われ、ねねも2回は同行しているようだ。また淀君も一回訪れているようだが、そちらは不人気で、記録を読まないとわからない。

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記録によれば秀吉の初訪問は、柴田勝家を打ち破り、信長の後継者の椅子に座ってからだそうで、1583年、84年、85年には2回も来ていて、85年には正妻ねねを同伴している。しかし、その後、5年間の空白がある。史書と照らし合わせると、淀君(茶々)と結婚して長男(鶴松)を得たことになっている。茶々はねねよりも22歳も年下なので、わからないでもないが、1590年には淀君を同伴している。鶴松はどうしたのだろう。

そして、誰かに呪われたのかもしれないが、翌年、鶴松が夭折。それを機に秀吉は、有馬通いを連発。1591年から4年間に5回も行っている。1593年には、再びねねを同伴。やはり温泉は、男女ともに中高年に向いているのだろうか。

このように温泉の歴史と秀吉の歴史を重ねると、いろいろと見えるものが変わっていく。

そして、運命の慶長伏見大地震が起きる。1596年である。秀吉、ねねの愛した温泉が大崩壊。しかも、温泉が高温化し、とても危険な状態だったそうだ。有史以来の大被害を救ったのが秀吉で、温泉の整備からはじめ、大御殿を建てたそうだ。1598年に完成した大御殿だが、訪問日に暴風雨があり、延期となったのだが、その後、体調をくずし、不帰の人となった。2年後に関ヶ原の戦いに続く。