有馬温泉史にかかせない女性

2016-05-08 00:00:28 | 歴史
有馬温泉といえば太閤秀吉の手厚い保護で有名であるが、その昔にも有名だった時期がある。平安中期の宮廷で有名になっていて、和泉式部は実際に湯につかり(997年)、清少納言は筆を走らせる。藤原道長も晩年(1024年)に訪れている。

和泉式部といえば、恋多い肉食女性として有名で、18歳で結婚し。20才で出産(小式部)。22歳で最初の愛人に走るも男が2年で亡くなる。ただちに弟に乗りかえ、出産。一方で和歌の腕前は当代随一。証拠はないが道長にも寵愛されていたようで、道長崩御の後は静かに歴史から姿を消す。

有馬温泉に現れたのは997年。第一子を出産した年だから、おそらくは出産した後、疲れを癒しに来たのだろう。育児は乳母の仕事。そして、このあと、彼女は愛人に狂っていく。あのあやしい赤色の「金の湯」につかったのだろうか。筋肉の奥の方から温める「金の湯」と表面から中に温める「銀の湯」がある。

藤原道長は和泉式部や紫式部よりは一回り年上で、文学的パトロンだったのだが、1020年頃には体調を崩していて、有馬温泉にいったものの、その病状が回復することはなかった。

やはり、何らかの効能があるということなのだろう。金の湯と銀の湯をハシゴをしても1000円もかからないのだから、もっと回数行こうかな。