倉敷のインド料理店名を翻訳すると

2015-09-11 00:00:46 | あじ
インド料理(カレーを中心に)のファンで、以前、新橋で働いていた頃は体臭が変わるほど毎週、周辺のインド料理店に通っていたのだが、倉敷には、その手の店は数多くはない。そうなると、競争過激にならないので、味の方が・・というのがよくあるパターンだ。

さらに、新橋あたりの店はインドの裏通り的な店構えが多いのだが、倉敷ではかなりそれっぽい王朝的な派手な店が多い。

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で、国道のバイパス沿いの派手な店に入る。駐車場の入口がそう広くないので、追突されないように運転に技術がいる。そして、レストランの入口のドアを開けようとすると、そこに張り紙がある。

 従業員出入口

国道沿いは店の裏側なのだ。そして、正規の入口には店の名前が。

ナマステ・ガネーシャ

象の顔の看板とインド系民族のフィギュアが目に入る。象使いかな。

ガネーシャというのはカレーショップではよく聞く名前で、確かスープカレーの店にもあったかな。ナマステは初めて単語だ。生ステージとかかな?まあ、考えてもしょうがない。カレーを食べるわけだから。

で、五段階の辛さの下から二番目の中辛を選択。軟弱者だから。そしてチキンカレー(とはいわないが)を注文。そして待つこと10分でナンが焼きあがる。

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食べて分かったのだが、概してインド的だった。インド人シェフは10年間、インドのホテルで修業してから来日したそうだ。(シェフ歴は23年ということなので、残りの期間は不明)

ちょっと驚いたのは、カレーとナンが登場したが、テーブルに直置きである。プレートなし。実際、テーブルにこぼしても拭き取るのだし、少し黄色く染まった方が、本格風なのかもしれないが、こぼさないように慎重に食べると、こぼさないものである。

カレーは、味についてはインド風で大変良好なのだが、問題はチキンかもしれない。柔らかくてブロイラーっぽい。野菜カレーを食べるべきだったかもしれない。

ナンの味は、東京のインド料理店とは、かなり異なる。良い悪いの問題ではなく、東京のナンは甘みがあるが、ここのナンには甘みがなく、やや粉っぽい味だ。実際、こういうのもいいかなと思う。よく冷凍食材で売られているナンも、こういう系統の味だ。

ということで、次回は軟弱コースから一歩踏み出してみようかと思っている。


ところで、問題は店名。「ナマステ・ガネーシャ」とはどういう意味だろうと、調べているうちに人間存在の深淵に近づいてしまった。

ナマステ、とは大雑把にいうと、挨拶語で「ハロー」とか「ニイハオ」ということ。日本語では、「こんにちは」とか「おはよう」とか使い分けるので、対応はしない。あえていうと、「どうも」ということらしい。しかも目下から目上に使うらしい。そして、この言葉はそのまま日本語になっている。「ナム=南無」。そう仏教用語なのだが、今はネット上でよく使われる。「某デザイン事務所、またも盗作疑惑。南無。」とかだ。原語からいうと、南無のあとが重要だ。「こんにちは、阿弥陀さま」が「なむあみだぶつ」ということになる。

そして、ガネーシャ。ガネーシャという名の料理店は多いので、インド語の料理店のことかと思っていたら、インドの神様の一つだった。頭が象で体が人間。ギリシア神話では人獣混合神(ペガサスとか)は、神様が動物と交わった結果ということなのだが、インドのガネーシャ神はそうではない。

暴れん坊の問題児の神様がとうとう成敗されて、首を切られてしまう。しかし神様なので、簡単には死なないわけで、通りがかりの動物(それが象だった)を捕まえて、首をとって、自分の胴体に縫い付けて、生きながらえたわけだ。(まあ、結果として象が神様の体をいただいたともいえる)

そして、このガネーシャ神は首を新品交換したにもかかわらず、あいかわらず乱暴を続けていたため、天界ではある作戦が行われることになった。同じように象頭の女性神ビナーヤカが、ガネーシャをベッドに誘惑することになった。そして、その二神が合体した状態を、大聖歓喜天、略して大聖天というようだ(昇天じゃない。もともと天国にいるのだから)。結果として、ガネーシャはおとなしくなり、商売の福を呼ぶ神様となる。

そして、おそらくは大聖天伝説は空海の時代から日本に伝えられ、いくつかの寺院ではこの象が絡み合った仏像を秘仏中の秘仏としているそうだ。秘仏なので、ほとんど見ることはできないが、全国の何ヵ所かで拝むことはできるようだ。その時には「南無大聖歓喜天」を忘れずに。