維新ではなく大塩方面に逆走か

2015-09-02 00:00:50 | 市民A
もともと合併の時から不思議だった維新の党の分裂。全国政党をめざすのに、新党は「おおさか維新の党」ということらしい。全国なのにおおさかを名乗るのは、「餃子の王将」に対抗する「大阪王将」方式のようだ。国会議員は地方政治のために活動するのではないことは憲法に規定されているのに、まったく不思議だ。

長州と薩摩を連結した坂本竜馬役になりたかったのだろうが、自ら薩摩藩になろうとしたのだろうか。

大阪都構想にしても、選挙では賛否僅差だったが、そもそも非可逆的な政策の場合、多数決で一人でも多ければ強行OKということではないだろう。

少し前から思っていたのだが、橋下氏のやっていることは、徐々に大塩平八郎に似てきたということだろうか。

大塩平八郎といえば、幕府の役人で、大坂市民の生活の困窮を私財を売って助けた上に、最後は大坂市内で蜂起する。総数300人。爆薬を使った襲撃計画が不発で、大坂市内に火を放ち、市内の1/5が灰燼と化す。

戦いは半日で会わり、反乱軍壊滅するも40日間潜伏し、ついに隠れ家を包囲され、持っていた爆薬を大爆発させる。


蜂起は1837年のことで、16年後にペリーが黒船で恐喝外交を始める。一般には、明治維新の先駆けとも言われる。

以前、少し調べたことがあるのだが、福沢諭吉は、中津藩の大坂屋敷で3歳の春を迎えるところだったが被災を免れている。もっとも彼がいなくても明治維新は進んでいき、慶応大学が存在しないということと、一万円札の顔に長く君臨することにはならなかっただろうということ。思えば、福沢諭吉の父親は、藩の勘定役として、借金まみれで破綻寸前の中津藩の自転車金融のため、両替商を駆けずり回っていたのだから、輪転機の中からいくらでも出てくる一万円札の肖像モデルにこどもが選ばれたことは歴史の小皮肉と言える。

また、実際に維新に関係があるのが、東芝創設者の田中久重。維新劇場の登場人物としては最長老の彼は、大坂でからくり時計を作っていた。が、大塩の火付けの結果、焼け出されてしまい故郷の肥前(鍋島藩)に戻ることになる。そこで始めたのが、武器の製造。高機能の大砲を設計し、これが薩長土肥チームの軍備強化に役立った。ただ、実際に官軍は江戸までは、ほぼ無抵抗状態で進撃し、威力を発揮したのは上野の彰義隊の壊滅作戦の時だった。

そして、「おおさか維新の党」という名前の政党を支持する人がどれだけいるのかわからないが、なんとなく最後は、八方を包囲され、一暴れするような予感があるが、灰燼コースだけは、やめてほしいものだ。