過去を振り返る中で、豊田社長は自身の社長就任時に、「トヨタはお客様から遠いところに来てしまった」という印象を抱いたことを明らかにし、現在の自動車販売不振について「車から離れているのは若者ではなく、われわれメーカー側だ」と指摘した。 (ttp://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=jp09_newsarchive&sid=aqudB.oPE.58より抜粋引用)
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これはよく言われる創業家出身の社長ならではの発言と思うが、対外的だけではなく社内へ向けたアナウンスだと考えられる。
トヨタの戦略への疑問は以前から言及されている。”トヨタの不振は円高が原因でなく戦略転換の遅れだと強調しておきます”
リーマンブラザース破綻から1年経ち、アメリカ経済は立ち直りをみせているとの報道も目立つが、実はアメリカ経済は何度もピンチにあい、1つの解決方法であったプラザ合意では250円/ドルのレートが1年後には150円台になっている。
プラザ合意の背景には80年前半のインフレを抑制したための貿易赤字があったためだが、この貿易赤字は対日が顕著だったようだ。
ちなみにこの時期のハーレーダビッドソンの輸入拡大は、円高により日本への輸入価格が下落したからだ。
そしてあのHY戦争が終息したのは、プラザ合意の前のアメリカの不景気により各メーカーの在庫増大が理由だとも言われている。(ウイキペディア)
そのプラザ合意は80年代後半の日本のバブル景気の引き金になったわけだが、その背景には様々な事象があり、必然だったのか偶然だったのか、はたまた人為的だったのかは分からない。
それにしても1年で為替レートが倍になるということは、大戦後に360円のレートでバイク、クルマ、電気製品、時計、カメラなどの精密機器を作り、輸出して外貨を稼ぎ戦後の復興にがんばったメーカーにとっては大変なショックだったに違いない。
バブルの後の崩壊を考えれば幸であったのか不幸であったのか評価できないが、プラザ合意のすぐあとのバブル経済は、プラザ合意を忘れさせるほどの存在だったわけだが、輸出で業績を伸ばしてきた企業にとっては1年で倍になる為替レートは恐怖以外の何者でもなかっただろう。
現地生産や迂回貿易は為替レートをヘッジする方法として、人件費を削減する以上に効果があると思えるが、問題はよく言われる本国の産業の空洞化だ。
これは実は”経済発展すると生産は近隣の発展途上国に逃避し、その国は空洞化してしまう”という資本主義の欠点を19世紀に指摘されているが、そのまんまだと思う。
しかし、輸出企業だけを優遇しすぎると国内の所得が激減して結局は購買力も下がり、”失われた10年”はさらに続くことになる。(参考コチラ)
続くかも。。。。