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1885BENZ 画像はウイキペディアから
今でこそクルマは4輪車と言われていますが、最初のガソリン自動車は3輪だったわけです。
当時は動くのがやっとですから、安定性とかハンドリングなんては想定外で、キャスター角はゼロなのにご注目です。
画像を見る限りでは左右の後輪をそれぞれチェーンで駆動してありますが、差動なんてのは発想もないでしょうし、タイヤのグリップからしても必要はなかったでしょう。
1918年頃、大阪で前2輪・後1輪で前方に荷台を持つ自転車式貨物車(フロントカー)に、アメリカ製のエンジンキットを装備したものが出現したのが最初と見られている。
しかし安定性や積載力を欠くため、ほどなく前1輪・後2輪のレイアウトに移行した。その初期には中小零細メーカーを中心に、多くのメーカーが製造していた。運転席の設計などは初期のものは自動二輪の応用部分が多く、ハンドルは二輪車と同様の棒型のものであった。エンジンは当初アメリカやイギリスのオートバイ用輸入単気筒エンジンが用いられ、シャーシもオートバイとリヤカーの折衷的なパイプフレームで、チェーンで後右片輪のみを駆動することで差動装置を省略していた。初期には後退ギアもなかった。(画像と文章の抜粋はウイキペディアから引用)
この時代になってガソリンエンジンが大衆に向けて実用化され始めましたが、まだだ高価なために貨物を運ぶトラックに応用されたのが、このようにバイクをベースにしたオート3輪です。このあと、ビッグ3?といわれたマツダ、ダイハツ、くろがねにより多くのオート3輪が生産され、日本の流通を担ったと思われます。まあ、オート3輪は”3丁目の夕日”によって初めて知った方も多いのかもしれません。
ウイキペディアの説明にも差動装置に関して触れていますが、さすがにこの時代になりますとタイヤは太くなり、路面に対するグリップ力も大きくなっていますから、図の線が交わる点が旋回の中心とみると(これは理論上であり、実際は中心点の前方)、後輪が駆動輪であれば内と外では走行のよる回転数が同じでは大きな抵抗が生じることが分かります。
普段クルマに乗っていても、差動装置のありがたみは分かりませんけれど、ラリーやレース用のノンスリップデフ付きに乗ったことがある方はよく分かると思います。
尚、この図では前輪(操舵輪)の内側と外側では切れ角の違いにも気がつくと思いますが、これはアッカーマン・ジャント理論なるものに基づくホイールアライメント(ウイキペディア)で、現在もこれを基本とした原理を使っていると思いますが、これによりタイヤの横滑りを減らしています。まあ、これも普通はありがたみを感じることはないでしょう。
前輪が1個の場合では、このようにアッカーマン・ジャント理論を気にする必要がありません。

バイクや自転車においてカーブを曲がるためには、ハンドルを切り前輪に操舵角を与えたり、いわゆる車体を寝かしてリーン角を与えることにより行いますが、普通に乗りなれれば極く自然にできます。
通常は速度に応じて、低ければハンドルを切り、高ければ高いほどリーン角が深くなり、この辺りをうまくやれるようになるとバイクを乗る醍醐味が増すというものですね。
図が正しいかどうか今一自信がありませんけれど、リーン角が増すと速度に比例して大きくなる遠心力がコーナリングフォースを増すのは、バイクに実際乗ってみても実感できると思います。
前輪が操舵輪で後ろ2輪が駆動輪のスリーホイールの大きな弱点はココにあり、通常の構造では前輪にリーン角は付けられませんから、ハードコーナリングには向かないと思います。
ボンバルディアがCanAm スパイダーのデモで強調したいのは、ハードコーナリングできる前2輪の優位性なのでしょう。
長くなりましたので続きます。
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