カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

信頼すれば信頼されるのか 溶ける糸・刑事コロンボ

2013-08-31 | コロンボ

溶ける糸・刑事コロンボ/ハイ・アバーバック監督

 この作品のラストは忘れていたのだが(おかげで再見楽しめました)、この作品で手術に溶ける糸がつかわれているということを子供ながら学習したと思う。治癒した後抜糸の必要が無いということで、特に内臓などは再手術でまたお腹を開ける必要を減らすためだとかいうことも感心した事だった。しかしながらそれなりに怖い感じもして、その後実際のニュースなどで、手術後ハサミをお腹の中に残したままであるとか、いろいろ報道されるのを目にするようになった。手術というのは大変な労力らしいというのは分かるが、寝ている間にそんなことがなされるというのは、かなりのホラーではなかろうか。それに看護婦さんだとか他の助手の人だとか、大人数でまわりを囲んでおきながら、そのようなミスが起こったりするということが、さらに恐ろしいと思ったりした。
 コロンボに出てくる俳優さん達は、米国ではテレビなどでは有名な人が多いのだろうけれど、いかんせん日本の主に映画くらいしか見ることのできない視聴者にとっては馴染のあまり無い俳優さんばかりという印象があるのだけれど、この回の犯人役はおなじみミスター・スポックなのである。スタートレックは子供でも知っている(だから知っている)シリーズだから、コロンボとの共演ということだけでも、観ていて何となく興奮を覚えたものだった。当たり前だが耳に違和感があるものの、表情や科白回しの冷静さというのは、やはりミスター・スポックを彷彿とさせる。しかしながらその冷静なミスター・スポックが慌ててみたりするのもドラマとしての見所だ。僕としては外国人というのは皆大げさに騒ぐもの(偏見ですね)と思ってはいたが、それでも異星人だから冷静なミスター・スポックが騒ぐというのが貴重な体験だったということなんだろうと思う。最後は少しあっけない印象も残るが、駆け引きとしてはナイスとは言えるだろう。
 それにしても殺されるような動機を知っていながら、それでも相手を信用して身を任せなければならない立場になったらどうすればいいというのだろう。合理的な人なら素直に違う人を選べば良さそうなものだけれど、しかし良く考えてみると、やはりそのように人を変えることの方が、かえって信用をなくしかねないギャンブルという気もしないではない。敵対することを認めることになり、さらに何らかの工作を許すことにもつながりかねない。信用を買うために、自ら身を任せ信用を表す以外に道が無い。そのような信頼社会が米国にもあるということも、僕にはなんだか面白いと思う。日本のムラとは違うような社会に見えて、やはりこのような狭い社会の身の置き方の選択は同じようになってしまう。社会学の人間が何というかは知らないが、人間というのは立場によって似たような行動をとってしまうものだというのは、面白い現象なのではないだろうか。
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役立たない伝説は続く

2013-08-30 | 掲示板

 僕は本番に役立たない男といわれている。勘ぐって性的な事を想像しないでもらいたいが、行事などの事である。当日の役割が来ると都合が悪くなるということだ。要するに役に立たないということである。
 それというのも台風である。予定では日曜には運動会であった。おしまいに万歳三唱を仰せつかっていた。
 台風の発生から嫌な予感はしていた。しかし当初は土曜あたりかな、と思われていた。何とかなるんじゃないかという期待もあった。ところが、だんだん伸びて日曜もかかりそうだという。歩みの遅いやつである。そうして学校の事務局は決断が早い。早々に今朝延期を決定したらしい。火曜日に延期だそうだ。恐らく準備のこともあるので月曜で無く火曜なのだろう。
 日曜は万難を排してすっかり予定は空けてあった。もちろん役割を果たすためと、たまたまでもある。気が重くない訳は無いが、覚悟は決めていたのである。
 火曜日は朝から用事がある。午前も午後も会議である。出席の返事は済ませてある。会議の中でも役割もある。つまり今更断れないのだ。いいわけじゃないが、ちゃんとした仕事である。僕には落ち度では無いという後ろめたさは微塵も無いはずである。無いはずなのに申し訳ないじゃないですか。またかよ、という自分が情けない。
 そういう訳で代理をお頼みしました。T山さん、ありがとう。あなたならもっとちゃんとやれるんですよ。天がそうみなした結果でありましょう。当日は僕の分のお弁当も食べてくださいね。
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冷蔵庫はやはり危険だ

2013-08-30 | net & 社会

 少し前の話だが、コンビニなどの冷蔵庫の中にふざけて入っている写真をネット上にアップして、いわゆる炎上するという事件が起きたらしい。らしいというのは聞いた話だったからだ。さらにそのコンビニは本社の意向か何かで閉店まで追い込まれたという。事件の張本人は店の経営者の息子だったらしい。
 最初の印象は、ネタかな、との疑いだった。ありそうだけど、閉店までするのは過剰反応すぎないか。でもどうも事実らしい。コンビニ・チェーン店本社は、この問題を大変に重く見たということだ。穏やかでないが一大事ということで、火消しの選択は尻尾切りだった訳だ。経営方針に僕がとやかく言っても始まらないが、日本的な社会的制裁の仕方という気はする。
 確かに悪ふざけにも程度問題はある。程度はあるが、ネットで無ければどうだっただろう。僕はそこまでもの好きじゃないからとは考えてみたが、まてよ、そういう店があってもどこまで気にするか分からないのだけれど、もし近所にあるのなら、店長の顔くらい見てみたいと思うこともあるかもしれない。もちろん無くなったのだから、それもかなわないが、しかし近所なら、やはり誰だったかくらいは人に聞いてみるということはするかもしれない。そう考えると、かなり残酷な抹殺のされ方かもしれない。息子の不祥事で、その地域での再起の道も困難といえる可能性もある。
 馬鹿な息子がいてすいません。そういう張り紙でも出してネットに上げたらどうだったろう。おしりをたたく写真でも上げてみたらどうだったろう。やはりそれでも駄目だったかもしれない。想像力の無い人間がやらかした事の後始末というのは、取り返しがつかないという傷跡しか残せないのかもしれない。
 日本の社会の冷徹さが分かる結果になったが、それでも社会とつながるために本来はネットを使っていたはずなのだ。開かれたものと閉鎖的な場所というのは共存が難しいということなんだろうか。大変に示唆的な事件だと思うが、これこそが日本におけるネットの最大の脅威ということかもしれない。叩いていい人間が特定できた事で、とことん抹殺して良い事が確定された。法に触れるような行為以上に、社会的制裁は残酷だということだ。そうしてそのような暴力の歯止めを付けられない世界がネットの特徴ということは、子供の教育上必要なものになっていくだろう。



追伸:日本で学生が冷蔵庫に入ったと炎上しているその頃米軍では

 僕は米軍というのは非常に「マトモ」だと思います。むしろ健全だとも。さらにいうと、こういう社会が健全精神というべきなんじゃなかろうか。日本の社会や会社というのは、軌道を逸しているのかもしれませんよ。
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1億以上の人が〇〇だった、という数字

2013-08-29 | 時事

 日本の人口減のニュース。26万6004人の減ということらしい。確か佐世保が26万くらいだから、まるまる佐世保市の人が消えたというイメージだ。さようなら。
 しつこくいうと、ここ4年で70万人減ったらしいので、鳥取県とか島根県も消えたということになる。まったく、なんだか寂しいぜ。
 何が言いたいかというと、当たり前だがこの影響が出ない訳が無いということだ。さらに今更びっくりしてもしょうがないというか、こういうことは20年以上前から大変な問題だということがいわれていたにもかかわらず(僕は学生だった頃そういう記事をスクラップしていたことがある。分厚くたまるくらいにはニュースになっていたが、みんなは忘れてしまったのだろうか)、結局こうなってしまったということが最大の問題点なのだ。何か手を打つ事の大切さは否定しないが、既にかなり手遅れになってしまったことは否めない。
 ひょっとしたら僕らは本当にバカなのではないか。いや、僕自身は馬鹿な人間だとは思うが、僕だけじゃないということが衝撃的だ。日本人すべてが馬鹿だということを自覚しない限り、たぶんこれは解決などしないだろう。
 今は既にかなり荒涼たる風景になっているが、子供の成長を考えると、20年後というのが、さらにかなり悲惨だということも頭に入れておくべきだと思う。その間にも何らかの手は打たれるだろうが、それはあくまで20年後以降への影響を緩和するためということになる。今後それくらいの空白を埋める手立てはすべて手遅れであることが確定してしまったのである。過去の人たちと現在の人たちがサボっていたツケを、僕らは子供たちに背負わせてしまった。そういう気持ちを持てない人間を、傲慢という。この数字は、そういう罪深い証拠が現れたと考えるべきだろう。
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ひょっとすると米国保守批判映画   マチェーテ

2013-08-29 | 映画

マチェーテ/ロバート・ロドリゲス、イーサン・マニキス監督

 もうやりたい放題に作ったという感じ。人の命の重さのかけらも無い。というか、たくさん死んで倫理観も崩壊して、色気もたくさんあるが、段々とそれが何となく心地よくなっていくような不思議な感覚はある。漫画よりも漫画チックだが、いわゆるゲームをやっているような達成感がある訳ではない。やりたい事を自分らの偏見通りにやり抜くというような、ある種の潔さに心を打たれるような感じなのかもしれない。ちゃんとやっても誰も褒めてはくれない。いや、それを狙っていることは観る前からある程度は分かっている。そういう計算も含めて作られていて、そうして豪華なキャストがそれに応えて妙な演技合戦をやっている。そうして最終的にはダニー・トレホという強烈なキャラクターが全部持って行ってしまうのである。やっぱり無茶な映画だけれど、分からせてしまう力技は見事というしか無かろう。
 日本にも国境問題というのはある。しかしまわりは海だから歩いて越えてくる訳ではない。それに日本語の壁ということもあるから、すぐに溶け込んで生活するには困難だろう。そうではあるが、お隣には大変な人口を抱えた国がある。五島の知人の話だと、離れの小島に時々中国人があがってくることもあるらしい。そのまま捕まる人もあるし、ひょっとするとそのまま入ってくる人もいるんではないかという。問題になると言っても、社会問題化するほどの数ではなさそうだ。むしろ留学などのルートで入ってくる方が圧倒的だろう。新宿や銀座などで道を聞くと、まわりの人が全部中国人だったというような事もあった。ほとんどは不法入国であるとは考えられないから、やはり社会問題とは言えない。
 ところがアメリカはだいぶ違うらしいことは分からないでは無い。日本より国境問題も数が多いという話もある。そればかりではなく、他国の領土も歴史的にけっこう奪っている。それでも強いから何とかなっているのかもしれない。不法で滞在している人の問題は日本の比では無いだろう。問題化するが今更排除しても始まらないということもあるかもしれない。時々先鋭化する場合があっても、この映画のように本当に殺してしまうわけにもいかないだろう。保守的な人間は恐らく面白くないと思っているに違いない。映画としては漫画的な設定だとしても、あながち本当に的外れな問題なのではなかろう。
 そういうデフォルメがあってのことだが、社会問題を正面から捉えているという考え方も出来る。やり方は無茶だが政治的にはあんがい正しい。説教臭いものは微塵も無いが、ある意味では痛烈なアメリカ批判が込められているのかもしれない。
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意味があるなら開いてもいいけど…

2013-08-28 | 時事

 インフルエンザの予防注射については、学校としては実施することは取り決めていたことだった。しかしながらいざ行う段になって、反対意見がいくつか(多数ではない)出て来た。実際に行っても効果が薄いとか、説明が足りないとか、痛くて嫌だとか。さらに業者との癒着があるかもしれないとか、実施金額の負担が大きいとか、注射による事故に対する危険度のこととかの懸念もみられるようだった。
 予防接種だから、目先のことより、将来に備えるということもあるし、これまでにも経験上必要であるという論点で実施が決められているはずだった。ルールを変えるということになると、再度会議をやり直す必要があるんじゃないか。

 と、まあ、上記の話は架空である。
 今の消費税増税・有識者ヒアリングを見ていての、僕の感想といったところ。
 法律で決めたものを実施できない国があるというのは、恐らく国際社会には信じられないことなんじゃないかな、とも思いますね。
 もちろん、今日のニュースでも出ている概算要求が二年連続100億円超という背景がからむと、鼻白む気分になるのは分かるんですけどね。
 それより先に必要について、説明や説得の方が大切だということに尽きる、と思います。まあ、ノンポリのたわごとなんで、関わるだけ時間の無駄と、精神衛生上の害があるだけかもしれません。大人しく仕事しよっと。
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恐るべき布教書   しあわせの書

2013-08-28 | 読書

しあわせの書/泡坂妻夫著(新潮文庫)

 読後感はまさしく驚愕。こんなことをやってのけようとする人間がいるということに、大変な敬意を表する次第だ。もちろんこの著者に対してである。
 トリックが凄いというのもあるが、ネタばれになるので書けない。日本語を読めるしあわせさえ感じられるお話かもしれない。ヨギ・ガンジーという人は外国人らしいが、これならお弟子さんがつくはずである。とぼけていてちっとも凄そうじゃないのだけれど、結果的には凄い事をやり遂げるのはこの人しかいないという気分にもなった。また、この本を買って所有しているという事自体も、たいへんに有りがたい気持ちになるのである。
 未読の人にはトリックは決して明かしてはならない、ということなので、当然読んだ者同士のしあわせということになる。それでもルールを破るような人がいるだろうことも良く分かる。自分がこのトリックをどうしても使いたくなるからだ。しかしながらやっぱり、この感動は読んだという後の方が大きい事は間違いあるまい。読んですぐにまた読み返してしまうに違いないからだ。いや、本当だ、ということを確かめた後に、きっと深いため息を漏らすに違いないのである。そうして多くの人に是非これは読んで確かめて欲しいと思うに違いないのである。
 最後にそのような楽しみも待っているが、読み進む事自体も大変に楽しい体験になるだろう。文体に独特のユーモアがあって、実はたいしたトリックなんて無いのじゃないかという不安になることはあるかもしれないが、そういうことも恐らく忘れてしまうくらい、お話し自体も面白い。いろいろと伏線も張ってあるし、途中に小さなトリックの謎解きも隠れている。むしろ最後まで読めないような人というのは、よっぽど風変わりな人に違いない。さらに読後の驚愕の事実を放棄してしまうのだから、ある意味で不幸な人だ。
 改めて「しあわせの書」というこの題名にも可笑しさを感じさせられる。しかしながら本当に僕はしあわせな気分になったのだから、どんな宗教的な布教の冊子にも劣らない、偉大な布教書なのかもしれないとも思う。実は泡妻の別の作品も気になってしまうからである。そういう意味では安易に手に取ることは危険かもしれない。そういう自分を試してみたいなら、迷わず本屋に行くべしということなのである。
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教育の恐ろしさは報道が捏造に鈍感なこと

2013-08-27 | 時事

 「はだしのゲン」騒動は何となく胡散臭いと思っていたが、探してみるとやはりいろいろとちゃんと背景の分かった人もいることが分かる。表面的には松江市の教育委員会が単に馬鹿だったという印象に過ぎないが、内容的には理解は出来るものだ。閲覧が禁止されている訳でもないし、問題の部分を問題視する感覚もわりあいまともである。(※興味ある人は自分で調べること。簡単ですから。それと人の意見より自分を信用する訓練でもあるからね)
 僕が「はだしのゲン」を知っているのは、やはり小学生の頃に残酷描写を面白がる友人から見せてもらったのがきっかけだ。原爆で焼かれてもがき苦しんで死んでいく人々。確かに強烈な印象があった。友人は他人がショックを受けることを喜んでいたらしいのだが(子供にそういう考えがあることも学習できる)、結果的にはこの本の描写を知ることができた事は良かったとは思う。反戦に対する思想のどこかに、影響のあるのも確かなことだろう。
 僕の時代でも既にコミックスなどで読むというような古典的作品というか、追体験で「ゲン」を読むということだったが、その後もどうも「はだしのゲン」の連載が続いているらしいというか、追加したエピソードが発表されている事は漏れ伝わっていた。もともとは少年ジャンプの作品だったのだが、左翼系の出版から続編が発表されている事があって、子供の目にふれる事が少なかったのだろうと思う。
 松江の教育委員会が問題視したのは、他でも無く、この左翼系の思想が入った歴史認識の描写がある後半部分なのだという。「はだしのゲン」は基本的には漫画でありフィクションだが、作者の原体験が元になっているらしい事は見て取れる。そこが何より戦争の悲惨さを語る貴重さがある訳だが、後半になるとその思いが強すぎるのか、あやしい歴史認識を取りいれて作品のエピソードに盛られているようなのである。そのことそのものが、戦争が引き起こした悲惨な人間的現象だとも捉えることはできるが、やはりその為に、間違いや捏造もなんでもOKだというのは、やはり乱暴な話だろう。そうであってもフィクションだからという観点から作品を読めるというのであれば、それはそれで意味もあるのだけれど。
 しかし新聞は、戦争の悲惨さを後世に伝える努力を阻害する「教育委員会」という図式をあえて選択して報道しているように見える。こういう捏造主義が戦争を引き起こした元凶であることの反省が、微塵も無い。国民をミスリードする報道の恐ろしさこそ、彼等は再度自覚する教育を受けるべきなのではなかろうか。
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コロンボが解決したとは言えない   奇妙な助っ人・刑事コロンボ

2013-08-27 | コロンボ

奇妙な助っ人・刑事コロンボ/ビンセント・マクビーティ監督

 映画的な文法から言って、マフィアを殺すとその仁義の世界の制裁を受けるのは当然である。いや、映画的でなくともそうかもしれない。結果的に墓穴を掘る訳だが、それがコロンボの解決法として良いのか、ということになる。良い訳無いでしょ、と思うのは当然だろう。そのまま題名のネタばらしだが、しかしながらこれは助っ人どころの話なのではない。
 マフィアとの付き合いがある訳ではないが、自称ヤクザとつきあいがあるというオジサンと飲んでいたことがある。人を探すのならヤクザのネットワークは使える、ということとか、やくざ同士はお互いに怖がりあっているので、簡単に抗争なんかしない、という話を聞かされたものだ。金を持ち逃げされたりすると、その持ち逃げされた金額と同額程度は謝礼を払うのが相場だということも聞いた。一見意味がなさそうだけれど、やはりそれは制裁まで請け負うという意味もあるのかもしれない。やはり恐ろしいですね。ホントかどうかはやはり分からない訳だが…。
 砂漠のネズミと農場などのネズミの種類が違うという話はなかなか面白かったのだが、僕の見た目での感想では、何となくドブネズミっぽい感じがした。そんなに尻尾の長さが違うものなんだろうかと映像を探してみたが、ネットでは良く分からない世界だった。ネズミの専門家なら分かる違いかもしれないのだが、その点はコロンボなので良いだろう。トリビア的な視点があると得したような気分になるし、何かの折にこの知識が役立つかもしれない。そういうトリックの暴き方はなかなか良かったので、ちょっとやはり残念な作品という印象なのであった。
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略だと分からない感じ

2013-08-26 | ことば

 いつの間にか定着していたという印象のあるのは「天むす」である。僕は最初は何のことなのか知らなかったが、そういうものが名古屋にはあるらしいということは、そういえば過去に聞いたことがあったような無かったような。でも発祥は三重なんだとか。コンビニの所為か、今やどこでも売っている感じになってしまったが、これが略であるより本家という感じが立派である。天ぷらの具のオムスビとは誰も言わない。
 そういう略だけど正当な読みなんてほとんどしないよ、という単語はあんがい多い。代表は「ビフテキ」かもしれない。「ビーフステーキを食べたい」よりビフテキの方が旨そうな響きが感じられるから不思議だ。
 「レバ刺し」も「レバーの刺身をくれ」と注文している人を見たことが無い。ああ、でももう消えたんだったね。日本とは文化抹消の乱暴な国である。
 「マーボ丼」も「麻婆豆腐丼」とは言わない。考えてみるとなんだか不思議だ。商品では麻婆茄子というのはあるが、これを指している訳ではなさそうだ。僕はもちろん四川省の成都で陳麻婆豆腐を食べたことがあるのが自慢である。辛くてつらい思い出でもあるのだけれど…。
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雨の水たまりの楽しみなど

2013-08-25 | 雑記

 今日はいろいろとイベントがあったらしいけど雨で残念でした。僕は特に関係者じゃないので心は痛みませんが…。主催されているような人は大変だったかもしれないですね。合掌。
 雨が降っても外出するのは楽しい。もちろん、車だったら、ということだけど。特に今回みたいに急激に雨が降ったりやんだりすると、水はけの悪い道に水たまりができる。これをサブンと跳ねるのが楽しいのである。街中だと歩行者があって迷惑だろうけど、山道なら特に気兼ねが無い。ハンドルを取られて危ないことはあるかもしれないが、一瞬目の前がしぶきで何も見えなくなるスリルも楽しめる。
ま、やっぱり危ないですね。子供が水たまりを見ると踏んでしまうのと、たぶん一緒である。つれあいは隣であきれているが、ほんとに面白くないんだろうか? もう大人になっちゃったのでしょうね。
 家人が買い物中は、本屋で立ち読み。3,40分といったところで、短い時間だったので特に何も選べず。本屋の本棚っていかがわしいものだけは充実してるって感じですね(これは解説が必要かもしれないけど、ま、やめておきます)。ホントは思い出せなかった本を探し出せなかったことと(記憶が悪くなりました)、アマゾンで1円(送料込み251円くらいだっけ)だというのがわかっているミステリなんかを見つけた程度だったからかな。積読のものの中に読む予定もたまっているし、完全にひやかしの時間となってしまった。
 帰りの高速でもまさに豪雨。前の車のテールランプが頼りという感じ。もともと制限速度が80キロ以下になっていたようだけど、みな自発的にそれ以下の速度に落ち着いてしまう。人間は人間のいうことはそう簡単に守らないけど、自然のいうことは聞くより無いということらしいね。
 おふくろに肉まんのおみやげを持って行ったらしいけど、「二個しか食べられなかった」と言って戻ってきたらしい。しかし残りを見ると6個である。10個入りだったから計算が合わないが、これがボケ症状なのか、数えまちがいなのかは僕には分からない。おかげで僕はこの中から4個頂戴いたしました。まだ温かさが残って美味でありました。
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今となっては何となくズレている感じもするが じゃりん子チエ

2013-08-25 | 映画

じゃりん子チエ/高畑勲監督

 面白いと言えば面白い感じもするのだが、面白くないと言えばそんな感じもしないではない。そういう不思議な感じの面白さということなのかもしれない。チエが本当に不幸なのかも良く分からないが、不幸といえば不幸なのかもしれない。子供なりにたくましく生きているが、それは周りの大人が子供過ぎるからという気がしないではない。子供が子供を持つとこういうことになるという見本のようなお話だが、しかしそれを僕が言っても何の説得力も無い気がする。つまり、こういう現実というのはあんがい普通にありそうな気がしないではない。いや、普通ではないが、もう少し子供がグレるくらいの違いしかないのではなかろうか。さらにこういう猫もいないではあろうけど。
 大阪の人たちという不思議さも面白さの一つだが、みんな子供のまま大人になると、単なるヤクザ的な世界になってしまうのが、大阪らしさなのだろうか。いろいろいざこざがあるが、しかし漫画なので本当には悲惨では無い。本当のヤクザらしき人も急にしおらしくなってしまうし、そのあたりになると漫画よりありえない世界という感じもする。リアルな世界では無いからそれでいいのだけれど、この世界観こそこの漫画の良さという感じだ。古い日本の社会の話でありながら、かなり特殊なローカル性。浪花節の生きている世界。恥ずかしくなるくらいな感じが、漫画としてちょうどいいということかもしれない。
 アニメーションの名作とされているが、あたりまえだが基本的には漫画の世界の踏襲である。アニメとして本当にいい話なのかは少し疑問だが、お笑いの役者さん達が、何となく素人くさく声で出演している感じは、アニメとしては良いところかもしれない。
 そういえば名作だから観てみようと思って観た訳だが、やはり僕には古過ぎるお話かもしれない。観だして思い出したけれど、これは漫画で(全部では無かったようだが)見たことがあったようだ。読んでないと思っていたのはどうしてだろう。僕にとって忘れたかった過去だとでもいうのだろうか。
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本来は全国大会だったはずの旅行(山口編)

2013-08-24 | 散歩
 訳あって下関。っていうことで、赤間神社に寄った。何度か来てるはずだけど、ほとんど記憶に無くて新鮮だった。
 ボランティア・ガイドさんが説明してくれて、暑い中えらいなあ、と思いました。長崎さるくにもこんな人居たんでしたね。



 それでもって平家落人の恨みなんかが写真に写るらしいと聞いて、やはり写真におさめた。見える人には見えるらしいので、ご用心。



 耳なし芳一。確かに無いようです。



 展望台に登って見渡してみる。ええながめどすな。



 バスから。



 そんでもっていきなり夜になって宴会。




 
 って感じで、飲んで食いました。
 全部写真に撮って無いけど、こんなのもあったようです。





 この時に明日はどうしようか?という話になって、完全にフケる事になりました。
 津和野か萩ということになってたんだけど、レンタカー屋さんが津和野は遠いよ、というので手前の萩にしました。

 すもうば、って場所がいいなあ。


 で、萩。





 とにかく暑くてふらふらして、しかし偉い人がたくさん居たんだなあ、と月並みに感激いたしました。
 幕末の人たちって若いんですよね。今の僕の目からは、えらいけど、やっぱり青いところもあったのかもな、などと不謹慎な事を考えたりいたしました。

 下関帰ってきて、また反省会。


 さすがに疲れた人たちもいて、分散してタワーを目指す。


 高っ!

 
 でも、残念ながら9時までに建物に入らないと登れないのだそうです。時間は9時半くらいだったかな。
 僕らの他にも登れなくて下で建物見上げている団体さんがおられました。聞くところによると群馬からだそうです。
 「甲子園おめでとうございました」と言っておきました。
 
 翌日は唐戸市場によって海鮮丼食って帰りました。


 ちょっと雨が。



 日照りが続いてますので、潤うといいですね。


 家に着いたらお迎えあり。



 真ん中のわんちゃんは、以前飼ってた小琳ちゃんにそっくりなんですよね。何となく合掌。

 みなさん、お疲れさまでした。






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言い方いろいろ

2013-08-24 | ことば

 Englishを日本語で何と言いますか? もちろん英語だが、問題はこの発音である。たいていの九州人は「えーご」と発音する。関東地方だと「えいご」と比較的「い」の音をはっきり言う人が多いようだ。高校時代の友人の英語のノートはA語と書いてあったが、もちろん発音は「えー」だったに違いない。
 略語にも地方性は現れる。有名なのはマクドナルド。関東はマック、関西はマクド。九州は混在、ややマックが優位。近年はCMでマックというようになったせいだろう。
 ケンタッキー・フライドチキンならケンチキが関東、ケンタが関西だという。これもテレビの影響だろうけど、僕の周りの人はややケンチキが優位。ほとんどテレビが関東系だからだろう。まわりに聞いてみると多様性があってなかなか面白い。
 ポテトチップスはポテチが多いが、中にはポテチンというような人もいた。これの地方性は知らない。ちなみに米国だとポテト・チップスは日本と同じだが、英国だとフィッシュ&チップスはフライドポテトが出てくるという。つまり米語なんだろう。
 地方性が感じられないのがスタバやココイチやヨシギュウ。何年も前の事だが、スタバで一休みしましょうと言われて何のことがさっぱり分からなかった事がある。人がたくさんで、ひと休みどころではなかった。ココイチの全部載せは一度はやってみたいが、やはり悪ノリはよそう。ヨシギュウでは日本酒を飲むのが通らしい。
 ホルモンをトンちゃんというのは、地域がバラバラという気がする。比較的九州っぽいが、いや、ホルモンとしか言わないよ、という人もいた。
 リンガーハットのちゃんぽんを「ちゃんめん」という人は、たいてい僕より年配の人である。若い人には「リンガーちゃんぽん」というのにためらいが感じられない。そこのところが何となく悲しい。これは長崎人にしか分からないか…。
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親戚の職業の多様な人

2013-08-23 | 雑記

 唐戸市場をひやかして歩いていて、ちょっとでも立ち止まると激しく試食などを迫られる。その差し出される爪楊枝などを思わず手に取るだけで、いろいろやり取りがあって最終的には金を払っているという結末になる。少なくとも僕はそうなる。見ないふりをしてなんとなく確認し、本当に気になる時だけ戻って観察し、実際に買うという戦法をとっているのだが、でもやっぱりかけられる声を完全に振り切れるものではない。
 そうした市場で度々引っかかりながらも、最後まで荷物が増えない猛者がいた。他校の先生だから知らない人だが、やりますねえ、と声をかけた。
 秘訣はいたって簡単なんだそうだ。たとえば蒲鉾屋から声をかけられたら、親戚に蒲鉾屋が居るというだけの事なんだそうだ。普段もそうやって保険にさえ入ってないということだった。へえ。
 でもまあ、まんざら完全に嘘ではないのだという。マンション暮らしだから住人にいろんな人がいる。遊びに来る教え子にもいろんな職業のやつがいる。業界のことはなんとなく聞いているからぜんぜん知らない訳じゃない。そうやって内事情などを話していると、売り子の方もまったく嘘ではないとわかってくれるらしい。
 親戚に何屋が居るか。実際の知識は伴わないが、時には使えるとは思うわけだ。君子危うきに近づかず。君子でないから近づかなければつまらない。少しくらいは方便も覚えるべきなのかもしれない。
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