カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

利己的な尊さ

2012-10-31 | 散歩

 家に帰ると杏月ちゃんが激しく尻尾を振って迎えてくれる。しばらくまとわりついて煩わしいくらいだ。背広だったりするとすぐに着替えたいのだけど、それも許してくれない。抱っこしたり顔をくしゃくしゃしたりして、しばらくは家に帰った喜びを分かち合わなければならない。もちろん、そのような儀式があって、はじめて家に帰ったという達成感をしみじみ味わう訳である。
 日曜の朝などしばらく家にいるという状態のときは、一時としてそばを離れようとしない。いつ散歩に行くか、あるいは外出するのか、その機会を逃したくないのである。トイレに行くだけでも置いて行かれたと勘違いして悲しく鳴き声を上げる。放尿するだけなのに切なくなってしまう。
 ところが出勤などで外に出る時は無反応なのである。もちろん、仕事に連れていくことはできないし、連れて行ったことも無い。彼女はそのことをちゃんと学習して知っており、付きまとっても無駄だということを悟っているのである。玄関先で名前を呼んでも出てくることは無い。まったく現金な奴なのだ。
 しかしながら僕は、杏月ちゃんのそういう利己的なところが嫌いでは無い。自分の都合で物事を考えて行動するということが、本当に偉いとさえ思えるのである。小さい頭でそういう判断基準を自分で決めて、そうして忠実にそのルールを守っているのである。日常的に僕らを観察して、自分のやりたいことを実現させている。これほど賢い生き方が他にあるだろうか。
 僕ら人間には邪念が多すぎる。いくら自分で決めたことでもなかなか守ることすらできない。自分で考えて自分で決めたことを実行する。そういうシンプルな信念のようなものを、杏月ちゃんは僕に教えてくれているのである。
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現在から見える未来社会

2012-10-30 | HORROR

 入院中に思ったことではあるが、あえて書かずにいたことがある。躊躇したのは、あまり気持ちのいい事がらじゃなかったし、なんというか、書いても仕方ないというあきらめもあったかもしれない。でも伊藤聡さんのブログを読んでいて、まさしく同じことを書いておられて、やっぱりそのような風景というのは、かなり蔓延した事実に違いないと思った訳だ。
 病院という場所には仕事柄時々は立ち寄るのだけれど、以前と比べると、それこそ格段の改善がみられているところという気がする。いろいろ意見はあるだろうけれど、今の病院の看護婦さんたちは、礼儀正しくなったし本当に親身になってお世話をしてくれるようになったと思う。以前はそれなりにひどかったものだけど、そういう人はめったに見られなくなった。もちろん個人差はあるから、いまだに酷い人はおられることだろうけれど、現在の厳しい環境下において、そのような人は勤まりにくくなっているのではなかろうか。
 しかしながらそういう中に合って、高齢者の患者さんのふるまいは、本当に見苦しい限りだった。何かと彼女らをつかまえては、あれこれ指図し、いつも文句ばかり言っている。もちろん全部の人がそうなっている訳ではないが、ゴミ箱の位置だとか食事の事だとか、いつまでもいつまでも文句を言っているのは、決まって高齢の人ばかりだった。入院生活は比較的快適だったけれど、そういう風景だけは、本当に残念なことだった。
 高齢者のふるまいは、日常においてもいつの頃からかよく目につくようになったと思う。
 スーパーなどに買い物に行くと、車の脇にカートを放置しているのは決まってご年配の人だ。レジであれこれ文句を言う人も時折見かけるし、商品棚で仕事をしている人をつかまえていろいろ苦情を言ったり、世間話を大声で言っている風景もよく見かけるものだ。障害者用スペースには年配の運転の高級車だったりもする。道路の植え込みなどに空き缶などをポイ捨てするのも、今はヤンキーの仕業よりも高齢の軽自動車だったりする。職場の山道に車を停めてゴミを捨てに来る輩も、大抵ご高齢の人だ。犬の散歩で糞を処理しないのも、大抵年配の人で、中には糞を取るふりをして、そのままにするという演技をする人もいる。なんという情けなさだろう。
 僕は業界では若手の方なのだが、普段の付き合い上、多くの目上の人ばかりの中で過ごすことが多いのだけれど、彼らの話題を聞いていると、人事などの人のうわさ話や、そこに居ない人の悪口というのが一番多い。その他も、テレビで聞いたことがあるような、実は内情をよく知りもしない薄っぺらなゴシップばっかりだ。そうして驚くほど若者に対する評価は厳しく、下手をすると若いというだけの人に対して敵意をむき出しにするような事をしたりする。時々そのような思い違いを正すような発言をこちらがすると、本当に面白くなさそうにうつむくのである。
 日本の高齢社会はこれからも長く続くことである。そうしてさらにこの度合いは高くなっていくのである。数字の上での将来像は様々語られていることだが、そのような危機感のある事実を前にしても、現在の政治を含め、そのことを改善しようとすることはなかなか進んではいない。そういう現実は、実際に高齢社会にあって、当事者が自覚をしていないということが一番大きいのではないかと思うことがある。高齢の方には、もちろん立派な人もたくさんおられることとは思うが、どういう訳か、そうではない人も一定以上見受けられる事が多くなっているようなのである。高齢者問題の最大の課題は、実はそのような厳しいふるまいの蔓延する社会なのではあるまいか。そのような未来が住みやすいものとは到底考えられない。今の若い人が、本当に気の毒になるのである。
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信じたものの勝ち   ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由

2012-10-29 | 読書

ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由/ジョシュア・フォア著(X‐ナレッジ)

 長い題名の本だが、内容はまさにその経過のドキュメンタリーだ。最初はライターとして記憶力選手権を取材したのがきっかけで、自分自身がその記憶力選手権に出ようということになる。取材前は天才たちへの興味だったのだけれど、記憶力というのは誰でも鍛えることができるという話を聞いて、自分が実験材料になった訳だ。そうして実際に(米国で、という限定なのは本書を読んで理解すべし)頂点に上り詰めてしまう。そのドラマが面白くない訳が無くて、一気に読めてしまう。さらに、人間にとって記憶とは何なのか、そうして人間という生き物そのものについても深く考えさせられることになるだろう。
 小田全宏の影響で自分でも記憶力へのチャレンジをした話は既に書いたが、本棚を見てみると以前にこの本を買っているのを発見した。他にも記憶術に関するハウツーもののような本もあるようだったけれど、この本の方が今の自分に合っているような気が何となく手に取った訳だ。もちろん直観というのは時には信じた方がいい。ドンピシャという当たり本で、楽しい読書のひと時だった。全米でベストセラーになったというが、日本でもそうなっておかしくない内容だ。
 基本的にドキュメンタリーなので著者の体験記なのだが、記憶に関する人類の歴史から、サヴァンと言われる記憶の天才とのインタビューなど、内容的には盛りだくさんである。これ一冊読んだだけで、記憶に関する大雑把な世界観というようなものが、ざっくりと、そして時には子細に理解することができるだろう。文章もこなれていて読みやすいだけでなく、ユーモアもあって笑いながら読んで知識が蓄えられるような感覚になるお得本なのである。読んでいる途中でも居酒屋談義にこの本のネタはついつい披露してしまうことになった訳で、実用としても元が取れた感じもする。
 僕自身はもともと記憶の怪しい人間だし、年と共にさらにその能力に磨きがかかっているという自覚があるのだけれど、しかし、この本を読んで、そのような事であったとしても、しかし人間としての自分の能力には磨きようがあるという希望を抱けるようにはなれると思う。記憶力チャンピオンになれるようになるかは実は自分次第なのであって、才能の部分が重要なのではないということが分かるだけでも凄いことだ。もちろん、そのような努力を怠らないという才能は必要かもしれない訳だが。
 人間というのは、実は誰でももの凄い能力があるのであって、しかしそれを最初から使おうとしない人が多すぎるだけなのかもしれない。そうであるにもかかわらず努力をした人を見て、才能が無いと諦めてしまう事には長けている人が多くなってしまうようなのだ。そういう考え方をするのはある意味では仕方のない事なのかもしれないが、それでいいという人間で生きていくか、いや、自分は違った生き方がしたいと思うかは、それこそ自由なのである。それは自分で選んでいい問題で、自分が才能が無いと諦めるべき問題なのではない。単にそのことに気づくかどうか。著者は取材を通して半信半疑ながら、そのことを信じることにした。そのシンプルな発想の転換から、チャンピオンまでの道を駆け上がっていくのである。
 著者に続くのは誰か。もちろんそれはこの本を読んだ人のうちの、そのことを信じられるシンプルな人ということになるのであろう。
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あちらの人間にも分かる巨大さ

2012-10-28 | 時事

 山中伸弥教授ノーベル賞受賞という快挙自体にはもの凄いことだし、なんの揶揄すべき事もないのだけれど、このノーベル賞受賞に際して浮足立つ空気のようなものが、何となく嫌いである。もちろん山中教授の受賞理由であるiPS細胞という細胞の初期化のメカニズムは大変興味深く面白かったし、その実験のエピソードなどもなかなか考えさせられるものがあった。このような研究に多くの人が勇気付けられただろうし、改めて素晴らしい事だったと喜ぶ気持ちも強い。たぶん、そうであるからこそということもあるのだとは思うが、その後の臨床応用に関する誤報や、何か国民を挙げての栄誉というような事をいう論調にも違和感を覚える。
 ノーベル賞そのものが国際的な最大の権威であるというような位置にあるのは、それなりに確からしいとは思うものの、しかしそれでも、やはりこの賞そのものには、何となく政治的な力関係も見てとれるし、そして何より、一部ヨーロッパ的な思想のようなものが垣間見えるというのは正直なところである。それが良いとか悪いとかいうようなものでは無くて、やはり賞を与える側の都合に合うという物差し次第で受賞者が決まるということであって、受賞した個人の出身国が、何か栄誉あるものであるという関連は微塵もないのが当たり前ではないかという気持ちがあるのである。同じ同胞の日本人として喜ばしい気持ちは僕にもあるし、それはそれでいいのだけど、このことで日本の地位が国際的に上がるような気分というのは、やはり勘違いということに過ぎないと思う。その上で、やはり何か気恥ずかしいような後進性を却って醸し出している気がする。
 もちろん韓国や中国などの国からノーベル賞受賞者が生まれていないというこれまでの歴史はあるのだろうけど、それは単なるこれまでの経緯に過ぎない。将来は分からないし、さらに将来的にも取れないからと言って後進国のままであるという意味にはならないだろう。そういうアジアの地域性の中で日本だけがノーベル賞の受賞者を伸ばしたとして、その原因が日本人という人種の優位性であるはずもないと思う。もちろん日本という国においての文化的な側面や資金的な優位性はある可能性はあるけれど、やはりそれは米国との関係において西洋社会と研究分野や興味がつながっているという点が大きいのではあるまいか。そういうことであるならば、アジアの他国からも多くの留学生が米国などに渡っている現実を鏡みて、将来的にはアジア諸国の出身者からも一定数のノーベル賞受賞者が生まれることの方が自然だろう。
 山中教授と共同受賞したガートン教授の功績が半世紀も前のものであることからも分かる通り、ノーベル賞を取るような偉大な功績というのは、業績が確定する長い年月に耐えられるものであるケースの方がむしろ多い訳で、今現在のタイムリーなもので受賞するような山中教授のようなケースの方が、実際には稀なものだということができるだろう。そうであるならば、現在の陰に隠れて業績が確定してない偉大な研究というものが将来の受賞候補なのであるから、既に多くの留学生を生んでいる国の方が将来的な受賞数を伸ばす可能性が高いということもいえそうだ。やはりそれは欧米での研究成果に対して下されるノーベル賞という性格なのだから尚更である。
 しかしながら、やはりそういう性格の賞であるのだから、日本国内で行われている研究のものが認められるということは、改めてその功績がずば抜けているという証明でもあるとは言えるだろう。そういう背景から今回の山中教授の受賞を考えるとしたら、その功績が如何に偉大で巨大なものであるのかということが改めて思い知らされるのである。まだまだ課題はあるとはいえ、今後の期待も含めてチーム山中にさらに資金が集まるなど、好材料になることが、今回の受賞の最大のポイントになるということも言えるのであろう。
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大原美術館と大竹しのぶ

2012-10-27 | 散歩

 訳あって大原美術館に行ってきた。ニ回は行ったという記憶があるが、以前のことなので新鮮だった。改めてけっこういろいろあるもんだな、と思ったくらいだから、まったく記憶というのは当てにならない。
 折角倉敷に寄ったから、さらに折角だから立ち寄らねば、という思いがあったのだが、いや、これがメインとして、これのみのために訪れなければならないところだという思いを強くした。絵を見るのだから立ちづくめであったり歩きづめであったりしてそれなりに疲れたのだけど、絵をたっぷり見たという満足度も高かった。まあ、考えてみると普段あんまり絵を見る事もない訳で、これくらいたまにたくさん見ると軽く興奮してしまうのかもしれないが…。
 順に比較的古い伝統的なものから現代絵画を見るという展開になるのだけど、いつもは現代的なものになればなるほどうんざりする事が多かったのだけど、さすがに僕も年をとったということか、現代的なものを見てもたいして腹が立たなくなっていた。それなりに不思議には違いないが、見慣れてきたというか、ちんぷんかんぷんなりに楽しめたというか。変だったり面白かったりするということが、それなりに受け入れられるようになっているということでもあるのだろう。以前は自分自身が変だったり可笑しかったりする体現者だから、磁石のN極とN極が反発するように、素直に見るには困難だったということもあったのかもしれない。今は多少引っかかるようなものを見てしまったとしても、別段ものすごく驚く訳ではないし、なんだか大変だけどいろいろやってるなあ、という感じになっているのかもしれない。つまるところ本当に良さなんて分からないことに慣れてしまっているのだろう。複写の絵ハガキでも買ってしまいそうな気分にすらなってしまったのだった。
 大原孫三郎さんは僕のような仕事をする業界人にはなじみのある人で、それというのも石井十次との関係が有名だからなのだけど、やはり以前の紡績の生んだ富というのは凄まじいものだということがよく分かるところではある。独占するより再分配を上手くやる方が尊敬されるには違いなくて、そうしてやはり偉い人という気がする。それも若いころではなく後々成長したように見えるところも点数が高い。結果的に他人の作品で自分自身の立ち位置を高くしている見本とも言えて、美術という世界がそのような影響力を持つということも面白いことである。
 それにしても諸外国の美術が日本にいる我々の目に直接触れることができるというのも、紡績などで働いてくれた野麦峠的な人たちの頑張りあってのものではないのか、というのが、僕の持つ不思議な感慨の根本にあるのは確かなことなのであった。イメージとしての若き可憐な「大竹しのぶ」が、僕の大原美術館を支える大きな支柱なのである。
 そうではあるが、今の「大竹しのぶ」のイメージとしてのそれはかなり違うので、それはそれで感慨深いですけどね。
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いびきと殺虫剤

2012-10-26 | HORROR

 最近の僕はいびきをかいて寝ているらしい。知らぬこととはいえ申し訳が無い。とはいえ何となく覚えはあって、自分がいびきをかいているらしいというのが寝ていても分かる時がある。または、何となく自分でも予想できるなど。
 ひとつには、自分のいびきをかいている状態が苦しくなる時があるらしく、その寝息や体勢の苦しさに目覚める時である。これは目覚める直前に自分のいびきの音を聞いたと自覚している。
 予想できる時は、これは素直に疲れがある時で、今夜あたりはヤバいな、という感じは分かる。そういう時に深酒が重なると最悪らしくて、もうこれは近くの人には、早く先に寝てもらうより無い。もしくは耳栓をしてもらうとか。
 仰向けに寝るといけないというのも分かっているので、横向きに寝るよう心掛けるというのはある。しかし寝相は寝ている間に変わるものである。いびきの夜は頻繁に寝がえりを打つ行動が増えるという特徴もあるらしく、これは無意識だからどうにもならない。
 一時期かなり体重を減らした事があって、その時期だけはそれなりにいびきは治まっていたらしい。それでもよっぽど深酒をするとやはり駄目らしいので、原因はその二点ということである。深酒もコントロールは難しいが、ダイエットも時間がかかる。しかし持続した心がけというのは、精神的な評価もそれなりに期待できそうなので、反省の形としては継続して取り組むべき課題かもしれない。
 かなり以前に実験的に自分の夢を日記に付けていた事がある。夢というのは面白いもので、そのように習慣的に思い出す訓練をして見ると、それなりに思いだせるようになるものなのである。誰もがそうなのかは分からないが、興味ある人はお試しあれ。
 ともあれ、いびきの夜に見た夢というのがそれなりに特徴的なのである。だいたいにおいて夢というのはかなり不条理なものが多いのだけれど、いびきの夜の不条理度合いがさらに過激というか。今回の夢では僕はあちこちの部屋で殺虫剤を振りまいていたことは確かである。虫がたくさんいるからなのだろうけれど、さまざま部屋をめぐって薬を散布していたようだ。しかし時々虫が逆襲してくる。逃げながらさらに薬を撒く。なんだか虫以外の人などにも薬を掛けていたような気がしないではないが、薬を撒くのが僕の仕事のようなものだったらしく、かまわずどんどん薬を散布していた。ある場所ではナイアガラの滝のように機械を使って薬を撒いたりしていた。夢の中の虫との争いは壮絶を極めていたようだ。
 そうして目覚めると、いびきがひどかったよ、とたしなめられた。殺生は、やはり後味が悪いということなのだった。
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偶然にも時代を越えて意味がある

2012-10-25 | 散歩

 島根出張中空き時間にプチ観光と称して松江城に行ってみた。木造の立派なお城で、なかなか見所も多いところだった。天守閣からの眺めでは宍道湖も見渡せて、おそらくシジミ採りの漁船もたくさん漁をしていた。まったく松江というのはいいところだね。
 ところでお城の中は薄暗くて、昔は電気も無かったろうからそれはそれで風情があるのだけど、同行の女性は何やらキョロキョロ探し物をしている様子だった。僕らの他にも観光ガイドさんらしき人を連れた集団があって、僕は聞くともなしにその説明を聞いていたのだけど、ある時その集団から軽い歓声のようなものがあがった。なんだろうと見てみると、皆柱に向かってシャッターを押したり、何やら手を差し伸べたりしている。落ち着いた頃に僕も近づいて見てみると、ハート形の木目というヤツだった。
 グラバー亭やら眼鏡橋にもそのような名所(?)があるので、そういうたぐいだとは思うのだけど、恐らく偶然とはいえ、なかなか可愛らしいものではあるのだろう。しかしながら日本の江戸時代にハート形がどのような意味のあったものかは分からないが、現代人から見たら時間の変遷を経て昔のものにも見方の違いがある場合があるということになるのであろう。もちろんそもそもお城の中に一般の人が入って観光するようになるとは、当時の人には考えも及ばない事であろうし、何に驚いているからどうだということ以前に、まったく想定外の出来事に違いないのであった。
 ということで、実はあんがい有名な名所らしくて、僕らの後にも順にこの柱を参っている人が絶えなかった。皆の関心はここであったらしい。それにしても薄暗いし、木目なので子細に探さなければ見つけられるものではなさそうである。一階の向かって左側の鎧兜が並んでいる手前の柱ということは、だいたい覚えて挑むべしと言っておきましょう。

 今回は帰りになって、やはり折角だから出雲大社にも行きたいという話になって、足を延ばして見ることにもなった。独身女性がいたというのが大きいのかもしれないが、それは確かに執念という感じもしないではない。お付き合いのある男性は居るらしいから、直接相手にせっつくのが早道とは思うのだけど、まあ、やはりそういう訳にもいかんのでしょうね。僕が言ってやってもいいんだけど、さらにそういう訳にもいかんのでしょうね。晩婚化の時代なので、タイミングは難しくなっているのかもしれないけど、神様も頑張って働いてくれることを願っております。
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バレエ・ホラーの名作   ブラック・スワン

2012-10-24 | 映画

ブラック・スワン/ダーレン・アロノフスキー監督

 けっこう怖い映画で肝を冷やした。というかかなり気持ち悪い。しかしながら同時にものすごく面白いのも確かで、ラストを駆け抜ける緊迫感は凄まじかった。間違いなくスリラー史に残る名作映画だろう。
 日本のアニメ「パーフェクト・ブルー」との類似性を指摘された事も話題になったらしいが、確かにそんなことを忘れて観ていた僕も、何度もパーフェクト・ブルーを思い起こした。影響を受けていないはずは絶対ないだろう。もちろん、それはパクリということではなく、以前の作品があって後の作品の精度も上がるというものだ。そういう似ている部分も含めて、このようなスリラーというのは、なかなか人の心を打つということがよく理解できた。エンターティナーに懸ける人間の陥る狂気というものは誰もが体験することではあるまいが、実はこのような世界と隣り合わせなのではないかという恐怖は、観る者には理解されやすいものなのではあるまいか。いや、そういう興味も含めて、娯楽として楽しんでしまう大衆の視点というのが、メタ視力で考えると、構造的なホラーでもある訳だ。
 主演を演じたナタリー・ポートマンの熱演も光った。性的悩みや幻影に脅かされる展開や、後の狂気の発症後のダンスなど、まさに迫真の演技と言っていいだろう。可憐な彼女の姿を知っているからこそ、ここまでやっていいものか、と心配になるほどなのである。日本の清純派のアイドルが、これほどの脱皮を見せるような事はほぼありえない訳で、だから日本ではある意味でアニメで表現されていたということも出来るような気もして、あちらの国の女優魂というのは、ナタリー・ポートマンひとつをとっても、すさまじい狂気が宿っているという気がしてならない。もちろんそれは演技のなせる技で、これほどの映画を作る大切な骨格の部分で、このような存在がいるということが何より素晴らしい事なのではあるまいか。
 バレエというのは歴史もしっかりしている素晴らしい芸術であるというのは、形の上では理解しているものの、やはりなじみのない人間にとっては、長時間鑑賞するにはいささか退屈な気がする。何より長い時間踊っている姿そのものが、なんだか痛々しく感じさせられるものだ。日本人にも有名なダンサーが居るようだし、それなりに活躍する人が増えている世界だというけれど、やはりそれはまだまだ西洋文化の中に飛び込むチャレンジャーの域を出ないという世間的な認知であろう。その過酷すぎるように見えて、なおしかしマイナーで頑張らなくてはならないという下地が、日本ではなかなか厳しい現実なのではあるまいか。
 しかしながらこのような映画で観るバレエでならば、いいところのエキスだけを楽しむことができる。もちろん、このような狂気を見てダンサーに憧れるというのはそれなりに屈折感があるから、むしろバレエ・ダンサーを志す人にとっては、警戒の必要な映画なのかもしれないのだった。
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痛み止め依存

2012-10-23 | HORROR

 二度目の痛風発作が出て、いつの間にか行かなくなってしまった近所の整形外科に行ったのだが、どのみち痛み止めなど効かないと言われ、炎症を抑える薬のみの処方を受けた。その後痛風発作は治まらぬまま、痔瘻と見られる症状を併発した。痛みのダブルパンチにはとても敵わず、とにかく痔の方で普通に痛み止めを処方してもらったのだが、当たり前だが痛風の痛みにもある程度の効果がある事が自覚として認められた。いや、飲んでも痛いのは痛いのだが、かなり緩まったのは確かだった。痛風の痛みというのは、その痛みで熟睡など出来ない。寝不足が続くのもつらかったのだが、痔のおかげの痛み止めで、その夜は熟睡できたのだ。
 痔の切開は麻酔をしてもたまらないものだったが、やはり抗生部質や痛み止めを飲むので入院中も睡眠は出来た。痛くても夜に寝られるのはかなり助かる。その上痛みというのも、断続的に我慢すればよいというものに変わったのは大きかった。痛風の痛みは常時続くので、和らぐと生活そのものはかなり楽なのだ。
 退院後今度は歯痛などもあったのだが、これは知覚過敏とか歯槽膿漏のものらしい。日中は通院出来る状態では無かったので、処方箋薬局に行って痛み止めを買った。これも飲んでいる間は非常に楽だ。爾来、痛み止めはほとんど常用しているような感じになってしまった。少しでも痛ければ我慢しない。
 ある時乾杯後に一緒に薬を飲んで宴会に臨んでいたのだが、それを見ていたらしいある人が近寄ってきて、自分は痛み止めと一緒にアルコールを飲んで、その後激しい痛みに襲われて、救急車で運ばれたことがあるという話をしてくれた。ああ、そういうこともあるんだな、とは思ったが、その場では忘れてしまっていた。
 ところが時々飲んでいるときに歯痛が始まることがある。そういう時に、ふと思い出してしまう訳である。余分な話をしてくれる人も親切ごころかもしれないが、迷惑な話である。我慢をすると数時間痛いだけなので、やはり結局は薬は飲んでしまう。十五分もすると、やはり痛みは和らぐのでホッとする。後はその脅しから精神的に逃れるためにひたすら飲むだけである。なんだか悪循環だとは思うものの、実際にもっと激しい痛みを経験しない限り、止められるものではなさそうである。
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ボトルキープは初集団ではむつかしい件

2012-10-22 | 

 先日焼酎の水割りを作ってもらったら、水と焼酎が半々で入ったものが手渡された。氷が入って無いというと、「水割りと言われたので」という。若い女性なので知らないのは仕方が無い。仕方が無いが、折角だから作り方は教えておいた方がいいと思って「水割りの作り方は、まずグラスに氷をたくさん入れて…」と言ったら、「こだわりますね」ということだった。まわりの男連中も何となく一緒に受け流そうとしているみたいだ。そういうことなら僕が焼酎係になった方が楽なのだが、それは駄目なのだという。まあ、仕方が無い。
 しばらくしてお代わりということになったが、案の定氷が二つしか入って無い。だから最初からちゃんとレクチャーしたかったのだが、再度言うと、また今更という顔をする。シラけるので諦めるが、しばらくすると後からまた氷を足そうとする。気を使ってくれるのは分かるが、使い方がまずい。そうならないために教えたいだけなのに。
 見るともなしに見てみると、僕以外の人は確かにそんなもんで飲んでも黙っている。もしくはそんなに飲まないということか、そのままテーブルにグラスを置いているという感じだろうか。飲まない集団に居るとこういうこともあるのかもしれない。しかし、注いでくれた女性はロックで飲んでいるらしい。なるほど。
 水割りはこれでは続けておいしく飲めそうにないから、やっぱりお湯割りを飲むことにした。それなら氷の量の心配をすることは無い。すると、全部飲んだから空になったグラスとはいえ、そのまま先に焼酎を注いでいる。そうしてお湯を…。
 仕方が無いので、次は焼酎を諦めて日本酒をオーダーしたのは言うまでもない。自己防衛もなかなか難しいものなのであります。
 それにしても、教育係ってものをその場その場でつくるような、そんなシステムは必要かもしれないです。あ、それが先輩後輩ってことかもね。
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食は体力勝負

2012-10-21 | culture

 研修のテーマが「食育」ということで、そのテーマにそっていくつかの発表を聞いた。クラブ活動などの関連もあったのか、子供に如何に食べさせるのか、という工夫話が多かった。普段ダイエットの話くらいしか聞かない僕には、かえって新鮮には思えた。3,500kカロリーだとか、激しいところは5,000kカロリー毎日食べさせるという苦闘の記録が公開されていた。写真などでその弁当などを見たが、ご飯の量もさることながら、確かにあれだけたくさんのおかずを作るのは大変なことだろう。それも毎日であるのだろうから。
 食の細い子などは、最初の頃は泣きながら食わなければならないそうで、まあ、それはそうかもしれないな、とは思うものの、何となく発表のニュアンスからは、ユーモラスにも聞こえる。部活のマネージャーは、もっぱら練習後に食べてもらうためにおにぎりを握るのが大きな仕事のようだった。時には保護者も炊き出しボランティアをする。大鍋に大量の食糧。まるで戦場とかお祭りみたいだ。
 技術的な指導もさることながら、最近のトレンドとしては、基礎的な体力づくりの一環として、食事そのものを指導するコーチが増えているようだ。名門と言われるような強い部活のあるところは、当然のようにおにぎりを余分に持たせるよう母親にも指導の通知が来るものらしい。しっかりした体力には食事が欠かせないというのは理にかなっているし、熱心にならざるを得ないということなんだろう。
 まあ確かに僕も高校時代はそれなりに活発な部活部員だったので、そういう事情は分からないでもない。いくら技術的に高い新人が入部しても、食の細い人間は、夏の合宿を乗り切ることは稀だった。激しい練習をしているとだんだん分かってくるが、激しすぎて食の細るタイプの人間というのが居る。そういう人間に、そののち一流と言われるような人になるような事はまずあり得ない。いくら技術的に足りない奴でも、いくらでも飯が入るような奴はあんがい大化けしたりする。体力のある奴はやはり強いのである。
 そういうことも思いだしはするけれど、しかし僕は何となく釈然としないものも感じていた。飯が先か運動が先かという意味では無くて、体力と共に食の方も太るというのも実感としてあったからだ。最初はなかなかついて行けない奴でも、いつの間にかよく食うようになっている。気が付いたら急激に化けていく、という奴もいる訳だ。3年夏で部活は引退するが、卒業式に挨拶に来る後輩が急にでかくなっていて驚いた事もあったようだ。毎日の小さな変化はなかなか分かるものではないが、そんなふうにして少しずつ食うようになっていくものなのではあるまいか。
 ある意味で今のお母さんというのは、非常に真面目なんだということは確かなんだろう。やれることはしっかりやっておくというは大切なことかもしれない。結果的にその子のためになっていることもたくさんあるのだろう。そういうものは否定しないけれど、やっぱり大変だなあ、と思ってしまうのかもしれない。もちろん、そのお子さんに対して。
 ウチの子も食が細くて、しかし大きくなりたいという願望はあるらしい。少しでも足しになるようにということで、我が家でも玉子の消費などは増えているし、補助食品なども買っているようだ。それでも好き嫌いはあって残るものはある。そういうものは僕が職場に持って行って昼に食うことになる。年頃の子をもつと、まわりもカロリー過多にならざるを得ない。といういい訳も僕のオプションにあるという話でもある訳であります。
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因果応報なんだとか

2012-10-20 | 雑記
 会長ら役員の皆さんは別に懇親の席が用意されているらしく、同行の僕ら7人は先に居酒屋で飲んで待っていることになった。2時間程度後になって、合流するから店の場所を教えろ、という電話がかかってきた。若い連中も多いので既にそれなりに飲み食いしている。一度僕らの分は清算して、同じ店で合流しようということになった。ということで先に僕が気を利かせて先に払って置くことになった。後払いと共に後で集金すればいい。
 後発組が混ざっても懇親の場はそれなりに盛り上がり、まずまずの雰囲気で終了、本当に清算しようということになった。ここで会の盛り上がりに気を良くしたのか、会長が会計伝票を取り上げ、後で来た役員数名でこの場をすべてもつと宣言された。皆さん一斉に「ごちそうさまでした」ということになってしまった訳だ。それはそれでいいのだけど、つまり僕は先の清算の件をそのまま言いそびれてしまった。いや、いくらなんでも誰かは気付くだろうと思ったのだが、単にその考えは甘かった。会長さんたちは、「案外この居酒屋は安かったねえ」と言っていたが、まあ、当たり前である。
 翌日約一名、昨夜は(先発隊の分は)僕一人が被ったのじゃないですか、と気づいてくれたが、今更仕方が無い。僕より年配の先行組の人がその話を聞いて、それは僕も払うよ、と言って3,000円僕のポケットに入れてくれたのだが、当初の割り勘より少なかったのは言うまでもない。
 つれあいにそのことを話すと、若いころに随分人の金で飲んだ分、そのツケをこのような場面で払うことになっているのだろう、ということになった。因果応報ってヤツですね。まあ、そういう具合に巡り巡っていいこともあるかもしれないと思うより仕方ないです。
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問題は知覧から帰った後だが

2012-10-19 | 感涙記
 訳あって鹿児島に行ったので、用事が済んだら当然のようにまた知覧に寄ってきた。本当はそれだけの目的のためだけでも行くべきところだとは思うけど、諸事情あってなかなかそうもいかない。
 知覧を意識したのは松山会頭が挨拶の中で話をされているのを聞いてからだから、十二三年前だと思う。お話では知覧に行って心を清めるというか引き締めるというか、そういうことだったように思う。知覧や鹿屋の特攻隊の話は以前から知ってはいたのだけど、それはまあ、あくまで教科書的な程度のことであって、今思うと知っているということにもならない程度だった。松山会頭の話では、(そうとう忙しいに違いない方なのに)何かの節目の様な時にはわざわざ知覧に行くようにしているということのようだったので、やはり、それは僕も行ってみなくては分からない事なのだろうと思ったことは間違いない。そうしてタイミングが良かったのは、そういう話を聞いて数ヵ月後に鹿児島に行く用事がちょうど出来たということも大きかったかもしれない。その時も用事を済ませて、とにかく帰りが遅くなるだろうけれど車を回して寄ってみた。そうして確かに、何故今までここに足を運ばなかったのかとも思ったし、それでも遅ればせながら寄ることが出来て本当によかったとも思ったのだった。
 特攻隊については、僕も戦後教育を受けているので、いわゆる日本軍の狂気と不幸な歴史とセットになって記憶しているにすぎなかった。もちろん、それはそうではあるのだろうけれど、今となっては自分より随分若い人たちが、いわば、今生きている自分たちのために尊い命を散らしたのだということを、少なくとも僕は知らな過ぎたのだと思う。現実にそのような人たちの残した手紙を読んで、それも知覧のような、今となってはその飛行場姿もほとんど分からなくなった場所に行って、初めて分かるということがあるのだった。
 特攻作戦というのは本当に罪な愚の骨頂とも言うべき狂気の作戦に過ぎないのだが、そのような狂気の時代にあって、その後おそらく日本は戦争には負けるのだということはほぼ分かっておきながら、志願して死んでしまった人たちをどう考えたらいいのだろうか。結果的に犬死させてしまうような戦争そのものを憎むということでもあるだろうし、本当に犬死させていいのかという今の時代の人たちの生き方の問題でもあるという気もするのである。少なくとも僕は軍国青年では無い訳だし、これからもそうなることは考えにくい。そうではあるが、彼らの死の後に同じ国に生まれてきた人間としては、やはり相当な覚悟そのものは、受け止める必要があるのではなかろうか。
 そういう訳で、その後何度かは足を運ぶようになり、同じく鹿屋にも行ってみたりもした。おそらくこれからも機会があればまた訪れることにはなるのだろう。

 今回は同行の人がそのまま語り部の人に話をしに行かれて、自分だけこのような話を聞くのはもったいないということで、地元の講演会を開催する相談をされていた。その行動力には驚きはしたのだが、なるほど、分からないではない。
 実は僕も同じようにまた決意を新たにするところがあって、帰ってから金融機関などとも面談したりしてしまったのであった。事業のためとはいえ借金するのが怖くなくなったということが言えて、そういう場合にはこの場所はちょっと危険だったかもしれないな、と思ったりもする訳だ。まあ、僕の場合そのまま散る訳にもいかないので、もう少し綿密に計画を練る事にはなる訳ではありますけど…。とにかく、頑張ります。
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題名通り、交換した人生はどうなる?   人生交換

2012-10-18 | 読書
人生交換/ビッグ錠著(集英社)

 自分によく似た人が居るらしいというのはよく聞く話だ。特にドラマの世界などではゴマンとある。実写の世界では大抵一人二役になるけれど、漫画だとそのあたりは遠慮が無い。いくら似ているといっても、現実社会で同じというほど似ている他人というのはやはりめったにない。芸能人などに似ている人が出てくるが、似ているからこそ微妙な違いに、自然におかしみを感じる場合がほとんどだ。やはりこの設定は、映画とか漫画世界で無いと実現不可能な設定なのではなかろうか。
 そういう前提はあるにせよ、境遇の違う二人がよく似ているということで入れ替わるとどうなるか。一人は独身のタクシー運転手、もう一人は大会社の御曹司。こういう設定もまさしくベタだ。もうせっかくだからそうでなくちゃ。タクシー運転手がしがない境遇であるかどうかともかく、この男はリッチな生活に憧れていた。月に一度の給料をもらった休みには、一日だけ豪華な生活を送る事を心のよりどころにしている。そうして高級ホテルを利用したのが縁で、そのホテルを定宿にしているもう一人に出会って入れ替わろうということになるのである。
 大富豪の御曹司が裕福でうらやましいというのは、そういう境遇で好き放題の生活ができるだろうことに尽きる訳だが、金持ちにだってめんどうなことは多々ある訳で、金のある人脈とのつきあいや、重苦しい会社の会議だってある訳だ。実はこの御曹司くんはそういう生活にウンザリしていて、入れ替わったタクシーの運転手の生活の方を満喫している。父親の威光で何とかなっているだけのことで、仕事にはやる気が無かったし、どうもその才覚もない人間だったようだ。ということで人生を入れ替えて、お互いがハッピーでよかったね、という話では終わらない。まあ、その辺が漫画ではあるのだが、無茶なりに面白いお話の展開になるのである。
 短編集なのでその他にもいろいろあるのだが、基本的に成人向けの漫画雑誌に掲載されていた作品ということで、結構アダルトな内容が多い。どんでん返しもブラックなものが多くて、そのあたりのテイストが好きな人向けだという前提は必要かもしれない。
 ビッグ錠といえば、料理漫画というイメージが強いのだが、料理ものが何故だか壮絶なバトルになって、かなり荒唐無稽になるがしかしそれが本当に旨いのかどうかは漫画だから読者にはよく分からないが、勝負がつくという変な話が多かった。しかし後にテレビのバラエティでは「料理の鉄人」のようなものが生まれ、僕らのように少年時代にビッグ錠を読んだ人間は、漫画世界が実写の世界になったような錯覚を覚えたのではなかろうか。漫画的なハチャメチャな世界であっても、いずれは現実社会にも実現してしまう。そういう意味では彼の存在は、少なからぬ社会的な影響があったのではなかろうかという気がしないでもないのである。
 それにしても漫画で描かれる料理そのものはそんなに旨そうではないのだけど、それを食っている表情が旨そうなので、結果的には旨い料理であることが分かるという手法は、やはりちょっとばかり詐欺的なものではないかとも思うのであった。むしろ読者には本当に味が伝わらないからこそ、料理漫画というのは究極の味を表現できるということが可能になる。こればっかりは現実には無理な問題で、漫画を現実が越えられないということなのではなかろうか。
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おそらく同世代ノスタルジー青春   アドベンチャーランドへようこそ

2012-10-17 | 映画
アドベンチャーランドへようこそ/グレッグ・モットーラ監督

 このような映画は世代的な影響があるのかもしれない。最初からかなり切なく共感してしまう。そういう自分にテレもある訳だが、青春というのはそういうものなんだから仕方無いじゃないか、と開き直ってみせる。もちろん一緒に横目で観ている高校生の息子たちは一切関心が無い様子。彼らの青春とは別の物語なんだろう。それはそれで健全でうらやましい限りだが、彼らの青春はいったいどういうものなんだろうね。まっただ中というのはかえって自覚が無いものなのかもしれない。
 さびれた個人経営の地元遊園地というのは、以前は日本にもそれなりに存在していたように思う。もちろん現在残っているところも、ごく僅かだが在りはするのだろう。今考えてみるとやはりそれはそれで貴重だったようにも思うし、実際自分に子供が出来て連れて行ってみて初めてよさが分かったクチである。若い頃には、少し古くなったその子供だましの遊具が気にいらなかったものだけど、小さい子供の場合や、また子供を連れた大人になってみると、なかなか味わい深いものがある。スリルという点ではもの足りないけれど、その緩さというのが安全で好ましくもある訳だ。
 そういう中でバイトする若者だって、どこか怠惰になってしまうという設定は、なかなか絶妙なのではないか。さらにそういう環境にも高値の花が居る。まさに思春期のおとぎ話で、これにノレない男はどこかしあわせすぎていけすかない気分になる。
 それがツボというか、この監督の映画作りの上手さなんだと思う。お話し自体は、確かにどこかありきたりのところはあるんだけど、ありえなさそうに見えて、やはりこのようになる期待が、それなりのリアルさをもって迫ってくる。裏には大人のどうしようもない堕落した背景に巻き込まれて魅力的にみえる同世代の女の子だった訳だが、そういうところも含めて上手い話づくりなんだと思う。振り回されてさらに傷ついて、そうして過ちも犯してしまう。若いゆえの愚かさも含めて楽しい思い出が青春だという、見事な見本映画なのではなかろうか。
 このような体験をした訳でもないのに、このような世界観は国境を越えて共感できるということが面白いと思う。日本とアメリカはまったく違うようでいて、実によく似ている。また、そういう世代に育った若者が、まぎれもなく僕らだったのかもしれない。違う世代がこの感覚を共有できるのかはよく分からない。既に地元にこのような遊園地が失われた世界にあって、青春の形が異なることも仕方のないことなのだろう。個人の体験は世代によって違うらしいということは、当たり前だがなかなか気付かないものである。同じように戦争中にだって青春だった人は居る。共感は想像力を伴わない限り難しい作業なのであろう。
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