カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ひこにゃん、パリでも人気

2010-09-30 | 時事
世界の「ひこにゃん」パリでも人気
 
 たまにはオタッキーな話題で休憩でも。
 僕もせんとくんとかよりはこっちがいいと思います。
 しかしながらジャパン・エキスポの中という限られた範囲なんだから、世界的人気というのは明らかな誤解だとは思いますが…。
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ゾディアック

2010-09-29 | 映画
ゾディアック/アレクサンダー・バークレイ監督

 この事件のことは知らなかったのだが、米国では有名な殺人事件なのだという。ゾディアックという名前は、そのまま連続殺人事件を指すようにもなっているという。切り裂きジャックというようなものなのかもしれない。
 映画自体は思わせぶりではあるけれど、それなりにサスペンスはいい具合に不条理に怖くて良かったのだが、なんというか仕方がないにしろ、これで終わりなんだなという唐突感は残った。事件に翻弄される刑事の精神状態自体が崩壊するような、家族もともに不快な泥沼に入るような、そういう描き方は、不快なりに映画としてはいい視点ではないかと思った。
 なんかしかし見たことがあるような記憶があったのだが、そういえば、韓国のポン・ジュノ監督の「殺人の追憶」というのがあったと思いだした。あれは少しばかりコミカルなところもあったが、しかし秀作映画である。まあ、設定が似ているということもあるから仕方のないことである。最近は同監督の「母なる証明」という、これまたなかなか凄い作品も観たのであるが、この作品と関係ないながら、サスペンスの感じは同じく流石であった。人間の行いの残念感も含めてこちらの方が数段お勧めである。
 さて、見終わった後に、なんか釈然としない気分が残ってしまって、そもそもなんでまたこの映画を借りて観たのかということを考えてみた。そうしてやっと思い出したのだが、どうも間違えて借りたらしいということのようだった。本当はデビット・フィンチャー版の方を観るつもりだったのだ。気づくと何とも悔しい感じだが、基本的には同じ題材らしいし、題材そのものに執着したいわけではないので、まあ仕方ないと諦めるよりない。おんなじ題名の映画には改めて要注意である。
 考えてみるとそういうことは、ごく最近もあったように思う。そうだ、「バンクジョブ」がそうだった。最初は未公開の(というかテレビ版かも知れない)ターミネーターの子役が出ていた方を観て、なんかしょぼいけどそれなり楽しんでしまって、これもまあいいかと思った(監督:ジョン・キーズ)。銀行強盗から逃げた先で強悪な連中にジャックされる二重サスペンスで、ご都合主義的なものもあるが、ついでに観ても良かったのかもしれない。それというのも最初に観ようとしていた(ロジャー・ドナルドソン監督の)バンクジョブの方は、実話らしいが今一つだった。こちらは銀行破りなのだが、それが表に出ないサスペンスも絡めたものである。映画としても比べ物にならないくらいゴージャスに洗練された作りになっているにもかかわらず、結局あんまり感心できなかった。ネタばれになるから言わないが、そんなにメンツが大切なんだろうかと思ってしまうのだ。
 結局映画を借りる前段階でずいぶんぼけてしまったものだと自戒するのであるが、それは年の所為だから仕方がない。借りるという行為は能動的なようで、結局映画を見るという行動は受動的なものである。事前に善し悪しなんて分からないのだから、騙されたようにして観てしまったとしても、結果的に面白ければいいのである。
 ということで、フィンチャー版のゾディアックをどうするか。目下のところ忘れなければ、というところなのであろう。
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PTA会長不祥事続き

2010-09-29 | 時事
青森のPTA会長ってなんなの…、不祥事続き

 偶然だと思いたいが、こんだけ続くと会長になる人にこのような傾向があるようにも思われる。他人事のように言っているが、この連鎖の輪に加わる資質があるものか自戒せねば。
 なんて、ぜんぜんそんなつもりもなくて、面白がっております。もっとやれ、とは思わないだけの話で。
 まあ、怪しい人が多く含まれる可能性が担保される方が、開かれたPTAでもあるわけで。第一そんな資質が事前に分かるわけないじゃん。

 しかしながら(自発的に)出てくる人の方が圧倒的に少ない訳で、出てもいいというのは変人だとも言えないことも無い。または、単に本当に気のよい人。僕はそのようには感じているのかもしれない。しかしながら籤で人選が決まるようなところなんだから、誰がなってもおかしくないです。
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コンビニ店長、万引き女性を恐喝

2010-09-29 | 時事
コンビニ店長、万引き女性を恐喝

 ポルノではよくあるパターンだが、実際にもあるんだ。こういう設定に燃える欲望はよく分かるけど、ま、趣味の問題である。
 警官にもこういうのはいそうだが、憶測なので黙っておく。
 むしろ話が分かる程度に済ませると感謝される場合だってあるのかもしれない。欲を出しすぎるといけませんね。レトルトカレーの何倍だったら適当だったかは難しいところだが…。

 しかしまあ、弱肉強食の社会というか、何というか。
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自殺遺族に損害賠償請求

2010-09-28 | 時事
自殺遺族に損害賠償請求、一億円以上も

 こうなると泣きっ面に蜂である。家族を失う悲しみの上に経済的にも大きな打撃を受けるわけだ。

 自殺だけではないが、事故物件マップというものがある。事前に調べておいて部屋を借りる参考にするということなんだろうか。

事故物件マップ

 心情的に理解できないわけではないが、人間というものは生命である限り死ぬのは当たり前だ。自殺であるからことさらに被害を受けたようなことになるというのは、やはりどこか割り切れないところがある。
 しかしながら自殺を計画している人に対しては、借りている部屋では止めおきましょう、という戒めにはならないだろうか。そんな余裕はないかもしれないな。むしろ多少は迷惑もかけてやろうという人には好材料かもしれないし…。
 やっぱりこの問題は難しいです。

追伸: これもまずい死に方の一例だと思って貼り付けておきます。残されたものにとってはかなり最悪だ。

ゼグウェイを買収したジミー・ヘセルデン氏が死亡。ゼグウェイに乗って崖から転落
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こういうものこそ仕分ける必要がある

2010-09-27 | 時事
一人1600円の肥満対策で、死者15万5千人減

 言いたいことは分からないではないが、単なる恫喝にすぎないし、さらに悪質だと思う。結局はそのような予算を欲しいための統計にしか見えない。文中にあるとおり国民の肥満率が3%と最も低い国の国民をさらに痩せさせることによる悪弊の方があるかに大きい可能性だってあろう。はっきり言ってここまで神経質な方が、明らかに異常である。一人1600円もの大金を投じて一部の関係者の私腹を肥やすことこそ、大いなる無駄だと断じるべきであろう。
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人力羽ばたき飛行

2010-09-25 | 雑記
人力「羽ばたき機」で持続飛行、カナダの学生が成功

 これって映像が無いんだろうか。テレビのトピックニュースなどでは見られたのだろうか。現物の飛行をぜひ見てみたいものだ。
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痛さを楽しませてくれた映画たち

2010-09-24 | 映画

 時々というか、かなり頻繁に、なんでこんな映画を借りてしまったんだろう、というように、観たことを後悔させられることがある。普通につまんないというのは、変な話だがまだ許せる。別に楽しいだけが映画じゃない。しかし何と言うか、どうしてこうなっちゃうんだろうと少しばかり腹立たしいような、観ていてそんな気分にさせられてしまう映画が結構ある。酷い場合には許せないくらいに腹が立ってしまったりする。そういうのが狙いでつくられた訳ではなさそうで、つまり、痛いのである。
 でもどういう訳か、そういう映画だと映画を見ながらけっこう話が弾んだりする。痛いところを観ながらみんなで笑いあえるような。そういう具合にコミュニケーションにおいては、あんがい有用だったりもするわけだ。どの道ちゃんと観てもつまらないことは分かっている。観ながら誰がしゃべっていても、ぜんぜんうるさくもなんともない。そういう意味でこれらの映画は、あんがい愛すべきところがあるような気がしないではない。


 最近観た映画では、その「痛さ度」において抜きんでていた。かなり脱力。次にどんなセリフをいうのかほぼ筒抜け。じゃあ同じレベルじゃん、ということかな。
ディア・フレンズ/両沢和幸監督
 なんというか、必然がぜんぜんよく分からなくて、共感が持てないのだった。空虚というか、一種の修行。しかし、まあそういう世界観があるんでしょうね、あるところには。
でもまあ、カッターナイフで自分の胸を切るところは良かったですね。これだけは何やってんの?という疑問が極度に達して、かえって爽やかだった。



大阪ハムレット/光石富士朗監督
 これは、前半は面白く観た。設定はそんなに悪くないアイディアではないか。
でも最後の学芸会で脱力ダメダメ感が…。客のヒソヒソ話で説明し過ぎだ。そんなに言葉で解説しなければ分からないような話ではないのに、あえてそうしなくては分からないと考えてしまったのだろうか。時には他人の意見は聞かず、自分の意見は通した方がいいと思う(勝手な想像だけど)。子役はいい感じだっただけに残念だ。


ウィッカーマン/ニール・ラビュート監督
 これもなかなかいい感じだったのに、すべてぶち壊し感が爽快だった。よく考えなくてもけっこうスジが破綻してるんですけどね。勢いで押し過ぎてしまいましたな。まあ、僕はこういうのは好きかもしれないが。


天国までの百マイル/早川喜貴監督
 ダメダメ感はいいのかもしれないが、だからそのまんまダメじゃダメなんじゃないかと心配になった。いろいろと痛くて、恥ずかしい感じは楽しいのかもしれないが。どこにも人間的な悩みぬいた苦悩が感じられない(感じさせようとはしているけど)ところが、決定的にダメなんだと思います。


イノセント・ワールド/フォン・シャオガン監督
 香港映画にはこういう痛さはつきものではあるが、やっぱりつらくはある。凄いんだか凄くないんだか、結局よく分からない。それだけの腕があるんなら、もっといくらでもやりようが…、などとつい老婆心が働く世界。まどろっこしい。それになんでそんなチンケな倫理観がどんでん返しに使われるんだろう。ほんとにそんなもの信じてるとでもいうのだろうか。むしろこのような中途半端さは、人間としての欠陥であるような気がしてならない。


おっぱいバレー/羽住英一郎監督
 これはアイドル映画だからね。アイドルとしてこのようなことになる緊迫感がいいのかもしれないっす。みんないい思い出になりさえすればいいのか、ということは、いいっこなしなんでしょうね。ちょっと惜しい気もしないではない映画ではあったが。


ラッシュライフ/真利子哲也・遠山智子・野原位・西野真伊監督
 いい線行きそうなところがあって、楽しみもしたけど、やっぱり惜しいかな、と思った次第。上手くいった部分もあり、鼻についてしまったところもあった、というのか痛くも惜しい。


山形スクリーム/竹中直人監督
 とにかくくだらないがそれが狙いだというのはよく分かって、しかしやっぱり退屈してしまった。せっかくだから、もっとぶっ飛んでもよかったなあ、と思った。


レディ・キラーズ/コーエン兄弟監督
 最後はかなり汚くてオエっときて感心したい気分にもなったが、以前に観たことを忘れていたくらい薄っぺらであったことは確認できた。コーエン兄弟でも一流の俳優を使って堂々と愚作をつくってしまえるという事件だけが収穫といえるかもしれない。


シャッフル/メナン・ヤボ監督
 だからなんなのよ、って思いますね。せっかくのいい感じのサスペンスが、最後にやっぱり浮気は罪だという教訓で終わるなんて…。まさか、女は怖いという意味の戒めなんだろうか。


ドロップ/品川ヒロシ監督
 漫画みたいな話だなあ、と思っていたら漫画ものだったらしい。むちゃくちゃなんだけど、あんがい楽しめた。暴力喧嘩ものそれなりに燃えることは確かだ。
 いまどきこのような人たちがいるのかどうかは知らないが、以前からこのような漫画があることは変わらないのかもしれない。学校という場所において多かれ少なかれこのようなはみ出し者はいるのだろうし、しかしながら彼らは不思議とそのような社会が好きなのも変わらないものかもしれない。
以前高校の先生とマージャン仲間になって高校というところの話を聞いていたことがあって、いろいろと問題を起こして学校が嫌いだと公言しているような奴に限って、卒業後もちょくちょく学校に遊びに来るので不思議だと話しているのを思い出した。そういえば僕はどうしてもなんかの用事があっていったことが過去に一度だけあるようだが、そういうことが無い限り母校に行こうなんて考えもしない。懐かしくないわけではないが、すでに過去のことにすぎない。居場所があるわけでもないし…。
物語の中心は中学時代のようだが、確かに中学生でなければこのような暴力的な毎日はおくれないのかもしれない。後に高校を退学になるように、そのようなことが許されないのが社会とはいえる。一時の娯楽という意味では中学生にしかできないことかもしれない。力も怖いものも少ないし(実際は怖いものだらけだから暴力に走るとはいえるだろうけど)暴れるのが楽しいというのは、有り余るエネルギーの発散としてありえないわけではない。
しかしながら同時に暴力というものの連鎖は、実際に中毒的であるとはいえ、マゾやサドでない限り、その環境の中でどっぷりと楽しむことは難しいとは思える。人間はなかなか死ぬものではないと嘯いているが、人間のような生物は壊れるとそう簡単に再生しない。うちどころが悪ければ、それなりに簡単にも死ぬ。
 と、ここまで書いて放り出していた。喧嘩の話では面白いところも多かったのだけど、やはり、決定的に本来的な喧嘩の痛みが希薄で、そうしてその環境的な話の空虚もなんだか物語を疲れさせるものにさせていたように思った。


ロックンローラ/ガイ・リッチー監督
監督お得意のスタイリッシュなやくざ映画。でもちょっと食傷気味なのかもしれないですね、僕自身が。ご都合主義的にピースがはまる快感を味わえなかった。つまりもう少しひねらないと、中途半端に痛くなってしまうのだ。


イントゥ・ザ・ワイルド/ショーン・ペン監督
 こういうのがカッコいいのは分かるんだけど、どこか甘えているんだよね。せっかくサバイブする能力を磨きながら、リスクをとことんそぎ落とす努力が逆に足りない気がする。犠牲者かもしれないけど、本当に目覚めることができる手前の話なんじゃないかと思うのだった。一種のアイドル映画なのかもしれないのだけれど。


ディスタービア/DJカルーソー監督
 適当には面白い。しかし「裏窓」のオマージュとしてどうなの?という感じ。ジェットコースターで終わればそれでいいという映画なんでしょうけどね。


フィッシュ・ストーリー/中村義洋監督
 正直言うと好きなところもある自分が嫌いかもしれない。自分自身が恥ずかしいのだ。ハマる人にはいい作品かもしれませんね。ほんと、ごめんなさい


もだえ苦しむ活字中毒者/黒沢清監督
 これも僕は好きですけどね。退屈なところもそれはそれでいいんだし。このような習作を経て、いい監督になるのかもしれないなあ、とは思いますが。付き合わされる家族には懺悔の意味で挙げとかないわけにはいかないという感じです。


 そして栄えあるワーストは、かなりダントツでこれでした。
マイ・ブルーベリー・ナイツ/ウォン・カーウェイ監督
 それにしても、これはかなり勘違いだと思うぞ。観ていて、痛くて痛くて。演じている俳優さんたちが哀れにすら思えてくるような作品だった。
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ただ捨てただけなのかもしれないけど

2010-09-24 | 雑記
金属収集日のゴミ、鍋の中から追撃砲弾

 火薬が入っていなかったとはいえ、見た目でそのことが分かるわけではない。いわば一種のテロと同じである。
 それにしても売ってるんですね。しかし、これをヒントに使えると考える人もいるかもしれない。一時的な混乱を起こすのが目的なら、被害者も出さないし合理的にその間に何かをする時間工作も可能である。いや、そうなると極めて小説的ではあるんだけど…。
 
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中国漁船拿捕問題雑感

2010-09-23 | 時事
中国漁船拿捕問題

 先日の和醸会の二次会でもちょっとした議論になって、なんだかキナ臭い話題だからスルーした方が大人かもしれないとも思うのだけど、日本の報道の仕方を見ると、ちょっと軌道を逸しているものも感じるのは確かで、いったい何が目的なんだろうと逆にいぶかる気分が無いではない。
 最初に結論めいた事をいうと、朝鮮日報のこの記事のような見方が一番まっとうだと思う次第である。ちょっと距離を置くと実に当たり前に落ち着くということ。さらに付け加えて言うならば、この程度の脅しにビクつくことなんかちっともないんだと思うだけだ。騒げば騒ぐだけ国際問題と認知されることになるんだし、最初に日本政府の声明が物語っているように、そもそも領土問題でさえ無いという態度が一番賢いし、他に方法はないとさえ言える。中国だって日本が騒いだ方が得だからつっかけてきている訳で、もし本当に反応するなら、日本って面白いなあと喜んでくれるに違いない。言っちゃ悪いが中国という国はその程度の国だということにすぎない訳で、したたかだけど、しかしおかしな国で、さらに実際のところ、いまだに本当に民主的な国でさえない訳で、彼らこそ苦悩に満ちているということの方がはるかに現実のありようなのだと思う。日本がそこまでレベルを下げて付き合う必要なんて、これっぽっちもありはしないのだ。
 結局日本の法に基づき処理されて終わりという、結論の見えている話題にすぎない。
 しかしながらこれを基にいろいろ思惑がありそうなのは確かで、沖縄問題で日米関係がギクシャクしているのに付け込んでいる、という見方は軍事的な先を見越してのことだろうし、まあ、使えない話ではないかもしれない。むしろ米国は最初から今件に関して日本の支援を早々と表明しているので、普天間問題の先送りを牽制しているとみていい。放っといてもいいのに恩を売っている訳だ。
 中国の側に立って考えると、こんなことをしなければならないほど追いつめられているということも見え透いている。ガス油田開発の大義において、自分の方に分が無いということも十分に承知しているからこそ、その大義を何とかして作っておきたいという工作だろう。その上さらに技術的、もしくは将来的な協力体制を構築する上で、日本の支援も取り込みたい算段もあるだろう。日本がこの油田開発を見送っている背景は、単独では採算が合わないということが一番の理由だという話もある。それでも中国はこの開発を進めなければならないほど賭けに出ていると考えた方がいいだろう。さらに反日感情を消化させる、いわゆる国民向けのガス抜きポーズをとっているということだ。日本に対して一歩も引かず臆してもいない強い国家だとでもいいたいのだろう。どの道誰も何の対応をとらないことも分かっているし、自作自演でかっこつけている哀れな滑稽ささえ感じずにいられない。
 そういう意味で将来的には大国といわれる中国は、実はちっともたいしたことが無いという馬脚を現していると読むのが一番普通の見方なのではなかろうかと思う。残念ながらそう思っていなさそうな、むしろ中国を大国として崇めたい人の方が多いような情勢が、この報道をエスカレートさせようとする勢力なのではなかろうか、なんて揶揄したい気分なのであった。
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犬と猫と人間と

2010-09-22 | 映画
犬と猫と人間と 劇場用予告編


犬と猫と人間と/飯田基晴監督

 ふだんはとにかく気楽に映画は観ている。たとえそれが戦争映画であろうとも。泣ける映画だろうが、どんなにシリアスだろうが、基本的には映画というのはそういう感情を揺さぶられる娯楽である。
 しかしながらドキュメンタリー映画や自主制作映画のようなものの中には、ある意味で興行を度外視してつくられているものがある。いろいろ思惑はあろうが、とにかくメッセージ性が強い。ひょっとするとそれだけということで目的が達成されて、その先はどうなるのかなんて考えてないのかもしれない。それが失敗することの方が多いのだけど、ときには大きく化けることもある。この映画自体はどんなものなのかは正直言って知らないが、興行的に製作はされているようだが、きっかけは個人の意思である。監督はその意志にほだされたというところかもしれない。いや、見たところ半信半疑もあったようにさえ感じられる。
 ちょっと感想を書きにくいのは、この件に関しては、僕自身の整理ができていないこともあるし、なおかつ僕の中にも共犯者としての罪悪感があるためだと思う。大げさに言うと人間に生まれてしまったこと。さらには日本人としての原罪のようなもの。簡単に言ってしまうとそういうことで、しかしそんな事を簡単に言えるほど単純でもない。つまりかなりめんどくさい。それにそのあたりをくどくど解説しても、ほとんどの人は理解する努力を途中で放棄するに違いない。それは経験的に言えることであって他にやりようがあるのかもしれないが、しかしそれでも多くの人は、結局は認めるのがつらいのである。僕はあっさり認めているので既につらくないけれど、だからといって僕一人で人間の原罪を一手に背負うつもりもない。だからそこのあたりは詳しく言わない。考えない人にいくら言っても始まらないのだ。
 日本で殺処分される犬猫の数は、一日約1000頭弱(年に35万頭強)なんだそうだ。この映画で取り上げられていた英国の場合と犬だけを比較すると約15倍だという。とにかく大変な数なのである。保健所では多くの場合炭酸ガスで殺されるわけだが、つまり大量虐殺が日常として行われている訳だ。まずこのポイントは、人間が食べるために殺している、つまり賭殺ではないということだ。人間が食うためならいいのかという問題もありはするけれど、食べることはある意味では必要必然のためという道理が立たないではないのにかかわらず、保健所の処分はただ殺しているだけ。つまり基本的に人間の娯楽で死んでいるということが大きな違いだろう。人間のペットとして割に合わなくなったからということで、ただ殺されているだけだからである。
 背景としての理由はいろいろある。しかしながらつまるところ、個人の事情では飼えなくなっている状態のペットが殺されていくということだ。野良犬や野良猫がいるじゃないかという人もいるだろうが、厳密に野生で暮らしている存在は、ほぼ日本では考えられない(対馬には山猫がいるようだが)。たとえ野良猫であっても、人間に寄り添って生きている、というか人間の都合で遠巻きに飼われている存在であるにすぎない。だから飼えなくなると殺される。飼われていない状態の野良猫はいないし、それ以前に野生では生きていけない。
 その現状を何とかしようとしている人たちもたくさんいる。保健所の人たちだって基本的には心を痛めながら何とかしようとしているし、愛護団体だって精力的に活動している。しかしながら殺されるためにやってくるその数が多すぎて、ほとんど焼け石に水という感じ。しかしどうすることもできない中で、ほんの少しでも何とかならないかと日夜努力を続けている。長年この問題に第一線で取り組んできたある人は、結局は(人間の)社会が豊かにならない限り根本的な解決は無いという哲学的な結論に達観してしまったりしている。もちろんその通りなのだろう。しかし、だからといってこの現状が本当に改善できていくのか、釈然としない思いが残る。
 監督が映画祭に行くことになって、その折に英国の現状を取材する。英国は動物愛護の活動にそれなりの歴史があるらしく、徹底した管理で動物の命を守ろうとしている。なんと野良犬や野良猫でさえ、その姿や存在がみとめられないのである。法律を始めさまざまなシステムが整っているらしく、国民の意識も高い。愛護団体にも豊富な資金があるようだ。飼えなくなった犬たちは広々とした敷地でのびのびと走り回り、しつけも行き届いている。そして多くの場合、しばらくすると貰い手が見つかる。どうも、特定のブリーダー以外から購入することは不可能で、さらにペットショップなどで簡単に商品として買えないような規制があり、なおかつ罰則も厳しいようである。あまりにひどい日本の現状を観てきた後だから天国のような素晴らしさを感じさせられるが、しかしそれは、人間の絶対的な管理社会という更なるエゴも垣間見える。もちろんそれでも日本よりいいことには違いないが、これが本当に唯一の解決策なのだろうか。確かに絶対的な殺処分による大量虐殺を減らすには、このような社会システムを整える以外に無いのかもしれないのだが、いくら進んだ人間社会の在り方であるとはいえ、やはり人間の原罪が本当に晴れてしまっているようには僕には思えないのだった。
 人間がペットを飼うのは、いくらきれいごとを並べたところで、人間の個人的な欲求を満たすためのエゴである。そのために犬や猫たちは、いわば人間の意志で改良されペット化されてきたのである。厳しい野生社会で生きるよりしあわせにちがいないと思う人もいるだろうが、結果的にそのような(動物自身にとっての)しあわせがあるということがあったとしても、人間の意志でそのように思わされているにすぎないしあわせである。彼らにどのような意志や主観があるのかは分からないが、人間のためだけに生かされている存在である生物なのである。それを愛玩動物、ペットとして飼う喜びが、人間の本能のようなものなのである。
 しかしながら、少なくとも日本の現状は本当に酷い。酷過ぎてひょっとしたら、かわいそうで感情が止まってしまう人が多いのではないかと思うくらいだ。あまりにかわいそうだから、その先が見えなくなるし、考えられなくなる。普段は知らないし見えないからどうにもならない問題であって、まずはそういうスタートでもいいとは思うが、スタートした後に、突き詰めれば突き詰めるほど、皆途方に暮れても仕方が無い。
 自然に放置しても解決しないし、管理しても行き届かない。そういう中でどのように折り合いをつけて生きていくのか。ペットを飼わないから関係の無いことなのではなく、そのような人間的な原罪の問題であると僕が思うのは、つまるところそういう意味なのだ。そういう考えが政治的にどのような着地点を目指すのか。少なくとも苦情が怖くて目に触れさせずに済ませてきた現実は、変える必要があるだろう。やはりスタートとして、この映画を少しでも多くの人に観てもらうより仕方が無いのだろう。日本という社会の特殊性も含めて、日本に生まれた日本人や動物が、日本に生まれたというだけで不幸にならないためにも。

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新素材のドラムスティック

2010-09-22 | 音楽
プロのヘビメタ絶賛、新素材のドラムスティック

 こういう分野でも新素材の可能性があるんだな、と思って。
 スポーツなどならルール変更になりかねない場合も出てくる問題かもしれない。
 音楽というのはデリケートな面白さがあるので、デジタルな音作りというより、このような根本的なものでがらりと変わる可能性の方が大きいかも分からない。

 僕はリズム感がないのでドラムは断念したのだが、ボンゾも好きだし、何故だかスチュワート・コーポランドのファンなのである。初期の(アレックス)ヴァン・ヘイレンのドラムで目を丸くしたバンド少年なのだった。ほんとはドラムをしたかったのかもしれないな、なんて思うこともあるんです。高いけど、このスティック欲しいかも。


 オマケ:こんなバトルもあるんですね。

Expert Session: Hot 4 Teacher - Drum Battle


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ガス欠で観念したのか

2010-09-21 | 時事
盗んだ車、ガス欠で自ら110番

 これは僕には意味がよく分からない。
 盗んだ車がガス欠になったからと言って、何故110番に連絡しなければならなかったのか。動けなくなったから観念したということなのか。動かない車が周囲に迷惑をかけるという意味なのか。仕事を探しに行ったが結局見つからず、塀の中で暮らそうと決意したということなのか。
 食い逃げが飯をたくさん食べた後に白状する罪のように、捕まえてほしくて行った犯罪だったということなのかもしれない。それならそのまま警察署に運転していけばよかったのじゃないだろうか。もちろんその道中でガス欠になったというのであれば、初めて意味が分かる気がする。
 持ち主が車を取りに行っても、移動のレッカー代(そういうことをしたのか分からないけど)とかその他の経費はやっぱり負担しなければならないのだろうか。むしろそういうことの方が気にならないではないのである。
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ペンギンを本気で飼いたい人向け

2010-09-20 | 雑記
本気で飼いたい人向け「ペンギンの飼い方」出版へ

 ペンギンって人になつくんだろうか。
 生ものとセット販売という形も珍しいらしい。子持ちシシャモならぬ雄シシャモ。ペンギン飼う前から餌を購入するというのはどうなんだろうか。
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生徒一人の運動会

2010-09-19 | 時事
生徒一人に150人声援、離島最後の運動会

 なんだか運動会という概念が崩れる運動会のようにも思える。

 外国人(主に西洋)が面白がるのは日本の運動会という話もよく聞く。彼らが日本に来て運動会を見ると、自分の国でもやればいいのに、と思うらしい。よさは分かるが一部の人しか存在を知らないから開催されることも無いのだろう。
 僕らには当たり前だから気づきにくいことかもしれないが、それくらい日本人は運動会が好きなのだ。たとえそれが一人になっても開催されているように。
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