goo blog サービス終了のお知らせ 

カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

いったい誰が

2025-08-05 | 時事
 もう終了しているつもりなのだが、いったい誰が……、と思うわけだ。ありがたいような、なんというか。
 移行した側のブログは、ぜんぜん人が来ない。なんだか複雑な心境だ。これは、本当に現実のことなのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嗤えないお笑い劇場を、眺めて馬鹿にする(何しろほんとに馬鹿だから)

2025-04-05 | 時事

 お笑い大統領トランプさんだが、想像よりその上を行くところは恐れ入ったところだ。トランプ個人だけの問題ではないようなのだが、僕が生きているうちにこんなことが現実に起こるという事が、本当に喜劇的だ。これで事実上アメリカの不況は確定したわけだが、報道はそれより先に、自国の不況を気にしている場合が多い。それこそがトランプを生んだ素地なのであって、確かに困るにせよ、アメリカが望んだことなので、別のことを考える方が健全だろう。もうしばらくは、アメリカはダメなのである。アメリカの産業界が撤廃を求めて騒ぐことは必須だが、それを期待する他国の構造は健全ではない。アメリカは大きな北朝鮮の道を歩むようだから、僕らは違う道を行こうじゃないか。彼らは大きな衰退に、大いに苦しむことになるのだから、それを眺めて懇願されてから動けばいいのかもしれない。その間は耐えなければならないのかもしれないが、付き合いきれないのだから仕方ないのである。
 それでもそんな衰退を望んでいるアメリカ国民が、不可解に映るのかもしれない。さらに彼らの本来の目的である仮想敵国の中国が、これでアメリカを追い抜く大きな隙が出来たわけであって、巻き返しはかなり厳しくなる可能性もあるかもしれない。もちろん反動を期待する向きもあろうが、トランプの側近はそんなことは分かっていない。じりじり負けそうなことが耐えられなくてこんなことをしているのだろうが、自滅である。日本は譲歩の国だから、やろうと思えばだれとでも付き合えるわけで、アメリカに対しては残りのカードは無いかもしれないが、ほかの国ならあるかもしれない。もっともそれはこれまでアメリカがバックにいるのが分かっているからできた物事もあるので、それなりにリスクがありそうであるけれど。
 まあもう無茶苦茶でアホくさくて馬鹿らしいというのが正直なところで、多くの資産がすでに吹っ飛んでしまった。おいおい、これって現実かよ、って感じの人が多いのかもしれないが、本当に巨人が躓いて倒れそうなよろめきに驚いているだけである。それにトランプである以上、倒れるのである。アメリカ以外がそれにとって代わることは、今のところあんまり可能性は薄いので、だから巨人のいない世界なのである。その陰に隠れていた小人は見つけられるかもしれないが、もう、そういうのをひろう選択肢を増やすという事になるのかもしれない。日本は空洞化する可能性もあるのだが、しかしもともと内需の国である。お得意さんは、少なくとも一定の間勝手口を閉じているが、小口を増やして回るより仕方なかろう。これまで大口の意向を気にして、あんまり自由にやれることは無かったが、報復をしない代わりに、自由に生きるしか無かろう。それはリスクをこれまで取ってなかっただけのことなのであって、商売としては、ある意味ではまっとうである。大口は頭が悪いだけのことなのであるから、自滅を遠回しに眺めて、地力を養うべきなのかもしれない。そうしてアメリが寝返ってきたときに、悠然と構えられるというものである。アメリカは大不況を乗り越えて、そんな余裕が無くなるかもしれないが、馬鹿が歩む道はそれしかないのである。大きな北朝鮮が変なことをするのは必須だけれど、今となってみると、それなりの地理的距離は、安全保障になり得るかもしれない。本来的な戦争ではないのだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夫婦別姓は自然に進むだろう

2025-03-21 | 時事

 もうずいぶん前から夫婦別姓についての議論があるように思う。法案として提出されると言われ出してからも、すでに何年も経過しているのではないか。与党自民党の中でも議論が煮詰まらないのには、単なる偏見が介在しているようにしか思われないし、一般世論でも圧倒的に賛成多数であると報じられているが、しかし現場では尻込みされている。いったい何がそうさせているのかさえ、分かるようでよく分からない。伝統的な家族観が損なわれるというようなことを言っている人もいるというが、夫婦別姓が歴史的には日本の本来の伝統であったのだから、決着がついている。少なくとも現在、夫婦同姓を基本とする制度のために、苦しんでいる個人がいる限り、この問題は野放しにはできないということだった。誰かの苦しみの上に胡坐をかいて、安心して生活できると思っている方が、間違っているだけのことだ。
 さて、しかし問題はそういう事のはずだが、夫婦別姓になって、本当にそんなに混乱するのだろうか。すでに別姓である多くの国々があるが(どちらかに必ず変えなければならない国は日本だけだ)、それで問題になっているとは聞かない。それは文化的な違いだから、勘案しても仕方がない、ということなのか。そういうところが一番よく分からないところだ。夫婦別姓の制度ができたとしても、多くの場合は夫婦同姓のままであるだろうことは明らかだ。それは風習的に、近年はそういう事になっているからという漠然とした前提だろう。多くの場合女性の方が、何も問題なく受け入れてくれるからだろう。そういう制度がありながら、不本意ながらそういう事になってしまうと、さらに心のどこそこに、澱のように不満が溜まるということは無いのか。僕のところもつれあいの方が、姓は僕と同じにしてくれた。当時は何にも考えていなかったが、そういう時代と環境だったというしかない。
 確かに男性が女性側の姓に変わる場合は、いろいろと抵抗がある、と言われる。サザエさんのところのマスオさんの例えはよく言われる(しかし、彼は姓は変えていないのだが、日本の婿の代表なのだ)。僕より先輩世代に、婿に行ったという人は多いように思う。まだ子供の多い時代だったから、そういう事がよくあったのではないか。僕も人の多い世代に属するが、僕の時は逆に封建的なものが強かったのかもしれないとは思う。僕が実際にそういう具合に姓を変える必要が出た場合、確かに少し抵抗を感じたかもしれない。少なくとも過去から付き合いのある人たちに、いちいち説明するのが面倒そうな気もする。そういうことを女性の多くがやってきたにもかかわらず、自分なら嫌なのだから、面倒というものよりほかに、やはり抵抗する空気感の方があるのだろう。
 家族なのに姓が異なるのが問題だ、とも聞かれる。しかしこれは制度的なものなので、通称をどうするかは、また別にいいとも思われる。制度上は別で、家族間は同じでもいいし、また子供に違うと知れたところで、文化的には馴染んでいくようにも感じられる。子供はどちらか、最初に決める必要はあろうが、後で成長後に自分で変えてもいいらしい。親子別姓であっても何がおかしいかは、よく分からない。今でもそういうところはあるだろうし、それで問題になるとは考えにくい。自分と同じがいいと言っても、普段は名前で呼ぶのではないか。
 問題は、何か問題が起こる可能性よりも、抵抗感の方の問題だろう。別姓で仕事を続けられることで、登記上いろいろと利点があるともいう。通帳やパスポートなど身分証明なども簡単である。名前が変わることでいろいろ調整することの方が、そもそも厄介だったらしい。そういう事で、一定数別姓は進むだろうが、一定数そのまま変化するというのが続くのではないか。離婚を前提に結婚はしないだろうが、変えないでいたままの方が結果的に良かった問題は増えるだろう。そういう事で、ふつうに別姓が進むことで、むしろ将来の混乱は軽減できるかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これを少なすぎる、と感じた人もいたとか

2025-03-19 | 時事

 結局、10万も頂いたら、何らかの形でお返しするのが道義である。割に合わないな、と思ったから返してメディアに売った奴がいた、という事である。これまではいなかったのだから、それは将来があったからである。どのみち石破さんには将来が無い、と考えてそうした人がいたというのが真相なので、問題はじゃあいつまで? ということかもしれない。いずれにしても次の選挙では戦えない、という事に過ぎなくて、野党が頑張って引きずり落とすと、つぎの人は有望な人になるかもしれない可能性だけはある。本当はだから、だらだらこれを続けていいポジションを保ちたいだけなので、相手はできれば死に体の石破さんでいて欲しいというのもある。石破さんは宗教的に一種のマゾなので、今の境遇が受難としてこころよいわけで、こういうのはいつまでも続けられる。ふつうは匙を投げるがそうしないは、そういう事らしい。日本の世の中は、本当に奇妙な世界に突入している。しかし、それはある意味では日本的で、まさに今の現実を反映している。やっぱり時代性とは、面白い符合を見せるものなのである。
 でもまあ、首相なら(もしくは、それなりのポストなら)それぐらいやれよ、という重圧もあったはずである。そうして実際は知らないが、それなりに苦労して工面する。または、そんなことができるように、せっせとパーティやったり集めなければならない。要するにそういう事で、こんな風習を断ち切ることができたら、どんなに楽だろうと、他の人達だって思っていたはずなのだ。今後はやらなくていいとわかったら、じゃあ俺もやろうかな、とか、逆にそれならまた新しいこと考えなきゃとか、めんどくさく思う人もいるかもしれない。一応はそれぞれの意見などを取りまとめるということと、いわゆる権力抗争というのは同類のものであって、そのやり方の手っ取り早さのようなものに、こういうのが含まれている。ということは、料亭政治もしかり、要は日ごろの付き合いなどである。派閥は解散したが、じゃあどんなやり方があるのか。勉強会がそうか。政治と金、とかいうけど、やっぱりこれは、アジア的というか、日本的な感じがする。ほんとにこんなにめんどくさいことは、出来れば誰もやりたくないのである。でも逆に、やってて気持ちのいい人もいそうなのが、困ったことだが……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不自由な世界均衡のはじまり

2025-03-07 | 時事

 一連のトランプ騒動には困ったことだが、これが現実だというのが、今一つピンとこないところを感じる。一種の浮遊感のようなものがあって、いったいこれは何だろう? と思う訳だ。国際世論を見るまでもなく、ウクライナとロシヤが険悪な関係であるのは、そもそも連邦の仲間でありながら、ロシヤはウクライナを苦しめて来た歴史があるからだ。クリミア半島を併合したことからも分かるように、基本的にはウクライナ全土も、将来的には飲み込む方針であることは間違いない。それに抵抗もある中具体的に侵攻し、戦争まで始めてしまった。これにほぼ西側と米国は当然のように反発し、現在に至ったはずだ。ロシヤが核を持っているので、モスクワに反撃のできない奇妙な戦争形態をとってはいるものの、今行われている殺戮は、まぎれもなく戦争である。
 しかしながらウクライナも徹底抗戦をしているとはいえ、もちろん西側の供与無しには戦えない現実もあり、最大の支援国であるアメリカが手を引けば、停戦どころか敗戦ということも考えられる。そこまで残酷なことを米国が行うという現実感のなさがそこにはある訳で、このまま停戦であっても、ロシヤの傀儡政権の揺さぶりが掛けられるだろうし、テロなどの事件が多発し、それを理由にまたクリミア併合と同じように、将来的にはウクライナはロシヤ化するだろう。アメリカは、そうしていい、と事実上言っているのだ。欧州諸国は絶対にそれを許さないので、米ロ、そしてそれ以外の対立となる。日本もアメリカと離れる可能性も出てきた。今のところ切っても切れない関係と、米国最大の仮想敵国である中国を念頭に置くと、犬である日本はそのまま抱え込む戦略は持っているだろうが、ロシヤと組む米国ということになると、日本はかなり苦しい立場に追い込まれるだろう。本当にそれは漫画的である。笑えないのがさらに困るが……。
 もちろん、米国がいつまでもヨーロッパへの軍事負担を続けられないのだ、という現実がそうさせてもいるのである。米国は米国を守るべきで、それらはその塊にある地域でそれぞれにやってくれ、とも翻訳できる。国際社会の秩序のために国際警察を担ってきたが、それは、圧倒的に差のある状況での覇者だったからできたことで、事実上そこからの転落があって、担うことから逃れることで、自国中心に集中すべきだということなのだ。それには周りの国々も力を削がれてほしいというのもある。最大の脅威である中国という、以前は寝ていたトラがいる。中国がわざわざ米国を侵略するとは考えられないのだが、少なくとも米国以上の国になれる可能性はある。実際に覇権はアフリカなどに及んでいる。強いアメリカにこだわるのは、そういう恐怖心が、弱くなったところを見せたくないから言っているのだ。しかしながら、なんだかんだと言って自由だからこそ力が集まり、そうしてそこで伸びていくものがあった国が、自ら不自由に自分を縛っていいものか。それをアメリカ本人が分かっていないように見える。今のところアメリカ人自体が、そのことに騒ぎだそうともしていない。自ら望んで転落を選ぶなんてことがあるのか。我々に見える先の風景は、そんなような不安なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日も一面トップだったけど読まなかった事件(その当時だが)

2025-02-25 | 時事

 時事ネタというか芸能ネタというか、そういうものは興味がないために本当に詳しくは知り得ない。しかしながら報じられる程度が大きすぎて見聞のもれ方があるようなものは、当然少しくらいは知ることになる。共通の話題のような事でも聞くので、あんまり知らないでも、何となく伝わるものがある。キャンセル・カルチャーとの絡みがありそうだというのもあるが、いったんは性的な問題と会社ぐるみとか、組織的な臭いがあって、人々は安心して叩けることを知っている。悪いことは確定的だから、大人のいじめとして大っぴらにやっている訳である。
 いやしかし、こうなってしまっては既に何もかも遅い感じがさらに追い打ちをかけていて、会社さえどうなるのだろう、と思っている人も多いようだ。そういうものなのかな、とも考えてしまうが、そこまでいかないと面白くないとも思っているのだろうか。社員が何人いるとか、そういう人が可哀そうだとか、そんな話も聞くのである。関係が無い話ではないが、そんなものは、やはりそんなに問題視されずに、誰もが知っていたことなのではないか。
 だから正確なものかどうは別として、情報はあふれているわけだから調べてみてもいいのではある。しかしやはりそんな気は起こらない。ブログなので書いている現在とUPする未来のタイムラグがあって(たぶんひと月くらい)、これの情報は古すぎることにはなる訳で、だからそういう情報系の事では無くて、出来るだけ個人的でどうでもいい方がいいのである。それはちょっと心掛けていることだが、しかし季節はあり時事ネタではあるのだ。
 僕は若いころからいわゆる洋楽ロックというのを聴き続けてきており、いわゆるそういうバンドの周辺のことも、なんとなく聞き伝えで聞いてきたものである。そうして外国のロックスターには、グルーピーというのがあって、よく乱交騒ぎを起こしていて羨ましかった。バンドをやる男の子たちの少なからぬ者たちは、これに憧れてギターを練習するということをしていたわけだ。実際のそういう動機が強いものこそが、本当に上手くなるともいわれていた。下手な奴は、動機が純粋だったのである。
 というようなことといったい何が違うのかとも思っていたわけだが、しかしこれは、行き過ぎた暴力事件でもあり、直腸が痛んでる人もいたり、麻薬が疑われたり、もあるのだという。なるほど、そういう疑惑も含めて、膿が出ていないと感じている人々が、もっとちゃんとした情報があってしかるべきだ、ということなのだろうか。さらに会社の関与があって、というけれどそれは会社は否定していて、でも信用できなくてスポンサーがたくさんおりてしまって、損失がたくさん出たらしい。しかしそれでもそれは大口だから困るとはいえ、そうであるならば別に営業をかけて、これまで断っていたスポンサーに逃げてもよさそうなものである。会社がまじめに存続するというのは、そういうものを含んでいるはずだ。しかしそういうのを許せないものがさらにありそうで、それに乗ってしまうことが怖いという企業も多かろう。だからそれは集団によるいじめなのである。さてそれでは一月後どうなっているか、興味はないといいながら、それはいづれ確認できることであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イメージとしてのラーメン屋

2024-12-25 | 時事

 食べることと言えば、ラーメン談義になることはよくある。しかしこれは、分類して語らないことには、なかなかに難しい。一緒くたにできない問題がたくさんあるように思う。そんなに難しく考える必要などないのは分かっているのだが、そもそも単純な問題ではないのだ。
 ふつうは時系列に語る方法があるのだが、一旦それは無視する。僕は意識的にラーメンからは距離を置いていて、今は特に重要ではなくなってはいる。それで客観視できるまでになったとは思うのだが、だからと言って複雑な糸をほぐせるほどには無い訳だ。ただ単に思いつくことどもを、ラーメンとして語るよりない。
 僕が何となく考えるラーメンは、寅さんが駅前の時間つぶしの腹ごしらえに食べているようなものが、イメージ的にはスタンダードなのだ。しかし、実際に僕がそんなことをしていたのか、というのは、体験上少ない。京都の駅前には有名なラーメン屋があって、そこではそんなまねごとをしたことはあるが、しかし大変な繁盛店であり、落ち着かないものだった。黒いスープに味の方はあんがい飽きのこない風味があって意外な感じだが、若いまち京都という感じもして、なるほどと感心した。朝から別の店でもラーメンを食べていて、そこでは少し強烈さも感じたので、駅前のラーメンと言えば、なんとなく京都なのである。もうしばらく行く機会はなさそうだけれど。
 東京のラーメンは、東京のラーメンと言ってしまっていいほどには典型的ではなくなっている。それこそ寅さんの駅前ラーメンではないが、ふつうなら関東なので、醤油味のメンマとチャーシューという感じだったはずなのだが、あんがいそんな感じのものこそ、懐かしく少なくなってきている。東京に行ったのに、九州の豚骨というのは結構あるものだし、学生のための二郎系というのだって、慶応大学前だけでなく、今はほとんどの駅前にある。全国区のものがあるとはいえ、そういうところはものすごい行列で、昼時なら探さなくても目に付く。並んでいる人数でげんなりして、もちろん並ぶことまではしない。だからあんがい、東京ラーメンは知らないままなのかもしれない。
 長崎はラーメン文化では無いとされるが、僕の生きているスパンで考えると、それなりに前からラーメン屋くらいはある。もっとも、多くのラーメン屋では、ちゃんぽんも食べられるものだった。近年はそれこそラーメンだけの専門店の方が増えたが、チェーンだったり、いろいろ事情がありそうだ。地元のラーメン屋というのは当然あって、僕だって小学生のころからなじみがある。いわばそれがスタンダードなのかもしれないが、おいしいけれど長崎のラーメン屋としては、少し変わっている味でもある。その後いろいろなラーメン店ができて、生き残っているものもあるし、消えたところもある。ラーメンというのは、実際に工夫して作るようになると、原価がそれなりにするという事らしく、ぼちぼちやっていたのでは、経営が厳しくなってしまうという(逆に原価の低い店もないではないのだが、いちおう流行りを狙うラーメン店のことである)。いつもお客さんが来てくれるような店でなければ、簡単に淘汰されてしまうのだ。まあ飲食店というのは、なんであってもそういうものではあるのだろうが。
 なんとなく周辺のことを言っていたら、ラーメンの何の話をしようかというのを忘れてしまった。また、思い出したら考えてみます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野犬が増えても、場所によって違う結果に

2024-12-01 | 時事

 野良犬、野犬が増えているのだという。犬はそれなりにかしこいので、なかなか捕まえにくい。捕まえられたとしても殺処分を減らす方向に行政は舵を取っていて、保護した犬が増えすぎている。譲渡会などは活発に開かれていて、それなりに浸透しているが、譲渡されにくい犬がいて、一定数は必ず残る。しかるべき時期を過ぎると殺処分せざるを得ない。犬を飼っている(猫もだが)数自体が増えていて、おそらく捨て犬もそれなりに多くなっている。育てられなくなって棄てるとか、子犬の時から捨てられて野生化した犬も相当いるようだ。長い間飼われていない犬は人間不信に陥っているものが多く、なつかないし、訓練もしにくい。まさに悪循環である。
 また、捨て犬に餌をやっている一定数の人々がいて、行政や保護団体と対立している。餌をやっている人々は、基本的には善行の塊の精神で行っていて、犬の命を助けない限りどうにもならない現状を嘆いているに過ぎない。しかし被害を助長しているだけの行為な訳で、その溝は深い。野犬が増えると、噛まれる人が出るなど、実際の被害が出る。ものが壊されたり、なにか取られることもある。犬たちは生きるために必死で、しかし本当に山奥などで人間に接しない環境では、生きられない。しかし野生化した犬は、伝染病などの媒介とも関係が無いとは言えないのである。
 そういう訳で対立している構図があった訳だが、ある自治体では、エサやりをしている人々に呼び掛けて、いわゆる餌付け行為を行ってもらって、野犬たちを誘導してもらい捕獲する作戦を行った。野犬たちの多くは、栄養状態が悪く、皮膚病にかかったり問題のある個体も多い。それらの状況を憂いているエサやりの人たちが、徐々に行政との対話で心を開くようになり、協力してくれるようになったのだ。そうしてこれまで困難を極めた捕獲作業が、協力して行われることになって、ずいぶん効率が良くなったというのだ。
 捕獲後の犬たちも、ボランティアを通じて散歩に連れていくなど、人間に慣れるような活動に通じていくようになる。問題の多い犬たちも、健康状態やいわゆる精神状態も改善し、飼われやすい犬に育つようになるわけだ。
 何もかもうまくいっているわけではないのだろうが、いわゆる対立の構図のままでは切り拓けなかった新たな展開である。犬のために何かをしたいという思いは、根っこのところでは同じだったのだが、結果的に対立していただけだったのだ。これは何か示唆的な出来事なのではないか。まあ、すべてがそのような運びとはならないかもしれないまでも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

値上げはなんでも悪いことにされるが……

2024-11-23 | 時事

 郵便料金の値上げについては、さまざまな不満の声がきかれるところだ。モノの値段が上がっても気にならないくらいお金持ちになりたいものである。
 今回の値上げについては、消費税が上がった時のことを除くと30年ぶりということだ。郵便事業は赤字が続いているといわれ、国会でも何度も答弁がなされていて、ようやく値上げがなされたという経緯がある。ずいぶん前から分かっていたことではあるのだ。
 それでもまあ、30年も頑張ってきたにもかかわらずすっかり悪玉にされた郵便局なのだが、そもそもサービスが低下しているにもかかわらず値上げというタイミングも悪いのかもしれない。しかしながらそうであるならば、郵便料金はこれまで安すぎた、ということも言えるのではないか。そういう事も気になって、国際価格を調べてみると、必ずしも条件がぴったり合う訳ではないものの、郵便の封書などの料金を見ると、日本の料金は最安値であることが分かる。値上げしても、他国より抜きんでて高くなるわけでもない。
 日本は人口も多く国土もそれなりに広いので、郵便サービスの内容の比較も難しいのだが、日本の郵便は信用度も高く、比較的早く配達されていることも分かる。土日祭日配達して無いのだが、そもそも毎日配達している国なんてものは無いようで、さらに配達日を減らす動きは国際的に加速しているらしい。電子書類への移行が進む北欧はもとより、そもそも郵便物そのものの取り扱いが、国際的に激減しているのだ。今のところ赤字経営は米国・イタリア・日本くらいだけれど、収益はどこも高くはない。特に日本は、少しばかり料金をあげたくらいでは、経営は健全化しない。値上げによる取扱郵便は今後も減る見通しだし、値上げしなくても取り扱いは、荷物以外は減り続けることが予想されているのだ。
 要するに郵便事業は、どの国においても成り立ちにくくなっている現状がある。これまでよりもサービスの質は落ちてきたというものの、さらに合理化を進めて、配達日数なども限られたものになっていくのは必然的なようだ。組織力は抜きんでて大きなもので網羅されているものの、これの維持ということを考えると、大きすぎるということも考えられる。金融サービスで下支えしている事業とはいえ、単独では難しくなっているのだろう。
 ということが改めて分かった訳だが、これを機会に郵便離れが加速することにより、個人的には、いろいろ助かる思いもする。いまだにはがきで返答しなければならない案内もそれなりに多いし、要らないダイレクトメールは日々大量に届いている。紙の書類でやり取りしているものも多く、本当に不便だ。ほどんどメールなどの電子的なもので代替できているものばかりなので、郵便でのやり取りは終わりにしたらどうだろうか。書類はこっちで印刷できるので、添付してくれさえすればいいのである。さらに電子資料なら、複数の末端からも見ることができる訳で、うっかり忘れても対応ができる。なかには郵送で送ってきたものを当日もってこいという会議なんかもあるので、本当に困ったことなのである。郵便事業にとっては危機的なことは分かるのだが、事業を見直さないことには成り立たないことくらい、猫が考えても分かることだったのである。かつては紙の消費量がその国の文化度の高さを図るバロメータだったのだが、もうそんな話は聞かなくなった。あとはそういう変化が早いか遅いか、ということなのであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

君子豹変す

2024-10-02 | 時事

 石破さんが首相になるとは分かってはいたものの、その前に何と解散を宣言してしまった。僕は個人的に総裁選後にはなるべく早く選挙をすべきだという考えをそもそも持ってはいたものの、(そのことにについて石破さん本人は)早期解散をするのは無責任だと批判していた選挙前の話は何だったのか? という豹変ぶりと、まともな政治家としてかじ取りを見せた(まあ、マスコミはこれを忘れているようだが、野党は当然批判している)。こういうのはメディアは結構無視するけど、むしろ石破さんの長期にわたる政権への執着も見て取れる。現実主義的に物事をとらえられる柔軟さがあるわけで、先に選挙をすべきというセオリーにちゃんと従うことが出来るような心の準備があったのだろう。総裁選選挙としては、相手との違いを見せる戦略として、早期選挙は行うべきではないと言ったに過ぎない訳だ。臨機応変に意見を変えるのは、現代の過去発言が録画されているキャンセルカルチャーには即さないが、人として生きる上だとか、まともな政治家としては大切な資質である。間違いをただすことこそ、人の生きる道なのである。
 そういう事なのであるが、人気のあるうちにいろいろ周辺のことが洗い出されることになる訳で、旧安倍派は、いったん一掃される形になった。これはまあ、表面だけしか見ていないマスコミ向けということなのだが、党内基盤の弱さでもあるわけで、なんとしてでも選挙には勝たなくてはならない。政党政治としては、政治政策そのものより重要なのは勝つことなので、その後の権力闘争においても、実権をしっかり握るためにも大切である。アジア版NATOとか、外交においての政策は、かなり警戒されているのは見て取れるし、週が明けての株価の大暴落も気になるところで、いったん財政健全化などの思惑は引っ込めるかもしれない。日本の将来にはいいことなのだが、やはり外圧や周辺圧には、屈せざるを得ないところなのだろう。もちろんそれでも僕は基本的には期待をしているわけで、地元では本人より人気のあるという奥さんにあやかって、物腰低く粘り強く頑張ってもらいたいところなのである。ほんとです。たのんます。まあ、選挙になるので大変なんだけど……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見守る中で、期待を込めて

2024-09-28 | 時事

 自民党総裁に石破さんが選ばれた。事実上の首相ということになり、日本は共和制ではないので、民主的な王様である(もっとも権力がある立場である)。高市さんが頑張りすぎて得票を伸ばしたことで、奇妙なバランスをとるという変な自民党の気質が現れ、奇跡的な再逆転が起こった。少なからぬ人々が仰天したのではなかろうか(投票した当人たちが)。これで選挙には弱くなったので、すぐに選挙はなくなった可能性が高いが、中・長期的には、さて、どうだろう。
 石破さんは自民党内の野党的な人だから、いわゆる王道ではない奇妙な支離滅裂な発言が多いわけだが、地元選挙では絶対に負けることのない超サラブレッドなので、これまでは自由なだけだったわけで、おそらく組織人としては豹変するだろう。読書家としても知られケチでも知られるが、実際は国民に本当のことを言えばウケないので、悩みながら発言していたとも考えられる。それが訳の分からないことを言っていた原因とも考えられないではないが、文章におこすと(いわゆる翻訳してまとめる人の作業が加わると)わからないではないことを言っていたことの痕跡もあるので、あんがいまともなことをするかもしれない。
 逆転の立役者と考えられる菅さんをはじめとする勢力が、どのようなかじ取りで人選に関与するかで、国政は面白くなるかもしれない。今回は9人もの候補者が出て論戦を繰り広げ、前哨戦として面白いだけでなく、様々なアジェンダで問題点が浮き彫りになっている。それらを細かく議論を深めるだけでも、日本の将来的には、いいものは結構あるようにも感じられる。もちろんこれまでうまくいかなかった理由があるわけで、簡単ではないのは明らかだけど、いわゆるそれなりに役者はいる訳で、派閥解体があるとはいえ、面白い人事になるかもしれない。
 当初は期待感の方が大きいので、特に自由がある。何をやっても、大きな批判よりもそれを見守る感情の方が勝るだろう。それだからまずはスタートダッシュ。魑魅魍魎たる誘惑と雑音が一斉に畳みかけるように覆いかぶさってくる中、どれだけ自分を保てるか。まあ、見守るより外にできない立場としては、頑張ってもらうより無いのではあるが……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最初は政治と金問題を考えたかったが……

2024-08-21 | 時事

 政治と金問題と言われるものがある。今の日本の政治のもっとも問題点とされるものなんだそうだ。僕にはその捉え方そのものがよく分からない感覚ではあるのだが、いわゆる政治不信のもっともたるものが、政治と金なのだ、と言われると、ふーんとは思う。
 それで取材がなされていたのだが、政治に金がかかるのは何か、ということで、まずは事務所経費であるということだった。地元にも事務所を置かなくてはならず、固定経費が掛かる。議員の経費だけでは賄えないということのようだ。国会議員の場合、事務所が一つとも限らない。なくせば支障が出るし、地元まわりはこまめに果たす必要がある。人と会えば経費も掛かるし、地元のものを買う必要もある(実際必要なものならできるだけ支持者から買うというのもあるようだ)。おそらくだが、そういう地道さが票につながっているという実感がありそうで、さらに陳情などの受け皿もある訳だから、事務所経費は必要だということを、この議員さんは言っているようだった。
 また当たり前だが、選挙にも金がかかるわけだ。選挙とは選挙期間だけの事ではない。政治家は選挙に負けるとただの人になるのだから、政治家である以上、選挙活動を充実して行っていることは間違いない。それが第一の仕事でもあるという本質的なことがある。やれることは、基本的にすべてやる。選挙は目に見えているだけの事では無かろう。政党の交付金のほとんども、やはり選挙に使われているというようなことも幹事長は語っていた。それがなぜ何億なのかと記者は考えているようだが、全国なのだからそれくらいはかかるのかもしれない。そういう漠然とした疑問ではなく、取材は中身だろう。
 もちろんそれではよくない、という活動をしている政治家も紹介してあった。献金は支持者から継続してもらう。一人数千円を毎月献金している人も紹介されていた。政治家を育てるためにやっているということだった。地元の報告会などは、基本はボランティアを集う。司会者も主婦とのことだった。要は、金のかからない方法はあるのだ、とこの議員さんは言いたいようだった(ちなみにこの人は野党だったようだが、ボランティアがその組織かどうかは明らかにはさせていなかった)。
 そもそも政党交付金は国民一人当たり250円支出して賄う仕組みになっている。これで特定団体や企業などの献金に頼らず、いわゆる利益誘導の無い政治が行われる、という建前ができているわけだ。もちろんこれで小さな政党がたくさんできた時期もあったのだが、小選挙区と比例という選挙制度もあって(中選挙ではなく、与野党なれ合いの55年体制が崩れたわけだ)、結局は小さい政党で選挙を戦うことも、その後連立などで政権与党に加わることも難しくなった。自民党は自ら派閥解体をした時期もあったが、結局は勉強会などで集まらざるを得なくなり、なし崩し的に派閥は再復活した経緯もある。今回もいちおう派閥解散をしているけれど、まとまりのないところに権力闘争は具体化しづらいので、さて、それで政治運動がもつものかは疑問が多い。政治と金問題というが、そういう具体的な仕組みをどうしたらいいのかが未解決なので、うまく行かない方が自然なのではなかろうか。
  自民党が金集めをやめないのは、皆が金を集めるシステムである方が、公平感が強いためであると思われる。政治家になれる椅子が限られているので、事実上誰でも政治家にはなれないが(特に国会議員には)、金集めを禁止して選挙を行うシステムなれば、そもそも金を持っている人間しか政治家にはなれなくなるということになる。ただでさえ二世議員であるとか、一定の権力構造の上に立つ人か、お金持ちが政治家に多いのは事実であって、そこに少しでも食い込もうとする野心のある政治家は、自民党では出て来なくなるだろう。もっとも大負けすると、そういう事にはならないかもしれないが……(今はその可能性が出てきたところではあるが、果たしてほんとにそうなるだろうか)。しかしながら野党であっても、基本的にはそのあたりの事情がもっと厳しい事ではあろう。本当になり手がいるわけでもない訳で(野党で政治を続けていくのはさらに厳しいのだから、一定の権力者の顔がいつまでも変わらないのもそのためである)、基本的にやりたい政策を活かせる場所さえ無いのである。一定の存在意義が無いとはいえないまでも、政治家として本当に活躍する機会は、そうそう生まれてこない現状に苦しんでいるはずである。だから一方的に批判するより仕方が無くなってしまったのである。
 そうではあるが政治家でいる事により、何らかの情報が集まることも確かなことだ。実際に予算を動かすので、そこに利権が生まれるのは間違いが無い。それが無いのであれば、すべて行政が政治家無しでやればいいのである。それはもはや民主主義では無いのだけれど。
 もっともこの国の政治家は、日本国民の平均化した姿でもある。国民とかけ離れた政治家が多いと言われるが、それはまったくの勘違いなのである。日本の国民の一人一人に最も近いシンパシーのある人物像が、そのまま政治家なのである(だから選挙で結果的に勝つのだ)。要するに機会があれば金を欲しがる政治家がいるとすると、それは間違いなくあなたの姿の写し鏡である。だから今はこうなっているだけのことで、あなたが変わらないことには新しい政治家は生まれてこない。本当に国民からかけ離れた政治が行われることは、だから今後もあり得ないことなのである。

※ 岸田首相の総裁選不出馬を受けて、この辺りの問題もだいぶ様相が変わってきた。これはひと月前くらいに書いたので、現状と違うようにみえるところはあるかもしれない。しかしながら基本的なところにおいては、そうそう変わるものではないだろう。気になるのは、そういう論点で総裁選を戦っているようには見えない候補者の姿かもしれない。形上麻生派以外の派閥がなくなったので、10人もの候補者が出る見通しになった。今回以降を見越しているなど、必ずしも今回で勝とうとしているだけの人たちばかりではないのかもしれないが、少なくとも調整だけを図るような人物じゃない可能性を含んでいる。変えるべきところを変えられる、大きなチャンスと期待したいところである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本はもう、何も学ぼうとしていない、としたら

2024-07-30 | 時事

 オリンピック自体がどうなっているのは僕には分からないのだが、これを書いているオリンピック開催前の状況で、日本の男子バレーが復活してメダルの可能性があることが報じられていた。栄光の時代から転落したまま半世紀の間、日本の男子バレーは国際的に低迷していたとされる。日本が金メダルを獲得してから、諸外国のバレーは日本の様々な技術を習得し、あっという間に追い抜き、そうして差を広げてきたのである。
 そんな日本の低迷に喘ぎながら、かつての日本のエースだった中川内は、米国にコーチの手法を学びに行く。そこでさまざまな手法を学ぶとともに、バレー先進地の彼らの言葉に耳を傾けた。そうして一番言われたことは、「かつて日本の松平をはじめとするバレーは、本当に素晴らしかった。私たちは必死になって日本に学んで追いつこうとした。だが、その後の日本は、長く低迷してしまった。日本はもう、何も学ぼうとしていない。本当に残念なことだ」と。中川内は迷いに迷い、そうして海外のコーチを招聘する道を選んだという。また日本の選手たちも、自らのレベルアップを目指して、積極的に海外のチームで活路を見出すものが現れるようになった。そうやって、日本は強くなってきたのだという。
 つまりはそういうことなのだ。これはバレーに限ったことではないのではないか。もちろん事情の異なることがたくさんあるだろうことは、承知している。しかし日本のバレー界は、明確に、謙虚に、事実を認めることから始めた。生まれ変わったのは、基本的にその気づきなのであろう。
 オリンピックの結果においては、僕はそれほど興味は無い。しかしながら、そのようにして必死になって戦っている選手やチームには、深い敬意を払いたい。そりゃあ僕も日本人には違いないので、日本を贔屓にしている気持ちはある。しかしながらだから僕らはどうするのか、そのことの方がずっと僕の関心の高い領域である。学び続ける事が今できる事になるように、その前の謙虚さこそが、誰にとっても必要なことなのだ。このような機会に気づかされるとしたら、オリンピックも意義深いものとはいえるかもしれないが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無茶なりの結果で前提をいじらない

2024-07-09 | 時事

 僕はふだん民放は観ないのだが、健康診断で缶詰になっていたので仕方なく画像を見ていたら、都知事選の話題ばかりでびっくりした。よその国の事なんでまったく興味もくそもない分野だが、この国はいったいどうしたのだろうか。出来レースという訳ではないのだろうが、小池さんが勝つだろうことは誰でも知っていたことだ。まあしかしこの民放局の興味は少し違って、二番目に入った石丸伸二という人に対してだった。僕もまあちょっと前のSNSで話題のどこかの市長さん、というぐらいは知っている。こんな人が近くに居ると、精神的につらいだろうなあ、とは思う。つれあいに聞くと「誰?」と当然知らなかったので、郷ひろみになり損ねたような感じの人、と教えておいた(それで正しいかはわからない)。数日前友人のてっち君が二番手は彼ではなかろうかと予想していたので、これは一般的にはみんな知っていることだったようだ。
 でもまあそのテレビでは、とにかく石丸氏を持ち上げるだけ持ち上げるのである。なんだかヒトラー崇拝みたいで、気持ちが悪いったらありゃしない。彼は政治の天才で、これからの政治の世界を変え得る人なんだそうだ。へえ~。まあ、最初からヒトラーはヒトラーだったわけでは無いので、当たらないとも限らないが。やっぱり政治家より怖いのは、メディアや世論という訳だ。
 で、まあ都知事選の候補者乱立の無茶苦茶なありようを振り返り、それでいいのか? と問う。答えは言わない。それでいい訳ないだろ、ということだろうから。でもまあ、日本の民主主義的なありようの排他的な有様がこれだというのは、どうもその通りのような様な気がしていて、選挙がこの方向に行くのはいいことのように僕は考えている。損をしても身銭を切って政治に混乱をもたらし、自らの主張に終始する姿は、人の言うことを聞かない個人主義的な日本人の姿を如実に表してもいる。自分だけ良ければそれでいいというのは、日本人の根本原理である。政治の世界というより、選挙のありようがそうなっていいという都知事選は、見世物としては興味が無いが、ありようとしては正直でいいのではなかろうか。
 そもそも政党政治とはあまり関係ない選挙だったのだから、自民党がどうという事ともあまり関係が無いし、すくわれて事実上の大敗北の立憲民主党がどうということも基本的にはあまり関係ないだろう。ショックは受けても、それが都民世論というものだ。世論を反映させるために投票率をあげろと散々言われていた結果がこうなので、投票率どうのこうのというのは、つまるところやはりあまり正論でないことも明らかだろう。政治的に皆が関心を持つと、ろくなことにはならない訳だ(またそういう時代こそ、人間にとっては不幸なことは明らかだ。どうでもいいほど平和なのだから)。以前から言っていることだが、最適解の政治を目指すなら、AIに任せるのが一番であろう。
 アメリカの大統領選を前に、かの国ではろくな人間を選べない不幸な国だとののしっている人を何人も見るが、その前にこの国だって同じだと思うことの方が先である。もちろんその前に、選ぶ前の選択をできるように何をやるべきかは、よく分からない。やはり選挙に出る人は自由であることの前提をいじるのは、それなりに危険なことなのでは無いだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キモカワってやつなんだろうか   マルセル 靴をはいた小さな貝

2024-06-11 | 時事

マルセル 靴をはいた小さな貝/ディーン・フライシャー・キャンプ監督

 実写とストップモーションアニメを交えての映像、という事らしい。もともとユーチューブに短編をあげていたものが話題になり、そういうものをまとめた形で長編映画化したとされる。小さな貝のマルセルは目玉があるだけでなく、靴を履いている。おしゃべりで、さまざまなことを自分語りしてくれる。それを映像作家がドキュメンタリ―としてユーチューブにあげたところ評判になるという、疑似ドキュメンタリっぽい展開である。そもそもこの家にはマルセル以外には彼の祖母がいるきりで、仲間がどこかに行ってしまったらしい。ネットに自分をあげて話題になったのはいいが、それは本来ほかの家族を探すためだった。しかしネットで話題になったところで、住んでいる家を特定されて写真を撮る人で煩わしくなっただけで、事態はむしろひどくなってしまった。しかしあるインタビューをきっかけに、過去の記憶などをたどって、家族が離れたいきさつをじっくり探っていくと……。
 そういう物語であるが、基本的にマルセルの自分語りと、この小さな貝が、小さいなりに知恵を絞ってあれこれやり遂げたりする工夫のある映像を楽しむものになっている。ストップモーションアニメなので、細かいコマ撮りをしているはずなのだが、雨の実写映像と混ざっていたりなど、なかなか工夫の跡がある。いったいどうやって撮っているのか、にわかには分かりにくいものもある。そういう神業ともいえる工夫が随所にあって、その上にマルセルが可愛らしいのである。小さいだけでもかわいいのに、ゲロを吐いてもかわいいのである。ちょっとしつこいけど……。
 確かに最後の方では、なんとなく感動もできる。なるほど、こういう事になるのか~、という感じなんである。
 しかしながらこれが名作と言えるのかと言えば、苦労は買うところだが、まあ、よく出来た小品という趣だ。非常に私的だし、そうして詩的なのである。ポエムと言ってもいいし、そういう雰囲気を、温かい視線を送りながら観るということになる。日本的なアニメとは、また一線を画したオタク的なところがあって、そういう文化比較もできるかもしれない。なんとなくだが、オタク文化も、やはりお国柄でずいぶん違うものである。可愛いのだけど、なんとなく気持ち悪いところがあって、そういう意味では人を選ぶ場合もあるのではなかろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする