子供の頃の盆の思い出というのは悪いものではない。親戚が集まるだけでも、なんだか楽しげなひと時だったような気がする。大人になってみると盆だから楽しいとは思わない訳だが(当たり前だ)、しかしそういう子供の頃の気分のようなものは仄かに残っているものと見えて、少しだけ何かを期待しているような、そんな事を思う。
長崎でも市内ではない地区に住んでいるので、比較するとたいしたことが無い程度ではあるが、やはり精霊流しというのがある。今は何かの規制があるのだろう、本当に船を海に流すことはしなくなったが、子供の時分にはちゃんと精霊舟を海に放った。当たり前だが、そうするから精霊流なんだろうし。
これが楽しかった。何故楽しいかといえば、船を追いかけて真っ暗な海に飛び込んで泳ぐのである。流した船にはいろいろとお供え物が積んであって、そうしてそのお供え物目当てに子供たちが船に群がるのである。西瓜とかミカンとか果物が多かったように思うが、時折メロンなどがある。メロンを見つけると歓声が上がってさらに子供が群がる。まるでチビの海賊集団である。岸まで持ち帰った戦利品を切ってもらってパクつく。よその家の船も襲撃したことだろうが、特に咎められることも無かった。大人の中にも一緒になって海賊ごっこをするような輩もいて、今思うとそれなりに危険な海水浴だったような気もするのだが、何故かのどかで、しかし心躍る出来事だった。
盆には人が集まるのに、地獄の釜の蓋が開くとか何とか脅されて、海水浴が許されていなかった。たぶん大人も忙しいのでろくに子供にかまえないのに、水遊びなどをされるとそれなりに危険だということもあったのかもしれない。そうであるのに危険度の高い夜の海では泳いでいいのである。そんなことも、精霊流を良い思い出にしている理由があるかもしれない。
その後変遷があって、精霊舟は一か所に集められ盛大に焼かれるということに変わった。それはそれで爆竹も一緒に焼かれてやかましくて楽しかったのだが、海賊ごっこよりははるかに劣った。さらに今度は燃やすのも駄目ということになって、ただ一か所に集められるだけのことになってしまった。これでは単に船を捨てに行くだけの行事ではないか。
少子化で悲しんでいる子供の数自体は少ないとは言えるかもしれないが、やはり何となく可哀そうな気がしないでは無いのである。その分安全だとは言えるかもしれないが、安全が楽しい思い出なんてことが、さらに悲しいのかもしれない。