刑事コロンボ・殺しの序曲/サム・ワナメイカー監督
IQが高い人が入会できるクラブというのは、実際に存在するらしい。コロンボではシグマクラブという名前だったけれど、本当のはメンサクラブというらしい。もちろん日本にもあって、活動もしているようだ。何をしているかは会員じゃないから知らんけど、まあ、集まってみようという気になるくらい、自意識としてIQが高いことに自らの関心があるだろうこともわかる。人間というのは平均があって、そのラインに一番人が多いわけだが、平均より特に低い人がそのようなクラブを作りたがるとは考えにくい。そこのあたりが人間的に面白いとも思われるわけだが、まあ、楽しければ勝手にやってくれればいいと思う。
さて、コロンボの相手がそのような頭のいい人であればどうなるか。このストーリーは、まさしくその構図の興味によって発案されたのではなかろうか。見てみるとわかるが、当然コロンボも天才と引けを取らない頭脳の持ち主であることがわかる。どうしてIQテストの上位者じゃないのか(もしくは試験を受けないのか)という問題はあるにせよ、難しい問題であっても、高い知能で解き明かすことが当然できる。まあ、天才問題の割にそれなりによく知られたパズルではあるのだが、ドラマを見ながら解くには少し余裕が無いのかもしれない。コロンボには時間があったわけで、これで天才と判断するにはちょっと難があるかもしれない。
トリックはかなり練られたものではありそうだけれど、犯人が逃げる音問題などは、割合普通に最初から多くの人がわかりそうなものである。また傘問題などのように、捜査で部屋のものが見つけられないということも考えてみると考えにくいわけで、そもそも問題としては、犯人はある程度運が良すぎたのかもしれない。さらに天才集団が集まっても、結局は皆が騙されてしまうというのがおろかそうにも見えてしまう。そのあたりのパラドクスめいた展開も愛嬌といえばそうなのかもしれない。犯人の無邪気さも含めて、妙な味わいではあるわけだが…。
結果的に思うのは、やはり天才に対しての何か批判めいた感情が、僕の中にあるということかもしれない。以前東大卒業の女性を集めてインタビューか何かする番組を見たことがあるのだが、東大卒の女性であるとわかると、特に男性は急に横柄になって難しい社会問題についてコメントなどを求められて困る、というようなことを言っていた。何か皆、そのような頭の良さに対してのコンプレックスがあるということなんだろう。たいして頭のよくない人間でも、あえて天才にそのような感情を持つとしたら、人間というのはなんとなく悲しいものだということも言える。また、犯人は自分の頭の良さをあえて隠してきた過去の話などもする。頭が良くても悪くても人間が不幸だとしたら、知能という物差しはいったい何のためにあるというのだろう。
ということで、まったくいろいろ考えさせられる変な物語なのであった。