カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ひとの哀しさは自分の哀しさ

2025-03-03 | 感涙記

 先日映画を観ていると、映画館で映画を観ていて泣いている男が気になって、隣に座って来る優しい女性と、いわゆる好きになってしまうという展開があった。泣く男が魅力的なのかどうかはともかく、見ていて感受性の強さのようなものを感じる時には、いわゆる共感や興味を引くものがあるということなのだろう。
 僕なんかもテレビなどを見ていても、ある物事に感極まって泣いている人を見るだけで、感化されて泣いてしまうことが多い。僕自身が悲しい訳ではないのだけれど、そのような感情に襲われている人を見ていると、思わず泣けてきてしまうのだ。そういう気持ちになっているだろうその人の心の内を考えると、僕の方も気持ちがいっぱい一杯になるというか。もうたまらないから泣くのをやめてくれ、と心の中で叫びたくなる。叫びはしないけれど。
 震災で被災されて、生活の困難に陥っている人もたくさん居られることだろう。そのようなことを考えると、なんとかならないものかと気をもむことになる。そうしてそういう人たちを現地で実際に支援しておられる多くの人々がいる。テレビでしか知り得ない、そういう人たちの話を聞いていると、やはりなんだかこみあげてくるものがある。一所懸命にやっているにもかかわらず、十分な支援がなしえていないというようなことを、悔しい思いを抱きながら、それでも目の前のことに取り組み続けている。その姿もさることながら、その時の言葉を聞いていて、たまらない気持ちになってしまうのだ。自分自身も何もやれていない無力感もさることながら、その前線で活動しておられる人であっても、そのような想いがある。やってない自分がそんなに共感したところで何もならないのだろうが、やっている人間の悔しさが伝播してくるような気がするのかもしれない。あんまり感情移入してしまいすぎると、そのことが頭を離れなくなって困ってしまう。そうだけれど、時間がかかっても、まだ支援が途切れてしまうことの方が恐ろしいことになるかもしれない。災害復興の息の長い支援の在り方は、本当に難しいものがあるのではないか。
 老人ホームに入りながらも、いまだに執筆をつづけているという筒井康隆が出ていた。今も話題作があるものらしい。僕も若い頃には彼の作品をいくつか読んでいた。最初は懐かしいな、というようなつもりだったのだが、筒井の一人息子が亡くなっていたことを知った。そのことについて筒井が、なんでそんなに残酷なことを自分に強いられなければならなかったのか、というようなことを言っていた。失礼ながら、筒井と言えば若いころからの流行作家で、本人の才能もあろうけれど、いわゆる作家としても、大いなる成功者ではないか。そういう大が付くような作家にあってなお、晩年には一生分の哀しさを背負わされている。確かに人生は残酷なものかもしれない。過去を振り返って悲しさのウェイトが占める部分が大きければ、それはいったいどんなものなのだろう。そういうことを、どうしても考えざるを得ないのだった。
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川の流れのように流されてしまった

2024-11-17 | 感涙記

 いまだに美空ひばりの歌に心酔している人というのは、多いらしい。確かに素晴らしい歌唱力だと思うし、時代を代表し続けた偉大なるアイドルであり、スターである。まあ、それは僕らの世代にとっては、はるかに先輩たちの話であるとは思っていたわけだが、それでも美空ひばりを崇拝することで、自分たちの株をあげようとする勢力がいることも承知していた。上の世代から、解る後輩として一目置かれたいわけだ。今のアイドルとは違って、しっかりとした実力を兼ね備えているスターが、美空ひばりである。いわば神的な偶像なのだ。
 そうではあるのだが、僕は美空ひばりの映像を見るにつけ、ひどく複雑な感慨を持つに至るのだ。今のテレビや映像で流れるもののほとんどは、どういう訳か「川の流れのように」が圧倒的に多いのだが、その時の美空ひばりの貫禄というのは、さすがとしか言いようがないのだけれど、彼女の享年は52才であり、その映像はだから、それよりも下のはずなのである。そうするとこの貫禄と存在感でありながら、僕よりははるか年下であるということなのだ。ちょっと信じがたいことに……。
 同じようなことは、石原裕次郎にも言える。僕が子供の頃にドラマでボスとして活躍していたのは、今では僕よりはるか年下の頃だった。それであの貫禄はさすがと思えばいいことなのだが、それにしてもだいぶ年下のくせしてあんな感じでふるまっているなんてことに、驚愕してしまうのである。僕ら世代はそれに比べてなんと謙虚なことなのだろうか……。まあ、時代が違うとはいえ、こんな後輩が居たら、お前もうちょっとなんとかならんものか、と僕なら説教しているはずなのである。昔の人はどうして石原を許したのだろうか?
 皆年下になってしまって驚くのは、ほかならぬ僕が年を取ってしまったからなのだが、しかしながら周りを見回すと、僕の周りにはまだ先輩がたくさんおられる。僕は業界団体では、若手と言われ続けて30年以上になるのだが、それでもまだなお、先輩の方が多いというのが現状なのである。もちろん年下の方も増えてきてはいて、それなりに若返っているようなのだが、まあ、僕ら世代は、まだもう少し現役やってもいいもんね、くらいの感じは残っていると思う。まあ、いつの間にかもう少し、というところに来てはいる訳だが。そういう一抹の哀しさがあってこそ、美空ひばりの姿は、複雑な心境の鏡なのかもしれない。
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先のことで目の前が曇る

2024-07-13 | 感涙記

 平日であれば軽く食事してから3、40分外に出て散歩する。そうして夕方家に帰る前にまた3、40分歩く。雨が降ればやめるが、小雨程度なら歩くかもしれない。夕方は用事のある時は歩けない。昼は、夏場は馬鹿らしくて諦める。以前は朝にも歩いていたが、朝歩くのは出張中くらい。朝食を食べて少し外に出る。そうすると便通によろしいような気もする。習慣ではあるが、しかしこれは少し無理して出ている感もある。面倒くさがりなので、本当は勤勉めいて歩きたくはない。カントでもないし、決められたことを几帳面にするタイプではない。だからそれなりに自分を奮い立たせて外に出る。でも不思議なもので、いったん歩き出すと、そんな気分でいた自分を忘れる。外は気持ちいい場合もあるし、いろいろと発見もある。鳥の声が心地いい時もあるし、花だって咲いている。季節の移り変わりも、実感として体感できる。日々の変化は着実にあって、同じ日なんて一日もない。
 僕のように歩いている人もたびたび見かけるが、ただ歩いている人より、圧倒的に犬の散歩をしておられる人が多い。昼はともかく、夕方はそれなりに多い。大型犬は最近はあまり見かけなくなった。以前ならレトリーバーが結構いたものだが、ここいらは南国でもあるし、世代交代したのかもしれない。そうしてちょっと前まではミニダックスだったが、これもずいぶん減った。柴犬は一定数いるが、雑種もそれなりである。というか、保護犬なんだろうか、時折家族でそのような犬を飼っている人を見かける。そうして圧倒して多いのは、トイプードルである。これも大きさはまちまちだが、ずいぶん小さいものと、中型犬くらいデカいものもいる。カットの仕方も様々で、エレガントから自然派まで一通りある。流行があるのかは知らないが、体にハートマークが入ったカットの犬もいる。茶色が特に多いが、黒もいるし白っぽいのもいる。日本の犬の半数以上が、トイプーになってしまったのではなかろうか。
 先日テレビを見ていたら、イタリア料理家のお宅での様子が流れていた。ソファーには犬のぬいぐるみがたくさんあって、最初はスヌーピーかな、と思っていたが、後になってこの家で飼っておられた犬に似たぬいぐるみだとわかった。ジャックラッセルで、目の周りだけが黒い短い毛の個体だったようだ。そのような犬は非常に珍しいようで、実物は探してもとてもいない。もう亡くなられているようで、いわゆるペットロスでもあるらしい。お話をしながら、思い出すとうっすらと涙が出てくるとのことで、実際光るものがあったようだ。まだまだ年齢的には60代といったところだろうから、また飼えないことは無いとは思うのだが、こればっかりは当事者でないと分からない感覚なのかもしれない。
 それというのも僕らだって、二年近くのペットロスの時を経て、やっと今の睦月ちゃんを飼うに至った訳であるし、僕らの今の年齢を考えると、この子がおそらく最後になるのではないかと推察される訳である。そう考えるだけで胸が締め付けられる思いがするし、実際そう考えながら車の運転をしていたら、涙があふれて困惑したこともある。まだ生きているにそう思うのだから、実際そうなってしまったら、いったい僕らはどうなってしまうのだろう。
 しかしまあ考えてみても仕方がない。絶対考えないようにするのはこれもまた困難だが、出来るだけ考えないようにすることは可能だろう。何しろ今は元気で、まだまだ先の話である。今を生きるだけでずいぶん大変なんだから、先の事なんてどうだっていいではないか。
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替え芯を買うのはたいへんだ

2024-01-15 | 感涙記

 年賀状のあて名は、主にボールペンで書いている。万年筆の質感のある文字の書ける、ちょっと高級なのも持っているのだが、これのインクが切れていた。そういえば昨年書いていてインクが切れて、そのままにしていたかもしれない。どうして替え芯を買わなかったかは失念したが、せっかくだからアマゾンでクリックした。しかしながら今あて名を書いているので、これでは間に合わない。このペンほどではないけれど、ちょっとした書き味の質感のあるものでは、ぺんてるのエナージェルというボールペンが何となく気に入っていて、これで今年はいくことにした。
 ということで調子よく書いていたのだが、なんとこれも途中でインクが切れてしまった。三色ボールペンなのだが、黒でないとあかんよな、と思って、これもアマゾンでポチる。しかしながらあて名は書き続けなければならない。ちょっとジェットストリームで書き始めたが、書き味はいいものの(だから普段使いはこれが主である)、この種類は数十本もっていて、今の気分のものは、あまりにも普段使いのものになっていて、ちょっと適当感が無い。
 途中で電話があって内容を電話のそばのメモ帳と、それに付随しているボールペンで書いていると、なんと、これも書いている文字が薄くなってきた。まもなくインク切れである。こんなに偶然のようにインク切れが続くなんて変だな、とは思ったが、なんとたくさんストックしてあった替え芯も、一本だけしか残っていなかった。赤は数本あるし、青ときたら10本くらいは替え芯がある。ではでは黒のみ替え芯のストックを増やせばいいと思って、やはりアマゾンで探してポチッた。
 顛末はそういう事だったのだが、翌日に早速替え芯が届けられた。見て、おやッと思ったが、サイズが違うのだ。エナージェルの三色でないボールペン用の替え芯だった。少しだけサイズが違って、使えない。なんだかもったいないな、と思ったら、また郵便屋が来て、今度はジェットストリームの替え芯も届いた。そうしたらなんとこれもノック式用の、ちょっとだけ型が違う替え芯だったのだ。なんという事だろう。これも使えない。
 しばし考えたが、それならこの替え芯用のボールペンを買えばいいではないか。ということで、もともとほしかった替え芯の規格を子細に見直して買い直したうえに、ノック式の単色のボールペンも二本買い足したという訳である。ちくしょうという気持ちもあったのだが、要するにそういう気分をとにかく無しにするには、買うより仕方ないではないか。
 で、まあちょっと残りのあて名書きの仕事が数枚残っていて、これはサインペンで書いた。サインペンで書いてみると、これはこれで調子がいいというのも分かって、こういう調子で以前は筆ペンよりサインペンで書いていた時代があったな、とも思った。別のメモ帳に漫画を描いてみたりして遊びながらあて名書きをして、これ一本しかサインペンが無いのが惜しいような気分になって、いちおうアマゾンで検索したが、なんとか思いとどまった。これはふつうに文房具屋に行って、書き味を試したうえで、買い足そうと思ったからである。そう考えると替え芯問題とはちょっと別のようにも思われるし、この勢いのままネットで買い物するのは危険かもしれない。それにもう、つまるところ、来年の年末にならないと、本当には役立たないことなのだろうから(※つまり今年の年末のことだけど……。これを書いたのは昨年末のことでした)。
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飛行機での共に移動は難しい

2024-01-13 | 感涙記

 羽田空港の滑走路での事故では、海上保安庁の乗組員5名もの命が失われるという大惨事となった。機体が炎上したもののJALの乗客は全員助かったというのは幸いだという事でも話題になったが、しかしながら貨物とともに運ばれていたペットの2匹も犠牲となった。(そのうち少なくとも一匹の犠牲は猫だったようだが)その犠牲を悼む声が多く寄せられ、議論にもなったという。
 この事故の場合、致し方ないという意見もある一方、ペットも機内に持ち込めるようにすべきではないか、という声も少なくなかった。ゲージに入れるなど、諸条件はあるものの、ペットも乗客と共に受け入れる航空会社は海外には存在するらしい。日本でもこれからというところはあるようで、ただし緊急時脱出の際には、ペットを連れて逃げることは、禁止であるそうだ(それなら今回に照らすと意味が無いけれど、おそらくだが、手荷物に預けるという感覚からは逃れられるサービスということだろう。さらに一緒に機内で過ごせる安心感もある)。禁止されても、置いて逃げる人がいるのかは、かなり疑問だけれど……。そんなことをしてペットを失ったとしたら、その人の心の傷は、一生癒えることは無いだろうから。
 人命第一という考え方とすると、ペットがいるために誰かが犠牲になる可能性や議論から、いったんは逃げるための論理とは考えられる。ペットが助かったために誰かが死んだという証明も難しそうだが、そのような処置を許したために、自分の家族が失われたと考えるような遺族が将来出るのかどうか、ということかもしれない。そもそも乗客の中には、ペットの持ち込み自体に不快感を抱く人もいるだろうことを考えると、ペットの命以前の問題ということの方が、前提条件としては強そうだ。ペット持ち込み可能な便と人間のみの便と区別すべき、という意見も成り立ちそうだ。しかし経済的でないので、不合理だが。
 元々ペットを飼っている人の感覚からすると、ペットを貨物として扱われることの不快感が根っこにあるのだと思う。ペットと共に旅行をするというのは、今や普通の感覚だろうと思うが、しかし泊まれるホテルの問題など、事前にいろいろと考えておくべき課題は多い。飛行機の移動になると、そのことを考えて、ペットをペット用ホテルに預けるなど(親しい友人に預けるというのもありそうだけど、今やそういうサービスがあるので、却ってそうしづらいところもある)、というのが一般的だろう。やむなき事情が無い限り、自分とともに暮らしているペットを貨物で送る感覚の方が、なにか釈然としないものがある。そこにこのような痛ましい事故が起こり、あの場合だと救助なんて不可能だとわかりながらも、貨物扱いにされた上に命を失ってしまった悲しさが、倍増したのではないだろうか。
 実を言うと以上のような経過を書く前に、ペットが助からなかったというニュースを読んで、訳の分からないまま死んでしまったペットがいたことに、本当に心が痛んだ。その後にやはり同じように感じただろう人々の経過を知ったのである。不謹慎を承知で書いてしまうと、自分の飼っているペットのこともあるせいだと思うが、人の死よりもペットの犠牲の方が、我々にとっては重たいニュースなのである。おそらくだけれど、このニュースを知った後に、やはり飛行機でペットを共に移動することを、今後は断念する人が増えるのではないだろうか。海外に移住するというのならともかく、それくらいこの事件の衝撃は、人々の考えを変えてしまったと思われるのであった。
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沖縄には覚悟の人

2023-12-01 | 感涙記

 コウケンテツの料理番組は習慣的に見ている。テレビだから彼の料理を食べることはできないのだが、手際とアイディアを含めて、料理はちゃんとじょうずそうである。もともとテニスをしていた人らしいのだが(本人談)、母親が料理研究家だったということでお手伝いを経て、自分も料理研究家になったらしい。いわゆるイケメンなのだろうと思うし、タレント性があるのだろう。調理学校を出たり、有名店に勤めた経験もない人で、しかも男性でそういう人は、考えてみると珍しいのではないか。いや、そうでもないのかな。
 ところで見ていた番組でコウさんは沖縄に行っていた。そこでいろいろ体験をしながら料理を食べて、そうして料理をして食べてもらっていた。コウさんは何を食べても、ほぼ美味しそうに食べるだけでなく、実にうまくその味を褒める。毎回そのコメントが絶妙だな、と思う。作った人が本当に嬉しくなる言葉を選んでいる。外国に行った番組でも、言葉がうまく通じないのに、相手が喜びすぎて感動するくらい褒めるのである。食事をするってことは、そういう事も大切なんだな、と改めて思う。実際あんまり口に合わないことだってあるかもしれないが、それにもまして、食いしん坊なのかもしれない。
 それで番組の終わりに沖縄の感想として言っていたのだが、沖縄って、なんだかのんびりしてて、いいところだなって事ばかり言われているけど、実際は覚悟の人が住んでいるところなんだ(大意)、というのだ。それで、この料理紀行としては、なんとなくお気楽であるような番組であるにもかかわらず、終わりになってコウさんのそういうまじめな感想を聞いて、ちょっとどっきりしてしまった訳だ。
 僕は長崎県に住んでいるので、離島にもたくさんの知り合いや友達がいる。そうして実は、僕もそんなことを常々感じていたのだ。島というのは観光にいくぶんには、なんとなくのんびりしていて、そういう感じを求めていくというのはあるのだろう。だからそれはそれでいいんじゃないか、とも感じるわけだが、実際に住んでいる人と話をしていると、なにかと厳しい現実に突き付けられたりする訳だ。しかしながら彼(彼女)らは島から逃げることをせずに、しっかりそこで住んでいこうとしている。そうであるからかどうか分からないけど、島の人たちというのは政治認識もしっかりしているし、実際そういうところは、ちょっとかなわないところがあるのである。いわゆるハングリー精神とでもいうのだろうか。そういうものの根本がまるで違うのである。しかし、子供たちは地元の学校さえ出ないで、どんどん他のまちに移り住んでいく。日本にはもう、あんまり島なんていらないんじゃないかと思えるほどに……。
 なんだかほんとに悲しい気分になってきたが、しかしながら島に限らず、過疎に苦しむ所というのは、似たような感じはあるかもしれない。特に島というのはそれが顕著に感じられるというか……。
 僕らも少なからず覚悟をもって暮らしていることに変わりはないはずなのだが、沖縄の人って、確かにそういうところが強いのかもしれない。しかしそれも島への愛なのだろう。郷土愛というのは、覚悟が無いと育たないものなのかもしれない。まあ、いつもいつも真剣になる必要なんてないけど、たまにはそんなことも思い出してみることにしよう。
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ご近所の文通事情

2023-11-04 | 感涙記

 以前は手書きで結構いろんな文章作ってたもんだとは思うものの、今となっては今昔の感がある。ほんとに遠い昔のような……。
 しかしながら手書きで書類を作っていた時代に働きだしたので、当時はほんとになんでも手書きで行っていた。仕事の企画書はもちろん手書きだったので、先輩の書いたものをほとんど盗んで書いた(今だって基本はそんなもんだろうけど)。伝票も手書きだったから、紙がどんどんかさばっていく感じだった。ほどなく、というかワープロがありはしたが、ワープロを打てるだけで、なんとなく周りの空気が「おおッ」という感じになった。打てるんだったら、ということで、これをワープロにしてくれとか頼まれたりして仕事が増えた。文書作成のような仕事は、仕事の本分ということにされておらず、一通りに仕事が済んでから打つことになる。なかには表を埋め込んだものなんかもあり、苦労して打っていると、いつの間にか夜の10時という感じになったりした。なんだか不条理感があって、イライラしたものである。そんな風に苦労して仕上げて翌日上司に見せると、「いや、もっとこうなんたらかんたら……」言われて、ほんとに気分が悪くなったものである。でもまあそのうちだれでもワープロくらいは……、という時代に変わっていき、作成した文章はフロッピーディスクに記録しておけるので便利になった。ひな形がたくさんできると、実に仕事が捗る気がして気分が良くなった。
 実は最初のころはひらがな入力というのをやっていた。その方が早いというふれこみがあって、実際日本語の文章であれば、確かに速い(ように感じた)。しかしながら数字もあるし、ブラインドタッチで入力する必要性が感じられて、段々とローマ字入力へ変更していった。最初はちょっと苦労した記憶があるが、これもブラインドタッチのかっこよさもあって、いつの間にか覚えた。まだ僕も若かったのである(たぶん)。
 ほどなくして、馬鹿デカく高価であったパソコンが主流になっていき、ウィンドウズが出ると、マックより数段値段も安くなって爆発的に売れた。一気に職場のワープロは、パソコンに取って代わった。まだ一人一台というよりも、皆で使いまわすのではあったものの、パソコンの前に座っているだけで、仕事をしている気分にはなった。まだ何でもかんでもパソコンという時代では無かったにせよ、これで将来は何でも仕事ができるという気分は味わえた。実際今になってみると、パソコンなしでは基本的な作業は何もできないことになっているが、事務仕事ばかりやっているわけでもないし、結局書類はあるものの、パソコンで何かやった結果であるという感じではある。いまだに手書きで報告書などが上がってくることがあるのだが、かなりギョッとしてしまう。いったいこれは何だろう?って感じではあるが、ある会の報告書等のやり取りは、いまだに手書き複写方式だったりする。これはある種の役場なのだが、いまだに利用している人が高齢者中心だからであるらしい。一時期パソコンでやり取りしたいと申し出て、数回メールでやり取りしたが、僕と数名だけしかやってなくてかえって面倒なので手書きでお願いします、と言われる始末である。めんどくさいので、出来ればこの会は辞めたいが、それは困るのだそうだ。困るのはこっちなんだけど……。いまだにファックスのところもあるが、これも高齢の問題のようである。別段そういう批判を言いたかったわけでは無いが、変えるものは変えて欲しい。
 僕の住んでいる町内会の班では、新しく越してきた人が、そのまま班長になった。ここではいまだに手渡しの回覧板が回って来る。20世帯弱の集団の上に町内会の班だから、皆ご近所である。そうしてこの新しい班長さんは、僕らより若い世代の人だが、なんと回覧板に手書きの文章(いわゆるメッセージ風である)が添えてあるのである。いろいろあるんだけど、ご自身の仕事のこととか近況などが書かれていて、まあ、よろしくという感じである。読んだ手前なんか書き込みたくなるのだが、僕の家は実はお隣で、最初から何か書くと、後の人にも影響があるのではないか、などと邪推して、なんとなく書けない。そうであったのだが、つれあいに聞くところによると、後でこのお手紙のようなものに返信の文章を入れる人もいるのだという。町内会文通である。実のところその内容までは知らないのだが、手書きの文章には、そんな力があるのかもしれないな、とは思うのであった。
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新入生でなくとも手に取るように(葉桜と魔笛)

2023-05-27 | 感涙記

 雑誌「UP」の四月号は、だいたい決まって東大の先生が新入生にすすめる本の特集が組まれることになっている。ただし僕が読んだのは2017年の四月号で、そこで三枝曉子という先生が、自分が見た演劇の原作に当たる太宰治の「女生徒」収録の「葉桜と魔笛」を紹介していた。三枝先生は、その演劇を見て泣いたのだという。
 僕の家では、学生のころには太宰治を読むのは禁じられていて、少し遅いのだが、20代の前半くらいでこれは読んだはずなのである。しかし自宅の本棚では見つけられず、結局また買ってきた(青空文庫でも読めはするが)。
 そうしてその「葉桜と魔笛」を読んだのである。読みだして、なるほど太宰の女性文体というのは、確かに読んだことはあるな(そんなのは日本人ならほとんど自明だが)、と思いうっかりしていた。佳境に差し掛かり、視線が曇るのが分かった。僕はそのまましくしく泣きだしてしまった。
 これは小説だが、こういうことはあるのではないか。いや、無いのかもしれない。もちろんカラクリは示唆されてはいるが、そういうことが起こるから、ひとは生きていけるのかもしれない。いや、死んでいけるのかもしれない。そう思わされる話であった。
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僕はまねをして描いていた

2023-02-23 | 感涙記

 松本零士が亡くなった。僕は小学生高学年くらいの時、なんだか必死で漫画を描いていた時期があって、実は松本零士を結構模写していたのである。最初は石森章太郎をまねていたが、よりベタの多い松本零士に鞍替えした。さらにメカの絵では、なるべく計器類をたくさん描いてそれらしくみせるのだが、それも松本零士の影響だった。しかしメーテルのような細めの美女は、描くのが難しくて断念した。美しかったり可愛かったりする女の人を描くのはあんがいむつかしい問題で、さらにあの松本零士の美女像というのは、独特のタッチとバランスによって成り立っていて、完全にまねしないとああいう風にならないのである。さらに松本零士は少年漫画にしてはそれなりにエッチっぽい裸の女性をたくさん描いていたが、しかし服を脱いでいることは確からしいが、なんとなくぼんやりして描きにくいのである。なのでともかく僕はエッチな漫画を描いていたわけでは無かったので(これは本当のことです)、そういった要素はすべてすっ飛ばして男だけの世界を描いていた。
 999は、映画も父と一緒に観たと思うのだが、観終わったら「今の子供はこういうのが面白いと思うのか」と父が言っていた。僕は何と答えたか忘れてしまった。
 当時999をスリーナインと読むのは英語的にはどうなのか? 論争があった。しかしまあ、読んでしまったものは仕方が無いのと、別段日本の漫画だし、作者が設定した読みなので問題ないと言われていた。そういうことを松本零士が語っているものか知りたかったが、よく分からなかった。
 友達のお兄さんが「男おいどん」を結構持っていて、それを遊びに行った折に盗み見して読んだ。四畳半シリーズという分野があって、とにかく男は汚く、女性は美しい妙な世界観なのであった。よく考えてみると他の松本零士作品ともほとんど共通するものではあるのだが、こういう情けなさと男らしさが一体となった怨念のようなものが、作者の中にあったのだろうか。僕は無頼派とはいえないどちらかと言えばヒッピー的な軟派な人間だが、このような松本零士の男性像には少なからず影響を受けたのではなかろうか。
 その後コミックはいくつか買った覚えがあるが、おそらく母親に当時の漫画はすべて捨てられてしまった。ちょっともったいなかったが仕方がない。今考えても正確にそれらの物語を、いわゆるスジとして覚えてはいないのだけれど、ちょっと哲学的な謎のある作風もあって、やっぱりかっこよかったのに憧れていたのだろう。ご冥福をお祈りいたします。合掌。
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こういうものが書けたら……か

2022-09-03 | 感涙記

 これは読書で語るべき話だが、なんとなくここで書いてみる。
 「みおつくし料理帖」が良かったので原作の高田郁(たかだかおる)をググってウィキペディアで調べたところ、山本周五郎が好きで、特に「なんの花か薫る」という短編を読んで、「こういうものが書けるようになったら、私は何もいらない」と思い、時代小説の執筆を決意したとあった。それですぐにアマゾンで探して、短編集を買った。そうして今読み終えたばかりである。
 もちろん時代小説で、舞台は岡場所(吉原でない遊郭)である。そこに喧嘩で人を斬ってしまった若い侍が逃げてきて、それをお新という女が匿うことから物語が始まる。そうしたことから、うぶな侍はお新に惚れたらしく、妻にしたいと言い出すのだったが……。
 ここまで書いてみて、以下は察しのいい人には分かるようにしか感想を書けないことを悟る。だからこれを読もうと思う人は以下の文は読まないでください。僕は沢木耕太郎編の山本周五郎名作館Ⅲ「寒橋」(文春文庫)で読んだが、だから別の巻でも読めるのかもしれない。なお、この本では巻末に編者の沢木が解説を兼ねて作品のことを書いているが、これもほぼネタバレなので先に読んではいけない。


 それというのも、僕はまっさらでどんな話かは見当もつけず読んだのである。さすがに時代小説だろうということくらいは分かってはいたものの、山本周五郎は他の作品もそれほど読んだことは無い。短編を二三読んだくらいだろう。それでその時は、まあ筆運びはさすがに上手いけれど、読んだのは人情噺か何かで、内容を感心したわけでは無かった。だから一冊読みとおすことはしなかったのだろうと思われる。そうしてこれを読んでみて、少なからず衝撃を受けたのである。最初は激しい怒りだったが、いつの間にか泣いていたのだ。あまりにもといえばあまりにもという残酷な話で、いくらなんでもこれは無いのではないか、と思った。僕は男だが、このような男を許すような心情にはとてもなれないし、同性であることすら汚らわしいような気分だ。女の人が男を騙すようになるのは、このようなことがあるからではないか。
 なるほどしかし、この話は時代小説ならではなのである。現代では遊郭が無いから描けないということではない。男女の話でこのような話は、実は履いて捨てるほどあるはずなのである。しかし現代で書いてしまうと、この男の許せなさにそのままで済ませてしまえるはずが無いのである。この時代の夢のような話だからこそ、その夢や奇蹟が起こる瞬間に期待するのである。
 実のところ人間の身分が違う時代のことであるから、夢のようなことが現実になった後でも、実は地獄が待っているかもしれない可能性はある。そう考えると、夢が実現しない方が、女にとって良かったかもしれないということはある。このことで女は大きく生き変わったはずなのであるが、それは、一種の達観につながるものかもしれない。そこで生きていかざるを得ない人間が、持っているべき達観である。もちろんこの話は、そういうことを言いたかったわけではないのだろうとは思うのだけれど、せめてそうなって欲しいとも思う。その方がいい場合もある。人間の情というのは、優しいだけではダメなのかもしれない。
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戻らない杏月ちゃんの日々

2022-07-28 | 感涙記

 杏月ちゃんが死んで一年以上になるのに、いわゆるペットロス状態は続いていると思う。僕は子供のころから犬を飼う家に育ったから、犬と暮らすという感覚は、いわば日常的なものだった。すでに名前を思い出せないほど(20匹以上になるだろう)の数になるが、犬が死ぬたびにひどくショックは受けていた。毎回泣いているかもしれない。しかし、これまでペットロスの経験はほぼ無かった。考えてみると、犬以外にも飼っていた動物は居たようだし(ヤギとかインコとか、ましてやほかの犬とか)、そんなに間を置かず、また犬を飼ったりもしていた。そういうこととも関係があるのかもしれない。
 しかしながら今回は、なんだか他の犬を飼う気にさえなれないのである。失ったのはあづちゃんで、その最後の苦し気な姿が、どうしても思い出されるのである。犬を飼うと、僕よりたぶん先に死んでしまうことになり、そうしてまたあの苦しそうな日々を迎えることになる。そこまで順を追って考えている訳ではないのだが、直感的にそのような思いに捉われてしまう。今の可愛い犬という姿は、必ず失われるものなのだ。
 それは人間でも同じことだし、おそらくほかの動物だってそうである。しかし犬の特殊性というものがあり、犬でなければこのような感情は生まれ得ないのではないか、とさえ思う。
 あづちゃんの母親はトイプーとシュナウザーの混血で真っ黒だった。父親はマルチーズで真っ白だ。あづちゃんは黒っぽい基調があるにせよ、なんとなく茶色くみえるところもあり、足やおなかには白い毛もあった。全体に毛は薄いのだが、特に顔周りの毛は伸びた。目に涙や目やにが溜まるようになるので、毛は定期的にカットしていた。そうしてその毛が伸びる段階で、シュナウザーっぽさが出る場合もあるし、トイプーのような感じにもなるのだった。黒っぽいせいか、マルチーズの雰囲気は、あまり感じられないのだった。
 道を歩いていると犬の散歩をされている人ともすれ違う。日本ではトイプー・ブームというのが席巻しているようで、散歩の犬の半数近くがトイプーである。そうすると、毛の色は違うものの、あづちゃんっぽい感じの毛並みのワンちゃんが居ないわけではない。犬というのはただでさえ可愛い存在だが、あづちゃんに似ている犬は、特にかわいい。思わず抱き上げたくなるような感情が湧くが、よそ様の犬をむやみにそうする訳にもいかない。ワンちゃんも、そのようなまなざしで見る後期中年男性を、良い気分で迎える準備が無い。でもなあ、とも思うのである。似ているけど、やっぱり杏月ちゃんでは絶対に違う。よく見ないまでも、その違いは歴然だ。唯一の杏月ちゃんは、やはり何物にも代えがたいのである。
 結局そんな感じでペットロスが続いている。しかし以前のように、いつの間にか泣いている、ということは少なくなってしまった。時間が悲しみを癒してくれるというのはよく分かる感覚であるが、そのようにして杏月ちゃんの思い出までも薄れていくことに、さらに深い悲しみを覚えるのだった。あづちゃんは、どうして僕より先に死んでしまったのだろうか。子供のようなまま死んでしまう犬というのは、罪深いのではないか。子が先に死ぬことが一番の親不孝だという。おそらくそういう意味は、ペットロスの本質的なことであろう。
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箱根の未来が熱くなった

2022-01-05 | 感涙記

 今年の箱根は、終わってみると青学が圧倒してしまった。もともと控えの選手でもずらりと28分台ばかりという台所事情だとは聞いていて、それはそれは強いだろうと言われていたわけで、当然と言えばそうだったのかもしれないが、当然のように力を出せるかどうかというのが一番難しいのが駅伝で、だから今年は戦国時代のように力が拮抗しているとも逆に言われ続けてもいた。駒沢はもちろんだが、東京国際も創価大も十分いけると思われていた。中央も強い(実際強かったけど)し、東洋だって当然強い。順大がここまで強かったとは驚いたけど、むしろ周りが伸びていない感じすらした。結果的に2位以下のチームと10分以上の差をつけたのだから、本当に完全圧勝である。スゴイ。
 しかしながら終わった後のそれぞれの大学の監督の話などを聞いていると、それぞれにまだ道半ばというか、100回大会へ向けて強化をしている途上のことを言う人もいた。今がピークでなく、まだいける、という手ごたえというか、先を見据えている「目」のようなものがある。今年も強くしてきたが、まだ強くできる感触をつかんでいるような雰囲気があった。
 記録を見てみると、昨年の三位だった東洋大のタイムは、11時間と56秒。今年14位だった明治大のタイムは11時間と28秒なのである。昨年優勝した駒沢のタイムでは、今年の6位にも入れないのである。2位以下の大学の思惑では、それぞれ今回うまくいかなかったところがあったようで、悔しいところはあるが、まあ、頑張ったというか、そのように語っているところが多かった。もう少し上を狙えるはずったというところが、正直な感想なのだろう。もちろんすべての力を出し切ることが、最もむつかしいところが、各人20キロも走る箱根である。ブレーキが出ると挽回は不可能、というレースになっている、そういう布陣を組めないと戦えない大会になったと言えるだろう。毎年今年の青学のような選手層を築ける学校がそんなに出るとは考えにくいが、しかし、チャレンジしてくるところは、ちゃんと明確な目標として標準を合わせていくのであろう。
 終わったばかりで気が早いようだが、またまた来年以降ががぜん楽しみになったといえるだろう。
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我が町に図書館があったんだった

2021-09-27 | 感涙記

 本は買って読む派を主張してきた身だが、転向することにした。
 それというのもミライONである。これまでも数度立ち寄り、楽しませてもらってきたが、本を手に取り少し中身を覗かせてもらって、そうして面白そうだったら、アマゾンで注文する役割として利用していた。それでもずいぶん役に立ったし、実際に本を手に取れるというだけでも、素晴らしい体験と言えた。わが町にも本屋が無い訳ではないが、その内容は驚くほど、がっかりする内容である。残念だがこれくらいの人口のまちだと仕方のないことかもしれない。現実をどうこう言ったところで始まらない。図書館があるんだから。
 でもですね、せっかくだからカードくらい作ったっていいじゃないか、とふと思った。どうせ使わないんだから作ったってしょうがない、と思ってたけど、自宅などのネットで検索後、そのまま本を予約できることを知った。確保出来たらメールで知らせてくれるんだと(これは後日誤解だと知ったが、それはまた別の話として……)。
 図書館は素晴らしいのだが、今のところコロナ禍である。定期的にアナウンスが流れて、早く帰れと言われる。無視しているけど(これは内緒にしてください)、ちょっと心苦しくもある。勉強して座っている人などは、平気で長時間座っている(何しろ僕より前に来て僕が帰るまで居るんだから間違いない)。僕も負けてはいられない(何の勝負だ?)。
 でも家で予約出来て、本を取りに行くだけなら文句は言われないのではないか。それに本を買うか買わないかの確認のために手に取るといっても、そのまま読んだところで何の問題もない。普段は本に書き込む習慣があるが(だから買って読んでいるわけだが)、ノートをとりながら読めばそれも問題ないんじゃないか。学生の頃はそんな風にして読んでいた頃がある(当時は本に書き込む勇気が無かった)。やればできるんじゃないか(たぶん)。
 でもカードは図書館に行かないと作れないということで、ネットで少し下準備して免許証見せたらすぐにカードが完成して、いろいろ口頭の説明を受けて、準備完了。すぐに50冊まで借りていいんだそうだ(太っ腹だ)。
 すぐに館内のあちこちにある検索機でどこの棚に何の本があるというのを確認してメモに取る。とりあえず10冊くらい検索してみる。無いのが1冊。貸し出して無いのが一冊。そそくさと探しに出てみると、どういう訳か無いのが3冊。でも5,6冊は手に取って中身を確認できた。なるほど、
 後で確認してみると、見つからないのは閉架の棚にあるもののようだ。係の人に言って探してもらう仕組みなんだろうと思われる。確かにちょっと頻繁に貸し出されるような本ではないのかもしれない。
 検索した本を探すだけでも楽しいが、やはり書架にある別の本の背表紙だってついでに見てしまう。おっと、こんな本もあるじゃないか。あれれ、そういえばこういうのも聞いたことがあるな。なんてことが起こる。以前はリアル本屋通いも当然していたから、なんだか懐かしい感覚だ。そういえば、こうやって以前は本と出合っていたわけだ。今は読んでいる本やネット経由でしか本とは出合わなくなってしまった。それでも毎日それなりに忙しい訳だが、こういうリアル感というのは、やっぱりいいもんだ。もうここにいつまでも居たい感じがする。しあわせだ。
 しかしながら時間には限りがある。手に取った本をもってテーブルに着いて目次や内容をパラパラ確認する。なるほどこれは歯が立たないな、買って読むよりない。というのをいくつか確認したり、またはこれは見送ってもよさそうだ、というのもだいたい分かった。そのまま名残惜しい感じのした二冊を手に取って、貸出機にかざしてカードで確認してレシートみたいなのが出てきて貸出完了。うーん、素晴らしいではないか。ちょうど目の前に係員の女性がいたので、ほんとにこのまま(借りて)帰ってもいいですか、と聞いてみて、もちろんいいですよって言われて、うれしかった。もう子供である。
 まあ、持っている本を読み進むのもあるんで、自制はしなくてはならないだろうけど(というか、もう物理的には過剰過ぎてもいるわけで)、これはこれで生活の一部になりそうだ。もっともコロナ禍なんでできることかもしれないし、行けるところまで行ってみよう。
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同じようなことが、決定的に同じでなくなってしまうこと

2021-06-16 | 感涙記

 失ったものが大きいほど、その喪失感も大きい。それを埋める手立ては、そう簡単に見つかるものではない。たとえ何らかの方法が見つかったとしても、そのまま穴埋めなんてとてもできない。できそうにない。少なくとも、僕にはできない。
 歩いていて、息が詰まる思いがする。何か動揺してしまって、足が上手く前に出せないような気もする。それでも歩くことができる以上、前に進まなければならないような気が、漠然としている。立ち止まってはならない。立ち止まると、本当に歩けなくなってしまうのではないか。あまりにもいつもの道を歩いているのだから、薄目を開けていても、前には進めるはずだ。見えている世界が、ぐらついている。以前と同じであるだけで、それだけでつらいことなのだ。
 考えないようにするには、何かに集中した方がいい。特別な何かである必要は無い。今やっていることに集中したらいい。目の前にある何か、今やっていること。全神経をもって気合を入れすぎる必要もない。それだけのことをそれだけのままにやればいいだけだ。それでいいはずなのだ。
 そうして集中している状態でありながら、フラッシュバックのような映像が浮かぶ。こういうことをしているときにも、面影があるからだ。新聞を読んでいるが、読んでいるときに限って紙面に乗ってきたりしていた。パソコンをいじっていても、膝に乗ってきていた。家の中では、とても無理だ。目の前に集中しようがしまいが、そのすべてに面影が残っている。そのすべてのフレームに、杏月ちゃんは存在していたからだ。
 職場は比較的楽だと気付いた。それも仕事を終えて車に乗ってから。職場には、つれて通勤した覚えはない。もちろん仕事中一緒にいたこともない。意識の断片は、自分のコントロール下に収められていない。人がやってくるし、そうして話をする。電話もかかってくる。できればこれは午前中に済ませたいな、とか、これはとりあえず後でやっても構わないとか、選別するだけも時間は流れる。一人の時間でも、そういう作業はついて回る。
 そうして、さて帰るか、と思う。そこで思い出す余地が出てくる。我が家に帰る。そう思うだけで、考えの断片に過去の映像が入り込む余地を生んでしまう。運転する車の中で、気持ちを整えようとする。何かぼーっとして、道を間違えてしまう気がする。もちろん同じ道を同じように運転しているから、そう簡単に間違うはずがない。ウインカーを上げて交差点を曲がる。対向車に犬が乗っていなかったか。いや、そんなことが、いったい何の関係があるというのだ。ちょっと、自分にも腹立たしいような気分にもなる。
 家に着くとホッとする。ちゃんとたどり着けた。同時にやはり寂しい。いつもと同じでない空間が、僕を待ち受けている。しかしかすかには分かっている。これにもいつかは慣れるはずだ。なぜならもう元のように、迎えてくれる存在はいなくなってしまったのだから。そうしてしかも、つれあいも母もいる。欠けているのではなく、新しい日常が始まっている。今は、その序章に過ぎないのではあるまいか。
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漢字だけの人でない人 追悼:高島俊男

2021-04-07 | 感涙記

 高島俊男が亡くなった。84歳と高齢なので亡くなったこと自体は不思議ではない。晩年は目を患って口述筆記をしていらしたとは聞いている。以前ほどは本が売れなくなったというか読まれなくなってしまったようで、大手の雑誌などの連載はなくなってしまった。ネットで少し書かれていた時期もあったが、不定期でいつのまにか終わってしまったような感じだった。 
 僕は高島俊男が登場したのちの比較的早くからの読者だと思う。何らかの形で30年近く読んでいるのではないか。東大卒でもあるし博識で、当然大学の先生もしていたようだが、やめて文筆業一本になった。それは食えるからなったというよりも、何か他に事情があるのかもしれないと疑っている。ただその後はちゃんと売れたので、さすがと言えばさすがである。 
 そもそも高島俊男を知ったのは、新聞での書評だったと思う。記憶違いでなければ丸谷才一の代わりに書評を書くようになったのではなかったか。当時僕は、丸谷才一、大野晋、井上ひさし、の日本語の先生で人気を博したお三方のものをよく読んでいた。確か彼らは交代で週刊誌にも連載していた。 だいぶ勉強させてもらったな、という感じだったのだが、そこにまた高島俊男というスターが現れたのだ。さらに高島は、漢文はもちろん、中国語もできるらしく、日本語のみならず、漢字を含めた日本語のルーツや考え方についても、非常に詳しいのだった。さらに口(文章だが)も悪く、間違いを見つけると容赦なく人を斬りつける。若くてのぼせ上ったような人間には、そのような物書きというのは多いものだが、失礼ながら高島先生は、もうすでにそんなに若い様子ではない。ある程度落ち着いた文化人であっても、若いというかイキガッテいるというか、まあ、元気なのである。当然これが面白くないわけがない。僕はいつの間にか夢中で読むようになってしまった。
 そうしていろいろ勉強させてもらったり、笑わさせてもらったりしたのだが、僕が何より高島先生に感謝していることがある。それというのも本の読み方、という基本的なことである。高島先生はとにかく大量の本を読む方らしく、少なくとも午前中はずっと本を読んでおられる様子である。そんな人なのだが、面白くなかったり、間違ったことを書いてある本に当たってしまうと、背表紙に✖を書いて放り出してしまうというのだ。たくさんの本に埋もれて暮らしておられるので、そうしないとまた手に取ってしまうかもしれないからだろう(エッセイで読んだが、たぶんそういう意味もあるが、基本的には愉快だからだろう)。そうしてほかに書いておられるが、基本的に本というのは(自分が)面白く感じられるから読んでいるわけで、面白くなかったら無理に読むことはない、とバッサリおっしゃるのである。本人はずいぶんむつかしい本もすらすら読破するような人みたいだけど、要するにそういうさばさばしたところが基本にあるらしい。僕はまだ若いということもあって、背伸びして難しくて歯が立たない本も、我慢して何日も何日も苦行のように読んだりしていたわけだが、なんだか目の前がパッと明るく感じられるような気分になって、なんというか、解放されたような感じになった。もちろん、多少はチャレンジして難しい本を読むという意義も読書にはあると思うが、しかしそれだけに囚われすぎることなんかないのだ。僕らは自由な読書人なのだ。
 という基本姿勢が若いころにできたことは、本当に恵まれたことだった。自由に読むことというのは、案外気づきにくいことであって、読書人はこれに苦労している人が多いのではないかと推察する。最初から最後まで、丁寧に意味をちゃんと理解して読むことにとらわれすぎて、読書の面白さを見失ってしまうことも多いのではないか。もちろん、そういうモノを紐解くように、丹念に読むような読書というのは最大の楽しみである。そういう基本は持ちながら、それでもやっぱり自由に読んだって何の問題はないのだ。
 もう新しい高島俊男の描いた文章を読むことはかなわなくなった。本当に寂しいことである。また読み返して、腹を抱えて笑わせてもらうことにしよう。合掌。
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