平日であれば軽く食事してから3、40分外に出て散歩する。そうして夕方家に帰る前にまた3、40分歩く。雨が降ればやめるが、小雨程度なら歩くかもしれない。夕方は用事のある時は歩けない。昼は、夏場は馬鹿らしくて諦める。以前は朝にも歩いていたが、朝歩くのは出張中くらい。朝食を食べて少し外に出る。そうすると便通によろしいような気もする。習慣ではあるが、しかしこれは少し無理して出ている感もある。面倒くさがりなので、本当は勤勉めいて歩きたくはない。カントでもないし、決められたことを几帳面にするタイプではない。だからそれなりに自分を奮い立たせて外に出る。でも不思議なもので、いったん歩き出すと、そんな気分でいた自分を忘れる。外は気持ちいい場合もあるし、いろいろと発見もある。鳥の声が心地いい時もあるし、花だって咲いている。季節の移り変わりも、実感として体感できる。日々の変化は着実にあって、同じ日なんて一日もない。
僕のように歩いている人もたびたび見かけるが、ただ歩いている人より、圧倒的に犬の散歩をしておられる人が多い。昼はともかく、夕方はそれなりに多い。大型犬は最近はあまり見かけなくなった。以前ならレトリーバーが結構いたものだが、ここいらは南国でもあるし、世代交代したのかもしれない。そうしてちょっと前まではミニダックスだったが、これもずいぶん減った。柴犬は一定数いるが、雑種もそれなりである。というか、保護犬なんだろうか、時折家族でそのような犬を飼っている人を見かける。そうして圧倒して多いのは、トイプードルである。これも大きさはまちまちだが、ずいぶん小さいものと、中型犬くらいデカいものもいる。カットの仕方も様々で、エレガントから自然派まで一通りある。流行があるのかは知らないが、体にハートマークが入ったカットの犬もいる。茶色が特に多いが、黒もいるし白っぽいのもいる。日本の犬の半数以上が、トイプーになってしまったのではなかろうか。
先日テレビを見ていたら、イタリア料理家のお宅での様子が流れていた。ソファーには犬のぬいぐるみがたくさんあって、最初はスヌーピーかな、と思っていたが、後になってこの家で飼っておられた犬に似たぬいぐるみだとわかった。ジャックラッセルで、目の周りだけが黒い短い毛の個体だったようだ。そのような犬は非常に珍しいようで、実物は探してもとてもいない。もう亡くなられているようで、いわゆるペットロスでもあるらしい。お話をしながら、思い出すとうっすらと涙が出てくるとのことで、実際光るものがあったようだ。まだまだ年齢的には60代といったところだろうから、また飼えないことは無いとは思うのだが、こればっかりは当事者でないと分からない感覚なのかもしれない。
それというのも僕らだって、二年近くのペットロスの時を経て、やっと今の睦月ちゃんを飼うに至った訳であるし、僕らの今の年齢を考えると、この子がおそらく最後になるのではないかと推察される訳である。そう考えるだけで胸が締め付けられる思いがするし、実際そう考えながら車の運転をしていたら、涙があふれて困惑したこともある。まだ生きているにそう思うのだから、実際そうなってしまったら、いったい僕らはどうなってしまうのだろう。
しかしまあ考えてみても仕方がない。絶対考えないようにするのはこれもまた困難だが、出来るだけ考えないようにすることは可能だろう。何しろ今は元気で、まだまだ先の話である。今を生きるだけでずいぶん大変なんだから、先の事なんてどうだっていいではないか。