カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

まあ、勝手にやってくれだけど…

2010-11-30 | 時事
29年ぶり常用漢字見直し

 漢字のことで日常的に頭にくることが多いのも、その原因は政府の所為である。まったく馬鹿げていることに、なんでお国が漢字の制限なんてものをしたがるんだろう。馬鹿の上にアホを乗っけても足りない気さえする。岡とか奈とか「使ってよろしい」とか本気で思っているらしいところがさらに哀れだ。
 ニュース的には憂鬱の鬱を書けますか、ということらしいのだが、許可されたものを知らなければならないという感覚もさらに悲しい。書けても書けなくても憂鬱な気分は存在するだけだ。
 このようなことに従うような馬鹿な人のために、日常の漢字は大いに破壊され元に戻らなくなってしまった。言葉は生き物だから変化するものだとしても、悪意をもって壊していいものかは疑問だ。左翼的権威主義が文化を壊すことは今に始まったことではなかろうが、やっていることはタリバンのテロに等しい。むしろ爆弾よりタチが悪いかもしれない。文部科学省は事業仕分けの対象にすべきであろう。
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おばあちゃんの受難

2010-11-29 | 時事
おばあちゃん、呼んだ救急車に轢かれ重傷

 ちと古いがおもしろかったので。

 僕の職場の周りでは、よく道端で寝ている人がいる。電線工事のおじさんとか、路肩を工事している人だとか、車がめったに通らないのでそのまま休憩時間に道路で寝てしまうのだろう。あんまり広い道ではないので、時々ギョっとしてしまったりする。轢かれたという話は不思議と聞かないので、ポジションはそれなりに考えて寝ているのだろうけどね。
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育児支援の考え方の誤謬

2010-11-29 | 雑記
 しばらく留守にしてて、もう大変。ちょっと息抜きというところ。

 さて、昨日の講演を聞いていて、妻に「洗濯物干しといたよ」と言って却って怒られるというエピソードがあって(当たり前のことをしておきながら、恩着せがましく言うことが腹立たしいということなのだ)、まあ、なるほど、とは思ったわけだが、確かに子育て「支援」などと言って男が支援するような心持でいるのはけしからんのだな、と心情的には理解できるにせよ、現実に何もできない男のことを思うと、そう簡単にこの溝は埋まりそうにないとは予想できる。さらにこれから日本では結婚という価値観は希薄になるだろうし、たとえ結婚できたとしても、子供まで育てる必要のない夫婦が増えるだけであろうことは容易に想像できて、なおかつ道が険しいものだと思うのだった。ま、別にそれでいいのだが…。
 その後食事をしていてその話題になって、一人のお母さんが「私もまったく一緒だ」とおっしゃっていた。しかし旦那さんはいい人らしく、その考え通り教育が行き届き、ほぼ皿洗いなど家事の分担は上手く行っておられるらしい。そしておそらく息子さんも、結婚後しっかり家事をこなせる男となるだろうことを預言された。さらにはそれがこれから男として生きていく必須である教育の姿であるらしかった。
 いや、僕は、日本男児たる者どうだとか、これからの男性像がどうだのというのは言うつもりがないし、現実的にそのような姿が(多くの日本女性が当然のこととして望む)あるべき男性像だというのは、むしろ当然だと思う。単に言われるまで気づかなかったというのは正直なところだが、家事は女の仕事だとか、家庭は任せるべきだというような保守的な価値観が大切なものだとは到底思えない。
 ところがやっぱり「しかし」は頭にもたげる問題であることには認めざるを得ない。現実的な自分の姿が伴っていないからである。僕は家庭では一切何にもしないし、したことがないから何もできない。
 「料理くらいできるさ」とうそぶいたところで、一人暮らしの時は外食の合間にラーメンを作るくらいしかできなかった。洗濯でさえ異常にたまってからしか手をつけなかったし、部屋に干したままたたむことはせずに、乾いたらぶら下がった中から選んで着るということをしていた。当然部屋の中は縦横にロープが張り巡らされ、身動きがとりづらかった。
 そうではあるのだけど、たとえそうであっても別にいいんじゃないか、というのはいまだに思うくらいズボラである。たとえ栄養失調になったとしても、具合が悪くなればいいのだし(本当に悪くなれば入院すればいい)、部屋が汚くても雨風がしのげるのだからそれでいい。子供はまともに育たないだろうというけれど、早くから自覚しないとも限らないではないか。親が反面教師なら、むしろ几帳面になるかもしれない。
 まあしかし、快適な生活ができるのはつれあいのおかげだし、これはこれで得難い幸運を享受している立場があってのことには過ぎない。僕は益々ひとりでは生きていけないだけのことで、生きる化石としてひっそりしているよりないのだろう。
 妻に先立たれるか捨てられるかしたとしても、たぶん今更自立なんてしないだろうと思う。すべては過ぎ去ったことで、もうすでに関心が無い。ときどきゴミ屋敷のような家のことが話題になるけど、たぶん僕の仲間なんだろうな、と思うのであった。
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詐欺やったもん勝ち

2010-11-22 | 時事
孫に有罪判決、遺族年金詐欺

 このニュースでいくつかわかることがある。それと同時に疑問が。
 まず915万円をすでに返せるだけの財力があったということ。つまり返せないくらいの貧困であったら実刑をくらっている可能性があるのではないか。
 それと915万円というのはおそらく過去にさかのぼって6年だろうということ。実際に亡くなったとみられるのは1978年なのだから26年分の年金は貰い得ということになるのではないか。単純計算すると4000万近いとみられる。その分免除になるくらいなら900万返すことくらいできるのではないか。
 行政のルールに従うと、どうも詐欺を奨励しているようにしか読み取れないのである。
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汚名返上というべきか…

2010-11-22 | 時事
ドジの「きな子」トップの成績

 映画化されるほど話題のドジっぶりだったそうだけど、その6年間つれそった女性訓練士から替わったらトップになったというお話らしい。それって単に…。
 本人に素質があっても教育が悪いと花開かないということなんでしょうかね。個人の言い訳になっては困りますけどね。
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捨てるのはいかにももったいないしね

2010-11-21 | 
猪鹿鳥カレー

 ギャンブル性のあるダークなカレーなのではないらしい。

 知り合いの人が猪の肉か何かに感染して脳炎になったという話を聞いてから食べなくなったが、猪鍋は大好きであった。随分前だけど、やはり知り合いの知り合いにハンターがいて、一緒に猪鍋をつつく機会があった。そのシンプルな旨さに感動してすっかり虜になってしまった。最初に茹でたお湯を全部捨てるのだそうで、それでアクを取ってしまうのだろう。豚と違ってある程度茹でてても肉が硬くならない。
 時々肉がとれたと言っていただくことがあるんだけど、つれあいが気持ち悪がるのでそのまま誰かにやることにしている。なんとなく残念だけど、家で食うのは無理そうである。道の駅でも簡単に手に入るので、猛者が集まるようならやってもいいんだけどな。
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力士は運転してはならないらしい

2010-11-20 | 時事
力士が車運転、投稿でバレる
 
 組織内のルール違反ということですね。全然重要でもないし、むしろこのような報道はいじめです。だいたい免許持っている人の運転を禁じてるということのほうが驚きだ。

 事故を防止するとか問題を解決するに当たり、どのような処置を取るかというのは大変にむつかしい問題ではある。しかしその対策において最もまずい、もっとも愚かな方法は、その行為を禁止することである。禁止することでその問題の根本的な欠点が、全て見えなくなってしまうからだ。実際には何の解決ににもなっていないにもかかわらず、なかったことになってしまう。特に仕事において話し合いでそのような流れになったり、そのような決定を選択したがる経営者などがいると、その組織はかなり状態が良くない証拠でもあるといわれている。1985年にそのような判断をしたという事実からも、相撲協会の凋落は始まっていたという可能性が高いと思われる。
 ついでに言うと、このような判断をした事実をあげつらって喜んで報道している機関についても、本当に将来が明るいかということには疑問がある。ひょっとすると日本の社会的な病理なのかもしれない。
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そういう人が混在した方がよさそうなんだけど

2010-11-19 | 時事
小学教諭、無免許で授業…4年間気づかず

 文章が分かりにくいが、この女教師自ら問い合わせた所為で無免許が発覚したということなのだろう。レアケースであるにせよ、他にもいる可能性はあるだろうな。

 しかしながら僕は全然非難する気持ちになれない。決まり事だから仕方ないとしか現在は言いようがないと思う。先生の資質なんてものは、試験に受かったからということを根拠にするほど単純なものではそもそも違うだろう。資格というのは考えようによっては既得を守るだけのものであって、実は安全保障としてはあんまり関係が無い。まあ、無分別にするとキリがないから最低限の制限があればいいだけの話で、たとえ医師免許のようなものであっても、運転免許程度に簡単にしたところで、おそらく安全度がそんなに下がるわけでもないだろう。むしろ技術は上がり医療費は安くなるに違いない(まあ、制度上構造上どうにもならないけど)。ましてや教師なんだから、現場で担任を任せられるだろうというような判断を受けるような人だったことを考えると、免許の有無にかかわらず能力が無かったとはむしろ考えにくいだろう。もちろん資格無しを隠し通して(詐欺的に)故意に教育委員会を欺いていたのなら、その点において処分すべきであるということにはなるだろうけれど…。
 どのみち本人の首を切っただけで、教育委員会がどのような責任をとったのかはうやむやというべきだろう。本当に問題を追及するつもりなら、採用するときの担当者を割り出して処分すべきだろう。まあそれも一種の首切りにすぎないわけだが…。
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日本が一番なんだそう…

2010-11-18 | 時事
日本がスパコン世界一、気象分野で奪回

 何かとやり玉にあげられる世界一の分野の象徴になってしまった。早弁世界一というのと何が違うのか、ということを考えるべきでしょうね。考えてないから一番というような順位が気になって、それにこだわってしまう気がしないではない。蓮舫さんじゃないけど、そういうことを考えた上で一番でなきゃならないのかを考えた方がいいと思います。順位というのはあくまで結果にすぎないわけなんだから、それを目指すという目標の立て方にそもそもの問題があるのです。言っちゃ悪いが、スポーツなんかの勝敗とは意味が違うわけです。
 結局使い方や使う人次第という気はしますね。
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教育の勝利とは

2010-11-17 | 映画
An Education - Carey Mulligan - International Movie Trailer


17歳の肖像/ロネ・シェルフィグ監督

 出会いから見事である。雨にぬれる女高生を気遣い彼女の持っているチェロが濡れてはいけないと声を掛け車に積み込む。彼女もすくには車に乗らず並走して歩きながら会話を交わす。純潔な女高生であることが見事に描かれているわけだ。そのことをきっかけに彼女の演奏会の折に花を贈り、後にプロのコンサートに誘い出す。しかしながら彼女の家庭も年頃の娘をそう易々と外出させるわけにはいかない。そうではあるが一歩もひるまず、魔法のように家族ともども口説き落としていくのである。この謎のリッチな青年とのめくるめくひとときが楽しくない訳がない。観ている方は危うく危険な匂いを嗅いでいるが、彼女にその嗅覚が無くて咎められるものではなかろう。事実彼女は人生の幸せの絶頂なのだから。
 元題はan educationである。教育というとかえって謎めいているようだが、実は確かにそれは教育の姿を描いた映画であることが良く分かる。物語は実は教育の勝利を描いている訳だが、それは観てのお楽しみである。すべてを失った若い女性が、未来のすべてを教育によって勝ち取るのである。それはもう一つの教師の敗北と復活の物語でもある。強烈に苦い恋愛の経験が、教育によって再生されるというのは、まさに教師にとって必見の映画なのではなかろうか。もちろん子を持つ親にとっても。
 観終わるまで楽しい、そして洗練された恋愛映画のような流れに翻弄されてしまう訳だが(実際そういう映画だし)、最後にはいつの間にか爆発的に啓蒙されてしまうのである。まったく実に見事だ。そして、ああ、僕らは若い時に勉強しなければならなかったのだと気付く。これは子供の教育のために見せておくことも必要なのかもしれない。
 若くてリッチなことは世界を征服する上で実にその通りなのかもしれないとは思う。そして、その経験ほど楽しく素晴らしいものはないだろう。しかし、本当に自分自身で世界を手に入れる方法は、教育によってしかありえないのだ。教師はその為に子供に教育を施している。親もその為に子供が勉強をすることを強要する。しかし当の本人に勉強の将来的な意義などということは理解できようはずもない。大人も明確に説明する言葉を持たない。彼女は幸福にも(しかしそれは実際には地獄だろうが)目覚める機会を与えられたのだ。
 この映画を観て、そのようなメッセージを受ける人はあんがい少ないのかもしれないが(だから邦題がこうなってしまったのだろう)、この映画の原題の意味は、つまりそういうことだと僕は思う。図らずも悪い男(しかし彼も素直に恋に落ちたのだろうが)からその真髄を悟らされてしまう。人生でこのような体験を誰もがするわけにはいかないのだが、誰もがうまく説明できなかったつらい勉強の意味が、これほど見事に描かれている映画というものを僕はこれまで知らなかった。いまさら大学に行きなおそうとは思わないまでも、自分の自由のために勉学に励むのは、今からでも遅くはないのかもしれない。
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さようなら、たこフェリー

2010-11-17 | 雑記
たこフェリー休止

 名前が可愛かったので。

 個人的にフェリーに乗るというイベント感が好きです。島原から三角にわたるのが初体験だったかも。用がなければ乗らない(当たり前だ)のが、なんだか残念です。
 長距離だったら阪急フェリーも楽しい。船のお風呂も妙に気持ちいいんですよね。もちろんその後のビールも。乗客がトラックの運ちゃんとかワイルド感があって、それもまた楽しいのです。サンフラワーにも乗ってみたいけど、目的地が合わなくて未だ果たせぬ夢のままであります。
 以前は長崎から上海までの便があったような気がする(って乗ったことがある)けど、今はどうなってるんでしょうね。
 思い出深いのはフェリーで香港に入ったときの風景です。夜明けとともに香港のビルが見えてきて、なんだか気持が高ぶって感動したものであります。たぶん広州から乗ったんだろうけど、そういう部分は忘れてしまった。オイラも年をとったもんだぜ。

 そういえば今度の五島はフェリーでしたね。朝早いので遅れないように気をつけなきゃです。
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仲直りしよ

2010-11-16 | 時事
録音告げると刑事一変「仲直りしよ」

 可視化の前に防御策として録音は定着するかもしれない。今のところ分からないように録音するという方法しかないようだが、近い将来は録音してから捜査に入ってくれ、というようなことになるんだろうか。
 こうなってくると、物証とか他の証言などによるものを重視する方向に変わらざるを得なくなるということにもつながっていくだろうとも考えられる。本人は無実を主張したまま刑が確定していくケースが増えていくのではなかろうか。それで良いとも言えるし、更なる冤罪の危険も出てくるのかもしれないとも危惧される。
 ただしかし、今の流れでこのままの捜取り調べでいいとはいえない。警察の方で可視化の取り調べ技術をあげていくしかないのではないだろうか。
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かみつきザル効果

2010-11-15 | 時事
かみつきザル効果

 被害者を気遣うなら、儲かった分で見舞金を支払えばいいのではないか。
 しかしながら話題になるって商売の基本みたいですね。
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信心深い人と会った

2010-11-14 | 雑記
 誰だったか最近凝っているのは歯磨きだと言っていた。それ自体は悪いことではないだろうにせよなんとなく違和感を持つのは確かだ。そういえばそういうことは以前聞いたことがあるようだと思ったが、PL学園の桑田が趣味は歯磨きと言っていたような気がする。アイドルの伊藤つかさも歯磨きが趣味だと言っていたと記憶する。昔のことだから間違っているかもしれないが、とにかく趣味を歯磨きというのはその当時はやっていたのだろうか。
 もちろん歯磨きは趣味とするにはちょっと変である。その、ちょっと変なことを言うということで、自分の個性を主張するとする戦法なのだろうと思う。小さいこともおろそかにしないと言う意味合いで、自分の性格を人に説明したいということもあるのかもしれない。
 僕は以前から主張しているが、歯磨きは宗教である。ひょっとすると宗教の最も本質的な所かもしれない。ということで彼らは強烈な信者ということになるわけで、そういう意味では歯磨きを大切にする行為は何ら問題がないのかもしれない。現代人の特に日本人の信心深さはこのようなところに現れているような気がする。だからこそキリスト教などの宗教がなかなか広く根付か無いということなのではなかろうか。
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所持金50円で強盗を決意することに共感が持てるか

2010-11-13 | 時事
所持金50円、70歳女性コンビニ強盗を決意

 このオバサンは以前にも取り上げた人だと思うが、率直に言って情状酌量の余地は無いと思う。むしろ単に身勝手なだけで、さらに危険だ。月9万円を考えて使えいない上に、強盗まで飛躍してしまう考え方は救われない方がいいと思う。所持金50円という結果で同情することは罪深いとさえ思う。
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