カワセミ側溝から (旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

会議は続くよ、具合悪いけど

2006-08-31 | 雑記
 朝少しだけいて、長崎で会議。小グループに分かれて打ち合わせ。現段階でいろいろと決めにくいことも多いので雑談調。隣の席で、ここは作業ごとに責任者を決めるなどしてはどうかなどとアドバイスを受ける。そういう方法が主流なんだろうな、と思う。僕はその場で現場あわせがいいと思う。どうせ当日は一緒に作業するんだから、いるものでやれるべきことをやればいいのだ。
 昼は平和楼の坦々麺と餃子。汗びっしょりで最後まで汁を啜る。餃子はでかくて変わっている。もともと中国には焼き餃子はない。餃子は中のスープを飲むものだと聞いたことがある。しかしながらここの餃子は、そういうものをあえて焼いたという感じ。
 午後も会議。先日行政の会議があったそうで、その席でのお話と、中央情勢の見方を解説してもらう。ほんの少し財政的に得な話もあるけれど、よく考えると一ヶ月で五千円から一万円程度バックがあるかもという程度。人件費を考えるとバカにしているのかもしれない。しかし、今はこんなことでも「おお」っと身を乗り出してしまう自分がいる。何度も言うが、日本は倒産したのだった。
 夜からは子供提灯の撤去。少し遅刻して現地へ。S田ッチとTもッピーと作業する。
 K村君の言うように、フムフム確かに心の痛みがあるほうが正常ではあるな。結局方法なんだろう。しかし僕は心は痛まない。そういうことなら方法を考えてからだと思うからだ。僕らの作業の方にむしろ心が痛むわけで、子供だからはどうでもいいのだ。
 塩ホルモンとセセリと下がりをたらふく食って酔っ払う。そういえば二次会に行って、事務局に行って、Mもっちは短気だと又言ったようで、少しとがめられる。意外に短気なんだという印象が僕の中の全印象なんだろう。
 そんでもって、呼び出されて三次会。よくわかんないんだけど、時期が来たなら結婚していいんじゃないの。自分が乗り気じゃなくても一生のことは自分の意思じゃないほうがいいような気もする。ま、よくわかんないんだけどね。
 ものすごい二日酔なんですけど、今から会議だ。意識を保てるだろうか。それより運転だいじょうぶかな。
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アメリカ的小規模楽観主義 スポンジ・ボブ・スクエアパンツ

2006-08-30 | 映画
スポンジ・ボブ・スクエアパンツ/スティファン・ヒーレンバーグ監督

 スポンジ・ボブは海綿なんだそうだ。説明を聞くまで、なんなのかよくわからなかった。市場には天然海綿スポンジというものが売られていて、僕は初めてスポンジに天然があるということを知った。ヘチマがたわしになるのは知っていたが、ヘチマで体を洗うと痛いと思う。
 こういう漫画を見ていると、それなりにおかしいので、ギャグとして国境を越えた普遍性があることがわかる。わかるのだが、ずいぶん違うもんだなあ、という気もする。日本人の普通の会話ではないからだと思うが、日本の漫画の会話が普通の会話ではないから、お互い様である。
 いや、今はそんなことを言いたいわけではなかった。平たく言ってしまうと、ギャグのセンスというものがまるで違う気がする。自虐的なものとバカにしかたとに展開の意外さがある。これがまず面白い。まあ、似たようなことは言うのだろうけれど、似ているようで、ちょっと違う。だから理解できて面白いのであろう。
 スポンジ・ボブは新しくできたハンバーガー店の店長になりたいらしい。これがなんとなく理解できない。ちっとも魅力的に思えないのだが、そういう世界なのだろう。たぶん、これは米国であっても同じなのではないかと思う。大人にはなんとなく理解しがたい。そこのあたりの微妙な設定が、絶妙なのではないか。と後になって思う。けっこう計算されているわけである。しかしながら解決のされ方はちゃんと人を食っている。まじめになると、まじめになっただけ、ひどくバカにされているような気がしてくる。こんなものが面白いお前らはバカではないか。
 そうなんだよな。面白いバカを増やしてハッピーにしたいんじゃないか。
 エンドロールに延々と波の実写映像が流れている。監督はサーファーなのだろうか。少なくとも波に対して愛情が感じられる。僕はサーフィンをやったことがないけれど、そういう快楽と、このアニメの楽天加減に共通性があるのかもしれない。
 目の前の面白さに身を任せる快楽。バカらしいんだが、妙に教訓的に身についた気がする。スポンジ・ボブ、恐るべしである。
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髭剃りの人

2006-08-29 | 雑記
 M尾君が久しぶりにヒゲを剃ってくれとやってくる。ずいぶん立派に伸びていて、電気剃刀が難航する。剃刀の小さな穴に伸びすぎたヒゲが入りにくい。さらに、先のほうが適当に入ると、長くなったヒゲを巻き込んで根元から引っこ抜いてしまうのだろう、あちこちぶつぶつと出血がある。格闘という感じの髭剃りである。
 しかし、彼はT字かみそりは苦手らしい。何か過去に嫌なことでもあったのだろうか。電気かみそりで自分で剃ろうともするが、必ず剃り残す。髭剃りの時間はあって、苦手な人はそこで剃ることができるのだが、女性(男の職員もいるのだが)が苦手らしく、僕のところにやってくるわけだ。しかしながら、必ずしも僕でなければならないということでもないのが不思議で、こうやって時々しかやってこない。あんがい何かの挨拶代わりなのかもしれない。
「最近あんまりおらんやったね」
「うん、でも、ひととおり用事は済んだよ。これからはいるよ」
「いや、忙しがしかならおらんでもいいよ」
 とのことである。僕はそれぐらいの必要度らしい。
 もう少し、短いうちにこちらから声をかけると、「まだ、よかよ」という。彼の髭剃りのポイントというか、基準はなんなのであろう。謎であるが、僕は頼まれてからの髭剃りの人なのである。頼まれてから、剃ればいいのだ。
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実習生の人

2006-08-29 | 雑記
 地元の大学の学生さんが実習に来ている。実は京都の人ということで、なんでまたこちらに来たの?と聞くと、一瞬詰まって、「それは学力の都合であります」とのことだった。
 僕はそんなつもりで聞いたんじゃなかったけれど、むつかしいものだ。
 長崎に興味があったのかとか、親戚がいるのかとか、この土地に本人となんか由来のあるような、きっかけのような理由を聞いているつもりのわけだが、この学生さんにはそこのあたりの興味ではない感覚が自然にあるのかもしれない。それにこのようにこたえられると、なんとなくバツが悪い。聞いたほうは僕なので、僕が悪い人のようではないか。
 一週間住み込みで実習にあたるという。原付しか持ってないので、毎日一時間強は、通うには都合が悪いのだろう。実習としてはその方がいいとは思うが、大変だろうなあ、とも思う。うちの仕事は、やろうと思えば区切りがないからね。どの仕事でもそうかもしれないけれど…。
 最終的になんでここを実習先に選んだの?と聞くと、
「学校で決まっているらしいのです」
「いや、いくつか実習先の候補があったんじゃないの」
「だから、そこから選んだのです」とのこと。うーむ、ラチがあかん。
 ことばが通じにくい人であるらしいな。ま、そうではあるが、立派な先生になっておくれ。
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普通ってなに?

2006-08-28 | 雑記
 二日間にわたる地区大会に参加する。もちろん参加したのは嘘ではないが、特に役があるわけでもないし、誰かの支援という感じでもなかったので、随分気楽だった。

 一日目は雷が怖かったことと、時間が空いたので映画(スーパーマン・リターンズ)を観たのが印象的だった。
 雷は車には普通落ちないと聞いたことがあるけれど、本当に落ちないかどうかまでは知らない。もし落ちたとしたらどうなるのかもよくわからない。実際日本では、毎年宝くじに当たるより多くの人が落雷の被害にあっているという。僕の友人(本当は否定したい)の与猶君の家だって落雷で燃えてしまった。
 そういうわけで、機関銃を乱射したような轟きを耳にして、会場側を逃げ出し、中洲近辺のホテルへと退避したのであった。(言い訳)
 という状況であったため、懇親会はきっと雨だろう(実際はその時間は止んでいたらしい)ということで、野外なら楽しみだったが、屋内だと窮屈かもしれないし、なによりLOMナイトでモツ鍋を美味しくいただくためには余分な食物をおなかに入れるべきではない(Tきちゃんはそのために昼まで抜いているのだという。へぇー)という論理的思考により、映画を観ることになった。
 パーレーツ・オブ・カリビアンの二作目がプランAであったが、時間が合わない。時間的選択肢として、「日本沈没」か「スーパーマンRE」だったわけだが、僕が強く推薦して「スーパーマンRE」になった。やったあ。
 告白すると、ファンなんです。僕の子供のころのアメコミといえば、なんといっても「スーパーマン」で、「スパイダーマン」とかは、後からだったんじゃなかったっけ。映画も特撮だったくせに、実は本物のシーンもあるんだといううわさが立ったぐらい僕らは純粋だったんだよ。見る前の不安としてはなんといってもクリストファー・リーブじゃないってことだけど、ある筋からはその点あんまり心配しなくていいということだった。
 というわけで観たわけだ。僕はハンカチを手に感涙しながら観終わった。
「すっごく、よかったジャン、ねえ、Tきちゃん」というと、
「なんというか、普通ですね」
だって…。

 LOMナイト懇親会は、越後屋。京風モツ鍋ということであるが、上品な薄味という感じではない。しっかりした九州的な白濁スープで、モツ自体よりニラとキャベツを食べることを目的としているように思う。ごぼうも入ってアクセントになっていた。一味を大量に入れるので辛いけれど、スープ自体には甘みがあって旨かった。〆のちゃんぽん麺までガツガツは入る。ちょっと食いすぎて、デザートアイスはS田っちにあげた。
 移動してI本君の後をついていって、怪しい地下のクラブ風スナックで冷房と戦い。又移動して島原のメンバーとまた別の地下のカクテル・バー(なんだろうか。こんな店はたぶん知らなければ絶対に入らない怪しさだ。でも、安い)まででお開き。K又君と一緒にロートル組として失礼したけれど、Tきちゃんは島原組と朝までカラオケだったらしい。I本君とK谷っちはふたりで怪しい店を探索しまくって、長崎ちゃんぽんフィニッシュだったという。
 まあ、僕にとっては普通だったかな。それでも2時半だったんで、正直いうと、助かりました。

 流石に二日目は式典に参加せねばなるまい。
 神事部会のような演出で始まって淡々と式典は進んでいく。
 次年度の挨拶では毎年感じることだが、改めて、強い決意のようなものが伝わってくる。この感覚が単年度制を支える大きな原動力なのだろうと思う。
 最後は実行委員長の挨拶だが、ここにいない(裏方で準備しているため)メンバーに語りかける(というか叫んでましたね)という姿勢にウルウルしてしまう。僕は途中でトイレで退席して間が悪いので、福岡ブロックの席で見ていたのだが、知らない周りの人が泣いている僕の姿に動揺していたようだ。
 僕は人前で容易に泣く人間を信用しない方針であったけれど、自分が信用できない部類に突入するとは考えていなかった。ハンカチは、汗をふくためだけじゃないんだよ。もちろん、本当は今でも基本的に泣く奴は信用してないけど、単に人に依るのである。

 国立博物館で長いエスカレーターに乗って、すぐ降りてきて松原鎌を見て、出てきた。そんで、○幸ラーメンセンターで遅い昼食をとって帰ってきた。
 ずっとTきちゃんの車に乗せてもらっていた。改めてありがとうございました。つれあいはずっと僕ばかりしゃべってたんじゃないかとTきちゃんに同情していたが、そんなこと当たり前じゃないか。

 車中話したことだが、もう少し(LOMメンバーの)広い範囲の参加者が集うと、この大会も意義深いのに残念だと思う。子供がいるメンバーにとって夏休み最後の日曜がつぶれる大会日程はつらいものがあるけれど、一定の人数が集まりやすい会員旅行のような意味合いも、地区大会には大切な位置付けなんじゃないだろうか。
 ま、そんな考えも昔の会社主義日本人感覚なのかもしれないとは思う。日本の人間関係って、日ごろの仕事とか業務とか事業とかの関係だけじゃ、なんとなく物足りなさを感じるものらしいと思う。西洋人(特にラテン)にはアフタータイムに仕事人と一緒にすごすなんてナンセンスだと思うのだろうけれど、日本人にはこの中途半端な関係が、心の安堵をもたらす重要な要素なんだよね。良いとか、悪いとかじゃなくて、結局、この段階を経ないと、信用してないのかもしれない。自分のスペースも大切だけど、この無駄さ加減が、人間関係の基本なのだろう。
 待てよ、しかしながらこんな考えは、僕は否定していたかもしれない。そうすると単なる老化現象的思想なのかも…。年をとると寂しくなるんだろうね、きっと。
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イナビカリ

2006-08-26 | 雑記
 A生君から電話をもらって、ご近所のO内田君のところに面会に行く。足掛け何年という感じで訪問しているが、入会への雲行きは怪しいらしい。
 前回例会前にO内田君から、上着を忘れたんだが、例会に来てもいいものか、という内容の電話をもらった。答えにはいろいろ考えられるとは思うけれど、僕としては来てもらうほうを優先したほうがいいような気がしたので、気にせず来るべしと伝えた。しかしながら、時間が来てもちっとも姿が見えない。どうしたものか、と気になっていたが、そのままついに例会は終了してしまった。終わったあとに、担当でもあるノボッちゃんにその旨伝えると、なんか入り口まで来てたらしいけれど、電話があって帰ったみたいだ、という。まあ、そういうわけでおかしな感じは持っていた。夏越関係の寄り合いも、なんだかんだで都合がつかないの一点張りで、かたくなになっている感じなのだった。
 実際に会って話を聞いていると、自分自身の前にカーテンを張り巡らしているような話し振りで、そっけないながら、拒否しているようなそぶりである。A生君やS一君も熱心に今後のことも含めて入会を勧めているけれど、聞く耳を持たないという態度だ。
 実際あの例会では何があったんだ、と改めて聞いてみる。職場か家庭での事故でもあったのだろうか。
「いや、入り口までは入ったんですよ。式次第を見てちゃんとしていて、なんか偉い人の会議みたいで、どこに座っていいのかもわからないし、自分はまあ、いいかな、と思って、嫌になったというか…、そのまま、帰ったんです」
 というようなことを、もごもご言っている。A生君は、もう一回別の寄り合いを計画していて、送り迎えは自分がするので、決断はその後にしてはどうか、とまで食い下がったが、その後に断るのは悪いからと、辞退届けのほうにサインをした。
 うまくいえないが、苦労を買うような会への入会を進めているので、逆にこういう人向けなのではないかと自信を持っているのだが、峻別するハードルの前で、力尽きる場合もあるんだな、という感じだ。彼の抱えている違和感は、自分の中のハードルである。もちろん語らない何かにもっと重要なものがあるのかもしれないのだが、殻というものが、そういうものを隠しているのではないか。
 しかしながら、もう忘れてしまったけれど、僕にも葛藤はあったなあとも思う。いまだにそうだけれど、自分に合った会だと思ったことは一度もない。最初に嗅覚だけで近寄らないという方法も現代人は選択可能なんだと、改めて気がついた。僕は明らかに旧世代だな。ひょっとすると、僕のほうが既に異物なのだろう。

 夕立が激しく降って雷が轟いている。夏の暑さともやもやしたものが、全部洗い流されたらいいと思う。しかしながら、普段は楽しい稲光が、自分のほうに落ちてくるような気がしてくる。動脈に指を当てると、ドクドクと脈が激しくなっている。傘をさして歩いている人がいて、見ているだけで恐ろしいのであった。
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外国人に正しい日本語を教えよう

2006-08-25 | ことば
 地元の市長選を前に、ローカルマニュフェスト討論会の勉強会。
講師の熱が入ってどんどん時間超過。会場の閉館時間となり、お開き。
 K村君の説明でだいたい感じはつかめていたと思っていたけれど、政治そのものを考えると、これはなかなか勉強が必要だ。そこまでやるか、と考えると少し意気消沈したのも確か。本当は手に負えない問題なんじゃなかろうか。いろんな難しい塊が、それこそ目の前にあるから政治の世界なんだろう。そこに人の意思が絡んでいくので、ドロドロしてしまうのではないか。
 僕は軟弱だなあ、と思う。そういう偉いことは偉い人がやるしかなかろう、などと思う。僕はそうだな、もう少し役に立たないことをやりたい。少なくともそれで誰にも迷惑はかけないだろう。

 さて、終了後食事したのだが、講師の先生は英語も堪能とのことで、和製英語の話題も少し。スキンシップとかレベルアップなんかは、通じないとのことだった。
 しかしながら僕はそういう通じないけれど日本人には通じる英語というものが琴線に触れる。英語なんだけど英語圏の人にはわからないで、英語のわからない人だからこそよくその感じがつかめる、ということがなにより面白い。
 空港でボディチェックを受ける、なんていうが、本来は僕らがサッカーをするとき相手に激しく当たるときなどをいう言葉である。英語圏の人が聞くと係員に客がいたぶられるようなイメージを受けるという。そういうお互いの勘違いはなかなか面白い。
 しかし和製英語は、日本で通用することばなんだから、厳密にいうと日本語である。外国人が英語として間違っていると指摘することは、実は勘違いである。だって、日本語なんだから。逆に正しい日本語(和製英語)はこうなんだよ、って教えてやらなければならないのではないかとさえ思う。もちろん外国でこれを使うととがめられるんだろうけれど、日本にいるときは、外国人もちゃんと和製英語を学ぶべきではないのか。いつまでもゲイシャ、ハラキリが日本だと思っている人たちには、和製英語で対抗していこうではないか。
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父のつぐない

2006-08-25 | 雑記

 本当は内緒なので書きたくないが、子供をつれてプールに行った。父として夏のつぐないである。
 うちの子は泳ぎがまるで下手だなあと思うが、上手ければそれでいいということでもない。遊びにきたんだから、楽しそうでなによりである、と自分に言い聞かせる。少なくともなかなか個性的な泳ぎで、そう簡単には見失わない。宇宙から来た軟体生物が水辺を漂っている感じである。
 適当に泳いでいるが、すぐに飽きて、メインは滑り台。なんどもなんどもなんどもすべる。癖になるんだそうである。ずっと付き合っていたが、なんども付き合っているうちにどういうわけか頭が痛くなって、途中から眺める人になる。
 ものすごく肉付きのいい奥さん(ほとんどボンレスハムだ)が「わははは」と大声で滑って、ザブンと地響きにも似た振動と共に豪快な水しぶきを上げている。個人の体格をとやかく言うつもりはないが、自重した方がいい場合もあるような気がする。誰もいってやる人がないのかもしれない。なにより、照れ隠しなのか、その大声の迫力が周りを圧倒していている。それでもどうしても滑りたいという欲求があるんだろう。正直な人なのかもしれない。

 プールでばったりH先輩に声をかけられる。いろいろあってプールの管理人をしているとのこと。「今年の夏は、例の事件で大変だったよ」という。
「ああいうところを針金だけで留めるわけないじゃないか」という。まあ、そうだろうな。なんども検査が来たり、取材がきたのだろうと推察される。
 それでも想定外の事故はおこるのだろうと思う。いいかげんでも何とかなると考えた人は、よっぽど想像力がなかったんじゃなかろうか。他にも似たような人為的危険なところを探したい心理はなんだろうとも思う。危険とやかましさのバランスはどれぐらいがいいんだろう、などと考えた。

 一度家に帰って改めてカキ氷を食べに行く。速攻でスプーンを動かし、かきこむように食べてしまう。甘いマンゴーの後味がいつまでも残って、少しだけ懐かしいような気分がした。
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「インドぼけ」

2006-08-24 | 雑記

 日本の商社の社員がインドやメキシコに何ヶ月か滞在する。するとその中の何割かの人は、社員として役に立たなくなるという。いわゆる「インドぼけ」「メキシコぼけ」といわれているらしい。
 これは、なんとなく日本人として理解できる気がするところがある。日本的な生き方と根本的に違う感じのするものを目の当たりにすると、自分自身の根本まで崩れていくのかもしれない。僕は留学中、実際にそういう人を見たことがある。中国であっても、そういう影響力があることに、当事者に近い環境にいて、不思議な感じもした。
 しかし、それはあくまでも外からそういう社会を見たからそうなるだけで、内なる理解をすると、そこまでは「ぼけ」ないのではないか、といわれている。中身をよくわからないで外側から異世界を見ると、変な影響を受けるらしいのである。外から見た世界は自分の内なる思い込みから来る誤解である。日本とは表面的に違う世界も、内なる理解をすると、「ぼけ」なくなる。
 何も外の異文化を見なくても、自分自身の内なる変化はできるのである。外的影響で世界が変わったようでいて、実は代わってしまったのは自分自身である。「ぼけ」た人は、そこのところがよくわかっていないのだろう。
 絶対的な自分自身の価値観は、時として危ないものではないかとも思う。変わってしまう自分という一貫性のなさが、本当の自分らしさということでもある。僕自身もそうやって、一生のうちになんども生きては死んでいるのだろうと思う。
 本当の自分というものは、たぶん人から見た自分の姿である。形の上では、それは確かなものなのである。内なる自分という姿は、自分自身が思い込んでいる他人である。本当の自分があると思っている人は、「ぼけ」ている自分に気づいていないだけなのである。
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ムッシュムラムラ

2006-08-24 | ことば
 関敬六という人が亡くなっている。僕は寅さん映画のテキ屋仲間としてしか知らなかったが、「ムッシュムラムラ」の人だったそうだ。そうだったのか。しかしよく考えてみると、なんとなく覚えはない。ネットで調べてみると、ダチョウ倶楽部のもとネタだという。ダチョウ倶楽部が言っていた覚えもあんまりないが、そういうものかもしれない。起源というものは、あんがい難しい。覚えはないのに、「ムッシュムラムラ」は知っている。流行というものは不思議なものだ。意味も何もわからないが面白いことばというものは、ある程度共通性があるらしいことも考えられる。それでなければ流行はしないだろうからだ。名作「ガチョーン」も「シェー」も、わかるようでよくわからないが、面白い感じはすぐに体感できる。しかしながらそういうギャグも、いつかは消えてなくなるものかもしれない。時代を共有する語感には、不思議な共感性を表している。飽きられるまで繰り返され、消火されて、このように人と共に消えていくものなのだろう。合掌。
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執念深さと脱力感

2006-08-23 | 雑記

 朝からおにぎり食って小学校へ行く。寺子屋パート2である。今回はカレーじゃなくてI本君の差し入れソーメン(何キロくれたんだろう。太っ腹である)だということで前回よりやることが少ない。オクラの漬物とかあってつまみ食い。誰も注意しないが、考えてみるとみんなあんまり知らない人ばかりなので遠慮しているのかもしれない。こんなことを書くとあとでつれあいに叱られるので自制しなければならない。
 外ではペットボトルロケットを飛ばしている。ロケットが遠くまで飛んでいくと、後を小さな子供がダーッと駆けて追っかける。なんどもなんども飛ばしていて、それを飽きずにまた子供が追っかける。子供ってこういうところが大人より偉いのではないかと思う。ただ、見ているほうが疲れてしまった。
 山の上の氷屋さんで大量の氷を買い込む。2メートルの氷柱を48時間かけて作るんだとか。実はよくわからんのだが、フムフムと感心する。
 そうやってもってきた氷でカキ氷を作る。たくさんのガキどもがたかってきて、まさに大騒ぎである。PTA役員は、たぶんこれがやりたくてこの催しをやっているんじゃないか。少なくとも僕は、これをずっとやっていたい。みんなにいきわたってしまうと、寂しくて、もっとつくりたい。不公平かもしれないが、欲しければもっと食わせたいものである。仕事もこういう忙しさなら、きっと楽しいのになあと思う。

 夕方から神事部会の準備。O塚さんから今日も裏切ると聞いていたので、一人である。仕事の会議は仕方のないことであるが、僕の気持ちは仕方がないで片付くものではない。きっと仕返ししてやる、などと怒りがこみ上げる。
 定刻どおり会議は始まり、予想通り、M本さんの不毛な質問で大半の時間が消化される。怒り(僕はM本さんに対してはこの感情は少なく、事務局に要求をする返答の方に怒りを覚える。困るのは分かるが不毛なのだから、その場でひとつひとつ会話を完結するべきであろう。もしくは、無視してもいいのではないか)より哀れみさえ感じる。この爺さんが元気なうちは、こういう時間が毎年やってくるわけである。いなくなっても寂しくはならないが、このしつこさはなんかの役に立たないものだろうか。いやな相手に嫌がらせをしたいという欲求で、正気(他人からは狂気に見えるけれど)を維持しているのかもしれない。普段道で会うとしっかり挨拶をされるかただし、人にいたわりの声をかけることもある人なので、僕はこの情熱が不思議でならないのである。何年も怒りを持続させる根性は、迷惑ではあるけれど、生きる力なのかもしれない。憎まれっ子世にはばかる。僕は浮世が大嫌いだ。合掌。
 しかしよく考えると、こういう社会システムというものは、若い世代では崩壊して久しいわけで、こういうお年寄りが、何とか維持しながら支えているものなのかもしれない。世界は終わってしまったのに気づいていなくて、鳥たちが鳴いていると考えたほうがいいのかもしれない。僕らは先祖代々の土地にこれからも住んでいくのではない。青年会議所のメンバーというのは、仕事を通して地域性の大切さを実感しているが、社会システムとしての人間のつながりは、許容という問題も含めて流動性が激しい。つまり地域のお宮を守ってコミュニティを維持していく旧世界は、今でもこれからでも、復活する見込みはない。祭りの精神性は、既にノスタルジーですらないのかもしれない。僕はもう一回この祭りにたずさわるわけだが、コミュニティの喪失をどのように補うのか、狭いと広いをどのように使い分けるのか、考えてみなければならないような気がする。先輩方が目指した夢は、完全に挫折している。青年会議所(だけの)の祭りであれば、もう少し思い切ったことができるのだが、その道は自ら閉ざしてしまっている。青年会議所の祭りであると市民からは認識されているにもかかわらず、そうではないものを目指している限り、この矛盾を内包したまま、後輩が苦労するだけではないか。本心としては石(バトン)だけ渡してとんずらしたいのだけど、石を別のところにやる方法を真剣に考える時ではないか。まあ、最初は誤解され迫害(それも身内から)されるだろうが、10年ぐらいすると、ひょっとすると理解されるのかもしれない。それだけで自分をかけられるものか、自分自身の精神性に疑問はあるけれど、あたかも他人のごとく、この仕事をできないものかとも思う。
 終わって、何故か「きりん」。けっこう豪華な刺身だったような気がする。Y本君の体育界系の思い出話で、なんだか気分が暗くなる。日本のスポーツ界は、戦中の軍隊そのものである。少なくとも僕らの頃はそうだった。あれは若かったから辛抱できたのであって、今ならとても無理だろう。ああ、だから若いうちは戦争もできるのかもしれない。まあ、年寄りは自分が関係ないと思えるから戦争できるともいえるが…。僕はそういう世界から引退しているんだと思う。夏には戦争もののドラマも多いが、僕はもう見る気もしない。特に日本の戦中ものは、げんなりして嫌である。もし、そういうものを強要される時代がきたら、僕は恥ずかしげもなく国外逃亡するだろう。日本語を使えないのは残念だが、とどまっても、言葉なんてたぶん必要ないだろう。
 二次会スナックでは何故かルーマニア人が前に座っていた。彼女の話だと、ルーマニア人はスラブ系ではなく、ラテン系なのだそうだ。言語もそうなのだという。ドイツ語少し、ウクライナも少し、だそうだ。気候は寒くない、日本と同じぐらいだとか。僕はルービックキューブとチャウシェツクとドラキュラしか知らなかったが、あそこはラテンだったのか…。あ、別にエッチな店ではないので、あしからず。ショータイムだってありません。
 あんがい酔っていて、もう年だなあと思う。これぐらい何でもなかったのに、と思う。一緒にいた青年達は3次会へ流れ、ロートルO塚さんコンビで帰路に着く。送っていただくのはありがたいが、相変わらず自宅をかなりオーバーランして降ろしていただく。仕返しは次回に持ち越してやるからな。
 実はパソコンをほとんど触らなかった(って事務局に寄った時に少し触ってしまった。今はどこにでもパソコンってあるんだよね)。こういう日が新鮮に感じられる不思議な日だった。
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まちの盆踊り

2006-08-21 | 散歩

 風呂に入ると体中の疲れが緩んだようで気持ちいい。あがってビールを飲んで、久しぶりに一家団欒。こちらも身にしみるような心地よさ。帰宅の幸せをかみしめる。
 ウチの息子は「サザエさん」を「サザエ」と呼び捨て省略するが、かなり違和感がある。「さん」は礼儀としてというより、やはりセットではないか。
 昨日から順延になったという、近所の公民館でまちの盆踊りに顔を出す。息子がカキ氷を食べたいからだという。実は生涯初参加。僕は実生活では祭り嫌いなので、人が集まるところには近寄らない。
 ちょうどビンゴゲームをやっていて、無言のお年寄りからカードを何枚ももらう。しばらくやっていて夫婦ともビンゴ獲得。引き出物の残りであろう景品をもらう。あとで見ると、使えそうな皿も入っており、まずまずの収穫である。

 アナウンスの丁寧だけど方言の微妙な面白き表現を楽しみながら、地元感を満喫する。また、地元議員さんなどが挨拶して、来年選挙なので来ましたと正直にお願いしている。それでもちゃんと拍手喝采で、来た甲斐があったんじゃないか。
 目的のカキ氷は一杯50円。手際が悪くて大混雑。担当の爺さんは、お金をもらったのかどうかさえわからなくなって勝手に混乱を極めて、後から来た人の分を先に配って、僕らには並んでくれと注意したりするので、僕も子供の手前かっこ悪い。それにしても50円なので、申し訳ない気がしないでもない。まあ、それなりでもあるが…。
 子供会と老人会の共催らしいごく小規模な盆踊りなのだが、あんがいいろんな人がきていて意外である。こういうところで張り切っている人がいるんだなあと、なんとなく感慨深かった。
 盆踊りはパスして帰ってきたが、つれあいは本当は踊り好きなんだそうで、戻って踊りたかったようだ。戻るべきか逡巡したが、なんとなく諦めた。今思うと、少しばかり心残りである。
 翌日朝も会場の公民館には、設営のやぐらや提灯が寂しく残っていた。本当に夏は終わってしまったのだろうか。
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ただいま

2006-08-20 | 雑記
 福江から帰ってきた。いろいろあったんだけど、今はもう疲れた。暑さに弱い僕は、あまりの暑さの意識を失いかけた。しかしながら、それでもあえてよかったといいたい気分だ。逆境の中、踏ん張ったという感じがして、かえってすがすがしい気分でさえある。集まった仲間に素直にありがたいような気持ちがわいている。こういう大会は、若くなけりゃできないものだと思う。いい大人なんだけど、何より僕らは若いんだなあ、などと思う。これはいい意味でも皮肉でもあるんだけど、自虐的であるにせよ、それは楽しいことなのだと思う。

 途中トイレで本を読んでいて、土着的な多様性は普遍的なんだと書いてあった。むしろ近代の統一的な方向は特殊なんだそうな。普遍的な地域愛というのは、文化人類学的見地からはいけるのかもしれないな、と思う。ナショナリズムは時に厄介だが確かに普遍的で、世界共通は特殊だわな。困ったことにだから中東はずっと喧嘩をやめられないんだろう。
 僕は普遍的な日本という考え方には興味がないけれど、神話なら理解したいと思う。もののけの叡智は、人類を救う鍵であろうと思う。そうであれば、中東は、人間の近代性の表れでないかとも思う。さて、この幼稚な人間の癖は、大人だった人間の喪失によるものだろうか。これは、もう少し考えてみようっと。
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台風の大雨

2006-08-19 | 雑記

 台風なので風もありはするけれど、外は大雨で大量の雨粒が落ちてきている。落ちてきた雨は重力の影響で、少しでも下流に流れようとする。あちこちから雨水の道ができて、いろんなものを運んでくる。葉っぱや、木々や石やゴミ。
 雨の中車を走らせているといろんな死骸が散らばっている。通勤中に猫の死骸を三つも見る。雨の中かその前か、道路を横断したかったのは何故だろう。行きたい場所に車の道がクロスしていた不運である。それとも視界が悪くなって、ブレーキのタイミングが遅れたのではないか。人間であろうと、雨の日は危険であろう。飛び出した内臓は雨に濡れて血の気配さえ消えている。後続の車が順に原型を変えていくのであろう。
 補修してもらった駐車場の砂利も、又雨で決壊し、大量に流れた。前回流れた時も大量の雨で、今回もそんなに負けていなかったということか。
 役場から電話があったそうで、落石の恐れがあるため、町道は迂回するようにということだった。つまり、補修するめどはないということなんだろう。
 それにしてもこれだけ雨が降ると、人間は困るにせよ、誰か喜ばないものだろうか。蛙は代表的に喜ぶだろうが、もっと他にいないものか。
 前にも不謹慎なことを書いたが、濁流を眺めているのは楽しい。いつもと違う非日常を、凄いなあと思いながら見ている。ゴウゴウうごめく水のダイナミックな流れを見て、もっと上流でがんばって降らないものだろうかとまで考えてしまう。もちろん水害は恐ろしくて、身に降りかかるのはゴメンなのだが、自然の驚異というものを安全な場所で見るのは一種の畏敬の娯楽ではないか。
 小さい子が、お母さんを振り払って水溜りをバチャンと踏みつけている。案の定怒られているけれど、雨にもそういう楽しさがあったのだと思う。いまさら確かに楽しいわけはないのだが、もともとは楽しかったのではないかと思う。忘れてしまった楽しさとはなんだろうか。無邪気さを失うことは、楽しみを減らすことなのだろうか。
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恥ずかしい気持ちは持っていていい

2006-08-18 | 雑記

 昼は食事会てん新。S尾さんが酔っ払っていい調子。話が止まらない。僕はIちゃん、T中Kさん担当。二人とも機嫌よくほぼ完食。
 移動してジャスコで買物。秋に予定している少旅行の準備のため、バッグなどを物色。手にとって眺めてほんのちょっとそこに置いた隙に見知らぬ若者がバッグを横から取って物色し始める。感じ悪い。やっと置いたのでさっさと会計にもっていくと電話を手にしてこちらをにらんでいる。このバック、そんなに欲しかったのだろうか。ザマアないね。
 食料品も買う。大量の定番缶コーヒー、カントリーマアム。焼ソバUFO(ユーフォーと読むのは僕には抵抗がある。しかし、この焼ソバに関しては、ちゃんとU、F、Oと分けて読んでいる人は、いまだに知らない)、金ちゃんヌードルなど。二人分なので重い。
 帰りの車では睡魔もある。止まる勇気も必要だとあとで反省。この選択はいつも難しい。
 表示の点滅に気づいて給油もするが、流石に高くなったものだ。スタンドのお兄さんも申し訳なさそうにしている。仕方ないのはわかっているつもりでも、やはり小言を言われているのだろう。誰が悪いのかなあ、なんて思う。
 台風が近づいているということで、施設周りを点検。発泡スチロールなど小屋の奥にしまう。今回は風より雨と聞いている。ブロック大会二度目のピンチ。だが、人間の行いは天候ではどうにもならない。予定なんて、人間の都合に過ぎないのだということだ。ブロ長、くさらんでつかあさい。

 夕方、かっちゃん、ポンケ、脇に電話。帰省組とそうでない組の飲み会。つれあいに順番に迎えにいってもらって、店まで送ってもらう。
 脇の家にはなんとなく覚えがある。中学生の頃に一度遊びにいったことがあったのではないか。そういう気がするが、どうしても思い出せない。脇のお母さんは脇にそっくり(もちろん、本来的には逆であるが)で表札は見なかったが間違いないとわかる。なんとなく仕草まで似ている。心の中でくすくす笑う。似ているって微笑ましい。
 長いロープで自由にしている犬が、迎えでは吠えないくせに、帰りは吠える。番犬にはならないらしい。
 飲んでいてとりとめもない話をしているのだが、なんでこんなことをしているのかよくわからないが、たんたんと飲んでいるような感じだ。ほぼ日の谷川俊太郎に質問するコーナーで、「おじいちゃんおばあちゃんにやさしいことばをかけるのが恥ずかしい」という相談があった。谷川俊太郎は、一緒にいるだけでいいのではないかと答えていた。恥ずかしいという気持ちも大切だと答えていた。僕もそんな気がする。
 二次会三次会。新規開拓したいと脇は言っていたが、僕はそんな勇気はないし煩わしい。しかし、脇は仕事が早朝からなので、二次会で寂しく退散。そういうわけで、以前U田君と一緒に行った店に行く。かっちゃんが店の前でU田に電話してどこだっけと聞く。店の前なので看板の名前だけ確認してじゃあと言う。
 ポンケはバツイチは駄目だといっているのに、独身だからといって女の子(というか人かな、ヤンキーはいっている。声もドスがきいている)が詰め寄っている。時々居眠りをするポンケの脇の下をつついて起こしている。可哀相だが、面白い。目覚めてもすぐに話題に溶け込めるのも才能だろう。しかし、又すぐ寝るようだけど…。
 かっちゃんと、ゴーンさんのこと、ミドルネームのことなど。そしてファーストクラスのこと。規則で出張はビジネスクラスと決まっていて、マイルがたまるのでファーストクラスに乗るのだという。空港に着くとサービスでハイヤーで家まで送ってくれるのだという。ぜんぜん知らなかったなあ。贅沢や見栄だと思ってたけど、そればかりではないんだね。僕は控え室でタダ(じゃないな)で酒が飲めるのがサービスだと思っていた。
 珍しくフィニッシュちゃんぽんは無し。確か、まだ雨は落ちていなかった。
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