音楽番組にリクエストというものがある。リスナーが番組に参加する意識というか、同時性というか、自分の好みを曲で主張するということなのかもしれない。確かに自分のリクエストした曲が聴いているラジオから流れるというのは、かなり興奮する状況なのではないかと思われる。僕は知り合いの人がリクエストしたらしい状況でもかなり心臓がバクバクした経験がある。単純に今すごいことが起きているという感じであるらしく、そういう意外性と現実とのギャップに興奮してしまうのだろう。
そういえばジュークボックスというのがあって、お金を払って曲を聴くシステムがある。僕はボウリング場でしか見たことがない気がするが、ハリウッドの映画などを見ると、飲み屋さんではよくこのジュークボックスが出てくる。普通のドライブイン風のレストランでも置いてあったりするようだ。自己主張の強い人達は、自分の好みの曲をみんなに聞いて欲しくてたまらなくなるのだろうか。音楽というか娯楽には金を払うという意識が高いということなのだろうか。
僕自身もジュークボックスは利用したことがある。前述のとおりボウリング場であったのだが、空いているモニターに映像まで流れるシステムだった。隣のレーンが開いていたので、ボウリングしながらビデオクリップを見ることができたわけだ。ちなみにその時リクエストしたのはジャニス・ジョプリンとジミヘンだった。特にギターを歯で弾く場面を友人に見せたかったというのが一番の動機だった気がする。
僕は現在渋谷(陽一)さんの番組ぐらいしかラジオは聞かない。かれこれ小学生の頃からの渋谷フリークだから実に長い付き合いなのだが、しかし、この三十年間一度もリクエストしたことがない。正直言って何度かハガキを出そうかと考えたことはあるのだけれど、そういう準備をしている途中で、なんだかやっぱり躊躇して、結局はやめてしまうのだ。ハガキを出す勇気がないのかというとそういうことではなく(学生時代はそれもちょっとあったかもしれないけれど)、曲をリクエストするという行為に何やら抵抗があるらしい。
渋谷さんという人はちょっと変わった人(それが魅力でもあるが)で、普通に曲がリクエストされている状況を受け止めて曲を流すことは厳密にはしない。雑誌編集者の血が騒ぐのか、リクエストしているパーソナリティと絡めて、なおかつ自分の曲の好みを吟味して選曲をするようだ。平たく言うと面白いかどうかが基準だろうか。まあ彼の番組なのだから、それはそれで当然だとは思うが、かなり偏向した選曲になることは毎度のことである。月に一回テーマを決めたリクエスト特集が組まれるが、リクエストの多かった順に曲が流れるということもない。だいぶ以前にはそういう特集もあった気がするが、まあ、普通はそういう手法は取らないようだ。新譜の案内は番組の編成上スタッフと選曲をしている感じはあるが、リクエストについては自分の偏向を通している感じがする。この三十年間、何度もかかる曲はかかるし、いくらリクエストされているだろうと思われる曲は闇に葬られているという気がする。批判でなくて、まっとうなことだと認めているが、それならリクエストなど取らなくてもいいのではないかといつも思うのである。
リクエストするのはある程度自己主張だと思うのだが、その主張が番組のフィルターを通して世に流れるというのがジャーナリズムなのかもしれないと思う。例えとして新聞などの投稿欄がある。世論を反映しているようで、実はジャーナリズムが世論を選択しているに過ぎない。意見は何でも載せられないという制約があるにせよ、僕の眼にはかなり偏った意見のものだけ採用されているように見える。それは、新聞社なりの主張という意味なのだろうと思う。例えば後期高齢者医療問題の意見なら、「年寄りを殺す気か」というような意見が真っ先に載るわけだ。そういうジャーナリズムの持っている現実報道は、非常に無責任だと思う。
少し脱線しているが、リクエストに話をもどそう。僕は渋谷さんの選択を聞くのはそれなりに楽しんでいるのだけれど、自分の選択肢が渋谷さんの考えに沿うかというと、実はそんなことはほとんど無いようにも思う。これは批判ではなくて、もちろんそれでいいのである。自分の好みを聞くのなら、持っているCDを聞けばいい。しかし、だから僕の考えを渋谷さんに理解してほしいのかというと、それがまったくないのである。また、渋谷さんの番組を通して、他のリスナーに訴えたいという動機も希薄なようだ。だからどうなんだという感じかもしれない。聞いてもらおうとすると、なんだかシラけるのである。僕の聞いて欲しい興奮と、他人が共感するかもしれないという期待があさましく感じるのかもしれない。そういう自分が嫌になるのかもしれない。こういう気分というのは、他の人にもあるのだろうか。よくわからないが、僕にはそういう感情があるようだ。
しかしブログなどでこういう文章を書いているというのは、厳密に他人の目を意識していることは間違いがない。共感を期待していることもそうだろう。僕の中に少しばかり矛盾があることも認めよう。それでもブログは僕のものだという感じが救いなのかもしれない。他人を関与して(フィルターを通して)流されるものではない。リクエストとは別のものだ。
実はリクエスト特集を聞いていて、僕なら何をリクエストするのかなあ、とぼんやり考えていた。テーマは「ロック入門の一曲(だったっけ?)」。考えたが、上記のような理由により、やはりリクエストのハガキまでは書かなかったわけだ。我ながらややこしい性格をもったものだと思う。まあどうせアキレス・ラストスタンドなんてかかりはしなかっただろうけれど…。
そういえばジュークボックスというのがあって、お金を払って曲を聴くシステムがある。僕はボウリング場でしか見たことがない気がするが、ハリウッドの映画などを見ると、飲み屋さんではよくこのジュークボックスが出てくる。普通のドライブイン風のレストランでも置いてあったりするようだ。自己主張の強い人達は、自分の好みの曲をみんなに聞いて欲しくてたまらなくなるのだろうか。音楽というか娯楽には金を払うという意識が高いということなのだろうか。
僕自身もジュークボックスは利用したことがある。前述のとおりボウリング場であったのだが、空いているモニターに映像まで流れるシステムだった。隣のレーンが開いていたので、ボウリングしながらビデオクリップを見ることができたわけだ。ちなみにその時リクエストしたのはジャニス・ジョプリンとジミヘンだった。特にギターを歯で弾く場面を友人に見せたかったというのが一番の動機だった気がする。
僕は現在渋谷(陽一)さんの番組ぐらいしかラジオは聞かない。かれこれ小学生の頃からの渋谷フリークだから実に長い付き合いなのだが、しかし、この三十年間一度もリクエストしたことがない。正直言って何度かハガキを出そうかと考えたことはあるのだけれど、そういう準備をしている途中で、なんだかやっぱり躊躇して、結局はやめてしまうのだ。ハガキを出す勇気がないのかというとそういうことではなく(学生時代はそれもちょっとあったかもしれないけれど)、曲をリクエストするという行為に何やら抵抗があるらしい。
渋谷さんという人はちょっと変わった人(それが魅力でもあるが)で、普通に曲がリクエストされている状況を受け止めて曲を流すことは厳密にはしない。雑誌編集者の血が騒ぐのか、リクエストしているパーソナリティと絡めて、なおかつ自分の曲の好みを吟味して選曲をするようだ。平たく言うと面白いかどうかが基準だろうか。まあ彼の番組なのだから、それはそれで当然だとは思うが、かなり偏向した選曲になることは毎度のことである。月に一回テーマを決めたリクエスト特集が組まれるが、リクエストの多かった順に曲が流れるということもない。だいぶ以前にはそういう特集もあった気がするが、まあ、普通はそういう手法は取らないようだ。新譜の案内は番組の編成上スタッフと選曲をしている感じはあるが、リクエストについては自分の偏向を通している感じがする。この三十年間、何度もかかる曲はかかるし、いくらリクエストされているだろうと思われる曲は闇に葬られているという気がする。批判でなくて、まっとうなことだと認めているが、それならリクエストなど取らなくてもいいのではないかといつも思うのである。
リクエストするのはある程度自己主張だと思うのだが、その主張が番組のフィルターを通して世に流れるというのがジャーナリズムなのかもしれないと思う。例えとして新聞などの投稿欄がある。世論を反映しているようで、実はジャーナリズムが世論を選択しているに過ぎない。意見は何でも載せられないという制約があるにせよ、僕の眼にはかなり偏った意見のものだけ採用されているように見える。それは、新聞社なりの主張という意味なのだろうと思う。例えば後期高齢者医療問題の意見なら、「年寄りを殺す気か」というような意見が真っ先に載るわけだ。そういうジャーナリズムの持っている現実報道は、非常に無責任だと思う。
少し脱線しているが、リクエストに話をもどそう。僕は渋谷さんの選択を聞くのはそれなりに楽しんでいるのだけれど、自分の選択肢が渋谷さんの考えに沿うかというと、実はそんなことはほとんど無いようにも思う。これは批判ではなくて、もちろんそれでいいのである。自分の好みを聞くのなら、持っているCDを聞けばいい。しかし、だから僕の考えを渋谷さんに理解してほしいのかというと、それがまったくないのである。また、渋谷さんの番組を通して、他のリスナーに訴えたいという動機も希薄なようだ。だからどうなんだという感じかもしれない。聞いてもらおうとすると、なんだかシラけるのである。僕の聞いて欲しい興奮と、他人が共感するかもしれないという期待があさましく感じるのかもしれない。そういう自分が嫌になるのかもしれない。こういう気分というのは、他の人にもあるのだろうか。よくわからないが、僕にはそういう感情があるようだ。
しかしブログなどでこういう文章を書いているというのは、厳密に他人の目を意識していることは間違いがない。共感を期待していることもそうだろう。僕の中に少しばかり矛盾があることも認めよう。それでもブログは僕のものだという感じが救いなのかもしれない。他人を関与して(フィルターを通して)流されるものではない。リクエストとは別のものだ。
実はリクエスト特集を聞いていて、僕なら何をリクエストするのかなあ、とぼんやり考えていた。テーマは「ロック入門の一曲(だったっけ?)」。考えたが、上記のような理由により、やはりリクエストのハガキまでは書かなかったわけだ。我ながらややこしい性格をもったものだと思う。まあどうせアキレス・ラストスタンドなんてかかりはしなかっただろうけれど…。