カワセミ側溝から (旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

佐賀は褒められもしている

2018-09-30 | 掲示板

 佐賀のことを書いたらことのほか反響が大きかった(当ブログ比)。身近な話題という事と、何か心に引っ掛かるものがあるのかもしれない。長崎との比較文法で茶化した訳だけれど、まあ、そこのあたりは分かりにくかったかもしれません。すいませんでした(いつものことだけれど)。
 僕自身のことから話すと、佐賀が無ければ僕は生まれていない可能性が高い。何故なら父と母が出会った場所らしいから。父は佐賀大の最初の入学生(残念ながら最初の卒業生にはなれなかったようだけど)で、母はたぶん学校の近くで働いていたのだろうと思われる。詳しくはミステリーが多くて知りえないのだが(父は死んだし、母の話す内容は今一つ信用できない)、そのあたりで知り合っていたのは間違いなさそうだ。卒業後すぐに上京し所帯をもったという事だから、そう考えないとつじつまが合わない。
 父は僕らがラーメンを注文すると、男だったらちゃんぽんを食え、といって叱った(たぶんたくさん食べて欲しかったのだろう。そうすれば大きくなるとでも思っていたのかもしれない)。けれど実はラーメンは好きだったようで、それも佐賀のラーメンがあんがい旨いんだよ、と言っていた。これは学生時代に佐賀でラーメンを食べていたためだろうと思われる。久留米や長浜もいいが、佐賀のラーメンが基本ではないか、という話もしていた。そこらあたりの詳しいことは知らないが、そうかもしれないと僕も思っている。
 だいたい佐賀というのは、魏志倭人伝に出てくる大陸からの最初の渡航地であった末盧(まつろ)国であることは間違いなさそうで、今の佐賀の松浦から、さまざまな文化が日本に伝わった先進地であった。農産地としても恵まれていて、広い佐賀平野に豊かな実りをもたらした。そういう土地柄だったのに時代は流れ、いつしか辺境地になってしまった感がある。工業化に遅れ、人口流失が長く続いた。近代の明治になって、そのように落ちぶれた時代が続く。一時は長崎県に併合されていた時期もあり、その後分離独立を果たした。たぶんだけど、そういう事情がルサンチマンとして長崎県を嫌う根拠なのではないかとも思われる。
 実は佐賀のことを見直したきっかけのような事があって、それはエッセイストの岸本葉子さんが佐賀のことを褒めていたからだ。岸本さんは出身は違うようだが、母親が佐賀とゆかりがあるらしい。それで佐賀との縁があって招待か何かされたらしい。で、なかなかいいところだというようなことを書いておられた。実は内容はほとんど覚えていないが、何故か感心してしまった。佐賀を褒める人が、そんなにいない所為かもしれない。
 ファンでもなんでもないが、B’z(ビーズと読むらしい)というバンドの誰かが、鳥栖駅の構内あるうどんが好きだという。それでまた人気が出たらしい。実際はそんなにすごく旨い訳では無いが、確かに以前は福岡から長崎(僕は大村市だけど)帰る列車は、この鳥栖駅で長く停まった。仕方ないので時間つぶしに多くの人が、構内でこのうどんを食べた。僕が食べたのは実に寒い日で、このうどんで暖まって、そしてその時は旨いとも思った記憶がある。ただそれだけのことだが、佐賀では結構うどんを食うことが多く、そしておおむねそれなりに満足している。旨いのはラーメンだけでは無いのだ。(たぶん続く。不定期)
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古臭くて現代にドンピシャ、カッコいい   ラ・ラ・ランド

2018-09-29 | 映画

ラ・ラ・ランド/デミアン・チャゼル監督

 オーディションに落ちつづけ仲間と一緒に顔を売るためにパーティに繰り出す。収穫無く、さらに車までレッカー車で運ばれてしまい歩いて帰っていると、あるバーからピアノの音が聞こえる。引き込まれるように聞き入るが、このピアニストはちょうど解雇されたところだった。
 まあ、出会いはともかく(実際はオープニングで出会ってたし)、二人は付き合いだすようになる。今はくすぶっている二人だが、お互いに才能は眠っている。夢を語り、夢のためにお互いに努力をして、そうして何かを掴もうとしている。
 先に彼氏の方が、誘われたバンド活動で売れだす。やりたくない曲はやらないと言っていたが、方針を変えたのである。ある意味で付き合いだした女の為なのかもしれない。しかし女の方は、自分の演劇の芽が出ないイラつきもあるし、彼氏がそんな風に信念を変えるような事が気に食わない。そのようなすれ違いが、二人の溝を深くしていく。
 最終的な場面は、この映画の醍醐味なので語れない。激しいカタルシスと喪失、そうして何とも言えない悲しさが爆発する。おそらくフランスのミュージカルのオマージュだろうと思われるのだが、はるかに出来はいい。過去にもしもは無いのだが、人々はしばしば、そのもしもにとらわれる。そのようなものを実現させるためにはミュージカルが最適なのだ。そうしてこの爆発があるからこそ、現在も生きて行くことが出来るのだ。
 大変に素晴らしい出来栄えのミュージカル映画。子供でなくても踊りだしたくなる。力を抜いた踊りっぷりで、無茶苦茶ダンスが上手くなくても踊れる気分になれる。劇中使われる小道具もそれなりに凝っていて、皮肉も含めそういうものでも笑わせられる。いわゆる上手い、映画である。まあ、観終わった印象はかなり物悲しいものではあるんだけれど。
 企画の段階では実現にかなり苦労した映画だったらしいが、結果的に大成功を収めた。人々が求めている映画というのは、求められていそうな映画なのではないのかもしれない。現代では厳しいと考えられるものであっても、それ以上に情熱があるから、気付かされるものがあるのかもしれない。そういう意味では大変に勇気づけられるヒットだったし、チャゼル監督のますますの活躍を期待するところである。
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トッケイと鳴く

2018-09-28 | 感涙記

 トッケイヤモリという巨大ヤモリがいる。東南アジア原産で大きいものは35センチあまりもある。結構獰猛で、昆虫以外にネズミなども食べる。体が大きいので蛇などに襲われても呑み込まれなくて、その後逆襲している映像も見た。でもさすがに猫には襲われていた。しっぽを切って逃げていたが。
 名前の由来は、本当にトッケイ、トッケイと鳴くかららしい。求愛の為鳴く様で、かなり遠くまで声が聞こえる。家の害虫を取って食うので、東南アジアの家の多くは、共存している。
 さらにこのヤモリの面白いのは、卵を産んだ後にも、卵を守るような行動をとるらしいことだ。さらに小さいうちは共存して暮らすらしい。もっとも他の個体であれば、構わず取って食うようなこともする。爬虫類で子育てをするような事が分かれば、大発見かもしれない。
 さらに驚くのは、日本などではペットとして人気があるらしいことだ。獰猛で咬むにもかかわらず、さらに馴れるようなことも無いだろうにかかわらずである。割合安価で売られているようだから、逃げ出して生息しているのもいるのかもしれない。もっとも寒さには弱そうなので、外では日本の冬は越せないかもしれないが。
 デカい上に薄青い体に紫の斑点があってかなり不気味であるが、これがかわいいという事なんだろうか。まあ、好きずきではある。飼われていれば、詳しい生態がまた分かるようになるかもしれない。環境によって暮らし向きは違うかもしれないのだが。
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ちょっと暴走しすぎたかも   ビッグ・トラブル

2018-09-27 | 映画

ビッグ・トラブル/バリー・ソネンフィルド監督

 良い意味での古き良き日のドタバタ・コメディ。命を狙われている男の家に間抜けな強盗が入り、浮気している妻とその浮気相手、娘と付き合っている(妻の浮気相手の息子)彼氏などを巻き込んでドタバタが展開される。
 監督のバリー・ソネンフィルドはコメディ映画で一世を風靡した人。アダムス・ファミリーやメン・イン・ブラックが大ヒットしたので、もの凄く大金持ちになったはずである。映画会社に監督としての料金を膨大にとることが当時ニュースになっていたので、勝手にそう思っているだけだけど。おそらくだけど、結局はその為に映画を撮り続けることが出来なくなったのではなかろうか(映画会社も金がかかりすぎるので任せられないということ)。もともと僕はこの人のファンのようなところがあって、それというのもコーエン兄弟映画の撮影監督をしていたという事と、僕のオールタイムベストの一つである「赤ちゃん泥棒」の監督さんである為だ。僕は中国留学中に、この「赤ちゃん泥棒」を本当に何度も観た。映像もくだらなさも、とても素晴らしい作品である。
 しかしながらこの「ビッグ・トラブル」は、日本未公開という事もあって見逃していた。それで改めて観ることにしたのだけど、やっぱり時代的に古くなっているのと、この監督の持ち味であるくだらなさが、あまりいい効果を生んでいない作品だった。まあ、あの時代だから面白かったことは、今の時代では面白くなくなっているだけこの事ではあるのだろう。それとやっぱり、僕が年を取ってしまったという事なんだろうね。
 映画の中で繰り返しヤギが出てくる。あちらの国ではいろいろと隠喩的に意味があるのだろうけど、これが無説明では今一つ僕らには分かりにくい。説明されても感覚的にもうまく面白さが伝わってこない。こういうのは文化の問題だが、日本に未公開だったというのは、俳優たちの知名度も含めて、このような感覚的なものが日本の興業には向かないと判断されたのかもしれない。また、この話は結局浮気した側が勝利するようなところがあって、旦那さんが可哀そうな気もする。そのようなよく分からない倫理観も、今一つ面白さが分からないところかもしれない。
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佐賀に水をあけられる長崎

2018-09-26 | 散歩
 久々に佐賀に行く。用事があって行ったというか、映画を観に行ったのである。長崎でも上映されていたが、時間が合わない。そろそろ打ち切りで、回数が減らされていたのだろう。ネットで検索すると佐賀でも上映されていた。時間帯もちょうどいい。朝飯を食べた後だったが、つれあいに確認してそれでいいという返事だったので、予約して少しダラダラして時間をつぶし、上映時間との調整をして家を出た。ナビの予測では1時間20分くらいはかかるらしい。この日は連休初日という事もあって、渋滞予想なども出ていた。しかしそういうナビの予測は、なんとなく外れて助かった。



 特に佐賀に恨みがある訳では無いが、長崎県民と佐賀県民は以前から相性が悪いとされている。佐賀はもと鍋島藩で長崎は天領だから、という説もあるが、そんなに古くからのものなのだろうか。まあ、お互いにバカにしあっている間柄というのは、単にお隣の県だからだろう。お互いに田舎具合が激しく、面白くない面がよく見えるのだろう。



 そういう事だが、僕の職場である事業所のスタッフの話によると、若い人などは時々佐賀に遊びに行っているらしい。何故だか僕は非常に驚いてしまうのだが、要するに佐賀に遊びに行くという文章に、すでに何かダサいものを感じる訳だ。そんなところに行ってどうするのだ? しかし僕らは、今まさに佐賀に映画を観に行っているのだ。長崎より佐賀の方が都合がいいという事実は、何とも口惜しい感じである。まあ、映画に関しては長崎は最初からダメな県なので、これはもう仕方ない訳だが、何か文化的に劣るような感覚は、やっぱりあるのだった。



 佐賀県民の自慢というのに、福岡に近い、というのがあるそうだ。これだから佐賀はバカにされるのだよ、と思うのだが、要するに福岡から距離のある長崎を馬鹿にしているらしいのである。そういう精神性は何とも悲しい感じがするのだが、島原の自慢に熊本が近い、というのも聞いたことがあるので、まあ五十歩百歩かもしれない。



 という事で映画を観て、少し遅めの昼食を食べた。入ったのはサイゼリヤである。説明は不要だろうが、馬鹿みたいに安いパスタの店である。でもまあこれも今のところ長崎には無い。福岡から遠い所為だろうか。
 友人の岩ちゃんはサイゼリヤで飲むこともあるらしい。ワインなどもあるし、いわゆる飲み屋としても使えるのだろう。昼間から飲めるような店はそんなにないが、そういう意味で重宝するのかもわからない。僕も出張中に数回利用したことがある。最初に入った時、まさに馬鹿みたいに安いので感動した。それにまあまあ旨いし。



 でもまあ佐賀というのはラーメンも旨いし、うどんも旨い。米どころで酒だって旨い。どういう訳か、ちゃんぽんにも個性があって面白いところである。そういう食べ物には困らないようなところであるが、観光だけがなんとなく弱い。そういうところが長崎の優位性だと思っていたが、日ごろの娯楽に差があるというのは、あんがい盲点だったな。
 ところで映画館は109シネマズ佐賀というところで、モラージュ佐賀というショッピングモールの中にあった。親会社が双日ということで、旧日商岩井系らしい。あのナイキを救った伝説の商社である。
 佐賀にはこのようなショッピングモールが三つあるらしく、激しい競争をしている。ゆめタウン佐賀とイオンモール佐賀大和、ともに規模的にはよく似ている。あと、ラウンド1スタジアムという娯楽施設もある。息子も遊びに行ったことがあるらしい。こういう商業娯楽の面では、やっぱり長崎は佐賀に後れを取っているように感じる。三菱も調子悪いようだし、長崎の衰退は目を覆うばかりなのであった。

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観るのをあきらめるな!   カメラを止めるな!

2018-09-25 | 映画

カメラを止めるな!/上田慎一郎監督

 ホラー映画の撮影現場。鬼のような監督のもとストレスのある撮影が行われていたが、そのうち本当のゾンビがあらわれて、さらに深刻な混乱が広がる。それでも撮影をやめようとしない監督の狂気のままに、ホラーの闇が深まっていくのだったが…。
 その後の展開が重要なのだが、それを語るわけにはいかない作品。いわゆるネタバレごめん作品である。低予算で小さい規模での上映に限られていたものが、その面白さに人気に火がついて大ヒットにつながり、こうして劇場公開を観ることができたわけだ。
 話題になっていることは知っていたが、低予算ホラーは苦手な方である。ところが絶対に見るべきだという声も聞こえてきて、そこまで言われるのならと観ることにした。さらに長崎の上映時間と合わなくて、佐賀まで遠征した。結果、やっぱり面白かったです。これはホラー部分は客を選ぶだろうけど、後半は万人向けであろう。更にやっぱり人に薦めたくなるのもよく分かる。何故なら見なきゃこの感じはなかなかわからないだろうから。けっこう笑えて、観た者同士で語り合える作品ともいえるだろう。仲間づくりには欠かせない要素が詰まっていて、そこのあたりがこの作品の最大の魅力になっていると思われる。アイディアが何より良かったのだろうけど、低予算だからこそ面白さにつながっていることも素晴らしいのであった。まあ、気持ちは悪いんだけどね。
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大会主管してました

2018-09-24 | 散歩
 今回は準地元長崎。某会の長崎大会主催のためやってまいりました。まあ、立場はお迎えするというものなんですけどね。



 まずは腹ごしらえ。居酒屋さんのランチでした。





 実はその後忙しくて、写真無いんですよ。
 資料詰めは人数集まって割合早く済んで助かりましたし、別段時間に追われていたわけでもなかったんですけど、会議やって打ち合わせやって懇親の席があって二次会あってコンビに行って部屋飲みしただけです。いよいよ始まって緊張感はあったかな。




 で、翌朝のホテルの朝飯。



 いよいよこれからが本番なのです。この日はあいにく雨でありました。





 スピーチは話の組み立て間違えたんですが、まあそんなに内容も無かったので何とかなりました。以前と比べるとそんなに緊張しなくなったな、と我ながら思います。でも、慣れてしまって何んとも無い訳でもない。もうちょっと何とかならないかな、というような思いがあるから、まだまだやれるのかもしれませんけどね。



 ということで弁当食べて午後の部へ。

 分科会廻らせてもらいました。みんな熱心、凄いですね。分科会によって緊張感が違いまして、質問だらけのところから、グループ討議で徐々に打ち解けるところまでさまざまでした。テーマが広くて難しいところもあったかもしれませんね。専門用語がよく分からないところもあって、改めて参加者の立場の幅広さも知りました。お仲間と言っても、普段やってることはずいぶん違ったりするようですね。

 懇親会でも挨拶して、役割終えたんで調子よく飲んで、アトラクション特等席で楽しみました。役得ですな、すんません。

 長崎組で二次会にもくり出しました。



 盛り上がりました。面白い話も聞けたな。事業所でいろいろチャレンジしてるんですね。僕等も頑張らなければ!



 まだ食い足りない、って人がいて…。



 やっちまいましたよ。




 部屋に帰って昨夜の残りのワイン飲んで、ほぼ寝落ちしました。



 最終日は全大会打ち合わせして、その後壇上に登っただけで何にもせず。ありがとうございました。
 講師の先生お迎えに行って、少しお話もしました。ほほ~、やっぱユニークな人ですね~。
 そのままお話も聞いて、ちょっと涙して、タクシーまでお見送りしました。最後までしゃべりっぱなしの人でして、面白かったです。


 さてさて、みなさん、終わって帰って行かれましたよ。お礼も言われましたけど、こちらこそ感謝であります。販売もお疲れ様でした。

 ウチの事業所の人とお疲れ昼飯。近くのアミュだと人だかりだろうということで、やっぱり居酒屋ランチとなりました。けっこうボリュームあって、コーヒーまでついてました。
 簡単な反省会兼ということですが、笑いあって良かったです。確かにちょっと疲れましたね。その後職場に戻ったんだけど、疲れてはかどらなかったです。




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田舎に帰って心の傷は癒えない(場合がある)   シンクロナイズドモンスター

2018-09-23 | 映画

シンクロナイズドモンスター/ナチョ・ビガロンド監督

 失業して酒浸りの日々を送っていたが、同棲している彼氏からも見切られてアパートを出ることになり田舎に帰る。空家となっている自宅に戻りはするものの、何のプランも無い。そこにちょうど幼馴染の男性が通りかかり、彼のバーで働き出すことになる。アル中のケがあるので毎日飲めてハッピーだし、生活は相変わらず破綻気味だが、皆優しいので形の上では何とかなっていたように見えていた。ところがちょうどその時、韓国のまちに怪獣が出現する事件が起こる。時差の関係もあるが、彼女が朝方公園で何かをしている時に、その怪獣も活動しているらしいことが気になりだす。何の因果があるのかは全く不明だが、何かその不思議なつながりのようなものに、彼女の心も囚われていくのだった。
 アン・ハサウェイがほとんど重要な映画。彼女の変な感じがなければ、なかなか成立しえないハチャメチャな物語だから。特に重要な意味など必要ないのかもしれないが、だらしなくも放っておけない存在だからこそ、まわりの男たちの奔走が始まるわけだ。物語は素直には進まないし、結末もなんだかわけ分からないが、なんじゃこりゃ、という映画は楽しむことはできる。子供のころの体験って大切かもしれませんね。
 怪物が現れる舞台が韓国だったのは何故だろう? 撮影しやすかった何かがあったのか。人をたくさん使うので、エキストラを雇いやすかったとか。また設定では少なからぬ人が死んだはずで、そういう部分のアメリカ人への感傷への考慮があったという事か。しかしながら最終的にはこの遠い場所にトリックもある訳で、まったく効果が無い訳では無い。
 最終的に誰と付き合うべきだったかとか、考えにくい謎は残る。いろいろつらいことがあっても、安易に田舎に帰っても仕方ないじゃないか、という映画かもしれない。過去には邪悪なものがあった訳だし。そういう意味では、都会で苦労している人は、都会で骨をうずめてください。一花咲かせることが出来るかもしれないし、そのままダメかもしれないですけどね。
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名刺は相手を愚弄するか?

2018-09-22 | 境界線

 愚行録って映画を観てたら、渡した名刺の上に水滴滴る生ビールのジョッキを載せても、そのことに気づかないまま話に熱中する男の場面があった。名刺を渡した記者は、そのことに気づきながら、その男自体に嫌悪を抱いている様子ながら、取材なので静かに話は聞いているのだった。
 映画としては、なかなかいい演出だと思う。相手の性格も分かるし、そんな人間を好きになれるわけがない。しかし、そういう生き方をしている人でも、社会的にも成功者になったりする。社会というのは不条理なのだ。
 ところで名刺の扱いには、確かにうるさい人がそれなりにいるようだ。宴会の席で名刺交換をしていて、ある人が名刺の裏に何か書き込んでいた。それを見ていた人が、激しく叱責しているのを見たことがある。その人の分身である名刺をそのように扱うことは大変に失礼だ、という事らしい。そういう宗教でもあるのかな。
 名刺をもらったその場でするのかどうかは分からないが、もらった名刺にその時のエピソードなどを書き込んでおくことを進めているビジネス書を読んだことがある。そうすると相手のことを忘れにくくなって良いという事だったと思う。実践したことは無いが、まあ、そうかもしれない。
 名刺に何か書き込んで、それを渡すという人はいる。それは自分の名刺だから、それでいい。中には人の名刺にいろいろ書いてくれる人もいた。要するに紙なので、メモにも使える訳だ。
 以前仕事で挨拶に行った折に、担当の人が名刺を持っていなかった。うちの会社はケチで経費で落ちないので名刺が無い、と言っていた。へえ、と思ったが、会社の信用よりその人の信用が今一つ、という印象をもった。ただ名刺が無いと言われたところで、特に気にしないだろうに。
 営業の人で、何度も名刺をくれる人がいる。どういう理由かは分からないけど、一日に何枚配るか、何か目標にでもしているのではないか、と考えたりした。逆に営業に来たら、必ず名刺をくれという人もいた。実際に会社などを訪問したかどうかの、証拠物件にでもなるんだろうか。大変な上司を持ったもんだな。
 青年会議所時代には、名刺に写真がついている人が多かった。これは確かに便利だった。たくさんの人と名刺を交換すると、分からなくなる場合はある。写真だと名前より思い出せる。しかしながらそのまま会社などの名刺に写真を使っている人というのは、あんがい少ない。お金の問題もあるかもしれないけど、何か文化の違いがあるんだろうか。良いと思っていたはずの僕だって、自分の名刺は写真付では無い。どうしてだろう。
 やたらに凝った名刺をもらうことがある。サイズが極端に違ったり、分厚かったり、いろいろ書いてあったりする。やっぱりそういう方針というか信念というか、考え方があるんだろう。ふーんとは思うが、だからその名刺についていろいろ説明を受けても、特に感心したことは無い気もする。でもまあ少数派ではあるようで、一定の目立ち効果はあるかもしれない。もちろん感心してないから、マネもしないが。
 名刺の扱いなんて、たいして重要では無い、と書こうと思って思い出したが、名刺を渡した相手が、そのままテーブルの上に僕の名刺を忘れて帰ってしまったことがある。別に怒りはしないが、確かにそれとなく悲しい気分にはなったな。まあ、おっちょこちょいな人なのかもしれなかったが、そういえば仕事にはつながらなかった。別に怒ってたわけじゃないけが、そういうものかもしれません。最低限は気を付けましょう。
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いい思い出ではないが懐かしい感じ   僕らの七日間戦争

2018-09-21 | 映画

僕らの七日間戦争/菅原比呂志監督

 宮沢りえの初主演作としてカルト的(?)に人気の高い作品。徹底した管理教育に反発した中学生たちが蜂起して、何か防衛相関連施設らしい廃墟に立てこもる。そこに捕えに来た先生たちと対峙して戦い、何故か廃墟にあった戦車などを使って警察とも戦うという一大事に進展するのだった。まあ、連合赤軍の浅間山山荘事件を暗示しながら、中学生を使ってずいぶんソフトに大きな事件を矮小化したものと考えられる。基本的にはファンタジーで、結局なんだかよく分からない展開になって終わってしまった。宮沢や教師役の俳優たち以外のキャストは、今はどうなっているのかよく分からない。いかにも80年代らしい雰囲気があって、懐かしいのだけれど、物悲しくも感じられる。映画としてはちょっとなんとも言えない出来栄えであるが、驚異的にかわいい宮沢りえを見るだけでも、価値があるという事かもしれない。
 教師や機動隊などが籠城している廃墟に突入してくる訳だが、さまざまな抵抗を試みて撃退してしまう。映像を見る限りでは、そうとう怪我をしたりしたはずであるが、これが咎められない訳がないという思いがしてしまう。そこのあたりがファンタジーという事にしないと都合が悪い。
 冒頭に抑圧された学校の風景が描かれるが、これも今となってはファンタジーに見える人が多いのかもしれない。しかしながらそう思う人には意外に思うかもしれないが、僕らの頃の中学高校は普通にこんな感じだったな、とも思った。教師は好き勝手に暴力をふるい、生徒の持ちものを奪い、暴言や抑圧で支配していた。学校に行くのは本当の馬鹿らしいものだったが、他に行くところが無いし仕方なく教師たちの遊びに付き合っていたものである。おかげでロクな大人になれなかったけれど、そういう時代だったのだから現在がある。僕らは単に犠牲になっただけのことである。
 という訳で、僕らは辛うじて教師を殺さずに成長できた。それだけはかなり幸運だったな、と改めて思い起こした映画だった。
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歩き始めは足の裏が痛い

2018-09-20 | HORROR

 体調のことが話題に上がることが多くなった。ほとんどシリーズ化が可能じゃないかと思える。僕が特に気にしているのは、足の裏のことなのである。それというのも足の裏が痛いから。
 ふだんから日課として散歩するが、歩きはじめに既に痛い。しばらくすると忘れるけど、主に土踏まずのあたりが痛いような気がする。飛び上るくらい痛いというのではないけれど、なんか痛いんだけどな、と思う。毎回そんな風に思いながら散歩を始める。帰ってくると、歩いている時のような痛みでは無いにせよ、今度はコリがあるような痛みに変わっている。まあ、運動したんだからしょうがない、と思っていた。
 座ったりすると、自分で指圧してみたりする。痛くて気持ちがいい。場所によってはひどく痛む。指の付け根の裏だとか、やはり土踏まずは全体的に痛い。足の真ん中よりちょっと上あたりもひどくいたいかもしれない。
 内臓が悪いと足の裏が痛くなる、と脅されることがある。僕の内臓はひどく悪いと知っているし、嫌な感じである。そういう本を引っ張り出したりネットでみたりする。おおむねなんだか胡散臭い。足の裏と内臓がつながっているという記述があったりする。つながるったって、どうつながるんだろう。そういう理屈が今一つ信用ならない。
 確かに足の裏を何か専用の器具で押して、痛い痛いと言いながらマッサージを受ける人がいる。特に趣味の人でもなかろうが、それが健康法のような風に信じているのかもしれない。竹踏みをしている人も聞いたことがあるし、痛いけど頑張ることが健康にいいという事だろうか。痛いというのがなんとなく気になるが、本人が満足なら仕方がない。
 以前ある先輩が、やはり足の裏をギューと押すのを日課にしていると言っていた。本当に涙がこぼれるくらい痛くて、またそれくらいやるから僕は健康なんだと言っていた。なるほどそんな健康法があるんだな、とその時は感心しないまでもほほーっと思った。それからのちその人は、何年もしないうちにガンで死んでしまった。今思うと、足の裏だって痛くなるような事があったのかもしれないな、とも思う。
 気になるというか、やはり足の裏の痛みは、若い頃と多少違う感じがあるかもしれない。器具を買って試してみたが、あんまり固い奴は痛すぎるような気がする。押している手は楽だけど、受けている足の裏が楽では無い。でもまあ自分で指圧しても飽きてしまうし、長続きしない。長続きしたから良いかどうかも分からない。
 そうして散歩に出ると、やっぱり足の裏が痛いな、と最初は思っているのである。
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山の暮らしは困ることもあろう   ベル&セバスチャン

2018-09-19 | 映画

ベル&セバスチャン/ニコラ・ヴァニエ監督

 フランスでヒットした映画だという。原作も有名らしく、アニメ作品もあるらしい。もちろんそれらのことは知らなかった。自然描写が美しく、フランスという国は田舎も壮大なんだなと思った。
 戦時中ドイツの占領下にある山中の村には、野獣が家畜を襲う被害が出ていた。ところがそこに暮らす少年と巨大な犬は、なんとなく心を通わせるようになり、この野獣騒動はとばっちりであることが分かってくる。しかしながら大人たちからは、この犬は命を狙われることになる。少年の言うことをよく聞いて、この賢い犬は難局を乗り越えていくのだったが…。
 犬を使った映画のようなものは、どうしても人間の都合で演出するので、ワザとらしいところが出てしまう。特にこの犬なんだが、明らかに最初から心優しさが出ている。野犬の恐ろしさが伝わってこないのである。もう少しオオカミのような犬を使うべきだったのではなかろうか。もしくは牙が出ている奴とか。まあ、いい犬だからこそ交流が美しい訳で、キャストとしては仕方なかったのだろうけど。
 僕は学生時代には貧乏旅行を楽しんだりはしたものの、冒険というものには縁が無い。今後もするつもりはない。理由はお腹の調子がいつも悪いから。特に午前中の移動というのに不安がある。この映画のように険しい山中を踏破するような試みは、とてもできそうにない。要するに戦争になったら、すぐに殺されてしまうクチだろう。この映画のように大自然の中動き回る人々は、トイレはどうしてるんだろうな、といつも思う。映像的に難があるのでトイレシーンなどは割愛されているのだろうけど、まあ、野グソをしてるんだろうね。仕方ないだろうし。
 いいお話というのは分かるのだけど、ちょっと中途半端な感じが最後までぬぐえなかった。たぶんなんとなく健全すぎるからではなかろうか。子供向けの映画であっても、そういう部分はちゃんと作り込まないといけないのではなかろうか。確かに少年と犬というのは、絵になっているとは思うのだけれど。
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栄養が少ないから透明で黒くなる海

2018-09-18 | Science

 黒潮の恵みなどと言う言葉もあるが、その言葉からは豊かな栄養豊富な海という印象は無いか。黒潮の流れは非常に早く、透明で澄んだ海水である。それはプランクトンの少ない栄養分の少ない水なのである。プランクトンの育ちにくい栄養の少ない水だからこそ、透明度が高くなり、ずいぶん深いところまで光が届く美しさがある。
 ところが黒潮の名前の通り、海面から海を見ると、黒っぽい海のように見える。これは光が深いところまで到達してしまうために青い可視光の反射が少なくなり、人間にとっては黒く見えるという事なのだ。
 また栄養分の少ない海水であるとはいえ、その流れの影響で、深海からの流れを岸まで運ぶ力も働く。黒潮の流れに乗って、熱帯の沖から海流に乗って流れ泳いでくる生き物もたくさんいる。またそれを追って中型の魚や、さらに大きな魚が集まってくる。結果的に日本近海の海の豊かさに、大きな影響のある流れであることは間違いない。黒潮のおかげで、日本は豊かな海の恵みを享受してきたと言えるのである。
 また日本の気候も、この黒潮の影響を受けている。もちろんその他の要因が複雑に絡んでのことではあるにせよ、黒潮の恩恵無しに私たちの暮らしは無いのかもしれない。日本列島の位置する緯度の多くは、砂漠など過酷な環境化が多い。日本列島と大陸の間に日本海があり、日本の陸地には急峻な山々が立ち並んでいる。黒潮の温かい流れが雲を作り、日本海側は有数の豪雪地帯となっている。また雨も多く降る。雨は陸地の栄養を、沿岸の海にもたらす。貧弱な栄養の水は、沿岸部においては多くのプランクトンを育む豊かな海へと変貌するのである。
 日本には、資源の少ない国という印象があろうかと思うが、そのような循環の上に、豊かさを享受する仕組みになっているとも考えられるのではないか。なんとなくそこに暮らす人間の考え方にも、影響があるのではないかとも思うのである。
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偉大な天才の不幸な人生   奇蹟がくれた数式

2018-09-17 | 映画

奇蹟がくれた数式/マシュー・ブラウン監督

 インドの偉大な数学者ラマヌジャンの伝記映画。僕は科学ドキュメンタリーを定期的にみているので彼のことは知ってはいたが、こんな人生を歩んだとはつゆ知らなかった。独学で数学を学びインドでも無名だったが、ケンブリッジ大学の教授に、ある数式を送ったことで驚かれ、英国に招聘される。しかし彼は直感で数式を導き出す大天才で、その根拠となる数式の証明については、(基礎的な数学の基礎が無い所為かもしれない)後で他の人にやってもらっているようだった。もともと戦時中の英国の植民地であるインドの出身という事と、さらに身分も低く教育も受けていない人間がいきなり神の啓示のように数式を表したとしても、英国の知識人たちはこれを受け入れられるようなことをなかなかできなかった。招聘したハーディというこれまた風変わりな無神論者で空気の読めない教授(と友人の数学者)以外は、彼をまともに評価できないのだった。
 映画では迫害されるインドの青年の姿が延々と描かれる。宗教的に菜食主義者のために栄養をまともにとれずやせ細り、寒い英国にありながら靴を履くのが苦痛で(シャレでは無い)スリッパ生活である。軍人や学生からはインド人の無駄な学生となじられ殴られる。講義を受けるとノートも取らずに理解する上に、すぐに数式を思いついて教授を圧倒してしまい、嫉妬で迫害される。実際に数学者であれば彼の数式がいかに斬新で素晴らしいかは理解できないではないのだが、いかんせん説明しようにも証明は複雑なうえに広範で膨大に及ぶし、一冊のノートの解題であっても一生かかるような難事業なのだから、とても他の専門家にもその偉大さは伝えることが出来ない。そんな中彼は孤独に陥り、心を閉ざし重い病気になってしまうのだった。
 実際の話としても、ラマヌジャンの偉大さは、そんなにすぐに理解された訳では無かった。そうしてやっと現代になってから数式の活用がなされるようになってきている訳であって、あまりにも早くに生まれすぎたのと、まさにインドで生まれたことが不運だった。
 しかしながらたとえそうであったとしても、やはり英国は結果的には彼を認める器量はあったのである。本人にはつらい仕打ちばかりしたとはいえ、最終的にはその価値を認めていたからこそ(認める力のある人が少なからず居た)、その功績は残されたと考えるべきかもしれない。ひとの一生としては大変に不幸なものだったようだが、後の人間にとっては彼の偉大なる功績の恩恵は受けられている訳だ。
 結局は多様性を受け入れるまでの人間性の物語なのかもしれないし、素晴らしい価値というのは、時代によっては分かり得るものでは無いという事かもしれない。おそらくなのだが、今までにもそのようにして、多くの国の下に偉大なる天才は、その存在さえ知られることなく死んでいったに違いない。ラマヌジャンの天才ぶりはそれでも群を抜いていたという事もあるかもしれないが、例えば日本にだって天才とまではいかなくても、優れた才能は活かされることなく無駄に葬られたものがたくさんあるに違いない。ひょっとすると現代であっても、そのようなことが起こり得るのではないかとも思われる。いくら不遇な境遇で、さらに難しい風変わりなものであっても、受け入れられる土壌が無ければ、人間は簡単に迫害して捨て去るものなのだ。
 これを英国の酷い過去だと思うのは、だからこそ映画の本質では無い。実際にひどい話だが、ラマヌジャンの教訓は、だからこそ生かされなければならないのだ。変な人だったには違いないが、最後は奥さんと過ごせただけでも良かったと考えたいと思う。さらに奥さんは、なんだかもっとかわいそうだったけれど…。
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美女・美男は変わったか

2018-09-16 | 雑記

 自宅に居て朝から民放などをみることは無いが、旅行中などは別だ。たまに人と同じ行動をとると、民放が目に入る。それでまあ驚くということは無いが、当たり前だがCMがうるさい。よくまあこんなものを見ているなという思いもあるが、しかしながら見馴れてないので、一体これは何だろう、と思うことがある。意味がまったく分からなかったり、何を売っているのか分からないというのがある。それでいいから忘れるけれど、そんなんで本当にいいのか。いや、それは良いに決まっているが、もう30年くらいCMを意識的に見ていないと、ちょっとしたウラシマ状態になるのかもしれない。
 僕は日ごろ映画を観るからあんまり気にしてなかったかもしれないけれど、テレビに出てくる美人というのが、ずいぶん変わったような気もする。いわゆるあんまりかわいくないような人が増えたような気がする。それは普通っぽさかもしれないし、多様性かもしれない。または予算の都合かもしれない。それでも旬の可愛い人は居て、それは確固たるものかもしれないが、それ以外での可愛さというのは、確かにかわいいんだけど、角度的なもののような疑いを持ってしまう。一瞬芸としての可愛さというようなものを、彼女らは持っているのではないか。いや、可愛い問題だけでは無くてかっこいい問題ももちろんある。男たちは過去の映画スターなどに比べて、格段にカッコよく無くなっている。さらにそのカッコよさのようなものが、僕には良く分からなくなりつつある。記号としての二枚目の筈なのに、それは本当にそうなのか? という確認に時間がかかってしまう。
 CMに戻ると、分かりにくいものがあるのと対比的に、分かりやすすぎてギトギトしているものもけっこうあるようだ。いわゆる小林製薬を代表する分かりやすさが、他にも一定以上あるように感じる。分かりやすさと分かりにくさが混じってどーんと流れていて、もっと無茶苦茶な圧力を感じる。CMで疲れて、そのまま見続けるのがつかれるような感覚がある。もういいかな、という気分に早くなりやすい。それは単に年の所為なんだろうけれど。
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