カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

疑わしいのは自分の記憶だ   殺人者の記憶法 新しい記憶

2024-08-30 | 映画

殺人者の記憶法 新しい記憶/ウォン・シニョン監督

 アルツハイマー認知症にかかった(もっともそれ以前に事故の影響で記憶障害があるようだけれど)元連続殺人犯が、現在新しく発生している連続婦女殺人事件の犯人と遭遇し、しょっちゅう消えてしまう自分の記憶に戸惑いながらも、真犯人を追い詰めようとする物語。何しろ新連続殺人犯は若い警察官で、愛する娘に手をかけようともしている様子なのだ。そもそもの犯行を白日の下にさらし、警察に協力するも、相手に先回りされ空振りしてしまう。そのうちに実際に娘と犯人は、具合の悪いことに親密な関係になってしまう。さらに新しい犯罪の犯人に、自分が仕立て上げられるような罠にかかってしまうのだったが……。
 顔の痙攣が始まると、正気の時の記憶がどこかにいってしまい、そのまま失われてしまうことになる。正気な時に、携帯の録音機に真実の内容をとどめておくよう録音しているが、いつ記憶が飛んでしまうのか、自分でも予測がつかない。そのうちに自分が今、どのような状態にいるのかさえ、あいまいになっていく。殺人者のことは、そもそも殺人者である自分の予測範囲で、理解できるものがある。何しろ自分が経験済みなので、相手の身になって、これまでの連続殺人の謎に迫っていくのであった。
 ミステリ作品なので、さまざまな仕掛けがある。そうして非情なる危機に向き合うことになりながらも、何度もどんでん返しが隠されている。後半は特に忙しいことになるのだが、やっぱり騙されてしまうのではあるまいか。いったい何を信用していいものか、観ている人も混乱に巻き込まれてしまうだろう。それこそが、この映画の狙いではあろうけれど。
 何しろ記憶があいまいなうえに、簡単に都合よく改竄した新しい記憶で埋めたものをもとに映像化しているので、妙なことになってしまうのである。彼が殺人者になってしまった動機というのも不幸なことなのだが、だからと言って正義の殺人を繰り返す狂気もまた、ひどい話である。これだけのことをすると、やっぱり普通は警察の捜査は進むはずなのだが、殺人の手口は幼稚なものなのに、死体は自分が所有している土地の竹林に埋めてしまうので、いわゆる行方不明として分からなくなっている、ということなのだろう。
 とにかく良くも悪くも韓国映画で、残酷なところは気持ちが悪い。しかしながらそういうところにも感情移入がしやすい構造になっているので、人間の欲求に忠実なものである、ということなのかもしれない。とにかく恐ろしくて嫌になってしまうけれど……。
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仕方ないクールな戦い   THE KILLER暗殺者

2024-08-28 | 映画

THE KILLER暗殺者/チェ・ジェフン監督

 元暗殺者で裕福な生活をしている男の妻が、友達と旅行に行くという。そうして妻の友人の娘である女子高生を、旅行の間面倒を見るように言われる。男は愛する妻のいう事を、はねつけることが出来ない性分のようだ。そうして妻を空港に送った後、その女子高生とその友人は、夜のまちに遊びに行くというので、小遣いを渡して送ってやる。しかし彼女らは売春組織に拉致誘拐されてしまうのである。状況がまずいので、彼女らを救い出すために、悪の巣窟に殴り込みに行くことになるのだった。
 荒唐無稽なアクション映画なのだが、テンポもいいし、鉈やナイフや拳銃もふんだんに使われて派手だし、なかなかに盛り上がって観ることができる。預かった女子高生は、単なる馬鹿なのだが、だからと言って誘拐していいとは言えない。悪の組織も段階を経て、闇が深くなる感じもする。強力なライバルのような手強い敵も存在する。それらの敵を顔色一つ変えることなく、どんどん殺して先に進んでいく。悪い警官もいて、利用したりする。ふつうなら体がいくつあっても足りないところだが、超人なので、絶対に死なないのである。
 しかしながら、こういう活劇のさらに面白くなる要素として、主人公もダークな悪人だということかもしれない。いわゆる正義の味方だと、いろいろと制約があって、例えば敵をやっつけるにしても、残酷にやってはならないようなところがあると、観ている方は結構シラケる。この主人公は、手段を択ばない上に、いくら悪人だとはいえ、拷問にかけたり、誘導してひっかけて、結局虫けらのように殺したり、ひどく残忍なところがある。それはクールさというか、かっこよさの演出ではあるのだが、そういうところがかえって清々しいところがあって、観ていて気持ちがいいのである。悪い奴だから殺しているというだけでなく、自分が困るから(奥さんに怒られるかもしれないからだという、なんとなくの情けなさもあるが)めんどくさいけどやらざるを得ないのである。金もたくさん使うし、もちろん命だって削っている。もともとやり手の殺し屋だった設定だし、以前の狂暴な血が目覚めてきて、クールにはやっているが、楽しんでもいるのかもしれない。ヤバい感じもあるはずなのに、そういうところが仕方なくて良い訳である。
 そうではあるが、いったいどこまでやるべきかというのはある。一種の罠にはまっている訳なのだが、巻き込まれる理由は何なのだろうか。ふつうはここまでやる必要など無い訳だが、それはやはり愛なのかもしれない。そういうところはちょっと笑ってしまうのだけど、そのぶっ飛びどころが行き過ぎているので、許してやるより仕方ないのである。
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若い田舎の女は不憫だ   メグレと若い女の死

2024-08-26 | 映画

メグレと若い女の死/パトリス・ルコント監督

 若い女の刺殺体が通報により発見される。女の身元は分からないが、着ている高価なドレスの割に、靴など粗末なもので釣り合っていない。徐々に分かっていくが、田舎から出てきたが、都会では成功することもできなかった、ありふれた女性だったようだ。彼女とかかわりのあった上流階級の男と、いざこざに巻き込まれ、失意の底にあったということか。
 一方、捜査を進めるメグレは、被害に遭った若い女のような境遇にあるかもしれない田舎から出てきた万引き女と知り合う。メグレ夫婦は過去に娘を亡くしていることも示唆されている。生きていれば、おそらく年恰好も同じくらいなのかもしれない。そのような想いも錯綜して、事件の解決の糸口も、見え隠れしていくのだったが……。
 いわゆる都会に憧れて田舎からのぼってきた若い女性の、ありふれた不幸の形を描き出した物語なのかもしれない。それはたいそう不憫な不幸であって、誰も安易に助け出すことができない。金が無いだけでなく、成功もなく、ひどい仕打ちを受け、見捨てられる。そのようなことが、都会ではいくらでも積み上がっていくような仕組みになっている。事件そのものは、奇異なものになってはいるものの、実際には、そのようなありふれた不幸の終結だったのかもしれない。亡くなった後も、しばらくは誰かもわからなかったように、誰も関心さえ抱かない。メグレはそのような悲しさについて、多くを語らずとも、向き合っているということなのだろう。仕事で犯人を追わなくてはならないが、それが本当の目的なのかもよく分からない。それはむしろ、自分の娘に対する懺悔のようなものを含んでいるかのようだ。
 実際に映画として、何か盛り上がりに欠けるようなものがあるが、そもそもそのような推理映画の枠で、作られているものでは無いようだ。暗い影が残りながら、あでやかさへの憧れが残っている女たちの姿が、何度も形を変えて描き出されていく。監督さんは、本当に女好きなんだなあ、という感じかもしれない。そういう意味では極めてフランス映画的な作品なのかもしれない。あの国はスケベであることに、本当に素直すぎる。でもまあ、僕が男だからそんなことを思うのかもしれないが……。
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事件は知らないところで起こっている   落下の解剖学

2024-08-24 | 映画

落下の解剖学/ジャスティーヌ・トリエ監督

 フランスの雪の残る山荘から、夫が転落死する。妻はベストセラー作家で、事件当時息子は犬と散歩に出ており(死体発見者だが)、家には二人きりだった。夫は頭に深い傷を負っていて、他殺の可能性がぬぐえなかった。もちろん侵入者が居たとも考えにくい。そうなると家にいた作家の妻に、殺人の容疑がかかってくるのだった。状況判断だけだと、誰が殺したのか、もしくは自殺だったのか、という争点になるのだが、妻は完全に潔白を主張している。しかしながら捜査を進める中で、息子の視力が低下する事故を起こしたのは夫であったことと、それらをめぐって夫婦仲は必ずしも良くなかったことが、次々と判明する。中盤からは激しい法廷劇へと展開していくのだが、何しろドイツ出身のベストセラー作家のスキャンダルとして、国民的な関心も高まっていくのだった。
 大きな賞も取り、かなり評価の高い作品。ちょっと尺は長い(実際もうちょっと削れただろう)が、なかなかに構想が練られた問題作だと言える。ミステリタッチなので関心が途切れない工夫はしてあるが、観る者に対して、かなり挑戦的であることも確かだ。そういう怪しさも含めて、好きな人はかなり取り込まれてしまうのではなかろうか。気まずい雰囲気をかもしだす演技合戦も含めて、芸術性がそれなりに高い。観ているものは、何度もその展開のブレに驚かされながら、このような裁判が本当に有効なのか考えさせられる。状況だけの憶測が膨らんで、それで本当に殺人かどうかの判断をするべきなのか。僕なんかは前からずっと疑問を持ち続けているが、どの国の裁判であっても、事実を追求するのには不適切であるという証明にしかならないような印象さえ受けた。裁判は科学ではない。ある意味、人間であることの限界が、そこにあるだけのことなのではなかろうか。
 まあ、映画としてはそういうことを言いたいわけではないが、親子の愛の在り方も考えさせられることにもなる。僕は結論としてはそう考えてもいるわけだが、もちろんそれは一つの見方であろう。一定の結論めいたものは提示されるが、何か信用できないのである。もっともそれが、この映画が評価されている最大の流れのようなものなのだが……。
 ということなのだが、映画好きなら観ておくべきということになる。実際こういう映画を複数の人が観ることで、映画のレベルは一つ階段を上ることにもつながるだろう。ちょっとほめ過ぎているかもしれないが、いわゆる「羅生門」系譜の芸術映画なのではなかろうか。
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娘が誘拐されたらどうなるか   母の聖戦

2024-08-22 | 映画

母の聖戦/テオドラ・アナ・ミハイ監督

 デートのために10代の娘が外出する。母親も外出すると、急に車が割り込んできて停められ、娘を誘拐したので身代金と夫の車をよこせ、と言われる。警察が信用できないらしく、届けもせずに、別居している夫と共に身代金をかき集め渡すが、結局娘は戻ってこない。さらに追い金まで払わせられる。そこでやっと警察に相談するが、やはり相手にされない(メキシコらしいが、なんという国だろう)。さらにおそらく誘拐グループが嫌がらせをしてくる(銃撃を受け、車を燃やされる)。たまたま軍が通りがかったところに直訴すると、その軍の偉い人がいい人で相手にされる。それで一緒に犯人グループの一味を捉え、暴力をふるい娘の居場所を聞き出そうとする。しかし、その周辺の犯罪組織のチンピラなどは分かってくるのだが、なかなか娘にはたどり着けない。犯罪組織は誘拐した人間を拷問にかけ、多くの人はそのまま殺しているようだ。母親は考えつく先はすべて嗅ぎまわるようになり、独自に娘の居場所を探し求めていくのだったが……。
 お国事情があるのだろうが、誘拐をビジネスにするチンピラがまちにはびこっていて、それらを助けるグルが、いたるところにネットワークを作っている。夫の知り合いや業者、親戚や知人も、すべて何か隠しているようで信用できない。母親は最初はおろおろしているだけで、何もしないで金だけを支払おうとしていたわけだが、そんなことをしても何もならないことを悟り、独自で動く中、犯罪組織のどうしようもなさを知ることになっていく。
 いったい何なんだ、というお話なのだが、こういう社会なら誘拐して金をとることは無くならないだろう。そうしてその連鎖が続く。最初に娘と母親の会話があるが、娘もろくでもないティーンエイジャーで、なんとなく同情できない。探している最中も、娘自体がグルなんじゃないかと言われ、母としては傷つくが、まさにそんなような社会だ。まともに仕事をして暮らすのがバカらしくなるので、そういう悪の連鎖が終わらなくなるのだろう。犯人グループの一味は捕まえることができるが、開き直って罵倒される始末だ。自分を捕まえるようなことをして、(ろくでもないことをした)お前には罰が下される、という事らしい。娘が誘拐されたのは、その親の罪のようなものだ、というのだろうか。本当に馬鹿げているのである。
 一種の社会性をあらわしている作品かもしれないが、本当にメキシコ社会がこんなだとすると、人が住めるところでは既に無いのではないか。母親は誰も自分たちを助けないと言って暴れるが、実に虚しいだけである。人為的な不幸を、誰もどうすることもできないのであれば、人間社会は終わりであろう。
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殺人犯がもてはやされる社会   聖地には蜘蛛が巣を張る

2024-08-20 | 映画

聖地には蜘蛛が巣を張る/アリ・アッバシ監督

 イランのイスラムの聖地と言われるまちで、連続娼婦殺人事件が起こっている。犯人の男は、普通の家庭があり従軍経験のある建築家で、敬虔なるイスラム信者であった。連続殺人をやっている動機は、いわゆる麻薬常習の多い娼婦を殺すことで、まちを浄化しているという狂ったものだった。ところが警察は被害者がそのようなまちの底辺の人々だったことと、そのようなイスラム社会の男性偏重の考え方がある中で、まともな捜査をやってもいなかった。そこにテヘランから女性記者が取材にやって来て、あれこれイスラム社会の男たちの周りを嗅ぎまわるようになる。彼らにとっては、女性が宗教を冒涜しているように感じて、面白くない。その間も連続殺人は行われ、犠牲者は増えていく。そうして女性記者は、娼婦に成りすまして犯人を誘い込む作戦に打って出るのだったが……。(以下ネタバレが含まれるので、読むのはご注意を)

 16人もの女性を殺めていく連続殺人自体は、イランにおいても驚異のものであったのだが、同時にイスラム男社会においては、実際にまちの浄化というか、娼婦という汚点が少しでも減るということを歓迎している風潮があったようだ。そうであるから逆に犯人は、一種のヒーローとして扱われるところがあった。だからこそ杜撰な殺人にもかかわらず、犯人はなかなかつまらないどころか、野放しにされていた可能性さえある。実際に捕まってからも、犯人家族は、ヒーローの関りから逆に庇護されるのである(※ 僕はたとえ凶悪犯の家族であっても、犯行とは直接関係ないのだから非難されるべきだとはみじんも思ってはいないが、このイラン社会は、行き過ぎた異常さがあると言いたいだけである)。犯人の意志を継いで、息子に連続殺人を続けるように期待する空気まであるのである。
 おそらくだが、この映画自体は、そのようなイラン社会に対する強烈なカウンターを放つための映画なのだろうと思う。イスラム教自体が悪いというよりも、このようなイスラム的な曲がった価値観こそ是正する必要がある、ということだ。たとえまちの汚点である麻薬中毒や娼婦であっても、それは、そもそも社会的な貧困が生み出している救済の対象のはずなのだ。それを個人的な殺人快楽のために、抹殺させて喜んでいいはずが無いのだ。そんな当然の事さえ分からないようになっている大衆に対して、目を覚ませ、と言っているのであろう。もっともそれが分かるのは、西側に住む価値観の人間だけかもしれないのだが。そういう分断が明確になり、より恐ろしい映画だともいえるのかもしれない。
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性的魅力には抗えない少年   ファルコン・レイク

2024-08-18 | 映画

ファルコン・レイク/シャルロット・ル・ボン監督

 少年は弟とともに、両親の知り合いのコテージに遊びに来ている。そこには母の友人の娘である少し年上の女性がいて、彼はすぐに夢中になってしまう。彼女は少年を半分弟のようにも扱うが、明らかに自分の性的な魅力を使って、この少年の気を惹いて遊んでいる。少年はひと夏の性の目覚めと共に、その少女性の残る女性に、ますますのめり込んでいくのだった。
 終始性的な期待感を持たせながら、少年の日の出来事がつづられる。地元の青年と年上の女性などの絡みもあり、嫉妬もある。女性は気を持たせているが、真剣に思いを寄せる少年に、わずかばかりの恋心の期待感も無いではない。自分の女としての魅力を、年下の男を使って試している、ということかもしれない。年下なので、性的な誘惑にもコントロールが効くと踏んでいるのだろう。もちろん少年には、頭の中で年上の女性のことしか無くなってしまう。その誘惑に抗えず、自分を見失っていく訳だ。そうして悲劇が訪れることになる。
 基本的にエロではあるのだが、大人になっていく段階で、通り過ぎていく感情を、情愛を使って表しているともいえる。少女から女性になるということと、自我との一致ということもあるのかもしれず、少年を使って自分を確かめているということかもしれない。相手が年上の男性だと、自分の方が翻弄されてしまいかねない。それはもう少しちゃんとした大人になってからすべきことで、大人になり切れていない自分自身の自信のようなものは、性的な興味旺盛の少年でなければならないのである。まさに格好の人が現れ、そうしてその夏はやって来たのだ。
 舞台はカナダのケベック州のようで、フランス語圏の地域である。地元では複数の言語を扱うようで、フランス人の少年とはフランス語で、地元の青年とは地元の方言のようなもので話をする。少年には地元の言葉は、はっきりとは理解できない暗号のようなもののようだ。少年からすると年上の女性は、近くに居たり遠くにいったり、その距離感が行ったり来たりする。背伸びして酒を飲んで吐いたり、地元の青年たちとも一緒に居るが、ちゃんと打ち解けているわけではない。ある意味で蚊帳の外なのだが、年上の女性は、何故か自分を連れ立って行動する。自分はそれに、ついていかざるを得ないのである。
 訳が分からない映画なのだが、おそらくそこがいいのだろう。女というのは、自分の魔力性を持て余しているということなのかもしれない。それで楽しいのかどうかまでは、わからないのだが……。
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やって来た男の料理に皆がしびれる   世界で一番しあわせな食堂

2024-08-16 | 映画

世界で一番しあわせな食堂/ミカ・カウリスマキ監督

 フィンランドの田舎町に、上海から男と男の子がやって来る。彼らは恩人だという人を探してはるばるやって来たのだが、その名前を知る人は誰もいない。そのままその町唯一だろう食堂で働くことになるが、男は上海でも有名なレストランのシェフだったようで、その料理はたちまち人々を魅了するようになる。何しろたいそう旨いようなのだ。
 観光客も必ずこの食堂に寄るようになり、店はどんどん繁盛していく。結局息子も学校に行くようになっていき、友達もできた。しかしながら恩人は相変わらず見つからず、男は息子には、ひどく気難しかったりするのだった。
 まあ、恩人のミステリはあるにせよ、坦々と北欧の田舎の自然と人々の交流が描かれていく。その土地の文化の良さと、中国人という異星人がなじみながらも、困惑しながら街に溶け込んでいく。彼の武器である料理は、さらにこの田舎町を豊かに彩るのである。
 基本的にたいした事件は起きないが、中国の男が街に溶け込み、食堂の女性と親しくなっていくのだけれど、彼のビザには期限があるということなのだ。彼はそのまま帰らなければならないのだろうか……。それが一番の大きな事件かもしれない。
 中国人の男は、いちおう上海から来たことになっているが、話しているのは上海語ではなく普通語である。親子の会話なので、それは不自然だろう。フィンランドの言葉は彼には難しいらしく、最後まで正確に発音さえできない。だから彼らの会話は英語である。
 監督さんはアジアに対して憧憬を抱いている様子で、だから上海の料理に人々が魅了されていく様自体を、ジワリと描きたくなったのかもしれない。人々には嗜好があるので、皆が中華に目覚めるとは思えないのだが、単純にソーセージとポテトくらいしかない食生活には、うんざりさせられていたということなのだろうか。
 北欧の白夜があって、ずっと夕方のような映像も続く。そうして二人は親密になっていく。季節は夏のようで、雪の風景は観られない。そういう季節になると、おそらくまた違った厳しい自然があるはずである。
 基本的にはそのようなファンタジー世界を、堪能する映画なのであろう。明確なドラマチックな物語では無いのだが、いわゆるハマる人には響くものがあるのだろう。フィンランドも中国も、ある意味ではてんこ盛りなのだった。まあ、ちょっとユルすぎる感じも無いでは無いが……。
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恐ろし気なそれらしきサイコスリラー   ナイトメア・アリー

2024-08-14 | 映画

ナイトメア・アリー/ギレルモ・デル・トロ監督

 見世物小屋に流れ着いた男は、いろいろあってそこで働くことになる。手品の助手のようなことをしているときに、相手の心を読む手品の技術を会得する。また、見世物小屋で伝記のマジックを扱う女性とも恋仲になる。数年後、彼らは独立し、霊媒まがいのトリックを使うショーで活躍するようになっている。そうしてそこで金持ちなどから信用を得て、さらに金を稼ぐ道を見つけていく。ある時、心理学者とその知り合いの大富豪の、関連のある死んだ女性の霊媒に挑むことになる。もちろんインチキなのだが、うまく行くと大金を手にできる。綿密な計画を立てて事を成し遂げるように画策していくのだったが……。
 そもそもの映像がおどろおどろしいものがあって、ずっと危うい空気感で物語が展開していく。その怪しさこそがこの監督の作風であり、魅力でもある訳だ。なんだか気持ちの悪さもあるが、それこそが楽しいという人向きである。気持ちは悪いが、実際に本当に恐ろし気なホラー映画では無いので、トラウマになるような恐怖体験をするわけではない。適度に、まるで陳腐な見世物小屋の出し物を観るがごとく、映画を鑑賞するということである。まさに映画設定と、状況がマッチしている。製作人や監督さんたちは、そういう意味では素直なのである。
 展開は複雑で、なかなかに入り組んでいて、裏切りや暴力が続いていく。主人公の男は、それらの荒波を上手く乗りこなしているように見えるが、そうではないかもしれない。何しろ終始嫌な予感に包まれていて、そうしてやはり意外な展開が待っている。基本的には悪夢を見ているようなことになっていく。
 演技合戦にもなっていて、主人公のブラットリー・クーパーはもちろん、ケイト・ブランシェットなど芸達者な人たちが、その恐ろし気な人物を重厚的に演じている。西洋人は、こういういかにも、という演技合戦が好きなような気がする。ある意味大げさなのだが、それがまた、彼ら彼女らには、見事に合っているのである。まあ日本の俳優も、人気のあるのは多少オーバーアクトの似合う人たちであるので、人々の欲求というものは共通のものがあるのかもしれない。まるで見世物小屋を覗きたくなるように……。
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これからも記憶障害は続くわけで……   リピーテッド

2024-08-12 | 映画

リピーテッド/ローワン・ジョフィ監督

 目覚めると女は裸で、横には見ず知らずの男が寝ている。混乱するが、のちに目覚めた男から、夫であると告げられる。過去に事故があって、彼女は一日しか記憶を維持できないことを知らされる。そうやってすでに何年もの間、彼女は一日だけの記憶をもとに、同じような一日を繰り返しているらしいのだ。ところが夫が仕事に出かけた後、彼女の治療に当たっているという医師から電話がかかってきて、クローゼットに隠してあるカメラの動画記録を見ろという。そこでは昨日の彼女が、記憶を失っているだろう今日の自分に語り掛けているものだった。
 医師の指示がありはするもの、この医師自体が言っていることも信用していいのかわからない。しかしながら夫は、確実に何かを隠している。襲われて負傷した記憶は、フラッシュバックのように蘇ることがあるのだが、相手の男の顔はどうしてもはっきりしない。頬に傷があるようなのだが、それが身の回りにいる男の誰かなのか、今一つ分からないのだ。そうして疎遠になっている友人と、やっと会えることになるのだが……。
 最終的には事件の全容は明らかにされることにはなるが、さて、それで本当に解決するのか、正直言ってよく分からないところの残る作品である。そういう事件を起こした犯人は論外ではあるのだが、その事件に至る前に様々な秘密のあったことも明かされていく。そういう人間関係のドロドロしたところを鑑みると、これはいったいハッピーエンドと言えるのか疑問がわくのだ。さらに記憶障害は、明らかに事件によっての脳の障害である。これが元に戻ることは、おそらくありえないはずだ。そうするとこれまでと同じように、一日だけの記憶の中で、これからの人間関係のありようを構築していかなければならないことに変わりがない。いったいそれを、誰が担っていくというのだろうか。
 ミステリのための設定なのであるけれど、現実的な生活のありようを考えると、ちょっと無理のあるものが残っているように感じられる。実際にこのような記憶障害のある人のドキュメンタリも見たことがあるのだが、さまざまな過去の記憶にまつわる資料を身の回りに保持しながら、そうして家族に支えられながら生活を送っておられた。やはり記憶障害というのは大変なのである。実際認知症だって大変なのであるから、若いころからそうなってしまうと、大変な期間が長くなってしまうということなのである。映画の本質的なこととは違う問題かもしれないが、気になるものは仕方ないのである。
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無駄な抵抗よりチャンスを活かせ   消された女

2024-08-10 | 映画

消された女/イ・チョルハ監督

 まさに韓国映画らしい暴力描写の映像てんこ盛りである。そうしてこれが実話をもとにしているとされ、ほんとかよ、と思うはずである。ちょっとあり得ないでしょ、というお話なのである。
 都会のど真ん中で道を歩いていたら、突然男たちに車に引きずり込まれ、そのまま監禁・薬漬けにされてしまう。何が何だか分からないが、そこは精神科の病院であった。彼女は父親殺しの容疑者にされ、そのまま精神病を疑われ入院させられた、ということになったようなのだ。一方でテレビ局のデレクターは、(自分のミスもあるのだが)仕事を干され、起死回生のネタとして、この監禁事件をめぐる精神病院の闇を、暴こうとするのだったが……。
 女の父親は日本の警視総監のような偉い人で、実はこの精神病院の院長とも関係の深い人物だった。その目的は、臓器売買との絡みがあるらしく、権力構造の中で、闇のルートが形成されているという事であるようだ。警察権力と、閉鎖的な精神病棟にあって、マスコミの取材であっても容易に切り込むことが困難だったのである。しかし犯罪病院側には当然問題があって……。
 まあ、ちょっとあり得ないホラー設定であるにもかかわらず、容赦なく暴力が繰り返される状況であるのは間違いない。実際は精神に何の問題も無いのだから、隙を見て逃走を企てようとするが、敵の組織も頑強なのである。しかし、看護師の中には、この状況に疑問を持つものもいないではない。外からはマスコミが嗅ぎつけてもいる。焦った院長は、さらに狂暴化していくのである。
 困った状況なのだが、そういうものを楽しむ映画でもある。正直に言うと、あまり出来栄えは良くないのだが、時間的にもサクッと観ることができるので、怖がりながら暇つぶしにどうぞ、といったところだろう。いったいなんでこんな映画を観始めてしまったのか、頭を抱えるような状況に陥りながら、結局は観てしまえたのも、そのようなまとまりの良さであろう。いくら不条理な状態におかれたとしても、暴れてみたところで解決はしない。教訓を得たというならば、そういう事なのかもしれない。
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盗撮してたら事件が起きて……   ナイト・ウォッチャー

2024-08-08 | 映画

ナイト・ウォッチャー/マイケル・クリストファー監督

 ホテルの受付をしている若い男は、ちょっとした自閉症的な障害をもっている。対人関係は苦手だが、機械的なやり取りであれば問題なくできて、それで比較的人の流れの少ない夜間にホテル受付の職を得たようだ。彼としては自分のスキルを磨くべく対人関係の会話の練習のために、ホテルの部屋に隠しカメラとマイクを仕掛け、録画した映像を使って、状況に合わせた会話の練習をしていた。夜勤なので、彼以外には誰もいない間時帯などに、そのような画像を見ることを習慣化していたようだ。
 しかしながらこうした行為は、客室に仕掛けた隠しカメラであり、倫理上は許されることではない。法的にも完全にアウトだろう。そうしてある日、仕掛けた部屋の女性が何者かともみ合いになり、殴られたりしたのち、結果的に殺されてしまう事件が起こる。ホテルマンの男は、当然この映像を自分のパソコンでのぞき見していて、異常事態に慌てて部屋に駆け込むのだが、犯人が逃げた後だった。結果的に死体の第一発見者となってしまう。状況は不自然で、警察側も、この障害のある男を容疑者として疑うようになる。
 ホテル経営サイドもこの男が殺人事件に絡んだ関係で、同じホテルでは働きづらいだろうと配慮して、系列の別のホテルに異動させる。そこでも男は、結局盗撮はやめることが出来ない。そうして常連客であるらしい若い女に惹かれるようになり、彼女の泊る部屋を中心に盗撮を繰り返すことになるのだったが……。
 この常連らしい若い女は、不倫のためにこのホテルを利用しているようで、不倫相手の状況のよっては、けっきょく一人で泊っていく。当然ちょっとした知り合いのようになるので、自閉症気味のホテルマンと会話を交わすようになる。そうしたことを通じてある時キスもすることになってしまい(女の方は恋愛というより、慈愛のこころのようなものかもしれない)、男の方は完全に舞い上がってしまう訳だ。そうして勝手に彼女の自称ボディガードを務めるつもりになっているうちに、彼女の不倫相手の正体を知ってしまうことになるのだった。
 最後にそれなりのどんでん返しがある訳だが、要するに自閉症の男に対する偏見があるからこそ成り立っている物語構成ともいえる。もっともこの男は、盗撮をしている事実がかなりバレかかっているにもかかわらず、実際にはうまく隠し通している。彼なりには悪いことをしている訳ではないという考えがあるのだが、そういう状況をコミュニケーション障害があるためにちゃんと説明できる自信はない。しかし本当にそういう理由だけで隠し通しているのだろうか、ということなのである。彼女を助けたい気持ちであったのは間違いなかろうが、それはあくまで自分に対して目をかけてくれる人だからである。そういうところは、男女の間柄では、当然のことなのではあるまいか。
 ということで、僕の印象としては、そこまでエッジが効いた効果を感じられなかった。よく出来ているが、そこまでである。彼は十分に生きて行けるほど、成長しているということなのであろう。もっとも、この事件がこの男をそうさせたのかもしれないが……。
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高いところが好きな人は是非   フォール

2024-08-06 | 映画

フォール/スコット・マン監督

 フリークライミングの事故で夫を亡くした女性は、悲しみのあまり酒におぼれ立ち直れないでいる。そんな中事件当時からのフリークライマー仲間の女性から、撤去される予定の600メートルの鉄塔に上る冒険のチャレンジを提案される。そこまで乗り気ではなかったが、熱心に励まされ、一緒に挑戦することにする。そうして動画配信しながら鉄塔のてっぺんに上り詰めるが、老朽化した梯子はもろくも崩れ落ちて、降りられなくなってしまうのだった。
 とにかくこの危機状態からどうすんの? っていう映画なんだが、それだけの設定なのに、それなりにドラマ展開がみられるという映画でもある。高いところが苦手な人には、ちょっと見続けるのが無理そうなことは間違いない。しかしながら僕は苦手だが、それなりに平気で観ることができた。何故なら落ちるなら主人公は二人な訳だし、それで終わるはずだという達観めいたものが、観ていて生まれてきたから。まあ、そうなんだけど、そういう終わり方をしない仕掛けがあるんで、お楽しみに。それでもまあ日本人的な視点からいうと、これだけ世間的に迷惑をかけたら、さらに落ち込んで死にたくなるんではなかろうかと、心配にはなるところだが……(心配しないでも、そんな神経の人たちではない)。
 なんでこれほど高い塔で、なおかつ華奢な作りなんだろうかと疑問には思う。廻りは砂漠のような何にもないところなので、電波を飛ばすために高さが必要なのかもしれないし、予算の都合もあるので必要最小限の作りなのかもしれない。さらに老朽化したので取り壊される予定がある訳で、そういうところを選んだ主人公たちの行動が、原初的には非常に問題がある。さらに彼女らは少しふざけていて、あえてはしごを壊したような行為も見られる。要するに馬鹿なのである。僕は何度も書いているが、人間的なバカに同情を寄せることが、どうしてもできない。悲しみのある巻き込まれた系の女性は気の毒ではあるが、そもそも温かい見守りのある父親を、なんとなく裏切っている感じもする(許してくれるが)。こういうのもやはり、同情の余地が少ない罪を背負っている気もする。厳しい見方かもしれないが、こういう友人とはもっと早くに手を切るべきだったのだ。
 それにしてもやっと発見してくれる人間もクズだし、つまるところ解決策が人に頼らなければならないところも冒険家らしくない。いちおうロープはある訳で、何か他に使いようがあったのではないかとも思われた。装備が足りないのである。もっともそれは予定外だったのだろうけれど。鉄塔の上という限られた場所なので、舞台劇でも行けるかもしれない。もっともリアルだと、やはり危険かもしれないのだが。それに観客も見上げる場面が続くと、首が痛くなるかもしれない。そういう事で、やはり映画的な設定ということになるのであろう。
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困った性癖のための人生   女子高生に殺されたい

2024-08-04 | 映画

女子高生に殺されたい/城定秀夫監督

 この題名の通りの物語ではあって、新しく古典の教師として赴任してきたハンサムな教師の願望が「女子高生に殺されること」なのである。まあ、そういう精神病のような人がいるわけである。彼は高校生のころくらいからそういう欲求が自分にあることに気づき、最初はそのような分野を研究するために医学の道に進む。しかしちょっとしたきっかけがあって、教師に転向するのである。実際に女子高生に殺されるシナリオをもって、着実にその計画を実行していくことになっていくのだったが……。
 高校教師本人がそのような趣向性のある人で、ただしそれだけでは、ちょっと変質者めいているだけなのだが、他の女子高生にもいろいろと事情がある。さらにこの教師の過去の彼女が、保健師として赴任してきたりする。女子高生に殺されるためにいろいろ画策しているものの、相手は人間なので、いくら美男子でモテモテの男性教師といえども、これらを思うように動かすことなどできるのだろうか……。
 殺されたい衝動は中学生くらいからあったようで、そのことに気づいて医学系で自分の性癖を一応学んでいって、そこで付き合った女性とふつうに性交渉できることも知る。しかし世間を騒がせたある事件に異常に興味を抱き、それで女子高生に殺される願望の実現のために教師の道を歩むという方向性が定まる訳だ。ある意味でけな気な生き方ともいえるが、これを理解できる人なんて、おそらく誰もいない。だからこそ秘密裏に事を進めるのだが、利用される女子高生たちにとっても、人を殺す役割ができる人なんて限られている。そこで興味を持った事件のキーになっている人物がいる高校を選んだ、という訳なのだ。
 くみ上げた仕組みが見事であるとはいえるが、それでも何となく偶然の要素もあるような気がしないではない。本人は盛り上がっているけど、殺されたい心情と実際に死ぬことには、何か乖離が感じられる。死んでしまえばその経過など、どうでもいいのではあるまいか。
 ともあれ、凄い人もいたもんだ、という物語なのかもしれない。そうやって生きていくサガを背負った人間の生き方というのがある、という事か。巻き込まれた、もしくは本人も巻き込まれた系かもしれない運命を呪うよりない。実際これで良かったのかどうかも、よく分からないのだった。
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どんどんエスカレートしていく   春画先生

2024-08-02 | 映画

春画先生/塩田明彦監督

 喫茶店で給仕しているときに地震があり、ふとテーブルの客を見ると春画を見ている。結合部分のリアルな作品で、ショックを受けるが、その客である春画先生が、興味があるならと名刺をくれる。そうして春画先生のもとで春画を学ぶうちに、春画のみならず、先生に興味が湧いて仕方がない。先生は妻に先立たれて独り身である上に、自分にも関心を持っていることが見て取れる。しかしそういう思いを抱えながら、先生の取り巻きの編集者と成り行きで情事を重ねる関係になってしまうのだった。
 春画と情愛を絡めたコメディなのだが、江戸時代のおおらかな性の在り方や考え方を学んだり、春画をはじめとする隠れた現代文化があるらしいことも見て取れる。そうして人間の情愛に絡む、ちょっと趣味的にはSM世界まで展開していく。なんだこりゃ、である。
 主演の北香那が、何度かヌードになるなど熱演している(不思議とそんなにエロっぽくはないが)。そうしてこの女優さんのとぼけた感じが、この作品を支えているとも感じた。他の俳優陣も怪演を見せてはいるわけだが、そもそもそういうのがそれなりに得意な人たちとも言えて、北ほどの意外性が無いのかもしれない。
 正直言ってここまで奇妙な作品とは思ってなくて、母と一緒に観なくてよかった。後半はどんどんエスカレートしていくので、ちょっとついていけない感じなのだ。かと言って、なるほどそこまで意外性のあるどんでん返しでもないので、そう感じてしまうのだろう。春画という、実におおらかで、絵画としても奥の深いものを通して人間の魅力が深まる、というのを期待したのかもしれない。まあ、そこまで健全である必要は無くて、自由に楽しむのだから逸脱して行ってもいい、ということなのかもしれないが……。
 春画には詳しい訳では無いが、日本文化としては、やはり面白い題材だとは思う。当時たくさん出回っていたからこそ、今でも頑張って収拾しようと思えば、出来なくはない。もっとも現代でも理解が深まり、有名なものはそれなりに購入は難しいだろうけど、なに、春画の本はそれなりに出回っているし、ぼかし無しでも紹介しているところは多い。僕の子供のころにはそんなことは無かったわけで、時代は変わったのである。芸術というのは、それなりに時代を越えて強いものなのである。
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