カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

一夜明けて開き直る

2010-02-27 | 雑記
 出張でパソコンと疎遠になってました。携帯でのツイッターは相変わらずだったんですけどね。携帯ではめんどくさいのでつぶやきは減ってしまいましたが…。
 出張から帰ってくると机の上に書類がどっさり載っているので憂鬱になってしまうわけですが、パソコンでの溜まった物事もそれなりにあって、確認していくだけで時間を浪費してしまいます。適当なところで端折りはするけれど、あんがいどうでもいいようなことの方が気になったりするんですよね。これってなんか縛られているような気もして、改めて改善しないといけないなあと考えてしまいました。結構不必要な遊びにかまける時間があるということでもあるわけですしね。忙しいようにしていながら、逃避している時間も長くなっていたわけです。僕は完全主義者では無いし、元来いいかげんな人間なんですが、それでも反省くらいはできます。要はその反省した内容を改善できるかどうか、実行できるかどうかなんですよね。分かっちゃいるけどやめられないことというのはあるわけで…。

 僕らの業界における国の政策や方針というものについては、今回はかなり失望せざるを得ないことは出張前からある程度は分かっておりました。しかしながらそれを受けての業界団体の動きを見ていると、さらに勘違いした勢力が力をつけて発言力を増してしまっているようなのでした。この国は左傾化が著しいと肌寒くなりました。ネットの世界では右傾化(特に若者は凄いですね)しているので、そのギャップがものすごい訳です。なんだか僕の生活の中でクラクラするような分裂情報が満載なわけです。バランスのとれた人というのは実に少ない。残念だけどそういう海の中を泳いでいくよりないのかな、と感じております。
 僕自身は狼少年になるつもりは無いですけど、このままで将来が開ける見通しはまったくないと断言だけはできます。今までは何とかなってきたというけど、そのためにツケが回され続け、もうどうにもならないくらいに溜まりきっているというのが現実だと思います。バブルが崩壊する直近にはみんな逆に浪費をしてしまうようなことが起こったわけで、今はまさにそういう感じなんじゃないかと考えています。一つだけ希望があるとすると、(日本に住んでいる限り、またはその影響は海外にまで波及することも含めて)みんなその影響から逃げられないということだけです。ね、まさにバブルのころと一緒でしょ。
 そういう訳で自分だけコツコツ再建してもほとんど意味のないところまで来てしまいました。僕には子供がいるから思うのだけど、彼らの将来には本当に申し訳ないくらいひどい仕打ちをする社会になってしまったものだと思います。今の大人というのはひどく無責任な上にかなり無知です。そういう意味では早く崩壊した方がいいんじゃないかとさえ考えてしまいます。むしろ今はそのタイミングを早めることばかりやっているわけですから、歓迎してもいいということです。うう、悲しい。
 実はしかし、まだ引き金を引かなくてもいい方法はそれなりに残っています。そのためには諦めない、ということに尽きると思います。真央ちゃんだって悔しくて泣いているだけではないでしょう。あまりにも馬鹿げているくらいの差がついてしまって、現状ではどうにもならない壁のように思われることであったとしても、ここで諦めてしまえば、すべてはそれで終わりということです。たとえとしては必ずしも適当でないことは分かっています。しかしながら、僕は今回の出張とのコントラストにおいて、実に象徴的に現実を受け止めざるを得ないと考えてしまったことは確かなのです。
 現実を間違ったとらえ方をすることで、さらに間違った処方箋を受けてしまわないようにしなければなりません。残念ながら誰もがそのことに気づけるわけでは無いのかもしれません。あまりにも雑音が大きすぎます。しかし、それでも諦めずに現実に対処していくこと。やることがあるというのは暇よりマシかもしれないですしね。今はそんな感じの開き直り時期なのかもしれません。
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栗城史多 ダウラギリ アタックステージ 本人撮影映像

2010-02-24 | 感涙記
栗城史多 ダウラギリ アタックステージ 本人撮影映像


 登山ってこんな感じだったんだ。

 スポーツ選手なんかにも言えることだろうけど、自分を奮い立たせるって、感謝の気持ちがかなり有効だということがよく分かる。臥薪嘗胆だけじゃダメなのかもしれない。もちろん個人的な向き不向きはあるにせよ、かなり勉強になった。
 このようなある意味ではちっともカッコよくないむき出しの人間の戦いがあるからこそ、挑戦してしまう人間がいるのだということだろう。だからこそ僕らにも感動が伝わってくるのだろう。
 いつも極限に立たされているわけではないが、あきらめずに登ってやろうという気分になるのだった。
 まだまだ、頑張れというだけの立場でいるわけじゃないぞ。
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電子レンジで即席ラーメン

2010-02-23 | 
電子レンジで即席ラーメン
 今現在はダイエット中なので休止しているものの、僕は以前から普通に電子レンジで調理した即席ラーメンを食べている。というか職場ではそれが当たり前。
理由は簡単で、カップラーメンは料金が高い上にかさばるので保存に向かないことと、僕はカップ麺の容器の匂いが苦手な為である。熱湯を注ぐと気持ちが悪いというのもあるが、実際に口を付けて食べるときの匂いが嫌いだ。ちなみに缶ビールのアルミの匂いも嫌いだし、牛乳パックの紙の匂いだって邪魔だ。ストローも厳密には好きではない(スタバの容器も気持ち悪い)。そういう人間にとってカップ麺の容器は、ちょっとしたハードルなのだ。
 という訳で普通に袋に入った即席麺をどんぶりに移して、熱湯をかけて2分程度(ちょっと固め)電子レンジにかけて食べていた。鍋で温めるものと違うところは、調理中に箸でかき混ぜないことだけであるから、多少どんぶりにつかる麺の状態(上下)においてムラができる場合があることくらいだろう。しかし二分程度の過熱だと、ほとんど気にならない程度には仕上がるようだ。
 最初は職場の仲間から、それで大丈夫なのか(たいてい女性。女の人は比較的保守的で頑固なのだ)といわれることはあったが、なんで問題があるように思われるのかということの方が不思議だった。
 当然ながらカップ麺より数段味が良い。値段の高いカップ麺には確かに優れモノがあることは認めるものの、コストパフォーマンスにおいての即席麺のレベルは、カップ麺とは比較にならないほどの高みにあることは間違いない。
 またバラで買っても一袋80円前後という程度なので、いろいろ買いためて気分に合わせて選べるということをしてもいいし、まとめ買いだと一袋40円程度で売っていることもあるので、なんだか食事としては経費的にどうでもいいくらいの値段なので、金がたまってしょうが無い気分に浸ることができる(嘘だけど)。
 僕は学生時代からカップ麺を食っている仲間を見るたびに、金持ちだなあと感じていた種族なので、基本的にセコイということもあるのかもしれない。かと言って無精者だから手間をかけた料理はできない。もちろんこれは調理の範疇に入るものではないにせよ、カップ麺のように手間をかけて(ビニールを取ったり中身を分けたりして面倒なものが多い)食うよりも即席麺の手軽さというのは普通にありがたいと思える。その上に明らかに味が上なのである。よっぽどひもじかったり仕方なかったりしない限り、カップ麺になびくことはないような気がする。
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本当に選択したといえるのか

2010-02-22 | 時事
 知事選の結果を受けて民主党の石井一議員の恫喝的な発言が問題だとするつぶやきが激しくなった。発言内容は「(民主党推薦の議員を選ばないのなら)民主党政権は長崎に対してそれなりの姿勢を示すべきだろう」というものらしい。報道のトーンはどうなのかよく分からないが、確かにそのような表現は問題がありそうに見える。
 しかしながら金子知事が続投を断念した理由は、まさしくそのようなことになっている現実を指していることは明らかであるわけで、恫喝的な発言がどうだということより前に、今後の現実はそのようにならざるを得ないことの方が素直なとらえ方といっていいだろう。そういう状態を選択したのは長崎県民であることは間違いがない。
 自民党時代もそのようなことだったことは経験的に同じなのだが、民主党も自民党と同じであるというのは実に残念だとは思う。結局違う派閥が政権をとったということなのかもしれない。
 二大政党制に期待したのは、そのようなことになっても嫌なら投票で選択できるということだったはずなのだが、(連立で過半数であるにせよ)巨大政党から巨大政党にふれきってしまったというバランスがこのような結果になってしまったのである。
 選挙は水ものといわれるにせよ、来る参議院選で自民党が巻き返すのかというのは、限りなく小さな可能性であるように思われる。問題はどっちにも失望してしまったという現実なのだ。
 選挙が選択肢として機能しなくなったという結果が、今回の選挙というものを表しているような気がしてならない。自民党にもNOのまま、民主党にもそっぽを向いてしまった有権者の票が、思わぬ大差をつけて表わされた。他の選択をしようにも、さらにおかしい顔ぶれしか見当たらなかったので、こうならざるを得なかったのだ。
 現在の民主党政権には期待できる政策がほとんどないばかりでなく、長崎県という地域の振興という面でも、大きくつまずく結果となってしまった(だから民主が良かったという意味では無い)。選挙の前から嫌な予感がしていた理由が、やっと今わかった気がする。選択すらできない選挙であったという現実を前にして、政治に何を期待できるというのだろうか。
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社会復帰を受け入れる社会でないとできない話だが

2010-02-22 | 時事
テレビ司会者、過去の殺人を涙ながらに告白
 高瀬舟的世界。
 告白内容が本当なら、素直に同情してしまう。安楽死についても考えさせられることだ。
 しかし、人を殺すことについては、また別の問題が生まれるような気がしてならない。この司会者が告白せざるを得ない心境になったことも含め、その罪の抱え方はおそらく殺したという人に重くのしかかりすぎるのではないか。殺しても平気な人がいるのかどうかという個人差はあろうけれど、影響があるだろうということは想像に難くない。戦地から帰った兵士が平常な生活を送れなくなるほど精神にダメージを受けるというのはよく聞くものだ。
 宗教観も影響するとは思うけれど、普通の殺人とは違う形で罪を償うということが必要な場合もあるのではないか。贖罪することが彼を救う道であるとは限らない。
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終わりか、始まりか

2010-02-21 | 時事
 希望退職に応募殺到 百貨店
 さすがに厳しい。

 しかしながら田舎の百貨店なんかを覗いてみると、開店し続けていること自体に客の方が不安になることがあったりする。現段階で復活するという見込みなどほとんど無いのではないか。むしろどんどん閉鎖することで、別の道を模索するより無いのではないか。
 ここで退職する人たちによって、新たな業種が生まれる可能性もあるのではないか。ここで支援を求めてしまうと、ともに沈没するということにもなりかねない。もちろん兼ね合いしだいだけれど…。
 何が悪かったのかを現実的に把握できる人が多ければ、次に打つ手は見つかる可能性がある。期待でなく何をするか。それ以外に道が絶たれた人ほど強くなれるのかもしれない。
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ホッケーはいつやってるんだ

2010-02-20 | 時事
 オリンピックは正直言ってそんなに興味のある大会では無かったのだが、twitterを見ていると勝手に情報過多になる。ちょうど会議やら出張が多い時期だからコツコツ内職をすることになって、ついついtwitterに頼ってしまうためである。
 こういうネット端末を操る人たちは、どうしても威勢良く発言した方が目立つこともあるのか、どちらかといえば右寄りの人たちが多いように見受けられる。そうしてそういう人たちにとってオリンピックという大会は、大変に魅力的なものらしいということもよく分かる。まさに興奮が文字から漏れ伝わってくるようだ。
 そういう訳で家に帰ってテレビを見る前には、たいてい競技の結果は知っている。これは結構都合がよくて、緊張して映像を見る必要がない。結果の確認だから緊張しないのだ。つれあいは真央ちゃんの応援は熱心にしているようだが、本番の中継は見なかったりしてる。緊張しすぎてまともに見ることができなくなるのだそうだ。確かにその気持ちが何となくわかるようになったのは、まさにオリンピックという舞台なのかもしれない。特に応援するつもりがない僕のような人間でも、ついつい手に汗握ってしまう。負けたりすると大変に残念でとても見たことを悔やんでしまう。だから結果が分かってから見た方が精神衛生上都合がいいのだ。
 気楽といえば、日本人が活躍していない競技は気楽に見られてとても楽しい。朝早くにも中継が行われていて、北欧とか地元カナダの選手が頑張って競い合っている姿を見るのはなかなか面白い。結構競技種目が多いらしいということもなんとなくわかるようになったし、見慣れないものが多いのでルールさえよく分からない。僕はルールが分からない囲碁などを見るのも好きなので、あんまり分からないという状態の方がスポーツも楽しいのかもしれない。まあ、ある程度見ているとついついルールが理解できたりしてちょっと残念にも思うが…。カーリングなんかももう少し複雑ならもっと面白いかもなあと思う。今日のギブアップもなかなか面白い習慣だった。横柄過ぎて世界の嫌われ者の英国も、ちゃんとスポーツならこんな態度をとれるんだ。偉いじゃん。
 今後の放映予定はよく知らないが、なんだか冬のスポーツは団体ものが少ない気がして少々残念だ。やっぱり国を代表するチームが激突する感じは、当事国でなくても燃えるものがある。氷上の格闘技とも言われるアイスホッケーがあるはずなんだが、今のところ中継で見る機会を持っていない。地元カナダはもちろん燃えているだろうし、いったいその前に立ちはだかるのはどこの国なんだろう。日本も出ていないようだし、安心して楽しめるチャンスである。後半(今が前半なのかどうかもわからないが)は、そういう感じでオリンピックを楽しんでみようかな、という気分にだんだん盛り上がってきたところなのであった。
 
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プロセスの選択問題じゃ…

2010-02-19 | 雑記
 ホリエモンのブログ「埋められない溝」というエントリーを読んでいて、考え方としてはまったくそのとおりだし、おかしな人たちがいるのは確かだとは思った。しかしながら、そのおかしな人たちがなんでそんなおかしな行動に拘泥してしまうのかということも、また同情をもって理解できるような気がする。
 やっぱり最終的には車イスを贈りたいという気持ちには違いが無いわけで、だとすると単にそのプロセスの方の問題にすぎない。結果的に車イスを贈れるんだから買える人は買ったらいいのである。それは別にプルタブを集めることと実はそんなに違う行為ではない。あなたはそうする、しかし自分の方法はプルタブと決めた、ということにすぎないような気もする。車イスを贈りたいからホリエモンの友人にお金を工面するよう頼んだわけじゃないからだ。もちろんその行為自体を、そのプロセスに疑問があるということはよく分かるが、やり方は何通りもあるんだから、その方法に間違いがあるということにはならない。おそらく、基本的にはそういうことにすぎない。あなたのやり方と自分のやり方は違うという、ただそれだけのことだろう。
 結果的にはどちらも不寛容だということなんじゃなかろうか。
 力のある人間になれば、方法が違って当然だ。逆にいうと力の無い人間にとって、違う方法があるのも当然なのだ。目的を達成できればそれで終わり。というのは、それぞれにとっての終わり方のありようにすぎない。努力という言い方でなくとも、その労力をかけた結果が伴うとは必ずしも限りはしない。プルタブを集めることが馬鹿らしくなって途中でやめるということも十分に起こりうる。たぶん、そういうことを含めての活動をしたかっただけのことだろう。どちらが尊いということでもなかろう。もらう方にとっては結果があれば助かるにせよ、やる方にとってはある意味で経過が必要なこともあるということだ。
 いや、単に僕はこの問題は服装をとやかくいう人と必ずしも重ならないのではないかと思っただけのことである。むしろ不寛容は、これによって尊さが違うなどという単純思想の勘違いのみであろう。

追記:プルタブ集めには、確かにおかしな団体が多いことも後で知った。そういう背景もたぶんあったんだろうね。まあ、共存はそれなりに無理ではあったのかもしれないとは思いはしたのでありました。
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国母問題というか、それ以前の

2010-02-18 | 時事
 ホリエモンが紹介していたので読んでみた。国母問題というより、もっと根源的な気がする。ぜひご一読を。
国母問題について(長文)
 
 まあしかし、日本ってそんなに金がないんだなあというのが正直な感想かもしれない。というか、根本的に貧しい。つまるところ、そういうことじゃないか。食えないことに血道をあげて頑張る道がない。それは、発展途上といわれる国々のオリンピックを目指すことすらできない無数のアスリートと同じ環境である。もし実際に金がない訳では無いのなら、その環境の整備ができない日本の精神性かもしれない。
 おそらく後者の問題が大きいとは予想されるが、ならば本来はそんなに難しい問題では無いはずである。金を工面するほうがはるかに難しい物理的な問題だから。
 既得権益の問題というのは政治的なシステムである。これを変えるには政治力がいる。政治は世論の影響を受けやすいので、世論形成が必要かもしれない。
 そこにさらにマイナス面として国母問題が注目されたということなのかもしれない。本来はさらに政治的圧力が加わりかねない、まずい問題だったはずだ。しかし、結果的にこのようなお話まで漏れ伝わる機会になった。多かれ少なかれ噴出する問題だったとは思われるが、実に効果的だったとも言える。
 マスコミが伝える世論が大勢だとは、僕は考えていない。もちろん彼らは粘着質にとりついて更なる話題を欲しがってはいるだろう。国母個人という弱い立場の人間には、それはどうにもできない権力の圧力ではある。しかし、その姿を見て受け止める人間の中には、ちゃんと別の切り口を見つけ出す人間も出てくる。少なくともtwitterなどの世界では、圧倒的に国母支持者の声が大きい。権力の圧力に対しての個人の声は、あんがいそういうものなのではないか。
 じゃあ国母の態度は許されるべきものなのか、必ずそれを問う人がいるのはわかる。確かにそれはきっかけだったが、すでにそのことは問題の本質では無い。むしろそのことで引っ掛かりつづけることで、結果的に思考停止になることの方が危ういのである。
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なんという力だろうか

2010-02-17 | 時事
 昨日の帰りの羽田空港で搭乗口までの移動中、ふと雑誌でも覗いてみるかという気になって売店に立ち寄ろうとしたときに、オリンピックのスピードスケートの映像が目にとまった。ツイッターで結果は知っていたし、おそらく僕以外の人たちもそれは一緒だったのではないかとは推察される。僕はそのままその映像を見るために立ち止まったのだが、ふと気がつくと僕の周りだけでもちょっとした人だかりになっていくのであった。そうして一連の映像を見終わったときには、その場にいた人たちは一様にこやかな安堵の表情を浮かべ、今にも肩でも叩きあってもよさそうな雰囲気の連帯感が生まれているのが感じられた。実際笑いあっている人もいる。ああ、これがオリンピックの魔術というものかもしれないと思ったことだった。普段でもスピードスケートの大会などはテレビで放映される機会もあるのかもしれないが、おそらくほとんどの人にとっては、失礼ながら見向きもしないのではあるまいか。メダルを取ることだけが大切だとも思わないが、選手の頑張りが、ものすごい力で伝播していくことは間違いあるまい。今更ながらだが、オリンピックは侮れないイベントのようである。
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20100215 NBC 政見放送 松下みつゆき氏

2010-02-17 | 時事
20100215 NBC 政見放送 松下みつゆき氏


 NHKのより少し上手い気がするけど錯覚か。袖まで汚して奥さんに怒られないんだろうか。

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気がするだけ?

2010-02-16 | 雑記
パワーポイントの資料がやたら凝っているひとの冗談って、つまんない場合が多い気がする。
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後悔先にたたず

2010-02-14 | 雑記
 会議に出ていて先日の事業の感想を聞かれたので素直に批判的な言葉がつい出てしまった。僕がトップバッターだったのだけど、その次の人も次の人もそのトーンが続いてしまって発言内容が批判の嵐の様相になってしまう。実際には意義深いものがあったからもったいないという意識がそうなったということはあったにせよ、そういう結果の原因を作ってしまったような気がして改めて少し反省してしまう。批判って簡単なのでつい言ってしまうものだが、やるほうが何倍も難しいわけで、結局無責任な人ほど言葉が荒くなってしまう。まあ、失敗した原因なんて部外者が分かる程度のことならほとんど指摘する時間の方が無意味だ。次があるんならもう少し建設的に考えてみるべきだった。
 物事の問題点を洗い出すことは大切なことには違いないが、アンケートはもちろん、その内容の批評的なものというのは、参加意識として、単なる消費者目線に過ぎない。まったく意味が無いとはいえないにしろ、そんなものが得意になってもどうしようもない気がする。内容がよかったとか悪かったとか、そういうものは本来は、やはり二の次のことなんだと思う。それが分からない人の方が多いようだが、彼らは永遠に消費者であり続けたいだけのことだろう。

 そうしておまけがついて、また役職が増えてしまった。お約束なのかどうか知らないが、本当は全然やる気は無いままだ。楽をした罰だということであきらめるより仕方なかろう。
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恋しくて

2010-02-12 | 映画
恋しくて/ハワード・ドゥイッチ監督
 いかにも80年代という雰囲気で、流石に今となってはかなり古い感じはすると思われる。気恥しいくらいの人物描写のストレートさもあって、なんかこのまま見続けて大丈夫だろうかとかなり不安になりながら観ていた。しかしながらそういう不安もいつの間にか払拭されていき、物語に身を任せるようになる。テレビドラマのような安っぽさがあるにもかかわらず、どうしてもストーリーを追わずにいられない感じなのだ。
 そうして後で知ったが、有名なキスシーンである。これってなじみ親しんだ少女マンガの展開そのものじゃん。いや、感激しましたね。女の人もいいのかもしれないけど、元男の子でもなるほどやるなあ、とときめきましたね。
 後半のデートの仕掛けもなかなかだし、そこで意外な一言で一気に人間的に脱皮することを暗示されるところもなかなか良くできてはいた。多少上手く行き過ぎだし、まとめはこれでいいのかという気がしないではないが、そうならなければ逆に納得できないので仕方ないとしよう。
 今になってみると女の人の強い情念の感じられるストーリーではあるけど、観るものを捉えて離さない力強い印象を残す映画ではないだろうか。いわゆる名作として残るわけでは無かろうとは思うが、この映画を忘れないという名作ラブストーリーの定番映画なのだろう。
 それにしてもなんでこの映画をレンタルしたのかどうしても思い出せない。誰かが褒めてたんだろうね。思いだせないけど感謝してます。意外に楽しい時間でした。
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期待の仕方が不純だが

2010-02-11 | 時事
 アクセス数が急激に増えたのは、松下リサイタルのおかげのようでかなり複雑な心境である。であるからまた急激に減じるということになるだろうから、気にしないことだが。
 しかしながらやはりそれなりのインパクトがあったらしくて、ある程度の年配の人ならほとんど話が通じるのであった。流石に二十代のスタッフは何のことなのかまったく知らないらしい。ネット世代だから情報がいきわたるということではないらしい。
 このような感じで目立つと大仁田さんに不利ではないか、という話があったのだが、その大仁田さんのファイヤーさえ知らないらしい。うーん、影響なしなのか。
 この現象にあきれる人が一般的なようだが、中には激しく怒っている人もいる。確かにそのようには見えるのだが、僕自身は何となくあちら系の人なのかもしれないとは一応疑っている。現職の政治家にも多いというから向く病気には違いないが、家族は大変であろう。
 まあ僕はそれでも関心が集まればいいんじゃなかろうか、程度には影響を考えている。組織的にかかわっている人はいつもどおりかもしれないけれど、皮膚感覚として今回は、かなり温度が低いように思える。盛り上がればいいってものでは無いのかもしれないが、結局投票には行くことになるわけで、せめてその労力を使うだけは関心を持ちたいものだとは思う。
 そういう訳でもうひと暴れ期待しているのは危険思想といえるだろうか。
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