カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

よく噛んで食べよう

2021-06-30 | 

 よく噛んで食べるようにはいわれる。もうかれこれ五十年近く。要するに子供のころから言われ続けている。なぜそういわれるのか思い当たるフシはあって、要するに、あまり嚙んで飲み込んでいないように見えるのだろう。どうしてそう見えるのかというと、食事の時間が短い、というのと、食べ出したらすぐに飲み込むからであろう。こちらの方言では「かつれる」というが、飢えた人ががっついて食べる、ような感じで食べる習慣があるように思う。
 思えば僕は6人兄弟のだいたい真ん中で、そういう普段の生活にあって、そういう習慣が身についたのではないか。もちろん日本風に最初から食べ物が取り分けられていた場合もあるが、大皿だとそうもいかない。そういうものだと思っていた。なんかの統計データでは、一人っ子は食べるのが遅い傾向にあるという。数が多くなれば比例するのかどうかまでは記憶にないが。
 しかしこの理屈は多少おかしなところがあって、どんぶりものやカレーなどは、特に速度が増す。最初から競争する必要のない状況であっても早いというのは、必ずしも大皿問題との関係性を説明できるものではないのではないか。しかし一般家庭で、どんぶりものが普段の生活にあるのか、という疑問もある。まあそうだが、実際どんぶりのようなものは、早く食べやすいのは間違いない。
 もうかれこれ二十年以上ダイエットをしている。だからよく噛んで食べるように気を付けてはいるのである。でもそう簡単にうまくいくものではないのも確かである。一時期は本当に一口30回噛む実践をしていて、実は面倒だったからいつの間にかやめたのは本当だけど、しかし思い出すと、たまにはこれをやっている。ずっとやっているかどうか記憶があやふやなだけで、結構やっているはずなのだ。もっと前には、三十回噛んだ毎にメモ帳に〇をつけながら食べていた。二十数回だと×を書く。たいてい〇だったから、できないことはなかったのである。
 だから、時にはよく噛んで食べている。そんな風に食べていても、しかし家族の中での話だが、たいていは一番最初に食べ終わる。特に休肝日は、早いといわれる。酒を飲まないと間合いがない。実直に食べていると、どうしても早くなるのは当たり前だ。だからよく噛みなさいと、結局怒られる。噛んでいる場合があるはずなのに、誤解されていると思う。僕はよく噛んでも食べるのが早いだけではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現代の海賊は悲惨なものだ   キャプテン・フィリップス

2021-06-29 | 映画

キャプテン・フィリップス/ポール・グリーングラス監督

 武器を持たない大型貨物船が、地元漁師やヤクザたちが組織する海賊に襲われる。彼らは貧弱な船でありながら、機関銃で武装している。貨物船は水を噴射して海賊船が近寄れないようにすることくらいしか防御のしようがない。必死で逃げながら、海上を警備している軍などに援助を要請するが、まともに取り合ってくれない。ついには乗船を許してしまい、乗組員は巨大な船の中で隠れておりながら、船長は人質に取られ、金も奪われてしまう。そうしてソマリアに海賊と船長は別の船で移動することになるのだったが……。
 これも実話らしい。ソマリアの貧しい漁村には、海賊組織が入り込んでいて、ソマリア沖を航行する大型船などを時折襲って金品を巻き上げて生活しているということかもしれない。この海賊団の船長も若いチンピラなのだが、英語を話すことができ、いくらか知性が高い存在なのかもしれない。船の相手は丸腰だし、乗船してしまえば言いなりになって、簡単に稼げる商売だと踏んでいるところがある。海賊といっても経験が浅く、銃を撃つことはできるにしても、皆おっかなびっくりといったところか。
 そうして迎え撃つ貨物船にしても、海賊対策の訓練はしていないわけではないが、武器は持たないし、この仕事自体が命がけのものではない。いい迷惑だが、実際には運が悪ければ海賊に狙われてしまうということだろう。たまったものではないのだが、相手の機関銃は容赦がない。言われるままに金を渡すが、もともと貨物船だから、ものすごく大金を持っているわけではない。海賊は不満で、人質作戦に出て、結局米国海軍に追われることになり、どんどん窮地に陥っていくという物語である。ある意味結末は悲惨なことにならざるを得ない予感はしているが(何しろ力の差が大きすぎる)、問題は船長の命である。どうやってこの一人の米国人の命を守ることができるのか。そのためにどのような駆け引きがなされるのか、というサスペンスが後半のほとんどを占める。まあ、それだけの映画でもあるかもしれない。
 トム・ハンクスは、今となっては超演技派の大役者だが、そういう訳者が珍しくこのようなB級ともいえるアクション映画に何で出ているんだろう、という興味もあって見たのかもしれない。結果的に緊迫感のある演出にはなったと思うが、そんなにひねりのある映画なのかはかえって疑問に思った。大変な事件であるけれど、軍としてもこのような惨事は予想できたことではないか。もうちょっと電話(無線)の対応をちゃんとしろよな、というのが正直な感想である。結局出ているみんな、かわいそうなのであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みんなもっとエリートに優しくしよう   いいエリート、わるいエリート

2021-06-28 | 読書

いいエリート、わるいエリート/山口真由著(新潮新書)

 まずこの本を書けるという前提に著者の歴史がある。帯にもあるが東大を首席で卒業し、財務官僚を経て、弁護士になり、それでもさらに米国へ留学し(ここまでで本書は終わるが、その後国際弁護士になったらしい)、といういわゆる本人が超のつくエリート人生を送っている人であるようだ。さらに帯にも写真があるが、いわゆる美人なのである。僕は知らなかったのだが、テレビにも出ている人らしい。この本が2015年発行とあるから、情報が古いが、タレント性が高いからこそ、この本も書かれたのかもしれない。
 表面はそのように華々しいが、ではそういう内容なのかというと必ずしもそうではないと思う。なにしろそのようなエリートになる為に、並大抵の勉強をしてきたわけではないことが素直に語られている。どのように勉強したかという勉強法も紹介されているが、一応7回読み勉強法と言っているけど、要するに繰り返し復習しなおして内容をしっかり理解するという、なんというか、急がば回れというか、実直に時間をかけてとことん追い詰めて勉強をするという愚直なものである。そんなことをやれる人なんてほとんどいないし、そんなことを続けられる人なんて本当に居るのか? という感じだ。しかし彼女はその勉強法に迷いはないし、本当に毎日十数時間を費やして勉強ばかりしていたようだ。時には仲間外れにならないように表面的に女子としてふるまわなければならないが、本当は誰に何を言われようと、勉強に専念したいという思いを抱き続けながら、そうして着実に成果を出し続けていき、そうするとさらに欲のようなものがあって諦めきれず、まだまだ自分を追い込んで勉強を続けていき、ついにはちゃんと狙ったうえで、東大の主席になったのである。
 もちろん挫折めいたこともあるようだが、それを含めて力に変えていく。そもそも地頭が悪いという考えもあって、努力するよりないことを自覚して、そういうコンプレックスをバネして、まさに臥薪嘗胆で諦めずに努力する。それこそがエリートになりえた執念というか、それを売りにしていると批判されても、傷ついても、さらに努力を重ねる生き方や考え方が書かれてあった。凄い人というのは、いわゆるそういうそぶりをあえて隠すものだが(想像だけれど)、第一そういうのは人には分かりえないものだが、いくら真似されても正攻法で自分が勝てるという自信が伝わってくるような話である。
 また、特に財務省時代の過激な労働環境にありながら、すべてが優秀な人々の中で、その優秀な人々がどんどんおかしくなったり挫折したりすることも紹介されている。本当は恨んでいる人もいると考えられるが、その紹介の仕方も、ある意味で自分の攻撃をかわしながら表現しているやり方が上手いとも感じた。そうして女性であり優秀な自分の抵抗勢力的な変な人々に対しても、感謝さえしている姿勢を見せている。それは何より自分を成長させてくれた人々であるからだ。なるほど、そんな風に愚痴るものなんだな、と勉強になりました。
 ということで、表題のようなベタベタな内容というより、やっぱりあきらめたり頑張ったりする参考になるのではなかろうか。著者はまだまだ挑戦を続けていくことだろう。素直に期待しております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壮大で美しく、そうして尺が長い   アラビアのロレンス

2021-06-27 | 映画

アラビアのロレンス/デビット・リーン監督

 中東に派兵されている英国軍の地図作成課の少尉であるロレンスは、アラブの部族の王子と接見してその考え方を探るように任命される。案内役のベドウィン(遊牧民)の青年と広大な砂漠を旅し、ある井戸で水を飲んでいると、地平線のかなたから井戸守の別の部族の男があっさりとベドウィンを射殺してしまう。後にこの男とは一緒に戦うことにはなるのだが、その時は案内を拒否し、一人で王子のいる集落までコンパスを使って移動する。王子のいる集団を見つけると、英国軍と合流してともにトルコ軍と対峙して戦うことを提案する英国の考え方を翻して個人的な意見として、アラブの遊牧民的なゲリラ戦で戦うべきだと王子に進言して気に入られる。そうして王子の軍から約50人を引き連れて、砂漠を縦断して内陸からトルコ軍に攻め入る作戦に入るのだったが、何しろ内陸は何もない過酷な灼熱の砂漠の旅である。まさに移動だけでも命を懸けてゆく強行軍なのであった。
 壮大な砂漠の映像が美しく、まさに名場面の連続であるスケールの大きな作品。その分尺が長くなって3時間45分なのである。その当時の映画らしくインターミッション(休憩)がある。それより尺を短くして上映してほしいものだが、まあ、仕方なかったのであろう。
 このアラビアのロレンスという男には実在のモデルがいて、実際にこのような活躍をした英国軍の男がいたのである。だから伝記映画なのだが、映画的に着色してあるらしいことは、観ていてわかるはずだ。中東で大活躍するわけだが、その分アラブ社会のことを知り尽くしており、しかし独自の考え方を理解してもらうために、その尊敬を集める行動をとれる。そういうエピソードが砂漠での過酷な環境での彼の行動であり、それはぜひ、映画で確認してもらいたい。それ自体が名場面であり、長い時間をかけてみるべき映像なのである。
 しかしまあ主人公のロレンスは、なんだかなよなよした信用のおけないやさ男で、美男子であるが、力強さのかけらもない。英国人だから物珍しさでアラブの仲間入りで来たものの、英国との間でどっちつかずのところがあり、結局はこの戦いから去らざるを得なくなったのではなかろうか。オープニングでいきなり事故で死ぬわけだが、これが本当に事故だったのかというのは、なんとなく疑いたくなることだ。どちらとも折り合いはつかないし、しかし功績は大きい。実は暗殺だったということはないのだろうか。映画にそういうことを言っても仕方ないが、そのような人物と時代だったのではなかろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

異常な情熱から今の日本を描く   推し、燃ゆ

2021-06-26 | 読書

推し、燃ゆ/宇佐美りん作

 雑誌文藝春秋3月号に掲載されたものを読んだ。単行本を買おうかとも思ったのだが、月遅れで安くなった雑誌を買う方が経済的というか、なんとなく目について買ったのだと思う。他の記事だって読めるし。しかしながらなぜ読もうかと思ったのかは、自分でも謎だ。芥川賞受賞作だからという理由でないことだろうとは考えられるが(そういうのには興味がない)、誰かがこれを読んでほめるか何かした文章を読んだに違いないのだ。そうしないと、僕が興味を持つような分野ではない。謎だが、忘れたものはしょうがない。考えてみるときっかけなんていつだってそういうもので、何か引っかかるものがあるとしても、手に取って読んだ経験の方が大切だと思うようにするしかないだろう。しかしこれを読んでいて、短いからというのもあるが、他の本などを読みながら、行きつ戻りつ読んでしまった。妙なものを読んだという気分はあるが、あまりにも僕の思考とはかけ離れた世界を読んで、なるほどと思うものが多かったのだろうと思う。
 アイドルに心酔する若い女の話なのだが、そののめり込みようが異常であることと、生活もまた破綻している状況にありながら、彼を追うことに自分のバランスをとっていることも見て取れる。いわゆる普通の女子高生という領域から外れていくのだが、そうしてこれは精神異常の領域に達しているものの心境であるともいえるが、しかしおそらくそういうものだろうという共感も得られるのだろうと思う。アイドルを追いながら、今の世界のゆがみ自体に、自分を合わせることができないもどかしさも描いている。漢字の成り立ちの話など、冗談としてもありそうでありながら、なるほどそうだな、と思わされるわけで、この女性には一定の知性がありながら、成長段階で社会と馴染んでいけないのだ。そうして「推し」ているアイドル男性も、アイドルという生き方に折り合いがつかない状況に陥っていく。その状況に驚きながらも、その心を必死に探りながら、理解さえしている。周りにいる多くのファンたちの様々な反応の嵐のような中にいて、何かそういうことについても、客観的に自分の立ち位置も見ていて、これは正常なのか異常なのか、そもそもこういうネットとリアルと社会の在り方が、今の状況を許さないのではないかとさえ思われる。そういう暴力の中にあって、個人とは無力で、しかしそれと向き合わない限り、自分は生きてはいけない。最終的には、再生する力もあるのだろうと考えることにしよう。
 ものすごく面白いというわけでもないし、ある意味でそんなにドラマチックでもない(話は予想の範囲だともいえるし)のだが、いってみれば、これは正直な話なのではないかとも思われた。特にアイドルが事件を起こしてから、ちょっとした悪が露呈した人間に対する世間の風当たりの強さのようなものがよく描かれていて、これはテレビなどのニュースでやっている日本社会の膿のようなものが目の前にあるような既視感があった。そのことを「推し」という人を描きながら表出しているのかもしれない。また、それだからこそ、今タイムリーに受賞に至った作品なのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金持ちだって悲しいって、ふつうそうだろう   WAVES/ウェイブス

2021-06-25 | 映画

WAVES/ウェイブス/トレイ・エドワード・シュルツ監督

 裕福な黒人の家庭に育ちながら、保守的な父親の期待に応えるべく、レスリング選手として特別な学校で訓練しているらしい高校生の男がいる。何不自由ない生活であったが、肩の異常が見つかり、現役での選手生活を続けるべきではないと医者に告げられる。それと同じくして、付き合っている彼女の妊娠を知る。二人は話し合い、まだ学生であることなどから堕胎することになる。連れ添って病院に行くが、彼女は急に病院から飛び出し、やっぱり堕ろせないという。そのまま彼女は男の車にも乗らず、喧嘩別れしてしまう。そういう状態の中、男は酒やドラッグにおぼれ、精神的にもボロボロになっていくのだった。
 どうも二部構成になっているらしく、男の物語が一定の悲劇に終わると、その妹の話になる。妹の方も兄の事件後ふさぎ込むようになり、裕福でありながら暗い生活に変わっている。そういう中で白人の男に言い寄られ、つきあうようになる。白人の男は優しいが、彼にも問題があるようで、それは父親との確執だった。そうしてその父は病に倒れているというのだった。
 なんだか昔のラリッたニューシネマのような雰囲気と映像世界で、いちいちカメラレンズのピントがぼやけて、オレンジなどの色が画面いっぱいになる。格好をつけているわけで、そういう中で当時のヒットソング(黒人のヒップポップなんかが多い)が流れている。僕は日ごろ音楽を聴くので、改めてそういう歌詞の歌だったんだな、と知ることができた。また、この映画のために歌われた曲ではないのだろうが、いわゆるあたかもこの映画のサントラのように、場面にも合っているのだった。ひょっとすると、曲の雰囲気に合わせるように、映像が撮られていたのかもしれない。結果的にあまりまとまりの良くない作品になっていて、一応喪失と再生という物語なんだろうな、とは思うものの、そんなに成功していないのではないか。そんなに映画に詳しくない人が、映画を作ったような作品だった。もちろん、そういう雰囲気を楽しむ作品だろうし、そういう効果をあえて考えて作られているともおもえるのだが……。
 つまるところ大人の思惑に従えない思春期の子供たちがいて、そうではあるが、彼らも成長し、逆に大人たちを助けることになるのかもしれない。取り返しのつかないことにもなるが、そこまでいかないと、どん底までいかないと、そういうものが理解できないかのような印象も受けた。まあ、多かれ少なかれそのような葛藤は誰しもあったはずで、しかしそういうことがあることの方が当然なのではなかろうか。たとえいい暮らしをして、高価な車を乗り回すような高校生であろうとも、軋轢のある方が当然だ。まあしかし、あちらはドラッグがあるので、こんなに悲惨になってしまうのかもしれないが……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立花本は生きている

2021-06-24 | 時事

 立花隆が亡くなったという。すでに身内で4月には葬儀など済ませてのことらしい。そういえば、最近はあまり連載など見ないとは思っていたが、具合が悪いなど情報は聞いてなかった。とは思うものの、あまり驚くという感じではなくなっていたかもしれない。もちろん残念なことだが、長い間一線で活躍もし、晩年も「知の巨人」と称えられるなど、多くの痕跡を残した人ではないだろうか。もちろん人気があったということだろうけれど。
 実は僕はそれなりに影響を受けたと正直に思う。立花を崇拝する人もたくさん知っているし、実際そういう「凄い感」のある人であったことは間違いない。父の本棚にもたくさん彼の本はあって、拝借して読んだ。当時「サル学」の分厚い本を見て、ちょっとたまげたが、読んでみるとインタビューであって、中の人の方が凄い本だった。
 父の本棚にないやつとか、自分でも手に入りやすいものは買って読んだ。定番だが「「知」のソフトウェア」は読んで感心はしたものの、しかしアウトプットはインプット以上のものは出ないのかというと、必ずしもそうではないのではないか、と疑ったことは覚えている。実際作家などには碌にインプットなしでも書き飛ばす人はたくさんいる。しかしまあ、言いたいことは分かるのであって、要するに自分ほど勉強した人(もしくは情報収集をした人)などいないという自慢も含んだ話が多いのだった。この傾向は晩年にはさらに強くなる。
 しかしながら農協の実態は立花本で知ったし、アメリカの性事情というポルノまがいのレポートは、まじめに大量の資料を渉猟していることが見て取れて、こんな分野でもこのように調べることができるのだな、と変に感心した。
 立花本をいろいろ読んだ人なら共通して分かるようになるのだが、彼は興味の幅も広いし、確かにそれらに関して実に膨大な量の資料に当たっているらしいことは確かなのだが、しかしながら、それは実際に軌道を逸している感じがする。ちょっと多すぎるのである(まあ、そういう人は結構多いのだけれど。特に学者にはそういうタイプが多いが、しかし立花は学者ではない)。それだから「凄い」と感心してあきれるやら崇拝するやらしてしまうのだけれど、そうして本人もその方法はつまびらかに紹介している通りであるが、要するに膨大な量を飛ばし読みする達人なのであって、実際は本当に深いものなのかどうかは、怪しい分野も多い。いや、興味があるとはいえ、例えば脳死問題や、臨死体験のようなものを読んだところで、その背景となる様々な事象はみてとれるものの、つまるところどのように考えていいのか読んでも分からないものも多い。それだけデリケートだったり、境界の判断の難しい問題なのだということは分かるのだが、では一体それはどう考えたらいいのかという肝心なところは投げ出された感じになってしまう。もちろん学問分野というのはそういう慎重さが必要なところはあるのだが、立花はあくまでジャーナリズムであって、いい意味でも悪い意味でも興味本位が先に来て、結論は相手にあるという感じなのである。それだからいいといえばいいのだが……。
 ということで、僕も随分見習って飛ばし読んで、紹介してある面白そうな本を連鎖して読んだものである。本のバイヤーみたいなもので、そういう紹介に力のある人だったと思う。いくつもリストがあり、実にバラエティーな目配りで、立花の紹介で売れた本というのは数多いと思う。出版社などから「知の巨人」と崇拝されるのは、そういう力あってのものではないかと思う。しかしながらちょっと本棚を覗いて持っている本を拾い読みしてみると、やっぱり文章も面白い。なんというか、読ませる力がある。この辺りはジャーナリズムで鍛えた技のようなものがあるのか、長くなっても飽きさせないつなぎの上手さがある。途中途中に、興味や発見が分散して埋没してある文章とでもいうのだろうか。ちょっとしたミステリ作品を読んでいるようなものだろうか。だからこそ、最近は目にしなくなって寂しかったのである。具合悪くなってもちゃんと本を読んでいらしたのだろうか。そうであって欲しいが。
 最近は上京もかなわないので確かめにもいけないが、改めて猫ビルを見てみたいものである。蔵書が収められているというが、ふつうに考えて億単位の蔵書があるはずである。外側は行けば見られるだろうが、中に入れる人は限られるだろう。もしくは本の処分などに、またいろいろな人が関わることになるのだろうか。ちょっとした図書館ぐらいの物量の本が出回るということになるのかもしれず、それが立花文庫のようなことになると、また人の興味も引くことになるだろう。そういう意味では、しばらくは目が離せない問題かもしれない。(合掌)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我々のこの残酷な世界を変えていこう

2021-06-23 | net & 社会

 パラ陸上の選手が、自分が競技に取り組む姿勢を聞かれて「人生をかけて取り組んでますし、遊びでないというところだけは分かっていただけたら」と発言したところ、「自分たちだけが必死にやっているアピール」に聞こえるなどと、ネットで炎上したという。
 もちろんこれは、コロナ禍の東京の大会で、感染防止の取り組みの中開催されている状況や、そうしてインタビューを振った意図としても、このまま東京パラリンピックを開催していいのかという批判の意を向けての空気があったものと考えられる。
 いくつか注意が必要な感じがするが、これが現在の世論形成を形作ろうとするマスコミサイトと、それに乗っかって洗脳されているネット民の連携が考えられる。
 例えば野球の大谷選手が、このような発言をしたとしても炎上するはずはない。
 大阪ナオミならどうだろうか? まあ、マスコミは一応そういう部分には目をつぶりそうだ。
 さらにパラ陸上選手でなければどうか? これまでも様々な分野の選手にこのような空気感のある質問がなされ続けている。そういう意味ではこのパラ選手は、少し無防備であるとか、さらに大きなプレッシャーがあった可能性もある。
 いわゆるアスリートの旬の期間というものがあるとすると、この期間に調整してきたものは計り知れないものがあるだろう。また、それだけやってこない限り、チャンスさえやってこないだろう。ましてや結果を残すなんてことは……。「遊びじゃないんだ」という発言の根拠は十分に理解できる。「自分たちだけが必死だ」と捉える感性には、むしろ自分だけしか見えない人でなければ発することが不可能な発言であろう。
 またいくつかの視点を提示したがごとく、かなり差別的である。もちろん、このような発言は、井戸端や居酒屋であれば何ら問題はない。報道を受けてのネットでの反応であることに暴力性を帯びた残忍さがにじんでいる。さらに炎上もどきだ。なるほど、日本というのは、それだけの国なのか、という思いさえする。
 実際の状況を知らないが、しかし少し繰り返しになるが、おそらく今調子を上げて活躍する選手に向けて、開催の是非についても、政治的なニュアンスを含めて尋ねる風潮があるのではないか。そうであるならば、このきわめて難しい局面で苦しんでいる選手に向けて、一緒になって悔しがったり、不安がったり、困惑する気持ちのある人間が問うべきなのではないか。何か面白いことを言ってくれないかとひねた心持で聞き出し、そうして「しめたっ」と思ってクローズアップするのであれば、単なる妨害行為であり、さらに具体的に暴力であろう。複雑で何重もある苦しみに輪をかけて踏みつける行為に自体に、抗議をすべき時ではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風の中を歩く人々   反転

2021-06-22 | 読書

反転/田中森一著(幻冬舎アウトロー文庫)

 副題「闇社会の守護神と呼ばれて」。長崎の平戸の極貧の少年時代を経て、きょうだいなどからお金を工面してもらいながら苦学し、大学を経て検察官になる。検察官としても様々な事件を担当し、名を馳せる。しかしながら東京地検での事件の担当の折に、上の判断にどうしても納得がいかず、辞職。いわゆるヤメ検として経済問題を専門とした弁護士に転身する。検察時代から情報収集のために裏社会に通じており、いわゆる少し怪しい人や大企業などの顧問弁護士として活躍するようになる。
 何しろ時代背景がバブル真っ盛りである。検察時代の取り調べもちょっと行き過ぎているけれど、そうしてそういう権力にいて働く者たちの矜持も分かるのだが、ヤメ検になってからのハチャメチャぶりは凄まじい。これって本当の話? と疑いたくなる金遣いの激しさだ。そうして政治家などの名前も実名でポンポン出てくるし、様々な事件の辛味でいろんな人が暗躍しているさまが生き生きと描かれている。確かに悪人は多いが、しかしそれでもその付き合いの中には人間味のあるものがあり、たとえヤクザであっても苦労が見えたり気遣いが絶えなかったりもする。だから悪いことをしてもいいのか、というのは後半著者も反省の葛藤を述べているものの、様々なことで時代を動かしている男たちにとっては、のるかそるかのギリギリのところで、いつも生きがいを感じているかのようだった。そうして当然転落もしていくことになるが、いつまでノリノリでいられる人などほとんどいないのかもしれない。中には再起しそうでまた動き出す人もいるが、今度は病魔に襲われたりしている。なにか、それはそういう時代の運命の波のようなものに、人間自体が揺り動かされてそうしているだけのことなのかもしれない。
 この本はG島さんという人から「おもしろい」ですよ、と勧められて手に取った。読んだ本をくださるというが、その話の後にすぐにネットでクリックした後だった。574頁と分厚いが、ミステリ作品を読むように引き込まれていくだろう。ちょっと総会時期で車の移動なんかも多かったので、先を読むのがもどかしかった(途中で別の本を読む必要なんかもあったし)。
 本人が書いた本だし、自分の側からの主張であることであるから、事件の真相ということだとは言えても、さて、都合の悪いことを全部書いたかというとどうなのだろう。まあ、たとえそうであっても、様々な事件裏がそれなりの説得力を持って語られていることも確かだ。起訴する側と弁護する側の視点が違うのは明らかであって、判決後の事実とされることというのは、そのうえでの判断に過ぎないということだろう。このような法律上の事実っていうのは、科学的な事実とは、そういうわけでかなり違う。そうして倫理問題ですらない。それでも一応は原理原則を大切にしながら、それらを論拠にして物語を積み上げることにたけた人だったことは間違いない。小説家でもないのに、この分厚い本の物語の構成力は見事なものだろう。先を読ませる文章力も持っている。そのような説得力でもって相手を封じ込むことのプロなのだから、このような執筆に向いた人だったのではなかろうか。でもまあ、こういう体験をした人だから読まれたわけで、それに実刑を食らってから書かれたということを考えると、やっぱりなんだか凄まじくも悲しいことのように思える。まるで台風の中を歩いてきたような人たちの物語を、翻弄されながら読んだらいいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美しく魅力的な母を持つと……   アルゲリッチ 私こそ、音楽!

2021-06-21 | 映画

アルゲリッチ 私こそ、音楽!/スティファニー・アルゲリッチ監督

 著名らしいピアニストの娘が、その母親を撮ったドキュメンタリー。若いころから天才ピアニストとして世界中で活躍している母親のマルタ・アルゲリッチ。演奏そのものは現在も衰えることなく素晴らしく、多くの人を魅了し続けている。しかしながらマルタ本人は気まぐれの天然女でつかみどころのないところがあり、そうして本番前にはナーバスになり多少奇行めいたこともする。そういう母親を心配しながらも子供のころからずっとツアーを共にしてきた娘が、客観的に母親を見つめ直すようにカメラを回す。
 母マルタは、ピアニストとして一流であるばかりか、美貌の人物でもある。当然男たちが放って置かない。過去には相当の浮名を流した跡があるようだ。自分の父親もいるが、三姉妹すべて父親が違う。現在は独身のようだが、彼氏は世界中に相当いる、もしくは居たという感じである。現在は年を取っているが、いまだに女性としてチャーミングなのである。
 過去には姉が誘拐されたことがあったり、父親と自分との関係で親子の認知をしてくれないなど、家族の葛藤なども描かれる。そういう波乱がありながら、本番になるとエレガントに悠然と名演奏を母はやってのける。まさに素晴らしい、の一言。こういう人こそ、本当の音楽の申し子なのだろう。
 映像でもあるが、アルゲリッチは日本にも何度も来ている。特に大分の別府では、アルゲリッチ音楽祭という後進の指導のためのフェスティバルも行われているらしい。国際的に数々の賞を受賞しているが、日本での褒章もそういう関係なのか、得ている。映像では自由奔放で権威的な雰囲気のない人だが、実際はとてもえらい音楽家のようである。僕は全然知らなかったのだが、がぜんファンになってしまった。いい人ではないかもしれないが、音楽にはそんなことを超えた力があるのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男性目線や女性目線の問題ではない

2021-06-20 | culture

 ジェンダーギャップのことをテレビで取り上げて論じていた。日本社会の中に根付いている性別での捉え方の違いが、その見えないまま強制力を伴って制度的にはびこっている現実をあらわそうとしていた。そのことについては、確かに多くの人が自覚的であるようになってほしいものだと思うが、何しろ文化的な物事というのは国同士でも簡単には同じにならない。望ましいという感覚の共有こそが必要なものだと思う。
 さてしかし僕は男性なのでこれは語りにくい分野で、その語りにくさ一つを語ることも面倒なのでとりあえず棚上げするよりない。そういうものを見ていて既視感のあったこと一つを取り上げる。
 それというのも地区の役員会の寄り合いの開催時間の件で、それは19:30開会されている定例の話し合いのようだった。役員が何人だったか失念したが十数人(二十人以内だったと思う)。内女性は二人ということだった。男性役員は女性も含めて夜に集まりやすい時間ということで19:30から開会ということになったと経緯を語っていた。もちろん、変更も可能だとのこと。ところが個別にこのデレクターが二人の女性役員に聞いたところによると、この19:30の時間はまだまだ女性には負担が大きいということだった。家での仕事のもろもろを急いで片づけてやっと参加できる(かなり無理をして、なんとか)ということらしかった。男性目線での開会時間の設定ではないか、と決めつけていた。
 まあ、他にもいろいろあるのだが、これを見ていて、これだからジェンダーギャップの議論は解決しないな、とかなり強く感じてしまった。もっともダメダメな議論だ。
 それというのも、批判のためだけの批判だからである。この解決は正直言って細かくむつかしい要素がたくさんあるのだが、それには踏み込まないで、女性にとって19:30は男性の思っているようにやりくりの簡単でない時間帯だ、といっているのみである。それは事実だが、しかし、では何時なら適当だというのだろうか。それは最後まで明示されない。要するに夜の会合自体が難しいに過ぎないからである。何時からなんて最初から関係がないのである。女性には女性の仕事があるという問題を解決しない限りこれはどうにもならない。それをどうするのかがジェンダーギャップの本丸ではないのか。
 僕は家事のほとんどをやらないが、それはつれあいの実力と彼女の考えている強度において、その仕事ができないからであろうと考えられる。力の違いが歴然過ぎて太刀打ちできない。残念ながら何の期待もないので、邪魔をしない程度にその場にいてもいい存在化しているだけのことである。
 よく男性側から、妻の仕事を「手伝う」というようなことを言う人がいる。洗濯物を取り込んでおいた、と妻に報告したりする。その後たたんでタンスに収納した、までする人もいるかもしれない。それもすごいことではあるけれど、やはりやっておいたよ、と報告するのであれば、ほぼもう失格である。残念でした。何故ならば家事自体は、「妻だけ」の「仕事」ではないからである。家事は一部の意味でも手伝う要素はない。何をしてもお礼を言われる筋合いはない。もし彼女らがお礼を言ったとしたら、単に割に合わない機嫌を取ったに過ぎないのだろうと思われる。いくら男性がお金を稼いでくる家庭であったとしても、それは原理原則としてそうであるはずである。それを曲げているのが文化的な教養のようなもので、どちらかといえばそうしましょうかという暗黙の了解をお互いがしてしまうギャップである。いや、了解だからギャップではないな。それは、外からみたらそうで、しかし内にあるモヤモヤの原因だろう。何の問題もないということであれば何の問題でもないことから始めることが、ジェンダーギャップの議論の前提であろう。
 もちろん夫婦のような二人に関係に絞って考えるならば、お互いに同意できればいいとはいえる。他の家庭なんて関係がない。しかしジェンダーギャップには、その前提にさかのぼって問うだろう。そうしてこの問題を、今の状態を作った原因としてとらえ直せる家庭が、一体どれだけあるのだろうか。
 ということなので、今はとりあえずやめておいた方がいい、と考えたり、熟年離婚をしたりする準備をする妻がいるのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とりあえず不健康な連中だが元気がいい   ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト

2021-06-19 | ドキュメンタリ

ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト/マーチン・スコセッシ監督

 基本的にはあるライブの舞台裏から表舞台までのライブ映像、というドキュメンタリーである。後半はそのままライブなんで、映画という感じはしない。しないが、監督は監督さんなので、映画的には終わるわけだが。
 2006年のライブらしいが、僕なんかがストーンズに熱中していたころのライブというのは80年代だったから、もうかなり熟年の人々がやっているという感じだ。おお、頑張ってんな、というのがひしひしと伝わってくるわけだが、何しろもうすでに年である。曲のアレンジなんかは基本部分は同じだけど、ちょっと省力化してむしろシンプルになっている。しかし、遊んでいるような動きがありながら洗練もされている様子で、やっぱりずっとライブをやってきた連中なんだな、というのが良くわかる。凄いもんです。今でも基本的には何かやってるわけで、これでも15年前だと思うと、ちょっと恐ろしいくらいである。音楽界の高齢化問題というのは、深刻だが面白い。
 20曲の演奏がたっぷりみられる。固定カメラでずっと撮られているわけではなくて、それなりに動きがある。今となっては、そういうライブ映像は珍しくもなくなったが、なるほど、この映画を参考にして撮られたライブというのは、その後それなりにあるのではあるまいか。
 ジャック・ホワイト、バディ・ガイ、クリスティーナ・アレギラがゲストとして1曲ずつでてくる。みなファミリーのような付き合いをしているような雰囲気である。ストーンズはキャリアも長いが、その分交流の幅も広いということかもしれない。ストーンズの音楽自体が非白人的な白人音楽だが、ジャンルとしても古典やハードロック、日本の歌謡曲的なポップロックまで取り入れ、影響を与えていると考えられる。おんなじことを長年やっているようで、案外柔軟なところがあるともいえるだろう。少なくとも頑固ではないのではないか。
 酔っぱらってだらだら見るのに適したライブかもしれない。こういう人たちが頑張っていると、なんだか運動したくなるんで不思議です。ダイエットになるかは、分からないけれど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨の時期は体調が悪い?

2021-06-18 | 掲示板

 コロナ禍になってあまり人には言えなくなったが、僕は多い年は20回程度は風邪をひく(周りの人は引くでしょうね。やっぱり)。だからしょっちゅう具合が悪くなるのだけれど、コロナ禍というのはいいこともあって、たぶん手洗いを頻繁にするようになったからだろう、これがその半分くらいに減ったのではないかと思われる。風邪をひくのは月に一回程度に減ったのだ。まあ、薬の消費が、その分減ったというだけのことかもしれないけれど……。
 ところが最近、やっぱりなんだか調子が悪い。思い当たるフシもないではないが、それにしても長期にわたって具合が悪い。以前はもっと忙しくもあって、具合が悪いのを酒でごまかしていたが(または、酒でごまかせるほどの体力もあったが)、ごまかしきれない自我のようなものがあって、長く調子が悪いのだった。左の手のひらや指がむくんでいるし、なぜか中指や薬指の筋肉が凝る。太るのは節制が悪いからだろうが、多少制限しても効果が出にくい。利尿作用の良いものを飲んでいるのでトイレには行っているが、そのようなむくみは簡単に取れない。散歩はしているし、運動不足ではないけれど、血圧は高いままだし(薬も飲んでいる)、耳鳴りもする(これは難聴も進んでいるせいだろうが)。倦怠感は続き、実際に微熱が続く場合もある。高熱にはならないが、小さな波のように、微熱が出たり出なかったり……。
 ネットで梅雨時に体調が毎年悪くなるという人の話が出ていて、そういうのってあるのかな? と考えた。梅雨だから体調が悪かった経験はあまり感じていなかったが、僕は確かに暑さには弱い。暑い時期の最初あたりは、とにかく頑張って汗をかいてそれに慣れていくような感覚があって、そうして夏本番には夏バテしていた。でも秋に涼しくなると、その涼しさに体が対応できず、体調を崩した。まあ、なんだってよくないわけだが、さて、梅雨となるとどうだろうか。湿気で調子が悪くなっていたっけな。確かに長期に雨が降って、カビが生えそうな空気というのは嫌な感じはする。でも晴れて暑い方がもっと嫌で、僕は特に海が好きというわけでもないし、インドア派ではないのかもしれないけど、外だから気分がイイ派ではない。雨の中ワイパーが動いている外の風景も悪いものではない。風がない中で傘をさして、ちょっとくらいの移動は苦になるわけではない。靴の中が濡れてしまって、靴下湿ったまま我慢するのでなければ、雨に濡れるくらいは何でもないことではないか。
 湿気に対抗するのなら、いっそのこと風呂に長く入るとかするといいのだろうか。日ごとはシャワーで済ませているが、日曜には浴槽につかる。時間を計っていて、たっぷり五分瞑想する。自分の吐く息に集中するだけだが、雑念が次々に浮かんできて、それをただ続きを遮断して、息を吐く。いつの間にか汗がしたたって、目を開けたらちょうど五分だ。これはボクサーのように体が五分を覚えている感覚があって(ボクサーは3分だけど)、とはいうものの、時には未だとか、もう6分くらいとかいうのがあるのだけれど、まあ、おおむね五分というのは分かるような分からないような……。
 ほかに湿気に身を任すようなものは特にないな。エアコンがあるので勝手に除湿しているだろうし、雨が降ると潔く本が読めたりして悪い気分ばかりでもないわけだし。体調が湿度と確定しているわけではない。そういえば今だけの体調不良なのかどうか、それすらわからない。もっとも、それより重大である方が、いやなわけだけれど……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思いが強ければ、会うことが出来るはずだ   ある日どこかで

2021-06-17 | 映画

ある日どこかで/ヤノット・シュワルツ(ジュノー・シュウォーク)監督

 若き脚本家が賞をとったらしく祝賀会をやっているところに、品のいいお婆さんがやってきて、懐中時計を渡して「(私のもとに)帰って来て」という。訳が分からないままだったが、どうもそのあとお婆さんは死んだらしく、月日は8年流れる。若き脚本家はスランプに陥り、気分転換に車を走らせて旅に出る。そこでなんとも無しに古きリゾートホテルを見つけて泊まることにする。食事の時間までの時間つぶしに立ち寄ったホテルの歴史博物館の中で美しい女性の肖像写真を見て、その女性に激しく心を奪われてしまう。そのままホテルに滞在し続け、謎の写真の女性のことを調べ、どうもそのころに自分と同じ名前の人物がこのホテルに滞在していたことが分かる。過去の時代に飛ぶことが可能かどうか、タイムトラベルの専門家の先生に聞きに行き、その方法通りに過去への旅を試みて、みごと肖像画の女性の時代へとさかのぼっていくことができるのだったが……。
 SFだか何だかよくわからない話ではあるが、恋愛としては、なかなかに美しい話である。この映画の脚本は、リチャード・マシスンで、カルト的に人気のある作家という事もあってか、古いけれどファンの多い作品である。主人公の脚本家の男を演じるクリストファー・リーヴは、スーパーマン役で著名だが、のちに事故で半身不随になってしまうことからも、この主演作は貴重である。そういう背景はありながら、人気の衰えない作品という事なのかもしれない。そうして、実際なかなか不思議な味のある物語なのである。
 タイムスリップする理屈は、実際のところよくわからないんだけど、それでもなんとなく納得できてしまうところもある。そうして現代に戻ってしまう仕掛けも含めて、そういうものかもな、と思わせられる。ラストシーンには捉え方にいろいろありそうだが、悲しいながら少しくらいはハッピーな要素があると、僕は信じてやりたい。多くのファンにとっても、おそらく思いは同じなのではないだろうか。

 ※なお監督さんはフランス人らしく、日本では主にカッコ書きの表記がされていたのだが、ネット時代になって、よりフランス語に近い発音で、近年は表記が変わったようである。
 こういうのってよくある話だが、でも昔の表記が定着してしまったゲーテのような人は、もう今更発音は変わらない。ドイツ人が聞いたら、どう思うのだろうか? (もっとも、一般の個人にそんな機会はほとんどないだろうけど)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同じようなことが、決定的に同じでなくなってしまうこと

2021-06-16 | 感涙記

 失ったものが大きいほど、その喪失感も大きい。それを埋める手立ては、そう簡単に見つかるものではない。たとえ何らかの方法が見つかったとしても、そのまま穴埋めなんてとてもできない。できそうにない。少なくとも、僕にはできない。
 歩いていて、息が詰まる思いがする。何か動揺してしまって、足が上手く前に出せないような気もする。それでも歩くことができる以上、前に進まなければならないような気が、漠然としている。立ち止まってはならない。立ち止まると、本当に歩けなくなってしまうのではないか。あまりにもいつもの道を歩いているのだから、薄目を開けていても、前には進めるはずだ。見えている世界が、ぐらついている。以前と同じであるだけで、それだけでつらいことなのだ。
 考えないようにするには、何かに集中した方がいい。特別な何かである必要は無い。今やっていることに集中したらいい。目の前にある何か、今やっていること。全神経をもって気合を入れすぎる必要もない。それだけのことをそれだけのままにやればいいだけだ。それでいいはずなのだ。
 そうして集中している状態でありながら、フラッシュバックのような映像が浮かぶ。こういうことをしているときにも、面影があるからだ。新聞を読んでいるが、読んでいるときに限って紙面に乗ってきたりしていた。パソコンをいじっていても、膝に乗ってきていた。家の中では、とても無理だ。目の前に集中しようがしまいが、そのすべてに面影が残っている。そのすべてのフレームに、杏月ちゃんは存在していたからだ。
 職場は比較的楽だと気付いた。それも仕事を終えて車に乗ってから。職場には、つれて通勤した覚えはない。もちろん仕事中一緒にいたこともない。意識の断片は、自分のコントロール下に収められていない。人がやってくるし、そうして話をする。電話もかかってくる。できればこれは午前中に済ませたいな、とか、これはとりあえず後でやっても構わないとか、選別するだけも時間は流れる。一人の時間でも、そういう作業はついて回る。
 そうして、さて帰るか、と思う。そこで思い出す余地が出てくる。我が家に帰る。そう思うだけで、考えの断片に過去の映像が入り込む余地を生んでしまう。運転する車の中で、気持ちを整えようとする。何かぼーっとして、道を間違えてしまう気がする。もちろん同じ道を同じように運転しているから、そう簡単に間違うはずがない。ウインカーを上げて交差点を曲がる。対向車に犬が乗っていなかったか。いや、そんなことが、いったい何の関係があるというのだ。ちょっと、自分にも腹立たしいような気分にもなる。
 家に着くとホッとする。ちゃんとたどり着けた。同時にやはり寂しい。いつもと同じでない空間が、僕を待ち受けている。しかしかすかには分かっている。これにもいつかは慣れるはずだ。なぜならもう元のように、迎えてくれる存在はいなくなってしまったのだから。そうしてしかも、つれあいも母もいる。欠けているのではなく、新しい日常が始まっている。今は、その序章に過ぎないのではあるまいか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする