僕は他人の考えることは基本的によく分からない。理解しようという姿勢に問題があるというのであれば反省が必要だが、基本的によく読めていなかったり気付かないということのようだ。
さらにこれが異性の場合だとどうにもならない。女の人の考えというのはほとんど未知の世界で、違う生物かもしれないというレベルかもしれない。それでも何となく愛犬の考えていることは分かる気がするから、生物の違いよりも隔たりが大きいかもしれない。
この間そういう女性話になって、童貞の頃はもっと分からなかったという話題になった。そこで僕は特に反論はしなかったのだが、どうも引っかかるようなものがある。ほんとにそうだったかな。僕の場合は以前の方が分かっている部分もあったし今の方が分かるということもある。童貞というのがどういう考えなのかは既にかなりそれ自体が分からない感じもするが、今と違うのは単に年齢的なものなのではなかろうか。
それというのも、僕は兄の影響があったのだろう、吉行淳之介や渡辺淳一の様な作家は、小学生の頃から既に読んでいたように思う。それでよく分からなかったのかというとそんな印象はあんまり無くて、小学生の頃はさすがに忘れたが、中高生の頃になると普通に面白いと思っていた。もちろん多少はスケベ心があったに違いないが、特に渡辺作品が驚くような性描写になるのはひとひらの雪あたりではないかと思うが、これは新聞の連載で読んで、朝から呆れていた。つまり家族が居る前でも特に平気で読んでいたのだろうから、あんまりスケベ心でも無かったのではないか。
確かに吉行については、20を過ぎてもう一度一部を読み返してみたことがある。なんというか、妙に感心したからである。その頃になるともっと渡辺は過激になっていたが、もう興味は無くなっていた。むしろ性描写はほとんど無いが男女が時々セックスをする程度の吉行の方が、感じ入ってしまったということかもしれない。
もちろん子供の頃に読んで大人の女性のことが理解できていたかは怪しい。しかし大人になっても引き続き大人の女性は分かっていないのだから、僕がそんなに変わってしまった訳では無いとも思う。
童貞が今と違う考え方をするのかというと、たぶんそんなことは無いだろうと思う。しかし今になってみると、童貞だから分からないのかもしれないという不安はあったとは思う。でもそうで無くなってみると、変わらないという比較では、違いが分からないという検証ができるようになった。違うというのはそういうことであるかもしれない。
いわゆる性交渉を経た後に、さらに相手の心情が深く理解できるというのは錯覚ではないか。余計に分からなくなったり不安になったりすることも普通に起こりうるわけだし、いわゆるさらに感情を揺さぶられることもあるかもしれない。何もない方が美しいというのも幻想だが、関係を持ったからと言って汚れるようなこともない。少なくとも僕にはそういう気分の違いはまったく理解できない。まあ、よかったね、という以外何があるというのだろう。
つまりよく分からないのは、やはり違うと感じる人たちは、いったい何を持って違うようになったと感じているのだろうか。そういうもっともらしく聞こえる内容は、本当のことの様には僕には到底思えないのであった。