新聞読んでたら「絆」という字の語源のことが紹介してあった。もともとは絆というのは、牛や馬を繋ぎ留めておく綱のことを指すらしい。絆には「ほだし」という読み方もあって、ほだしというのは、自由を束縛するという意味がある。恋人が絆しとなる、という具合である。糸へんに半分と書いてあるが、この半分は、牛という字の変形とみるのが自然なのだそうだ。なんだか恐ろしい漢字なのだ。
さらにそういう意味の漢字なので、「絆が深まる」というのは、意味が分からないもののはずなのだが、誤用として使われるものが自然となり、通用するようになっているようだ。少し前の世代の人であれば、絆は強めるの方が自然に感じられようが、現代だと圧倒的に深めるものに変化したのではないか。さらにおそらくこれは、馬や牛とのつながりを指しているのではなく、人と人との関係性を指しており、お互いの関係を深めることをあらわす言葉として、絆を使うようになっているはずだ。そもそもの意味がだいぶ逸脱したにもかかわらず、実感としては、この言葉のニュアンスは、既に市民権を得ているものだろう。
どうしてそうなってしまったのかは、想像するよりないが、赤い糸伝説のようなものとも関連があるのではないか。本当は目に見えないものだけれど、赤い糸で結ばれるというのは、恋愛などでは普通に使われるものだ。糸と糸が半分ずつで結ばれるイメージそのものが絆にはあるのではないか。さらにキズナという音も、それなりに感じがいい。今や牛や馬などを飼っている家の方が少数派だから、そういう事との関連も、想像すらできなくなっている。誰が使いだしたかは知らないが、そういう本来の意味が分からなくなったからこそ、なんとなく新しげで使い勝手の良いこの言葉が選ばれたのであろう。そうして誤用の方が連鎖して使われるようになり、定着していったということなのだろう。
そういう訳で、実はあんがいに新しい言葉なのだと思うが、これはそれなりにこれからも生き延びていきそうな感じもする。いわゆるこういうもののふさわしさのような感じは、きわめて現代的だからだ。それは裏返して考えると、絆というものを介しての人間関係が、求められている為である。そういうものがあるのであれば、人間(日本人)は生きやすいものを感じているのだろう。空気というものを読むのであれば、やはり便利な言葉なのであろう。