カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

信頼すれば信頼されるのか 溶ける糸・刑事コロンボ

2013-08-31 | コロンボ

溶ける糸・刑事コロンボ/ハイ・アバーバック監督

 この作品のラストは忘れていたのだが(おかげで再見楽しめました)、この作品で手術に溶ける糸がつかわれているということを子供ながら学習したと思う。治癒した後抜糸の必要が無いということで、特に内臓などは再手術でまたお腹を開ける必要を減らすためだとかいうことも感心した事だった。しかしながらそれなりに怖い感じもして、その後実際のニュースなどで、手術後ハサミをお腹の中に残したままであるとか、いろいろ報道されるのを目にするようになった。手術というのは大変な労力らしいというのは分かるが、寝ている間にそんなことがなされるというのは、かなりのホラーではなかろうか。それに看護婦さんだとか他の助手の人だとか、大人数でまわりを囲んでおきながら、そのようなミスが起こったりするということが、さらに恐ろしいと思ったりした。
 コロンボに出てくる俳優さん達は、米国ではテレビなどでは有名な人が多いのだろうけれど、いかんせん日本の主に映画くらいしか見ることのできない視聴者にとっては馴染のあまり無い俳優さんばかりという印象があるのだけれど、この回の犯人役はおなじみミスター・スポックなのである。スタートレックは子供でも知っている(だから知っている)シリーズだから、コロンボとの共演ということだけでも、観ていて何となく興奮を覚えたものだった。当たり前だが耳に違和感があるものの、表情や科白回しの冷静さというのは、やはりミスター・スポックを彷彿とさせる。しかしながらその冷静なミスター・スポックが慌ててみたりするのもドラマとしての見所だ。僕としては外国人というのは皆大げさに騒ぐもの(偏見ですね)と思ってはいたが、それでも異星人だから冷静なミスター・スポックが騒ぐというのが貴重な体験だったということなんだろうと思う。最後は少しあっけない印象も残るが、駆け引きとしてはナイスとは言えるだろう。
 それにしても殺されるような動機を知っていながら、それでも相手を信用して身を任せなければならない立場になったらどうすればいいというのだろう。合理的な人なら素直に違う人を選べば良さそうなものだけれど、しかし良く考えてみると、やはりそのように人を変えることの方が、かえって信用をなくしかねないギャンブルという気もしないではない。敵対することを認めることになり、さらに何らかの工作を許すことにもつながりかねない。信用を買うために、自ら身を任せ信用を表す以外に道が無い。そのような信頼社会が米国にもあるということも、僕にはなんだか面白いと思う。日本のムラとは違うような社会に見えて、やはりこのような狭い社会の身の置き方の選択は同じようになってしまう。社会学の人間が何というかは知らないが、人間というのは立場によって似たような行動をとってしまうものだというのは、面白い現象なのではないだろうか。
コメント
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