カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

来年は文学性と疾走感だ、きっと。

2007-12-31 | 音楽
 この時期は見るべきテレビもないし、新聞も相変わらず総括がへたくそである。彼らはまじめに仕事しているのだろうか。日本では報道が一番稼いでいるんだから、もう少しまともな仕事をして欲しい。いや、稼ぎに関係なく、少しでいいからまともになって欲しいよ、まったく。
 ということで、年末なのでいろいろ振り返ってみていたわけだが、音楽関係を振り返ってなかったなあ、と今になって思った。社会的にまったく影響力の無い振り返りは有用でないところがいいと思うので、振り返ってみます。

 ツェッペリン事件で〆はよかったので、結果としていい年だった。これはのほほんと素晴らしい年だと思える。
 そして僕は今年ビートルズに目覚めた。なんとホワイトアルバムを初めて通して聞いてしまったのだ。終わりの方の作品だし、まとまりはないし、二枚組みだし、という理由で、長いあいだ無視していて、こんなに驚いたことは無い。ビートルズが解散する理由も理解できたし、偉大さもよくわかった。告白するとサージェントペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンドは、僕はあんまり理解できていなかった。凝ってるな、というだけで好きでもなんでもない。通のあいだではそれでもビートルズの代表アルバムだというので、僕はビートルズがそんなに好きじゃないと思っていたのだろう。しかしホワイトアルバムは凄い。もうバンドとしてどうなのかという時期に、バラバラに分解されながらこういう作品を作ってしまえたということが、時代の奇跡でなくて何なのだろう。ジョンのやりたいことも、よくわかるなあ。ポールがビートルズを続けたかったのもわかるよ。
 と、いきなり今年とは関係ないことから始めたけれど、新人バンドはクラップハンズ・セイ・イヤーがよかった。ふにゃふにゃしてて愉快だ。レイジ・アゲインスト・マシーンもなぜだか聞いた。しかしこれも今年のトピックだったっけ?
 ああそうだパティ・スミスがよかったのだった。しかし今年のことだけれど、古いよな、彼女も。ジョン・フルシアンテも何枚も出すので買わなかったけど、ラジオでチェックして聞いたよ。
渋谷さんのリクエスト特集でポール・アンカがニルバーナのスメルズ・ライク・ティーン・スピリットを歌っていて、かなりびっくりした。スゴイ。サブちゃんが桑田の曲を歌うようなものだろうか。いや、ぜんぜん違うけど。
 最近のというか近年のお気に入りは大げさ路線である。クイーンに源流があるのだろうが、僕の面の皮が厚くなって、やっと好きだといっても恥かしくなくなった。それがミューズであり、マイケミカル・ロマンスだ。これを聞いて気分がいいので、ひょっとするとナルシストかもしれないとも思った。最初はあんまりだろうという展開に苦笑していただけだが、自己憐憫を感じて聞きほれていく自分があった。ああ、恐ろしい。クーパーテンプル・クローズにもそういう側面はある。これはU2になりたいひとなのかもしれない。思わず一人でハミングしている。曲が書けているなあと思う。
 ベイビー・シャンプルズもまあよかったね、と思う。一連の事件でリバティーンズじゃないのが寂しいけれど、僕は大人なので、それでもいいのです。
ブロックパーティも不思議とお気に入りになった。なんか変なギターの刻み方だよね。
 ビートルズを聴くきっかけとなったのはジェットかもしれない。焼き増しだけれどACDCもリスペクトし、実力もある。もはや世界標準だ。
 マリリン・マンソンも聞いた。僕はこの方面苦手ですよ、本当は。マリリンが好きな人達ともたぶんお友達にはなれない。それは知っているが、僕はマリリンは好きなんだと思う。曲がものすごくきれいだと思う。
 〆の前にニール・ヤングも聞かされた。今年はやたらと勝手に流れていたが、流行っているとは聞いてない。また何枚も発表したのだろう。元気なオヤジだよまったく。それにどうしてこんなに長くなるんだろうと思ったね。相変わらずスネアドラムはペコペコした音だし、ギターソロがふにゃふにゃしているくせに、硬派なんだよ。長生きしてください。
 ライブも昔のCD引っ張り出して聞いたけど、何で聞きたくなったかは自分でもわからない。バンドやりたくなったですね。しかしもうやらないだろう。この孤独感と疾走感は素晴らしいバンドだと改めて思った。
 さあ、本当に〆だ。当たり前すぎて面白くないだろうけれど、ブルース・スプリングスティーンだ。やっと本当に帰ってきたという感じだよ。アメリカ人もきっと国を挙げて喜んでいるに違いない。ミュージシャンはメッセージを伝える商売かもしれないが、それだけに走ってしまうのも問題なんじゃないだろうか。ことに政治に走りすぎて、多くの人たちはついていけなくなっていたんじゃないか。吹っ切れたような、そんなすがすがしさもあって、本当に気持ちのいい音が帰って来た。息が切れても走り続けろ。僕らはみんな、そういう気分で元気になるんじゃないかと思う。そして英語はわからないが文学性も大切だ。日本においても、たぶんそういう文学性のある音楽が来年あたり復活するような気がする。もちろん勝手に僕がそういう気がしているだけだけれど、これは思い切って預言である。みなさん、来年は文学性と疾走感ですよ。きっと。
 それでは、よいお年をお迎えください。
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重く受け止めるべき事件

2007-12-30 | 時事
 新聞やテレビなどで今年の事件を振り返る特集などがたくさん流れていることだろう。振り返って見ると確かにいろんなことが起こった。
 安倍首相辞任のニュースは、出張中新幹線の中で、つれあいからのメールで知った。隣に座っていた同業者の人に「安倍さん、辞めたらしいですよ」というと「ええっ!」と大声で驚かれたので、その声にびっくりした。今考えても辞めることはなかったのではないかと思う反面、辞めたほうが良かったかもしれないとも思うので不思議である。
 さて、しかし、僕が今年一番驚き腹が立ったニュースは、鹿児島の「踏み字」事件だ。実際に事件が起こったのは03年の事だが、報道もさして大きくなかったことも驚きだ。このニュースを知ったとき、これが本当に日本で起こった事件であることが信じられなかった。それも21世紀で起こったことなのだ。中世ヨーロッパや戦時中の公安警察がやったことなら理解できる(許せるという意味ではない)が、現代の日本の警察がやったことなのだ。このニュースですぐに感じたのは、鹿児島という一地方だけのことなのだろうかという疑問だった。警察にいまだにこういう体質が残っているのではないか、という恐怖にも似た絶望感も味わった。人間の残酷性がここまで表れた事件も少ない。猟奇殺人よりタチが悪い。踏み字を強要した警察官は、死刑より重い罪を犯したのではないかと僕は思う。この警官を重く裁けない日本の法律には、明らかな欠陥があるとも思う。国家の信用と存続にもかかわる、重大な事件だったのではないだろうか。
 日本という団体社会の恐ろしさは、こういう事件で明るみにでた。役人社会の無責任は、こういう恐怖を内包している可能性が高い。年金だけでなく、閉鎖性の中に隠されている残虐性は、今後も表れていくに違いない。間違いなくこの方面こそ問題視し、改善を促す必要が今後とも最重要であると僕は考えている。

 嬉しいニュースは昨日書いたツェッペリンの再結成。いや、今だから嬉しいだけで、不安で仕方なかっただけなのだが…。
 個人的ニュースはK村君の選挙かな。しかし、結果的にこういう体験は記述しづらいのでパス。
 ということで、やはり一番はJCの卒業だろう。喜びと切なさを同時にこの年齢で感じたことは貴重だった。またこの一年を忘れることはないだろう。みなさんありがとうございました。
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これで年を越せます

2007-12-29 | 雑記
 仕事納めで餅つき。あいにく雨でテントとブルーシートを張った中で餅をつく。結構ずるして最初は機械である程度ついておいて、仕上げに杵でつくだけである。男連中がぺったんぺったんやって、女連中が餅を丸めたりする。写真撮影だけの餅つき隊も控えていて、順番に格好だけぺったんしたりする。
 利用者のO永さんは一番張り切っていたが、糖尿病で医者から餅の食べすぎを制限させられている。しばらくは恨めしく窓からこちらを眺めていたが、いつのまにか諦めて帰った。医者も罪なことを言うものである。糖尿で死んだぐらいいいではないか、とも思うが、診断というのはいじめのようなものだから仕方がない。
 さてしかし、多くの人は年を取ったものよのう、と思う。以前のように嬉々として参加する人が少なくなった。ぺったんぺったん餅をつくのも、ほとんどスタッフばかりになってしまった。
 最後に湯とり餅。大根おろし用の大根を引っこ抜いてきたので、ものすごく辛い。ヒーっと言いながら柚子胡椒と生姜も加えて、餅を食いながら汗をかいた。
 餅を食いすぎたわけではないけれど、昼を食うのを忘れてもぜんぜんつらくないほど腹持ちがよかった。えらい食い物だなあと感心した。消化にいいって言うけど、腹持ちもいいです。

 午前中からいろんな人がご挨拶に来たり電話があったりした。今日が仕事納めというところが多いのだろう。とてもご挨拶まではいけないな、というところにも数件お電話で失礼して挨拶を交わす。ああ、今年も本当に終わるんだなあと思った。
 夕方スタッフが順番に帰る間際に挨拶を交わす。来年になるとまたいろんなことが別の形で動き出すような予感である。僕としてもいろんなプランを抱えている。実現に向けて少しづつステップを踏んでいこう。
 基本的には来年から始められることは今からでも始めてよい。急に変化するのではなく、既に舵は切っているのである。多くの人は曲がってしまって気付くのだろうけれど、もう僕はコーナーを走っているという自覚がある。ある人から来年のあるプランことを言われたときも、すでに想定内だった。想定内ではあるが、そうではない振りをして曲がる場合もある。嘘をついているわけではないが、きれいに曲がるためなのかもしれない。よし、プランは固まった。来年からの目標はもういらない。

 子供たちがつれあいの実家に泊まりに行っているので、家に帰ると静かな時間が流れている。やはりなんとなくさびしい感じだ。実際は、居てもゲームと宿題なので、僕の子供の時とは比較にならないくらい静かではあるが、居ないという空間の空き方が落ち着かなくさせられるのかもしれない。
 そういうわけで飯を食って、真央ちゃんの放送までテレビも要らず音も静かである。
 フィギュアスケートはまったく素人なので見当違いはわかっているが、僕にとって一番上手に見えるスケーターは、ダントツで村主である。クルクル回る回転のスピードは評価されないのだろうか。もちろん真央ちゃんジャンプの高さと安定度は凄いなとも思うのだが、少なくともどうしてこんなにも点数の差が出るのかまったくわからない。いやだけど、つれあいは大変に喜んでいるのでいいことなのであろう。よくわからないなりに点数以上に圧倒的な強さを感じさせられる結果だった。

 さて、ツェッペリンのライブリポートをやっと読むことが出来た。もう本当に気になっていたけど怖くて仕方がない日々を過ごしていた。渋谷さんも番組の中であえてコメントを避けていたみたいだし。それでもサポートなしでやったんだという事が何よりうれしい。やるじゃん、ツェッペリン。ジミー・ペイジも太ってないようだし、なんだか凄すぎないか。ジェイソンだけが本物だということは知っていたけど、それじゃああんまり情けないと思ってたんだよ。ところでジミー・ペイジは、本当に指を骨折してたんだろうか。西洋人なので、たんにビビッて居たと言えなかっただけなのかもしれない。なんてかわいいオヤジだろう。これで本当に安心して年を越せると思った。僕の目の前には不安など無くなったのである。
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ただ頑張るのみでなく

2007-12-28 | 雑記

 O島さんの案配で、マンザイさん親子が我が家に泊まりにきた。一晩いろんな話をして、最近の香港のこともだいぶん理解できた。世の中というのはダイナミックに変わる。そんなに変わんないと思っているほうがどうかしている。香港に限らず、十年前と今とを比べて見ると、驚くほど世の中は変わってしまったようにも思える。お互い薄くなったり腹が出たりしているように…。
 さてしかし羨ましいなあ、と思えるのは、やはり職場の環境。日本の不合理というのはいぜんから言われ続けていることではあるが、つくづく不合理なままだなあと思う。決済ひとつとっても、あちらはいかに自由かということが良く分かる。それぞれの仕事について分担がしっかり任されており、失敗には厳しいが、やりがいがあるという感じ。商慣行ではいわゆる賄賂社会という側面もないではないらしいが、基本的に実力社会。実に働きやすくて、日本人も一度この香港合理主義の中で仕事をすると、日本に帰るのが億劫になるという。生活面では日本も快適なのだが、仕事のことを考えると憂鬱になる日本人も多いらしい。何も水が合うから海外で暮らせるわけではなくて、人間の精神衛生上、働きやすいというのは本当に大切なことなのではなかろうか。
 もちろん日本にもいい面があったり優れているものも多いことだろう。割り引いて考える必要もあるとも思う。しかしこと仕事いうことについて思うのは、日本のシステムというか団体主義の習慣は、あまりに不合理すぎると思う。自分の仕事が終わったら、さっさと帰っても何の気遣いが必要なわけはないし、仕事以外のプライベートで仕事関係者と集まって飲みにいく必要もない。そういうことは非常に当たり前なんだけれど、日本の社会にいると、やはり当たり前でなくなってしまう。ちっとも良くないことであっても、そういう暗黙の習慣を打開する手立ては非常に少ない。
 税制改革をして内部で節税できない構造を切ってやると、もう少し雇用形態も自由になって、個人の消費が伸びるのではないかと思うが、不公平だと声をあげる人も多いのだろう。日本のサラリーマンは(たとえ雇用している者でも会社から規定の給与をもらっている以上は同じようなものだ)基本的に丁稚しているのである。そしてさらにその状況を利用して、政府は税金をまた取ろうともくろんでいる。年金や保険は税金ではないと知った顔で言う役人は詐欺師だ。国民皆保険である以上、税金と性質はまったく同じものではないか。夢も希望もないから第三の税金といわれる宝くじまで買わせられる。金銭的に完全に統治下に置かれている国民は、どうしてこうもおとなしいのだろう。
 当たり前だが、今後も優秀な人材は日本から流出する一方だと思う。日本語の壁があるから何とかとどまっているのが現状であって、今後もそうでありつづけるかということでは必ずしもいえない。しかし製品自体は言葉を必要としないものが多いので、電化製品などは日本で製造しても流通することが今までは出来た。しかしそういう技術商品だけで生き残るのは、今からはニッチなものだけになっていくだろう。最先端より普及が先にあって、普及後に当たり前に水準が高度になるというのが今後の偽らざる流れである。日本の技術のいいところをいかに普及版として流通させえるか。そういう冒険をできるだけ多く出来るという柔軟性が、今後の鍵を握るだろう。つまり集団で多くの人が理解できるようなアイディアなんて、将来性がないというお墨付きがついているというだけのことだろう。上の人間の多くはぜんぜんそのことに気付いていない。気付いている人間が将来を制覇する。そのためにも人間の合理性と柔軟性をもっと信用してもいいのではないか。現実をリアルに見る目をもつためにも、もっと見聞を広げようではないか。
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恨高興

2007-12-27 | 雑記
 日常と違う毎日は日常ではない。だからいつまでも続きはしない。それがわかっているから、切なくもいとおしい。そして楽しい。非日常を送るべきにふさわしいのは、もちろん友人であること。要件終わり。
 しかしサプライズが日常化することは恐怖である。程度を感じるということは、僕自身の限界論ということだろう。いや、しかしそれは後から思うこと。浸ってそれでいいということも含めて、余剰を残してこそ、美学が生まれるとも思った。
 はい、実は今日は詩を書いたのです。
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サンタがウチにはやって来る

2007-12-26 | 雑記
 何とか無事にクリスマスが終わった(本当は期間として考えるとまだなんだろうけど)。なんでホッとするかというと、子供が微妙な年頃になったから。それでもちゃんとサンタさんがウチにはやって来たということを含めて。
 実をいうと危機があって、下の子の学校で先生がサンタの正体がなんだという話をしたらしい。若い先生なので、それなりに正直な発想だったのかもしれない。
 突き詰めて考えると、どのように答えたらいいものか、大人としては悩むものなのだろうか。実態はつかめないが、概念としては存在する、そんなふうに言っても、年頃の子は却って不審がる可能性がある。しかし僕のうちにはサンタはやって来る。何故ならサンタはいるのだから。
 昨夜は遅くまでありがとう。しかし、何故かサンタはいるかどうか、という話になった。三件目の女の子がサンタのかっこうをしていたせいだ(髭も無いくせに)。議論とまでは行かないのかもしれないが、なんとなく力説したい気分があった。僕のうちにはずっとサンタはやって来ていて、それが当然だという感覚は確かにあったのかもしれない。(追伸:K村君。ついでだが、エンデは必ず読むように。ケストナーでもいい。大人の必読書だろう)
 珍しく父親がかえってきていたクリスマスの朝。枕もとの靴下の中にはキャンディやらお菓子がたくさん詰め込まれていた。しかし肝心のおもちゃのプレゼントが無い。サンタがいたずらして隠したらしい。きょうだい総出(僕は6人きょうだいだ)で家中を探す。ひとつ見つかりふたつ見つかりするが、なかなか全員のプレゼントが揃わない。先に見つけている自分のプレゼントの包みの中を何とか早く開けて見てみたいが、弟達のプレゼントが見つかるまでは、申し訳ないようななんともいえない不安があって、とても出来ない。本当は僕のだけ忘れていったんじゃないか。泣き出しそうな弟。そうしてやっと最後のプレゼントが見つかって、一家で大歓声が上がる。
 今思うと、あれは姉や兄もグルだったに違いないのだが、僕の本当に大切な思い出である。思い出すだけで、あのときの不安と嬉しさがこみ上げてくるようだ。
河合隼雄の本を読んでいたら、まったく同じ話があって驚いたことがあるが、父もユングが好きだったようだから、真似たのだろうか。それとも母が提案したのだろうか。
 サンタがいるという説明については、飲んでいて正確に思い出せなかったのだけれど、そういえば有名なものがあった。ネットで紹介しているところがあったので、詳しくはそちらを読んでみて欲しい。
 何も家父長制度的な伝統を重視しているわけではない。しかし、こういうものを受け継ぐということが、文化というか本当の伝統というものなのではないか。誰も強制しない緩やかで確かなもの。かたちはどうでもいい。共通するのはサンタがいるということ。たったのそれだけ。
 巷間ではUFOがどうだとか騒いでいるが、僕にとって断然サンタの方が切実な問題なのである。
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今年読んだお勧め本

2007-12-25 | 読書
 基本的に良書は紹介した。紹介漏れの中から選んでみる。
 
 紹介しそびれた絶対お勧め良書から紹介する。
※ぜひ読むべし
 といいながら、最初は人を選ぶかも。「虹滅記/足立巻一著(朝日文庫)」厳密にいうと、これは僕が感心したということに過ぎないのかもしれない。お墓でいろんなことが分かるんだなあ、と著者のしつこさに感心してしまう。長崎の風俗が分かるので、そういう興味も満たされる。著者の爺さんという偉大ではないが面白い人物の伝記がこんなに面白いとは恐れ入りました。これが読書の醍醐味というような時間を過ごせた。
 さて、これはかなり評判がよかったのであえて紹介しそびれてしまったが、「生物と無生物のあいだ/福岡伸一著(講談社現代新書)」は読んでおいて損はないと思う。いや、小説のように読める詩的な科学の本である。この人は本当に将来小説でも書くんじゃなかろうか。ブリオンの解説なんかでも有名な人だけれど、文章家として大成しそうだ。

 さて、そういうお勧めでも特に分類すると
※考え方の方法
 という紹介の仕方ができるかもしれない。まずは「論より詭弁 反論理的思考のすすめ/香西秀信著(光文社新書)」を推す。正しいよりテクニックというのがレトリックである。だから僕は信用していなかったのだが、知らないでいいということにはならない。知らないと騙されるだけである。僕が正しくても受け入れられない状況があったのだということもよく理解できた。例えばタバコを吸いながらポイ捨てを注意しても、正しいことを言っているにもかかわらず恐らくそれは聞き入れられない。人はいくら正しいことを言われても状況で判断するということなのである。
 これは未来を考える上で必読書だ。「過剰と破壊の経済学「ムーアの法則」で何が変わるのか?/池田信夫著(アスキー新書)」論客としてかなり注目を集める著者の主な主張が凝縮されている。日本の閉鎖性と先見性のなさにかなり精神的にがっくりしてしまうけれど、池田信夫の歯切れの良い文章はなかなか快感である。
 歴史観というのも信用ならんとおもっていたが、「司馬史観と太平洋戦争/潮匡人著(PHP新書)」を読んでみると、少し落ち着いた。それにしても司馬遼太郎が悪かったとは一昔前なら誰も言わなかったと思う。別段偏ったことをいっているわけでもなく、右も左もばっさり切っているという感じで容赦がないのである。
 読んで得するという類の代表的な本で「プロ弁護士の思考術/矢部正秋著(PHP新書)」をお勧めする。合理的思考とはなんなのかということが良く分かる。今年読んだ新書で、もっともコストパフォーマンスが高いと感じるほどお得感のあった本だった。

 あえて分類すると
※ビジネス書
 ということになるのだろうか。まあ当たり前のことがかいてあるが、「脳が冴える15の習慣/築山節著(生活人新書)」もお得な本だと思う。是非ともこの本に倣って生活習慣を改善してみよう。あなたのライフスタイルが根本的に変わるかも。と爺さんくさく納得した。
 普段はこの手の本は信用していなくて、パラパラ見るつもりでけっこう感心してしまったのは、岡本史郎だった。「お金の現実/岡本史郎著(ダイヤモンド社)」ひとことで言うと当たり前のことしか書いてない。しかしそこが肝というか衝撃的なところで、手品師がタネを披露しているということなのかもしれない。改めてみて見ると、なーんだということでもあるし、そうだったんだ、ということでもあるわけだ。結局知っていても実行している人はあんがい少ないので、まだまだいけるかもしれないという希望も湧く。経済は確かにそういう側面があって、多くの場合エモーショナルなだけでロジカルな人は少ないのである。しかしロジカルで割り切れないものもあって、いけにえが必要だという話では目から鱗が落ちた。基本的には焼き増しだが、「裏・お金の現実/岡本史郎著(ビジネスサポートあうん)」までは読んでもいいと思う。岡本の他の類書は、少し雑になってしまうので、後はお好みでどうぞ。
 これはキーワードだけ拾って考えるだけでも有用だ。「やる気が出る脳の作り方/佐々木正吾著(ソーテック社)」やる気は「社会的評価・緊急性・見通し」があれば湧いてくるものだという指摘に、素直に納得した。精神論でなく方法に落とし込む考え方も共感できる。「やる気」という精神論の分野を、いわゆる普遍性がある方法論で考えることに面白さと将来性を見た。ブログも面白い。
 題名はべたべたで手に取るのが恥ずかしいが「無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法/勝間和代著(ディスカバー)」というのもそういう方法論に特化しているところがいいと思う。気力より仕組みを整えることと、結局目標が大切という小学生でも習うことが有効であるという当たり前の力強さを説いている。そうして実行できる素直さがあれば、彼女のように成功してしまうのだろう。
 類書が続いて申し訳ないが「すごい実行力/石田淳著(三笠書房)」も読みやすくて理解しやすい。やりたくないことから先にやることで自分のご褒美になる、という考え方も面白いと思った。
 実をいうとこういうビジネス書の言葉を借りて、月に最低3回はある監事講評のネタに使ったことを白状します。他人に伝わりやすく理解されやすいと思われるキーワードをメモして覚えておいて、場面場面で使えると思われるものを話の中に盛り込んだりした。また、自分で言葉にして他人に伝えることで、さらに自分自身が納得を深めるということもあったので、大変に勉強させてもらったと思っている。
 岡本の影響があったせいかどうか分からないが、「私の財産告白/本多静六著(実業之日本社)」が復刻されたことは大きいと思う。一連のビジネス書のマイブームは、実はこの本の存在から始まっている。しかし教えを守って貯蓄できていない現実が、僕の限界かもしれないとも反省している。だから僕は資産家になれないということなのであろう。しかし、本多静六の言葉はなかなかかっこいいので、ぜひ読んでみてください。

※命を考える
 「ワールド・イズ・マイン/新井英樹著(小学館)」圧倒的な暴力描写であるが、道徳の本らしい。別に皮肉でもなんでもなく、素直に読んでそうだろう。くさくはないが、お説教の一種として受け止めることはできる。実際に多くの人は、この説教を肯定できるであろう。そういう意味では実に見事である。絵は非常に上手いのだが、激しくて時にはなんだか分からない。少なくとも漫画の文法に慣れていない僕には、わけが分からない。唾がいっぱい出たりするのはギャグなんだろうか。それすらよく分からない。いろいろと気持ち悪かったり汚かったりするが、命ということは尊ぶだけでは本当には理解できないのではないだろうか。
 日頃僕らは如何に現実を見ていないかということを突きつけられる「アニマル黙示録/宮崎学著(講談社)」も手にとってはどうだろう。写真集だから時間もとらせない。これは人間という他人がしたことではなく、私という人間の属性なのだと思う。
 
※冒険記
 さて、冒険記といっても歴史書ではない。現代にも冒険があるという素直な発見が、僕には面白かった。ちょっと無謀すぎるとは感じるが「ぼくはアメリカを学んだ/鎌田遵著(岩波ジュニア新書)」はすごい冒険である。というかもの「すごい行動力」というべきか。 これほどまでに先住民に惹かれるのはどうしてだろう。そして著者は、あえて金持ちになる道を拒んでいるように見える。それはそれで潔く、冒険というのは正義感なのかもしれないとも思った。そして小田実ともちょっと違う影響力があるだろうとも思った。この人は将来カリスマになれるだろうか。少なくとも僕にはすごい人だと思えるが…。
 これは面白い読み物だと思う。ちょっと変わったところはあるにはあるが、これは現代の普通の日本人の感覚でもあるだろう。「アフリカにょろり旅/青山潤著(講談社)」はゲラゲラ笑いながら読みすすんで、文化についていつの間にか考えることになると思う。過酷な状況におかれた精神の状態も理解できる。自分自身がどんどん追い込まれていく不安と、他人がどのように考えているかのギャップが大きくて可笑しい。アフリカではないが、僕もこのような旅行をしていたというような懐かしさもあった。あれはもうやらなくてもいいなあと思う。若い無謀さに敬意を表したい。

※再発見
 比較文化という手法が手っ取り早く自分の理解につながることは確かだ。英国的な西洋文化の単純さと東洋の混沌を理解しだした個人の葛藤の記録でもある。「「ニッポン社会」入門-英国人記者の抱腹レポート/コリン・ジョイス著(NHK出版・新書)」はしかし、改めていろんな違いがわかって面白かった。英国が紳士の国だと思っている日本社会も単純だと思う。つまり、理解の程度はそんなものなのだろう。僕は改めて日本の再発見は面白いと思った。あたかも外国人のように日本を楽しむことも可能ではないか。
 「アースダイバー/中沢新一著(講談社)」中沢新一については懐疑的な意見があることは知っている。まあ、言説に責任は取っていないのかもしれない。学問というより、少し詩的だとも感じる。しかし東京に出張した折には、この本のことを思い出した。そしてこの本の視点でこの都市を眺める楽しさも感じた。確かにいろいろなものが見えてくるわけで、中沢が多くの人を捉える力のある論客だということは間違いあるまいと思った。

※小説
 紹介した「恋愛中毒/山本文緒著(角川文庫)」は改めてお勧めだが、その前に「恋/小池真理子著(早川書房)」も読んでいたことを思い出した。僕は女という考え方がほとんど分からないが、これももちろん理解できない。理解できないといいながらこのようになるのが分かるのが小説の凄さだろうと思う。そしてゾクッと来るように面白い。
 ゾクッと来るような面白さというより、たたみ掛ける恐ろしさの連続がしつこい「真景累ヶ淵/三遊亭円朝作(岩波文庫)」もどうだろう。日本のホラー小説というか、この話を実際に演じたものだろうか。いろいろ理屈はあるが、因縁という理屈は恐ろしく気持ちが悪い。そしてそれなりのカタルシスもあって、よく出来たお話、いや、人間の本性であると思った。

※言葉と文化
 なんだか不思議と魅力的な入門書だと思った。「演劇入門/平田オリザ著(講談社現代新書)」はしかし、僕としては関係ないから勉強になったのかもしれない。脚本というものを今後書く機会があるとも思えないのだが、この考え方は生活の上で役に立つかもしれないとも思うのだ。状況を追い込んで考え込んでゆくという手法で、いろんな謎が解けてゆくかもしれない。つまり自分がどこまで考えることができるのか。実際の平田の演劇が面白いかどうかはともかく、考え方は面白いと思った。
 奇をてらった言い方なのではない。「日本語は天才である/柳瀬直樹著(新潮社)」読んでみると日本語は天才であったのだと、ちゃんと理解できるはずだ。こんなにしつこい人には誰もがなれるわけではないが、読むことならできる。日本語もすごいが柳瀬直樹もすごい人だよ。
 すごい人といえば白川静も凄いような気がする。あんまりすごいんで、どれぐらいすごいか良く分からないのだが…。しかし「漢字/白川静著(岩波新書)」は読んでおいたほうがいいような気がする。たぶん多くの人は漢字の事をこのようには理解していなかったはずだ。誰もが忘れていたことを丁寧に暴き出して、以前の人間の思考をも表面に出してしまうのだから、本当に凄まじい。
 これはのっけから目から鱗が落ちる。「日本思想の原型-民俗学の視覚/高取正男著(平凡社)」である。本当に読むべき本というのはそう多くはないのかもしれない。時々すごい本に出会ってしまうと、そう思う。これだけのものがそう多く世にでているなんて思えない。また、そういう発見や出会いということを考えると、人間が知ることの出来る物事というのは、やはり限りがありそうである。そうなったらある程度は選択することも必要かもしれない。出来る限り精度の高いものを吸収する必要がある。そしてそういう良書が確実に自分の血となり肉となるよう内容を反芻して考えなければならない。日本の個人主義が西洋より厳格かもしれないというようなことを知るだけでも、世の中の常識の危うさを覆す、自分の目で見る力をつけさせる武器になるだろうと思うのだ。
 これは今年のお勧めという枠を超えた、日本人の必読書だろう。
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儒教は嫌われるよ

2007-12-24 | 雑記
 風邪をひいているが心地よい休日。しかし、心は穏やかではない。こんなにもテレビが気になって落ち着かない日はない。何でって、高校駅伝大会があるから。ほとんどかぶりつきで半日が過ぎていった。
 まあ、結果として終わってしまってさびしい感じだ。最後は佐久長聖に勝たせたかった気もするが、勝負なんだから勝ったほうがやはり少し気持ちが上まった、と考えることにする。それぐらいいっぱいいっぱいの勝負だったのではないだろうか。ここ二ヶ月あまり楽しめたのだからいい思いをさせてもらった。改めて駅伝というのは難しいものだと感じた。今年の悔しさが残るほど、来年成長した人たちの姿をまた見たいものだと思った。今年の名勝負を生んだように、連鎖したドラマが来年をまた形作るに違いない。
 それにまだまだ駅伝シーズンは終わらない。昔はあんまり箱根は好きじゃなかったが、考えてみるとやはり面白いことには違いない。大学の選手も、あああの時の、という人がほとんどだ。みんなやめないでよくやるものである。

 放送が終わると子供の方は待ちかねている様子。そうして久しぶりに野球をする。風が冷たくてみんなどういうわけかお腹が痛くなる。人数が少ないので遠くまでボールを取りに駆けていかなければならなくて、だんだんしんどくなってきた。ゴロはアウトにしようと提案したら、どんどんアウトが増えてチェンジしてばかりだった。僕としてはその方がダラダラしないで楽しかった。

 さて、夜になってマンザイさん一家を高速道路バス停までお迎え。何年ぶりの再会だったっけ。
 この日のために中国語を復習しておこうと二冊の入門書を買っていた。その上、あれ、読むのを忘れてたよ、ということをバス停で思い出した。そういう訳で、最初はかなり撃沈してマンザイさんの発音がまったく聞き取れなかった。まあしかし、何とかごにょごにょ言っているうちに宴会になって酒を飲んでK三さんも混じっているうちに楽しくなってだいぶ思い出した。相変わらずまじめな人だよ。たとえ話が教訓的で、そういう儒教的な側面もまた懐かしかったのだった。
 子供たちもいつのまにかうちとけて、ぜんぜん言葉が通じないはずなんだけどえらいものだね。年齢的にも近いらしい。制度が違うので学年は違うそうだが、下の子たちは身長もほとんど同じだった。
 お互いゲームばかりだよ、という親の愚痴まで国際化されているのが可笑しかった。俺は買ってないよ、買ったのは妻だ、と言い訳するのも、なんだか一緒だよ。携帯なんてとんでもない、なんて言っているけど、やっぱり買うくせにね。どんどん悪いこと覚えて楽しいじゃん、と僕は内心思っているけど、口には出さないでおいた。愚痴は愚痴なんだから聞こえないことがあってもいいのだ。
 普段は厳しいお父さんも、子供から飲みすぎだと注意されておとなしくなった。僕なんていつもと一緒だから無関心だ。やはり日頃の行いだね、なんてどちらが問題なんだろうかということを棚に上げて思うのだった。
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ゴミを棄てにいく

2007-12-22 | 雑記
 男子棟の出入り口の喫煙所のそばの階段下に、日頃から空き缶などを積んで置いている。基本的に溜まったら棄てに行くのだが、今回はたまったのと年末恒例なので棄てることになった。二tトラックにコンパネを組んで嵩を増す。どんどん放り込んで積み上げる。軽トラックにガンガンなど。電池に人形などもある。ワゴン車にオムツや燃えるゴミ、蛍光灯など。布団、ベッド、畳、化粧品の瓶、ハンガー、陶器、額縁、ダンボール、雑誌、プラスチック、プリンター、カラオケセット、傘、靴、タンスの破片などなど。こうしてみると随分たくさんのものが棄てられているものだ。全部いらなくなったもの。白いトカゲも住処を失い寒空の中どこかへ這っていった。
 ただ棄てるものを車に積むだけではない。ペットボトルの蓋も分けなければならないらしい。分別しながらなので7人がかりで一時間ばかりの作業になった。
そうやって集めたゴミを30分ばかりかけてゴミ処理場まで持っていく。田舎なのでゴミを集めに来ることはない。皆自分で処理場まで持っていかなければないのである。
 不便なせいもあるかもしれないが、田舎の人はマナーが悪く、そこら辺の山に勝手に棄てている人も多い。田舎に限らずわざわざ遠くから棄てに来る人もいるという。職場へ通じる道の脇には延々とゴミが棄てられている。ゴミが棄てられているところには、また新たなゴミが棄てられていく。たぶん罪悪感が薄れるのだろうと思う。悪の連鎖のゴミ街道である。斜面ところにはゴミの不法投棄禁止の看板がある。拾う人はいないのである。
 最近は街中でもゴミ箱が減っている。テロ対策だとかいう話を聞いたことがある。ようわからんがすさんだものだなあと思う。
 つれあいは家の掃除をするとき、あえてさらにゴミを散らかすのだそうだ。これだけ散らかったら掃除しなければならならない、ということになるらしい。
 養老さんは子供から「どうせ散らかるのだから掃除しても一緒」だと屁理屈を言われたとき、「どうせ死ぬのだから今死ね」と言ったという。
 ゴミを拾うのは人間が生きているということなのだろう。ゴミが散らかるのは死にかけている証拠なのかもしれない。
 処理場でゴミを棄ててトラックを計測してもらって料金を払う。そうして一服して缶コーヒーを飲んだ。生きている限りゴミを生産し続ける。人間って因果なものだとつくづく思うのだった。
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今年観たお勧め映画(まとめ)

2007-12-21 | 映画
 忙しいなりに映画はそれなりに観たと思う。前にも書いたが、僕は映画館で映画を観るのがすべて派ではない。ハリウッドは大画面がいいかもしれないが、家でDVDが標準で、なおかつあんまりタイムリーではない。そういうところは割り引いて読んでくださると助かります。これだけ挙げればひとつくらいは気に入った作品もあるはずだ(ズルイ)。

 まず、今年観たという限定においての僕の個人的ベスト3。
ヒストリー・オブ・バイオレンス/デービット・クローネンバーグ監督
ゆれる/西川美和監督
007・カジノ・ロワイヤル/マーティン・キャンベル監督
なのである。既に紹介したので詳細は省略。
「バイオレンス」は日本の任侠みたいでかっこよかった。
「ゆれる」は大収穫。この監督はすごいと思う。この人の影響で、「しとやかな獣/川島雄三監督」や、「ある子供/ダルデンヌ兄弟監督」も観た。なるほどね。西川監督自身の「蛇いちご」ももちろん良かった。今年の前半はこの人にハマったという感じだったかもしれない。もちろん今後も大注目だ。
 「007」は、こういう期待の裏切り方があるのだ、という素直な驚きと歓迎の意味を込めて。時代との決別は思い切ってやんなきゃね。勇気がわきました。

 次点というか。なかなか良くて落とすのが惜しいというのがある。
「ALWEYS 続・三丁目の夕日/山崎 貴監督」は、まあファンなので、ということと、ある意味でパイオニアとしての敬意。
「時をかける少女/細田守監督」もリメイクをいい意味で崩している。それでいてリスペクトが感じられる。
「歓びを歌にのせて/ケイ・ポラック監督」は、そのつくり方の文法がまるでハリウッド的でないところがすばらしい。変な映画だけれど、本当はこっちがまっとうなのかもしれないと考えさせられた。それでいて大感動なんだから、もうけものである。

 なんとなく古典も観た。
「13人の刺客/工藤栄一監督」は日本映画というものが、過去には本当に元気が良かったということが良く分かる。それにしても酷いやつがいたもので、昔の人はけしからんなあと思った。というのは冗談だけど…。完全にすっきりさせないというつくりも、考えさせられるものがあった。僕は忠臣蔵は嫌いなんだけど、日本人にはこういう考えがしっくり来るものがあるのだろう。と外国人の僕は思った。
「醜聞スキャンダル/黒沢明監督」正直言って途中でイライラさせられたけれど、それでもラストの言葉はさすがである。現代人は昔から現代人だったのかもしれない。黒沢は流石に映画のつくりが上手いもんだ。世界中にファンがいるわけである。
「決断の3時10分/デルマー・ディビス監督」これは驚きの結末なんだけど、ものすごく後味がいいのが不思議だ。思わず一緒に笑っちゃいました。途中の緊張感がすごいので、笑うしかないのかもしれない。
「スミス都へゆく/フランク・キャプラ監督」これは観たことがあったはずだが、忘れていた。米国の子供っぽいファンタジーだけれど、あんがい現代でも信じられているのではないだろうか。彼のような行動をとられれば、たしかに心は動かされるのではないか。そうあって欲しいという願望もある。いや、すべての政治家に見せたい作品だ。政治家にはぜひ彼のようにあって欲しいです。K村君。

 巷間で評判が良かったので釣られて観たもの。そして同然ながら釣られ甲斐のあった作品をいくつか。
「キングス&クイーン/アルノー・デプレシャン監督」それにしてもだいぶ日本とは違う国だぜフランスは。と思うと同時に、自由って言うものの概念がたぶん違うのだと思う。見聞は広げてみないといけませんな。それとこの女の人、僕には恐ろしいです。
「リトル・ミス・サンシャイン/ジョナサン・デイトン監督」ロードムービー好きには堪えられない展開なのではないか。コメディとしてもなかなか楽しめる。風刺も効いている。そしてやはり日本との感覚の違いがまざまざと感じさせられる。
「キンキーブーツ/ジュリアン・ジャロルド監督」ただの下町工場の復活劇じゃない。面白く見続けられて、やはり文化や風習のことを考えずにいられない。いや、これは評判になって当然の映画です。
「プルートで朝食を/ニール・ジョーダン監督」こちらも同じく(どれと)オカマもの。これは玄人の批評家が感心する内容。そういう意味で鼻につくところが無い訳ではないけれど、十分物事を考える材料にはなる。いい映画はいろいろ考えられるから、頭の体操になっていい。いや、難解な映画じゃないのでご心配なく。

 娯楽バカ作品は既に
「ワイルド・スピード3tokyo drift/ジャスティン・リン監督」と「スネーク・フライト/デビット・R・エリス監督」を紹介したことと思う。バカが面白いということを知るべきである。
 しかし、娯楽性を追及しているからこうなったので、これは映画の王道なのである。ついでに同じくエリス監督の「セルラー/デビッド・R・エリス監督」もお勧め。あっという間に時間が過ぎて、もう映画が終わっちゃったよ、という感じの娯楽の世界である。この人は才能ある人だと思うよ。ほんとに。

 使いたくない言葉だが、「癒し系」なら。
「友達のうちはどこ?/アッバス/キアロスタミ監督」はよかった。だから僕は宿題が嫌いなんだ。封建主義も大人も親切でさえも、みんな子供にとっては敵だったんだ。この監督は子供のことがよく理解できている。理解できすぎていて脅威だ。
 逆に老人の世界が「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ/ヴィム・ヴェンダース監督」である。というか、なんだかすごい人たちなんだなあ、と素直に思わせられる。こういう変わらない世界がある意味で楽園に見えたら、枯れてきた証拠ではないか。いい映画ですけどね…。

 在日を考える二本。男女を入れ替えて、両方で考えてみても難しいことが良く分かる。
「GO/行定勲監督」については窪塚がやはりいいと思う。こういう人なんだろうけど、この人だから力が湧くのも確かだ。「パッチギ/井筒和幸監督」の方は、無理に難しい気もする。葬式の時にああいう風に言われても、どうしようもないことだ。日本の中の他民族性は、アイヌは分からなくなったけれど、在日から始めなければならないのではないだろうか。って、始まってるんだっけ。それにしてもビー玉を口に詰めて殴ると歯が全部折れてしまうので、無理にビー玉を飲み込むんだ、ということを聞いたことがある。聞いただけでも気持ちの悪いリンチである。しかし、以前はけっこうあったらしいです。恐ろしいです。
 在日じゃないけど差別問題として「ジョゼと虎と魚たち/犬童一心監督」も考えどころではないか。食い物に目がくらんでおきながらなんてヤツだと思うが、それでも無意識のうちに差別意識から逃れられないのではないかとも思う。人間という生き物は残酷である。

 残酷というか気持ちの悪い作品としては何より「魚と寝る女/キム・ギドク監督」である。もうなんだか、ギョエーッである。勘弁して欲しいのである。妙にアートなんだが、気持ち悪いよ。
 そしてさらっと変な「マッチ工場の少女/アキ・カウリスマキ監督」も妙な味わい。こちらは僕の好みのテイストであるが、やっぱりこれって可哀相だよな。西洋のダンスの風習は、男にも女にも残酷なんではないだろうか。

 米国も勉強しておこう。
 そのあまりにアメリカ的な人間関係と女の自立。「プラダを着た悪魔/デビット・フランケル監督」には何の共感ももたないが、非常に勉強になった。こういう考え方なんだ。ええっ、映画だけのお話なの? うーん、しかし、それなりに爽快だ。
 そして僕が一番理解しづらいミュージカル作品の「プロデューサーズ/スーザン・ストローマン監督」である。しかしこれは素直に楽しめた。ぜひ舞台も見たいなあ、というか、ロケやコマ割りはあるにせよ、そのままなのかもしれない。恐るべき完成度ということなのだろう。
 また、「ユナイテッド93/ポール・グリーングラス監督」であるが、これがドキュメンタリーというか史実にのっとったものなのかは分からないのだが、いかにも米国的な正義感ではないだろうか。しかし飛行機は落ちたわけで、ズシーンと重たい。軍が攻撃命令を待つのも非常に恐ろしさを感じた。 
 二部作で映画としての出来は「父親たちの星条旗/クイント・イーストウッド監督」なんだけど、アメリカ的に崩壊するさまは、本当に悲しい。「硫黄島」は悲惨だが、米国は悲しくむなしい。何でこんなことになったんだと、やはり何かを恨むよりないのが戦争なのである。

 さて、感動したというか、非常に恐れ入ったのが「トゥモロー・ワールド/アルフォンソ・キュアロン監督」であった。何箇所かどうやって撮影したのか良く分からない長回しのシーンがある。途中でカメラに血糊が付いたまま撮影が続けられたりする。戦争に巻き込まれたら、たぶんこのような臨場感になるのだということが良く分かる。ぜひ体験して欲しい世界だ。
 そして「嫌われ松子の一生/中島哲也監督」なんであるが、これは傑作でしょう。これだけ悲惨なのに爽やかささえ感じさせられる。それにものすごく変だ。
 そんでまた「グエムル/ボン・ジュノ監督」もいい映画だと思った。ハリウッド的な映画の手法でハリウッドに負けない出来栄えは流石ではないか。しかし不条理なところはキチンとしているし、ひねりもある。完全ではないが(話の都合上なのだが)爽快感もある。対抗しても仕方がないけれど、この監督は日本映画にはいないタイプだ。きっと後世に名を残すのではないだろうか。

 最後に佳作というか。みんなで観ようという映画。「フラガール/李相日監督」では松雪と蒼井の踊りに本当に素直に感動させられる。蒼井は「花とアリス」での踊りもすばらしい。彼女のような人がシンデレラというのだろう。映画としてどうだというより、みんなでわいわい観ると楽しいと思う。けっこう壮観だし。
 そして、映画としてはなんとなく間が抜けているけれど「ロボコン/古厩智之監督」の長澤まさみの笑顔は、すべてを吹っ切ってしまうだけの力がある。人間愛嬌だけでも十分に生きていける。それだけでなく、多くの人々も救う力がある。これは男の子にとって本当に理想の女の子なのだと思う。そういう意味では女の人が見てもいい映画なんじゃないだろうか。
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嬉しいんだかつらいんだか

2007-12-20 | 雑記
 年末だなあと、いろいろと頂き物をするたびに思う。事務所なのに食材が豊富に揃ったりする。スタッフが休憩する時に、目の前に食い物が積んである。みなさんさりげなく目の前のものをたくさん食べているのがなんとなく可笑しい。いや、時には凄まじい。これも一種の戦いなのかもしれない。
 みかんにもいろいろ種類があるらしく、ものすごく小さいものから大きいものまで揃ってきた。甘いのは小さくて柿色のヤツが頭ひとつ出ている。今年は雨が少なかったせいか、普通のみかんも比較的に甘いような気がする。僕は果物はあんまり食べないほうだが、ひとつ手にとって見ると、無意識にまたひとつと手が伸びていた。いや、なかなか旨いです。
 僕の家庭ではコタツがなかったので、みかんとコタツという連想はないが、多くの人にはそういうセットでの幸せの風景というものがあるらしい。コタツに入って手が黄色くなるまでみかんを食べるというのが、冬の定番なのだそうだ。まあ、聞いたことはあるね。「のだめ」の世界なんでしょう。僕にとってはなんとなくそれが嫌だけれど、他人がしあわせと思うのならそれでいいです。
 りんごも切ってあって、手に取るとものすごく甘い。中心に蜜が詰まってぜんぜん色が違う。杏月ちゃんに食べさせたら喜ぶのではないだろうか。そう思っていたら、これは僕が職場に買ってきたものらしい。ああ、付き合いで一箱(だったかも忘れた)買わされたんだった。金払った記憶もないので、どこかに請求書があるのだろう。
 イカやら魚介類もあるようだ。これは離島からおくられてきたらしい。イカを刺身にしてゆず胡椒でいただく。甘くて辛くて旨い。大量に切り身がボールに入れられていて、スタッフは昼食時にそれぞれ丼に注ぎ分けて食っていた。
お菓子の類は興味がないのでパス。ありがとうございました。
 仕事納めにあみだ籤を作って、スタッフでぶんどり会をする。事務所の隣の書庫に頂き物が積み上げられていくが、どのような均等配分するかは、いまのところ未定である。多少の当たり外れはあるが、頂き物である。なんとなく丸儲けというか、今年も大漁だという感じだ。
 日頃のお付き合いの感謝ということでもあるが、富の再配分という感じもする。集中した人が必ずしも放出が多いわけではないだろうけれど…。むしろ逆かもな。再度富というものは集中を見せるのかもしれない。金は天下の回りものとはそういうことなのだろうか。
 まあ、ウチの職場もそれなりに広いお付き合いがある証拠でもある。按配として固定しすぎると問題もあろうが、つながっていないと都合が悪い場合もあろう。そこのあたりの配分とさじ加減が、今後の考えどころである。ああ、でも考えたくないなあ。後にしよう。
 池田信夫に言わせると、こういう状態こそ将来性がないのかもしれない。関係性の約束を破っていくことで、新たなイノベーションを可能にしていくのだろう。カルロス・ゴーンは過去の約束を知らないといえたからこそ、系列を切って再編できたのだそうだ。まあ、僕の場合も、けっこうバカのふりして知らないふりしたなあと思います。いろんな筋から恨まれているかもしれないが、そうやって今があるのも確かである。しかしやっぱり新たな関係も構築されてきて、がんじがらめになっていくと、また壊さなければならなくなる日が来るのだろう。貰ってばかりで喜べない自分もいて、なかなかつらい年末なのである。
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具合が悪いと楽できる

2007-12-19 | 雑記
 風邪をこじらせてしまって声の調子が悪い。もともと風邪気味だったのだけれど仕事や予定が変えられるわけではない。無理を押し通すしかない状況だったので、熱だけは上げないということを気合で決定して行動していた。その通りになればもうけものである。
 しかしながら先週の総会が終了したぐらいから、本格的に具合が悪くなりだした。三次会で誰かの歌いかけのガッチャマンを歌ったら、声がつぶれてしまった。自分でもあれッという感じである。みなさんは僕の声を聞いて同情してくれたのか、卒業式の晩にもかかわらず帰宅を許された。これで帰っていなかったら、もっと地獄の日々が続いていたことだろう。
 翌日は朝からかなり来ている感じがしたが、まだ声はでていた。販売で声を出すのだが、かなりつらい状況になってきた。ちょっと休憩をもらって風邪薬を飲んだら、十分ぐらいして少しだけ楽に声がでるようになった。やはり薬はそれなりに効果があることが実感できた。しかし調子がいい状況がもつのも一時間程度という感じで、やはりどんどん声はでなくなっていった。そうして夕方には完全に音が出なくなった。客とのやり取りは手話である。時々少しかすれた声がでる瞬間があって、政治家かマフィアみたいだと周りから言われる始末である。
 声がでないというのはなかなか不便で、普段僕がどれだけ話をしていたか良く分かった。というか、普段はひっきりなしに一人でしゃべっていたらしくて、誰かと一緒にいても相手のほうがかなり気まずいらしい。手を差し出して、何か話せ、と促して場を濁すが、ほとんど返事が出来ないので会話が行き詰ってしまう。少しぐらい僕のかすれた声がでるときは、相手もだんだん小声になってゆく。音の無い世界は、なんだか本当に気まずいのであった。
 また、その晩にも宴会があって、ずっと聞き役。これはなかなか酒のすすむ状況で、僕は話しながら飲むのを調整していたのかもしれないな、などと思った。たいていは〆の挨拶などをさせられるが、声がでないのでパスできた。まあ、楽といえば楽である。汽車の時間がありますので、ということで帰ろうとしても誰も引き止めない。こういう体験も希少である。具合が悪いって、なかなか快適なことだと思ったのであった。
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カンバック

2007-12-18 | 雑記
 いろいろあった一週間。いろいろあったので記述が間に合わない。つまりパス。新たな一歩からはじめよう。
 宿題なんかもそうで、たまってしまったものを最初からやりだすとうんざりしてしまう。途中でもいいから手をつけやすいものを選んだほうがいいようだ。嫌なものを後回しにしすぎるのも問題だけど、手をつけることのほうが重要で、放置し続ける方がより危険なのである。少なくとも僕のようなずぼらな人間においては、そうでもしなければなかなか重い腰が上がらないということになる。たとえ好きなことでも、ずっと続けるとなるとなんとなく煩わしいということがでてくる。継続は必ず完全に連続する必要があると厳密主義になると、結局は続きにくいと思う。穴が空いてもそのまま進められるような連続性が、より確実に続く道なのではないだろうか。
 このことは大人になるまで分からなかった。子供の頃はほとんど挫折続きだった。過去から学べないものは未来がない。そうして考え付いた方法がこれなのだ。テクニックはいろいろあるだろうけれど、禁煙もダイエットも基本的にはこれで成功したようなものである。汎用性が広いので、なんにでも応用が利く考えだと思う。
 そういうわけで新たなスタートと連続性に戻るのである。どうぞよろしく。
しかし、今日も会議である。新たな連続性も、当たり前だが以前と代わり映えしない世界のようである。坦々と刻もう。
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口コミの力

2007-12-12 | 雑記
 最近は早起きできなくて自己嫌悪である。アヅちゃんに申し訳ない。朝から期待してクークー啼いているのに時間が無い。お外は雨だよ、と言い訳する。理解してくれるといいんだけど…。

 昨日の続きみたいだが、婦人雑誌を読んでの雑感。
婦人雑誌の特徴は写真の多いこともさることながら、特定のライターのコラムが少ないということもあげられると思う。そういう意味ではほとんどその編集部というか、部署内で記事を書いているということでもある。いや、文章が極端に少ないので、写真や構成を考えていることが中心なんだろう。もうひとつは、人物の登場が極端に多いこともある。料理は料理の先生、メイクはメイクの先生が登場する。本やCDなどの紹介も、誰かさんの好みだとか、著者その人の取材があったりする。解説する人がいわゆるプロじゃない場合が多かった。こういうつくりは、僕には非常に新鮮だ。普段の僕は誰か有名人の好みなんて別に関係ないと思っていたが、確かにこういうことに興味があるのかということは、少なからず心動かされるものがあったからだ。いや、有名そうな人その人物は実は知らない人だったが、後でパソコンで検索して調べてみたくらいだ。音楽の趣味はちょっと違ったので購入までには至らなかったが、映画については後で見てみようかなという気になって手帳にメモした。たぶん将来見ることになるのではないか。雑誌なのに評判の伝達が極めて口コミ的で、なおかつちゃんと宣伝効果があるということで、これはなんかの商売に使えるな、と思う。女の人が購買に熱心なのは、こういう手法とも関係があるんじゃなかろうか。

 さて、来週の火曜ぐらいまで更新ができないと思う。毎日朝から晩まで販売の行商に行ってまいります。毎回のことだけれど、この時期はなんとなく体調不良になるぐらいハードな毎日です。気合入れてがんばろう。メルマガの方も発刊が遅れそうです。今年のベストスリーも考えたいと思っていたけど、これも週明けの作業かな。来週は特に忘年会もピークだし、体力的に山場ですね。楽しんでこなしていこう。それでは。
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験を担ぐ

2007-12-11 | 雑記
 待ち時間があるのに珍しく文庫本を持ってきてなかった。仕方なく待合室の雑誌を手に取るが、婦人雑誌のようなものが中心である。
 写真が多くて、それも料理関係のものが多くて腹が減る。みんななんて旨そうなんだろう。
 化粧品とかダイエット関連はどうでもいいのでパスする。
 ペットコーナーのトイプードルの舌が可愛い。この子は餌も旨そうに食っている。この可愛さは写真写りだけだろうか。パグ犬を飼っている人は、犬より飼い主のお姉さんが可愛い。これは何かの戦略だろうか。
 さて、婦人雑誌はティーンのものもミセスのものも、占いが充実している。やはりそういう関心が高いということなのだろう。当然僕はパスする。占い記事は読んでいて時間のもったいない感じのする文章の代表選手である。行事などがあれば天気予報は見ることがあるが、基本的にそういうものも時間の無駄なので読むことはない。未来が気にならないわけではないと思うが、予想してどうすると思う。ましてや運勢を占ってどうする。あたるとかあたらないとかいうことに、時間だけでなく気分を振り回されることが、なにより煩わしい。お金をかけているのなら別だろうが、あてられることにも興味がないし、あたりに行くこともたぶんしない。別の次元で生活がしたいのだろう。
 そう思ってはいたが、験を担ぐということはあるようだ。いや、必ずこれをしなくては気持ちが悪くなるということは一切ないが、霊柩車が通ると「親指」とは思い出す。半分は死んだので、隠しはしないようだが…。あるとすれば焼酎はお湯からであるが、これは験とは違うかもしれない。
 マナーとしてなら、いろいろと主義以外の行動も何の考えもなしにする。アナーキストだが、国旗掲揚もするし君が代も歌う。これは説明が煩わしいからかもしれない。だが無理もしていない。会議のときも出来るだけ背広に着替える。これは敬意のようなものだろうか。格好などどうでもいい事なので、じゃあ自分の方が倣ってみても問題は無い訳である。葬式も数珠を持っていく。坊主が南無阿弥陀仏といえばそう言い、南無妙法蓮華経といえば、そう言う。アーメンだって言うし、讃美歌も出来るだけ口パクしないように努力はする。応用が利くのである。
 車のシートベルトはする。別に自分を守るためではないが…。国家は交通安全より自殺者を何とかするべきであろう。しかし制限速度10キロオーバーを守るのは、交通事故が怖くなったせいかもしれない。以前は平均30キロはオーバーしていたかもしれないのだから(当然激しく捕まっていたが)。
 携帯電話はいつも最初からマナーモードである。音を鳴らす意味さえ今となっては分からない。会議中や人と面談中は、鳴っても無視する。最近は人が良くなったので留守電のないものにも折り返し電話するようになったが、基本的に相手が留守電なら何かひとこと要旨を入れる努力はしている。これはたぶん時間がもったいないせいだ。同じようにメールや会議などの案内をいただくと、ほとんどの場合直ちに返事をする。二度文章を見る時間がもったいないからである。
 験を担ぐ話からだんだん脱線しているが、やはり厳密には験は担がないのかもしれない。出来るだけ靴をそろえるようにしていることぐらいだろうか。しかし、靴の件も、そういう心掛けが少しぐらい僕自身をまっとうにするかもしれないという投資のようなものである。なんかの本で読んだが、多くの初代の資産家というのは、かたくなに習慣化された行動を守っているようなところがあるそうだ。必ず朝から線香をあげるだとか、普通の当たり前のことを非常に大事にするそうだ。それだったら僕は何をしようか、ということで靴をそろえることにしたのだ。実はそんなに徹底しているわけではないが、これは験のようなものだろう。
 ああ、しかし正月におみくじは引くし、特に身近な人がよい運勢だととても嬉しい(自分のは本当にどうでもいい)。あれはなんだろうな。参拝する前にお手水で清めるし、願い事もしている。これには、ほとんど疑問を感じていないようだ。我ながらものすごく不思議だ。念じているだけでそれなりに気分がいいし、なんとなく叶うような気もする。たいしたことをお願いしていないせいだろうか。
 しかし僕はギャンブルはしないし、今後も宝くじも買わないだろう。自分がしてない癖に言うのもなんだが、貯金するような人間と友達になりたい。仏滅の日に結婚式をしたというような人なら、大変に好ましく思う。僕自身はどういう日だったかさえ知らないし。あ、結婚式すらしてなかった。
 そういうわけで、占いや験担ぎは、やはりどうでもいいのであった。
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