東京タワー オカンとボクと、時々、オトン/西谷宏監督
リリー・フランキーの半自伝的原作があるもののテレビ版。主演が大泉洋でオカンが田中裕子である。たぶん後に観ることになろう劇場版の「東京タワー」を借りたはずだったが、明らかに貸し出すDMM側が間違って送付してきた。仕方ないのでもう一度借り直しの処置はとった。この会社は謝罪もなんも無しの酷い体制だけど、めんどくさいのでそのまま関係がズルズル続いているような感じである。他の会社がもう少しましになったら乗り換えるだけのことである。
ということなんだが、マイ・ペースの曲「東京」が何度も何度もかかる演出であった。以前喫茶店に入ったらこの曲ばかりかかる店で閉口したことがある。この曲は中毒にでもなるものなのだろうか。
とまあ、内容とそんなに関係ないことばかり書いているが、原作は私小説的なところがあるようで、そういうエピソードをどれだけ拾って作品化したのか、というのがあるようだ。母が死ぬまでのお話なので悲しい訳だが、その悲しさは母との関係があるからである。自分という存在を無条件に受け入れてくれる人というのはそんなにはいない訳で、要するに多くの人にとっての母はこのようにスペシャルなのである。父親もものすごく凄い人だが、まあ、時々なのでいいのだろう。
東京で働く人という中でも、このように芸能の社会というか、タレント性の高い仕事をしている人というのは、やっぱり特殊である。その特殊性があるからこそタレントとして成り立つのだろうけれど、だから実はあまり一般的な話では無いのだろうとは思う。結果的に東京で母と暮らすというのは、あまり普通では無いのだろう。母はやはり田舎で亡くなるものなのではないか。
情緒的な話なので、この長く続く悲しい感じに浸れるかどうかというのが観る人にはあるのだろうと思う。僕は情緒的な人間では無いので、リリーには興味があっても、ちょっと不思議な距離感で観ていた。終わってホッとするというか、助かったと思ったりした。特に意識した訳では無いが、こういう感じが大衆的なツボなのかもしれないな、とも思う。やはり僕には距離があるものなのかもしれない。