カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

やれることに縛りをつけてはならない

2023-10-31 | 掲示板

 結果においては茫然自失としたというのがあって、挨拶の言葉を選び、お礼とお詫びを述べた。選挙最終日には気持ちのたかぶりもあって、涙があふれてきた訳だが、今回は悔しい気持ちはあれど、涙の方向へは感情が向かない。今は何か考えているというよりも考えられないというか、信じられないというか、そうした感情の方が勝っていて、分析をする頭に切り替わらない。考えていたこととまるで違うことが起こったことは間違いなく、そうしてそれは、むしろ支持者の多くが滑り出てしまったというような形に、なっている可能性の方が高い。支持の輪が広がり仲間も確実に増え、そうして票を失った。それが事実であるのならば、何を反省すればいいというのだろう。他にいったいどんなやり方があるというのか。
 基本的に考えられることは、支持者の多くが現職と被っているということだろう。そうして二択になると、現職の方を選ぶ。出て欲しくなかったという声が最初に聞かれたのはそういうことで、別のステージではしっかり支持していたが、このステージであれば話が変わるということなのであろう。基礎的にそれが無ければ、このような結果の根本を捉えにくい。
 他の基礎陣営からの支持者も、結果的に伸び悩んだことも間違いない。自分の陣営でなく、あくまで他陣営である。運動員として活動してくれた人たちの声も聞こえてはいたはずだが、その働きを見てもなお、自陣営の戦いだったらどんなに良かったか、という思いのあった人も多かったのではないか。つきあってはくれたものの、それは夢の継続だったのかもしれない。組織としてもそうである。動員掛けて実働もお願いした。これだけのパイプがあるのは間違いないのだが、そのパイプにつなぐ原油なり真水なり、送り出すものや受ける皿が用意されていなかった。票が集まらない原因ではなく、票が集まった後のインフラが整っただけ、だったのかもしれない。
 これだけの巨大な組織の乗り入れがあってなお、本当には機能しないように見えるのは、そのような形作りにおいての拒否感のようなものが、隠されているのかもしれない。しっかりした基盤の上にしか、議会運営を含め政治の丁々発止は行えない。それができなければ、ある程度空回りを起こす。大衆やマスコミにとっては、それこそが政治ショーであって、そのような政治不信が一定以上あおられていないと、政治の成り立ちを報じる手立てが無いのかもしれない。もっともそれが投票率の低下の根本的な原因だとは思われるのだが……(※これはまた別で論じます)。
 実は勝てるイメージは、希望的な観測のもとに築きあげられていったものだったのではないか。巨大な現職の高くて分厚い壁は、8年間の歳月を経て、さらに強固なものへと成長していた。少なくとも四年前は、完全なる無風だった。しかしマニフェストの実現は無くとも、新たなイベントは組み替えられて、そこそこのやってるイメージは維持されていたのかもしれない。動かないものは、何か経過の中で忘れ去られても、そんなに問題のあることでは無いのかもしれない。
 多くのことを推進させるパイプは無いかもしれない。しかし首長が本気になって動けば、賛同する組織は少なくないのである。何かに所属しないまでも、協力体制で一つになれることは多いはずだ。たとえ反対した政策であったとしても、どうやれば実現できるのかという道筋は、それなりに種明かしとしてこちらは提示していったことは間違いない。ちゃんとやろうと思えば実行できるし、やり方も段階的に最小限の負担で積み上げて行けるのである。本当にノーサイドと考えているのであれば、やれることを着実にやって欲しい。我々は、政治的なまちづくりがうまく行くことを、一番に望んでいるのである。
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国が違っても若者は変わらない   シング・ストリート 未来へのうた

2023-10-30 | 映画

シング・ストリート 未来へのうた/ジョン・カーニー監督

 親の収入の激減のため、転校させられる。そこはひどく掃きだめのような学校で、暴力が横行し当然学力も低い。アイルランドの独特の閉塞感や後進性もあって、若者はくすぶっている感じだ。そんな中、学校の門の前でヤクかなんかを売っているちょっと年上のかっこいい女性に一目惚れし、音楽ビデオのモデルになって欲しいと頼む。実はこの時バンドさえ組んで無いにもかかわらずである。言ってしまった手前慌ててにわかバンドを結成して、音楽活動を始めることになるのだったが……。
 おそらく監督さんは僕と同世代だろう(※ちょい年下だった)。僕の中学生時代とほとんど同じような感じで、音楽シーンが語られる(※実際には僕の高校生くらいであるようだ)。デュラン・デュランなんかが最新の音楽だったりするのはなんだか笑えるが(そういえば今年新譜を出したらしい!)、当時はそんな感じもあったかもしれない。新しい音楽とファッションを求め、精一杯背伸びして、カッコイイ女の子の気を惹きたいがために、必死になって勉強そっちのけで音楽にのめり込んでいく。髪を染めて化粧をして学校に行って、暴力に屈しない自信をつけていくが、校長先生からは激しい暴力を受けることにもなる。さらに反抗心が高まって、家庭も崩壊して、しかしなおのこと自分のよりどころとなった音楽で力をつけていくのだった。
 安易なところはあるし、いい加減なところもあるが、若い力と思い込みだけで突っ走って、克服していく。サクセス・ストーリーとしても面白いが、恋愛劇の駆け引きとしても、なんだか憧れているものとの距離が、どんどん現実になっていって自分の主体性のようなものがはっきりしていく物語になっている。背伸びはしているが、子供のままの内面もあるが、生き方としては自分で決めて迷いが無くなっていくということかもしれない。
 どこかで評判が良くて気にはなっていたが、ずっと未見だった。今回やっと観ることができて、いろいろとなるほどなあ、と思わせられた。このような雰囲気というのは、国が違うので違うと言えばずいぶん違うのだが、しかし音楽的な気分というのは、驚くほど僕の若い頃とおんなじである。黒人がいなかったり、あそこまで飛んでる女の子もいなかったが、学校の先生たちはあのように皆やる気が無くて暴力的だったし、一定の閉塞感の逃げ場はロックの中にあった。そういう時代を反映して、チープだが確実にかっこいいミュージックビデオが、たくさん出回っていた。僕らはそれらの影響を受けて、いわゆる価値観を育てていったのだと思う。それは今の僕と、実はほとんど変わらない基礎的なものなのである。
 これでいいかどうかは分からない映画だが、身の丈も含めてよくできた構成になっている。なかなかの佳作と言っていい、素晴らしい映画ではないだろうか。
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偉大なのかお茶目なのか、という人かも   キケロ

2023-10-29 | 読書

キケロ/高田康成著(岩波新書)

 副題「ヨーロッパの知的伝統」。西ヨーロッパにおいては人文主義的教養の基礎に、キケロ無しでは語ることができないものがあるのだという。キケロ自身は前一世紀のローマの人で、若くから執政について活躍するも、時代背景の中にあって失脚し、まさにその強大な権力者たちの前に翻弄される人生を歩んだ人だが、多くの著書を残し、また多くのものは失われもしながら、中世ルネッサンス期前に再評価され、その後の西ヨーロッパにおいて、先に書いたような絶大なる影響力を及ぼしたということらしい。
 偉大な人だったことは確かなようだし、書き残したことの影響力も大きかったということも詳しく書かれているのだが、実はキケロという人は、残された書簡の内容を見ると、なかなかに日和見的なこともしていたり、ちょっと情けないような心情も吐露していたりする、おちゃめな老人であったということも浮き彫りにされていて、研究者によっては、激しく失望を抱かれたりもする面白い人物だった。まあ、時代もあるし、命もかかっているし、あちこちに逃げたりしていた訳で、哲学や道徳的な指針など偉そうなことも書いたかもしれないが、その当時の人たちと付き合うのには苦労したということなのだろう。結局刺客に殺されることになった訳で、時代が下った人たちがそういう背景を正確に理解する方が難しいのではないか。
 もっともキケロの教えのようなものを基幹に据えて思想を組み立てた後世の人々にとっては、やはり偉い人はとてつもなく偉い人であり続けて欲しかったのかもしれない。本人は死んでいるのだから、そんなことは知ったことではなかろうけれど。
 しかしながら、教養として習う教材にキケロは必ずある訳だし、その教養をもって精神的な支柱にして生きていく人も多かったこともあるし、演劇などの場面や、科白の背景にあるものの引用など、キケロ無しには様々な文化が成り立たないということもあるようだ。それはキケロの時代に必要だったギリシャの教養も土台にしていたり、またやはりローマの時代がその後の西ヨーロッパの基礎としていかに大切なものだったのかということもある。そのような文化文明の成り立ちを語る上では、避けて通れない文人であったことは間違いないのである。そうしてそのことは、我々東洋人がなかなかに理解しずらいものでもある可能性がある。歴史の重要性であるとか連続性であるとか、そのようなものが引き継がれていくものである限り、基礎となる考え方をどうしても必要とする文化がある。それがズバリ、キケロであるということを知っているだけでも、あちらの国々の文化の礎を知ることにもつながっていくだろう。偉大過ぎて誤解も反感も多いということもある訳で、なかなかに普通の教養として理解するのも苦労する人なのかもしれない。
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母と娘の友情物語   秘密の森の、その向こう

2023-10-28 | 映画

秘密の森の、その向こう/セリーヌ・シアマ監督

 森の中にある亡くなった祖母の家を片づけに、ある家族が訪れる。母親は自分の母が亡くなった悲しみの為か、途中で帰ってしまう。父と二人して森の中で生活しながら片づけをする8歳の少女だったが、森の中で同じ年のマリオンと知り合う。実際に演じている少女たちは双子であり、自分と瓜二つの同じ年の少女と打ち解けていくうちに、実はその少女は、母親の少女時代の姿であることが分かっていくのだった。
 原題を直訳すると、「ちっちゃなママ」という意味らしく、まさに自分と同じ年のころの母親と会って、不思議な友情を育むということになっていく。そういう意味ではSF映画なのかもしれないが、特撮などがある訳でもないし、ファンタジー的に何かが起こるわけではない。いや、十分奇跡的なことであるはずだが、ふつうに双子の子が仲良く遊んでいる場面が続いていくわけで、これが親子なんだな、というのは科白から勘案して観ているわけで、やっぱりなんだか変なのである。子供が何をして楽しいのかというのが何となく思い出されるというか、実に自然な演技なので、これは本当に演技なのか? とさえ思ってしまう。しかしちゃんと不思議な仕掛けは機能していて、一種の奇跡がいくつか起こっているような気もする。彼女たちが出会うのは必然であったろうし、時空を超えて出会えたことで、親子の関係であってもちゃんとした友情が育つことが、しっかりと見て取れる。
 面白い映画というのは、別段スペクタクルだとか、特撮だとか、そういうものは一切いらないものなのだ、という見本のような映画かもしれない。もっともそういう系列の映画ではないというだけのことかもしれないが、ちょっとしたアイディアと、やはり演じているキャストだとか演出だとかいうものが、とても大切なのだ。子役がその設定で自然に演技をしていて、実に名演なのであって、これは映画の中でも別の演劇を二人で演じている演出もあって、やはりその自然さが際立つ仕掛けにもなっている。
 上手いもんだな、とつくづく感心してしまった。いい映画というのは、やはり監督がどのように仕組んで映画を作るか、ということにかかっている。そうして監督が考えている以上のことが、ときどき起こったりもするのではあるまいか。そんな気もしたが、計算通りだったとすると、やはりそれはそれで、凄いものではあるのだけれど……。
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電動アシスト自転車ダサい?

2023-10-27 | culture

 電動自転車は海外のメーカーのものも結構あるのだが、日本の規制とは合わず、日本ではあまり見かけない。事実上の電動スクーターというのが多いらしく、ペダルは付いているが、電池が切れた際の補助的なものが多いのだという。せっかく電気で動くのだから、こがなくてもいいのではないか、という割り切った発想が多いのかもしれない。
 そうであるので、日本の電動アシスト自転車という発想の方が、やはり日本的であるということになる。自転車からスタートした乗り物であり、あくまで自転車として乗られるものであるのだから、自転車の欠点というか、坂道などを登る際に、特に力を必要とする場合に、その足にかかる力を軽減するために、電動モーターがサポートするという方向になる。それなりにハイテクになってもいて、ペダルにかかる力を察知して、推進力に負荷がかからないような力が働くようになっている。また目の前の障害物なども察知して、自動のブレーキがかかるようなシステムがあるものもあるという。スピードを出すことを目的としているのではなく、快適に安全に、かつ気軽に乗ることができる自転車を目指しているようである。
 また自転車のユーザーの多くは、子供を持つ母親だということもあって、子供を乗せたり買い物かごであったりの、生活の中で使う自転車という機能も充実したものが多い。電動アシスト自転車の王道はいわゆるママチャリであり、それは特に日本独自であるということになっているのである。
 そうであるから、外国人からこの自転車を見ると、かなり奇異に感じられるものらしい。妙なものがコテコテついていて、まったくスポーティではない。外国の自転車は趣味の人か、ティーンエイジャーが乗るものと相場が決まっている。いったいこの自転車は何なのか? かなり不思議な雰囲気を感じ取られるものらしい。しかしながら実際に乗ってみるときわめて快適で、そのギャップも楽しめるということらしい。日本のガラパゴス化って、かつては残念なものの象徴のように言われていたのだけれど、あんがい独自進化というものは、もっと面白がられてもいいのではないか。電動アシスト自転車という分野は、その象徴的なものなのではなかろうか。
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人は見た目でやはり判断される

2023-10-26 | Science & nature

 ひとはあんがい見た目だけで、その人がどんな人なのか判断しているという。田舎に行くと、素朴で親切な人が多いと言われるが、実際はそんなことは無い。だがそのように感じている人は多いらしくて、まことに不思議である。家庭菜園などをしていると、なんだかいい人に違いないと思われたりする。そういうのを代表制ヒューリステックという。偏った判断をして、間違いを引き起こすことが多い。危険な場合もあると思うが、そのように判断してしまう人間の習性のようなものがあるのかもしれない。
 逆に言うと、見た目で悪く判断されがちな人というのもいるはずで、そういうのはそれなりに人生において損があるのではないか。それでいいという開き直りもあるのかもしれないが、ちょっと問題がありそうだ。
 知人に今どきでもパンチパーマにしている人がいて、その上に彼は特にこわもての人でもなく、どちらかと言えば優し気な人なのだが、どうしてそのヘアースタイルにしているのか聞いてみたことがある。答えは、周りが親切に接してくれるからなんだという。ちょっと意外に聞こえたが、実際に役場などの手続きだとか、食事に行くレストランのようなところで、非常に手厚く接してくれる人が多くて、生活が快適になるのだという。確かにパンチにスーツ姿なんかだと、ある意味でその筋の人のような感じも無いではない。僕には田舎のおっさんにしか見えないが、怖いと人と受け止めてくれるというのは、それなりにいるのかもしれない。
 そうすると、いわゆるヤクザのような人というのは、やはり一般の社会の中では、快適に暮らせているというのだろうか。今の日本はヤクザには厳しいものになっていると風のうわさにも聞くし、近所に住んでいるその筋の人がいるのだが、定期的にパトカーが巡回したり、家の前に待機していたりするのだが(要するに治安維持で税金が投下されてはいる訳だ)、そういうのって、不便なのではないかとばかり考えていた。抗争のようなものだってありそうだし、職業として食べていく困難もありそうだけれど、そんなに簡単にやめられるものでもないのかもしれない。たまにいかにもという黒い車が周りを睨みつけながら通ることもあるが、ということは子分がいるのかもしれなくて、暴力関係で働きがあるのかもしれない。もしくは堅気の仕事だってやっているのかもしれない。分からないが、見た目は確かにわかりやすくて、そういう意味では接触が避けられるので、ある意味助かるかもしれない。
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傘袋装着機の普及推進を

2023-10-25 | culture

 公共施設や、デパート、スーパーなどの入り口に設置してあるビニールの傘にかぶせる傘袋をつける仕掛けがある。いちおう傘袋装着機とでも言っておこう。日常的に当たり前なので、不思議にも何にも思っていなかったが、これは多くの場合日本独自のものだという。海外にも輸出されているらしいので、外国にも皆無ではないということなのだが、ほぼ見かけることは無いのが実情らしい。要するに日本以外では、あまり普及しづらいものなのかもしれない。
 理由は知らないので想像するしかないが、後で不要になったビニールの袋を回収しなければならないし、そもそもあんまりエコではなさそうだし、便利でもちゃんと使える人という啓蒙も必要そうだし、要するに良さそうに思えるものの、いろいろとリスクのありそうなものなのかもしれない。
 外に傘立てがあればそれに突っ込んで店内に入ってもいいのだが、盗難などの恐れもあるし、乱雑に傘が差し込まれている傘立てというのがあって、使いづらいというのがあるかもしれない。また傘をさしたまま忘れて帰る人というのも一定数いそうだし、そういう忘れ物の処理に時間を取られたりすることを考えると(保管や処分もタダではない)、傘袋の方が合理的かもしれない。これなしに店内に入られると、少なからぬ雨粒が滴って、フロアが滑りやすくなり危険かもしれないし、やはり煩わしさもある。いっとき買い物カートにぶら下げて歩く分には、そこまで邪魔になるものでもなかろう。帰りはごみ袋のようなものに捨ててしまえば済む。一枚に数円のコストがかかっているだろうこともあるが、確かになんとなく日本的なような気もしてきた。こういうのを気にするのが、日本的と言えばそうかもしれないし、またちゃんと使えるだろうことを当たり前にしているのも、日本的な感じがするからである。
 さて上記のようなことを考えると、日本は僕らには住みやすいが、諸外国はそうではなさそうだということもある。無ければ無いのか、と思うだけかもしれないが、外国から来たお客さんが、これはやっぱりいいからと言って諸外国でもっと提言してくれなければならない問題かもしれない。いいと思っても広がらない訳を、その国々で考えてもらいたいものである。
 ちなみにこれ、英語圏では、umbrella condoms  っていうらしい。うーん、ちょっと微妙であって、普及を妨げているかもしれない。
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侵入はピッキングなどの技術が不要になった

2023-10-24 | HORROR

 現在のカギの主流は、ディンプルシリンダー錠というものになっていて、複雑な窪みがあるのが特徴になっている。このことで、ほぼピッキングの被害を防ぐことのできる、防犯性の強いものになっているという。以前のピンシリンダーと言われるカギは、ピッキングと言われる手法で、鍵穴に二本の棒のようなものを指し込んでこじ開ける手口でこじ開けることが可能だった。熟練のカギ師のようなひとや、いわゆる泥棒さんにとっては、慣れると数秒で鍵をこじ開けることができ、実際にこれらの盗難事件は社会問題化にされて一時期騒がれていた。メーカーは対応に追われ、新たな防犯性の高いカギを開発した、という訳だ。他にもカード式だとか、車なんかでは普及しているスマートキー、なかには顔認証などもあるが、やはりアパートなど管理人のいるような部屋などはディンプルシリンダー錠を用いているところが多い、ということだろう。
 ところがこの鍵は、カギに書かれている製造番号で、簡単にメーカーに問い合わせてコピーが作れるのだという。形状が複雑なのでメーカーで作るよりほかなく、不動産屋など管理部門を飛び越えて、個人がネット注文をすることで、かんたんに作ることができる。
 それで何が問題かというと、持ち主が知らないまま鍵に書かれている番号などを盗み見られたり、スマートフォンなどで写真にとられたりすると、第三者でも安易にコピーを作れる、ということになるのである。そうして実際に部屋に入られて盗難の被害を受けるなど、実害が増えているのだという。
 さらに問題なのは、このような犯人の多くは、被害者の知人であるケースが結構あるらしい。鍵の番号を盗み見る機会のある人というのは、一緒に食事に行ったり、会社の同僚であったりするケースが多いということだ。さらにその泥棒の手口であるが、不在の時間をよく知っており、何度も部屋に入って、例えば下着を盗んだり、数万円だけ抜き取ったり、などと犯行を重ねるのだという。盗まれた本人は、自分の思い違いではないかという思いがあり、なかなか犯行が発覚しない。あまりに物や金が頻繁に無くなってしまうことを受けて、やっと泥棒が部屋に入ったと思い至る。そうしてその犯人は、知り合いなのである。そうして精神的なショックが大きくなり、単に盗難を受けただけでは済まないものが被害者にはあるという。まあ、なんというか、実にお気の毒である。
 自分の部屋に勝手に入られたというだけでもかなり気持ち悪いが、それがピッキングなどの特殊技術を必要としない、誰でもできるネット注文なのである。安全対策が進んだために新たな犯罪を簡単にさせたとも言えて、なかなかに考えさせられるものがある。やっぱり顔認証などの方向に、このようなセキュリティは進んでいくことになるのではないだろうか。
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僕らが就職した時代の風景   リアリティ・バイツ

2023-10-23 | 映画

リアリティ・バイツ/ベン・ステイラー監督

 古い映画で、それも僕の青春時代と多少重なる。というか、僕の弟が観ていたな、という感じかもしれない。ウィノナ・ライダーはその時代の象徴のような女優さんで、それに相手がイーサン・ホークなのである。まあ、そういう事ですね。
 アメリカ人なので、当時はマリファナばかり若者は吸っている。ヒッピー文化というのもあるが、しかし生活するためには就職もしなくてはならない。親のすねをかじっていい大学は出たのである。だから最初はそれなりに就職はできなくはなかった。しかし現実を見ると、面白くないので辞めてしまう。そうすると一気に暮らしは転覆する。あたりまえである。しかし若い僕らは、そんなに深刻に考えようとは、していなかった。それは日本だろうとアメリカだろうと変わりはない。この映画を観ると、それがはっきりする。そういう時代の気分があり、そんな世の中のほうが悪いのである。そういう考えの人間にとって、現実はやはり厳しいものがある。その時になってやっと悩みだし、イライラしだす。これまでにとっていた自分のあるべき姿というのが揺らいできて、もっと目の前のことに、真剣に向き合う必要が出てくるのである。
 主人公は美人だし、もともと頭も良かったために男には不自由はしない。友人の女の子たちだって同じようなもので、望めば男とのセックスというのはありふれている。もっとも自分が好きな相手とうまくいくかは、別問題なのだが……。男たちも葛藤はしていて、自分らしく反抗を生きていくのにも限界を感じてはいるのである。そうして好きな女性を前に自分らしく生きることに対しても……。
 こんなような苦悩の青春が、若いころにはあった。そのような時代が上手く表れている映画で、当時そんな気分で観ていたのかは忘れたのだけれど、それなりに地味なんだが、かなりヒットした記憶がある。流れている曲もその時代の代表的なヒット曲だ。何となく気恥ずかしい気分もよみがえったが、それが時代の空気とでもいうものなのであろう。
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手相とあなたの転換期がキーワード

2023-10-22 | HORROR

 僕の若いころから問題になっていて(しかしオウム問題でかき消された経緯があるが)、さらにこれだけ社会的な敵になりながら、一定の信者がいて、さらに山上の母親のような頭のおかしい熱心な信者がいまだに頑張っているようなことが、なぜ起こるのか? 理解するにも苦労するのだが、いったいこれはどうしてなのだろうか。
 実は勧誘方法というのは明らかにされていて、最初は手相などを見るのだという。素晴らしい手相をしているのに、それを妨げているものがある、というような語りがあるのだという。言われた方は、その内容を自分なりに考えることになる。悩みなどがあると、勝手にそれを解釈して当てはめることになりそうだ。そうしてキーワードとして「今あなたは転換期にある」と言われるのである。まさにそれらの思い当たる問題点や、悩みのようなものの解決に向けて、導かれる思いがするのかもしれない。この時点では宗教の勧誘であるなどということはみじんも匂わせない。
 そうやって誘われて有料のセミナーなどに参加させられる。5万円とか法外の値段にもかかわらず参加したりするのだという。そこで宗教だということは知らされるというか、わかるようにはなるのだそうだが、要するに家族の不幸や、何か問題点などを鑑みて、自分が変わらなければ、とか、自分が何とかしなければならないような責任感のようなものに、駆られることになる。それに付け込んで宗教的な勧誘が推し進められていく。教団のグッズを売るなどお手伝いなどをするようになったりして、さらに活動自体にのめり込んでいって、いつの間にか自分自身で物事を考えるよりも、教団の教え通りに考えるような思考に陥っていくのだという。
 このような勧誘は、考えてみると他の営業などにも使えそうな感じもするのだが、なかなかに巧妙で、したたかである。この方法を暴露したNHKの番組は、教団から激しく抗議を受けたことからも分かるが、教団の詐欺性のようなものを自ら認めているからこそ、そのような反応をしているのだろう。もっともほかのメディアなどに対しての威嚇もあるのだろうけど。信者がいなければ成り立たない詐欺軍団なので(もはや宗教でさえないだろう)、このやり方の暴露は死活問題ということであるようだ。もっともそれを知った人が、手相を信じなくなるわけではなさそうなので、これからも使える手口でありつづけるだろうけれど。
 要するに、統一教会のような団体の手口を知ったとしても、ほんの一部の人たちにしか、騙されない有効性は保てないのではないかということを思うのである。こんな連中に騙されるはずがないと考えている多くの人は、やっぱりこのようなやり方に誘導されて騙されていく人を含んでいるはずなのだ。ほとんどの場合教団の接触が無かっただけのことで、危険から免れている人がほとんどであろうし、それくらいの少数の人を騙すだけでも、教団が成り立つくらいの資金集めが可能だということも言えるかもしれない。そうしてこれだけのことが起こった後でも、騙されている信者は目覚める事さえ妨げられている。誰かのために行動をしてしまった人というのは、それだけ強力に抜け出せなくなる人間性というものが、どうもあるらしいと考える方がよさそうだ。そこに付け込んでいるのが彼らの勧誘の行きついた方法だ、ということなのであろう。
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まるでドキュメンタリーのリアル   アトランティス

2023-10-21 | 映画

アトランティス/ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ監督

 ウクライナの戦後近未来の設定、という背景のある映画。映画なので創作なのだが、なんとなくドキュメンタリー・タッチなところがあって、淡々と暴力描写があったり、不明遺体を調べたりというような場面が、長尺で撮られている。実際の俳優もいるのかもしれないが、本当に軍隊の人間や現場の人をそのまま使って撮影されたのだという。
 戦争の痕跡があちこちに残る中、男は水を運んでいる。工業用用水のようだが、途中でポリ缶で譲り受けたりする人もいる。科白は少なく、ほとんどは場面の長尺映像だけで説明しているのだが、荒廃したまちの中にあって、人々は疲弊している様子である。よく分からないが自殺する人もいるし、何か事故に巻き込まれて死にそうな人がいる。戦争で死んだ人たちの遺体があちこちにあって、ロシヤ兵も含めて検体をして、そうしてまた埋め直す作業をしている。戦争の傷跡を、一つ一つ残して行こうという考えもあるのかもしれない。
 さて、現実に戻ると、いまだに戦争は終わっているわけではない。だからこそ、この映画をどうしても対比して観ることになるのではないか。ウクライナ映画としてこのような作品がつくられる。そのこともまた、この映画が注目を集めた原因であるのは間違いない。戦争をやっている国が、その戦争にまつわる話でもって映画にしている。その気分のようなものが伝わってくるのも確かで、そういう中にあって、何とか未来をむこうというメッセージのようなものもあるように思う。それは過酷な中にあっても人のぬくもりにあるというような……。読み違いかもしれないが、たぶんそういう感じの意味なのであろう。
 ともかくなんとも生々しい描写が多くて、過激と言えば過激である。実際に死と隣り合わせにある国民生活というのは、いったいどういうものなのだろう。それも現代社会において、それなりに西側社会とも通じている国の人がどのように考えるのか。やはりこれは他人事ではないという事になるのであろう。
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モクトとするは何とする

2023-10-20 | ことば

 「目途」という字は、メドと読んでもモクトと読んでもいいという。意味としてもだいたい同じようなものであるらしい。そうであるが、一般的には圧倒的にメドと読んでいる人が多いという話もある。一般的に言って、日本語の主に話し言葉としての語感として、ある一定の見通しをさして、めどが立つ、めどをつける等々、表現の慣用的な語感が浸透している。要するに日本語として自然だし、和語的な響きも良い。幾分の柔らかさも感じられるはずで、引っかかりも少ない。正しいとか正しくないという話ではなく、多数派としての自然さがあるということである。
 一方のモクトは、はっきり言って特殊な持って廻った、角ばって威圧的な感覚があるはずだ。そうしてこれはやはり特殊な用語で、行政や政治家が使うことが多い。いわゆる業界用語である疑いがある。要するにあえてこの言葉を使うことで、仕事をしてます、的な気分を醸し出したいのかもしれない。彼らは期日を区切って成果を出すことに、恐れを持っている人たちである。約束を果たすことは本来は良い事なのだが、彼らにとっては違う。約束を果たしたことで、さらなる批判を受ける可能性が排除できなくなるからである。そういう事であったはずであるという証明を、その時点でしなければならない。実に勇気のある行動なのかもしれない。だからこそ一定の成果を出すと決めている以上、そこは一定の理解をさらに求めるために、もしくは自らを再度鼓舞するために、その区切りを特段に強調したくなってしまうのかもしれない。それが実のところモクトなのではないかと思われる。聴きざわりが悪いし、一般の人には何か引っかかりのある言葉遣いである以上に、何かこれを知らなかったら罪悪感を醸し出しそうな威圧感さえある。モクトって読んでるけど、それってメドだよね、くらいは漢字を読まなくても何となく伝わる。伝わるからこそ、何かはぐらかされているような気分にもなる。ああ、説明しているのは行政(政治家)であるな。そうであれば、あてにはならないことをいっているのだろうか?
 ということで、モクトと言われる期限については、実はだいたいのそのあたりね、くらいであるらしい。ちゃんとメドをつける事とは別物であるらしい。そういう理解が実は正しい。これは読みの問題では無くて、彼らの逃げの気持ちの表れなのである。何かあっても実は知らんよ、いちおうはやってますからね強調音というものであることを、理解すべきであろう。
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ちくわぶは好みでは無いが

2023-10-19 | 母と暮らせば

 村上春樹が大阪から東京に出てきて、結局口に合わなかった食べ物として「ちくわぶ」をあげていた。東京地方の人以外には、確かになじみの無い食べ物であろうが、これは元々戦後の貧しい庶民の食べ物であった名残であろう。とても洗練されているとはないし、奇妙だし、特に美味しいものではなかろうが、これはおいしく食べるものでもなかったのではあるまいか。何か、なんでもいいから腹を満たしたい思いがあって食べていたものが習慣となって、今は懐かしさも伴って、定番化して新たなファンを広げている可能性もある。食文化というのはそういうものであろう。
 実際僕は、ちくわぶのことは、名前だけは子供のころから知っていた。母の買い物について行くと、おでんの具材のところで必ず一言、「ここにはちくわぶもはんぺんもないね」というからである。それはいったい何だと聞くと、おでんに入れるとおいしいもの、なんだという。ふーん、というしかないではないか。母が何故そんなことをいちいち言うかというと、東京で暮らしていたことを自慢したいからなのである。こっちに帰って来てから生まれた僕にとっては、実にどうでもいい話なのだが、そういう事も眼中になく東京プライドの高いところがあって、それはもちろん僕がもう少し歳を重ねてから気づくことになる。
 しかしながらそういう事が続くと、僕の中で妄想が広がっていく。はんぺんは小学生の高学年になって、テレビCMでこれを売るメーカーのものが流れることがあった。あ、これは! と思って父に聞くと、「あれはサメだろうな」という。特にうまいものでもなく、ふわふわ浮いてるやつだよ、ということだ。いったい何のことやら。
 時は流れ、中学生になって、父が東京に出張するときに、僕も学校をさぼって一緒に上京したことがあった(今となって何でそうなったのかよく分からんが、そういう家庭なんである。ウチは)。夜になって何を食たいか? と聞かれたから、迷わず「おでん」と言ったことは言うまでもない。
 それでおでん屋に入った訳だが、おでん屋があるのにも驚かされた。今は長崎市内などにおでん専門店があるのは知っているけれど、長崎というかマイホームタウンでは、おでんというとうどん屋とかラーメン屋なんかのサブメニューであって、本注文品が来るまでの間の場持たせのような食べ物なのである。
 ともあれおでんで何を食うかと言われて迷わず「はんぺん」と「ちくわぶ」を頼んだわけである。父は牛筋とか卵とかを食べろよ、というのだが聞かなかった。
 そうして初めてこれらを口にして、まあ正直言ってかなりがっかりしたわけであるが、なんだか食べながら愉快な気持ちにもなった。まずいけれど食べられないわけではない。やっぱり卵とか厚揚げとか大根を食べてお腹いっぱいになったが、この経験は僕にはとても楽しかった。
 今は時々ちくわぶも見ることがあるようだ。面白がって取り寄せる店が出てきたということだろう。はんぺんの方は大手のメーカーが売っていることもあって、それなりにふつうになった。売れているのかは知らない。
 結局母の作ったおでんの具材でちくわぶとかはんぺんを食べたことは無いような気がするけれど、それはそれでいいのである。特に食べたいわけではない。そうなんだけれど、出張で関東地方でおでんの具材を見て、たまにちくわぶを頼んだりすることはある。まあ、あんな感じで訳の分からない食感で変であるが、あの頃の愉快な気分は、なんとなく蘇るのであった。
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金利はやっぱり上がるのだろうか?

2023-10-18 | 時事

 長期金利の上昇を受けて、固定金利が少しだけ上がっているのだという。一般的な住宅ローンの借主は、ほとんどは変動金利を利用していると言われる。ネット銀行などは、超低金利で貸し付けており、言っちゃあなんだが、金利はタダの状態に近い。そのようにしてお金を借りてしまっている人々には、少しの金利上昇の兆しが見え始めただけで、かなりの不安に陥ってしまうものらしい。もちろん僕もその一人ではあるのだけれど……。
 お金を借りたら返さなければならないというのは、別段ユダヤ人が発見しなくとも、誰かが何らかの形で課しただろう発想だと思う。いかにも人間らしいものごとの捉え方だからだ。物々交換であっても、等価であるから行われるというよりも、どちらかか、どちらかともに、これを価値以上に思っていたから行っていたものと言える。場所によっても、ものの交換率は違ったはずで、それは貨幣への考えの基本となったことだろう。ものの価値が貨幣と交換できるようになると、ものよりも交換可能な貨幣自体を貸し借りするということが行われる。それに時間を掛け合わせて金利を編み出すところに、確かにしたたかさを感じさせるところがある訳である。貸した金以下の回収しかできなければ商売にならないので、貸した金以上はかえってこなければ貸す意味がない。超低金利だからと言って貸した以上は返してもらいますからね、と約束させられていることに変わりがない。もっとも貸し倒れは貸した側が最も恐れることでもあるから、そのあたりのさじ加減を考えると、借りている方もいくらか心理的な防衛ができるのではあるまいか。
 報道にあるように国の長期金利の上昇を受けて、固定金利のみが連動をみせている訳だ。貸している側が独自に金利上昇をさせる可能性は、極めて低いのではないか。超低金利でも利益を出しているところを見ると、相当の資金を相当の広い範囲に貸し出していることは間違いない。利幅が少なくても、ネットなどのコストを掛けずに貸し出した資金をバラまいていたわけで、それらが少しでも焦げ付いて回収が滞ってしまうと、そのためのコストがさらにかかることになって、やっぱり金利を本格的に立て直して上げるようになる、ということも無いではない。借りている方がむやみに動揺せずに返していけるようなら、大きな金利変動へと動きにくくなるものとも考えられる。まあ、そうあっても欲しい訳だが。
 今のところ変動金利においては、あまり反応していないように見える。それだけ資金はだぶついているわけだが、そうするとひょっとすると、というのはバブルがある。限界が来るまでは調子がいいのは間違いなくて、はじけると一気に上昇し、次々に破綻してしまうことになる。考えにくいことだから、皆が考えないだけのことで、そうなっていないことを祈っているしか、ないのかもしれない。少なくとも借りている期間が終わるまでは……。
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少年の成長と不思議な言語   白と黒のとびら

2023-10-17 | 読書

白と黒のとびら/川添愛著(東京大学出版会)

 副題「オートマトンと形式言語をめぐる冒険」とある。副題の通りの内容が語られているのだが、しかしこれは冒険成長物語なのである。ある村の少年が魔術師に弟子入りするのだが、掃除などの雑用ばかりさせられるうえに、意味の分からない白と黒の文字列であらわされる古代言語を勉強させられる。もう嫌になって魔術師になるのなんてやめてしまおうと思っていたら、ある古代遺跡の謎解きに、この言語と関連する考え方が必要であることが分かり、さらに魔術そのものに関しても、そのようないくつもの言語を習得しない限り上手くいかないことを知るのである。少年には数々の難題が降りかかり、非常に危険な目に何度も会うが、機転が利くというより、ちょうどいい頃合いにヒントが転がっていたり、人との出会いで助けられたりしながら、後半にかけてはどんどん力を付けて行き、最後にはとても重大な任務を背負わされることになるのだった。
 最初のころはちょっとまどろっこしいし、そのうえお話が先に進んでも、つまるところよく分からないところは分からないままというのがありながらも、冒険小説なので、一応読み進むことはできる。少年には荷が重すぎる出来事が多いような気もするが、それはやはり冒険小説なのであろう。そうして着実に成長していく姿もあって、運命というのは人を創るのかもしれないな、などとも考えた。大人としての心構えもあったりして、人生訓としても有益である。
 もっともこのような言語をちゃんと理解するには、やはりそれなりに専門的なものを読み返す必要がありそうだ。抽象的に置き換えてあって分かりやすくもあるけれど、これが実際に自動販売機等に使われている言語だという事に関していえば、うーん、そうなのか。という感じもする。自動で計算してくれるパターンがいくつもあるようで、専門的には奥が深そうである。
 続巻もあるようだが、今のところ考え中。この著者の論文エッセイは面白いので、読むならそっちの系列の方にするかもしれない。
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