カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ホントによく気付くものだと思う アリバイのダイヤル・刑事コロンボ

2013-08-21 | コロンボ

アリバイのダイヤル・刑事コロンボ/ジェレミー・ケイガン監督

 犯人はフットボールのゼネラル・マネージャー。凶器と時間とアリバイのトリックを崩すのが主眼で、次々にコロンボが解くところがさすがの作品。プールの水と水道の水が違う事に気づくなんて、きっと脚本を読んだに違いないと僕は思ったくらいだ(事実だろうけど)。よく見ていくと、それなりにヒントが仕掛けられていて、観る者への謎解きチャレンジへのサービス精神も感じられる。最終的にコロンボが追い詰めていく展開もなかなか見事で、犯人がイライラする感じも観念に至る流れも、さすがに旧作はよく出来ていると感じた次第。アイスクリームを買えなかった少女の恨みの作品ということも言えたかもしれない。
 さて、そういう犯人なのだが、仕事の上ではやり手でエネルギッシュであると見てとれる。しかしながら日本だとこういう職業が何となくピントこない。野球やサッカーなんかだと球団にはこのような人が居る筈なんだが、日本だとやはりこういう感じでは働いていないのではないかと思われる。監督で無い人間があれこれ口を出すような場合は、ナベツネのような人くらいしか思い当たらないが、しかし、実際はもう少し組織的に圧力をかけるような役員会のようなものしか、思い当たらないのである。
 これはこれで娯楽の仕事をしているということなんだろうけれど、やはりゲーム自体を豪華な部屋から眺めているという図式が日本的で無いのだろう。楽天のオーナーがそのようにして試合を観ているとか、ソフトバンクがそうしているという感じがいま一つしない。彼等は別に忙しくて試合なんてめったに見ないのではないか。ところが米国の場合だと必ず試合を観ていそうだ。そういう違いが、権力の図式としてまったく別の世界観を作っているという感じもするのである。
 コロンボ・シリーズを観ることによって、僕はその様な米国社会も観て来たということがいえる。こういう商売をして、さらに社会的にも偉い人という感じになるのである。それもかなりの金持ちの癖に、やはり何となく危うい。そうしてコロンボとのお付き合いを始めなければならない。
 観る者の溜飲を下げるというのは、一種の妬みの想像があるに違いないのである。これは日米共通の感情である事がうかがい知れる。人間の欲求にダイレクトに響く設定。そういうことに忠実な作りであることが、コロンボ人気を支えている事もあるかもしれない。面白ければそれでいいが、その事実は人間の悲しい性という気もしないではない。
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