カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

人工知能の未来は明るい(と思う)   人工知能と経済の未来

2017-10-31 | 読書

人工知能と経済の未来/井上智洋著(文芸春秋)

 副題に「2030年雇用大崩壊」。チェスに始まり、囲碁や将棋などで人工知能と人間の戦いが話題になり、既に人間の敗北が確定した。このことを脅威として伝えるメディアもあるわけだが、当然と言えば当然のことで、個人で戦う相手として、圧倒的な情報量の差があるコンピュータにそもそも人間が太刀打ちできるものでは無い。電卓に暗算で負けても何も思わないように、将来的には人間はこの事実を普通に受け入れるだろう。
 しかしながら人工知能に人間の仕事が奪われるという話になると、この危機感はレベルの違う段階に上がる。実際に今ある仕事の多くは、将来的には人工知能が担うことになるのはほぼ間違いない。一般的に言われているように、スーパーのレジ、運転手、受付、調理やウェイトレス・ウェイター皿洗い、多くの事務仕事、さらに漁師などに至るまで、人間の仕事は機械にとって代わるのは確実視されている。今でも一部はそのような形が垣間見られ、人間は機械の仕事の補助的な役割として、ほんの少しいれば事足りるということになる。要するに今そのような仕事に従事している人たちは、いずれ失業するのだろう。
 これは資本家と労働者の格差を確定し、その差を埋めることは不可能そうに見える。だからこそ税制もそれにあわせて変える必要があり、この本ではベーシックインカムを提言している。
 それ自体は大変に恐ろしげな未来だけれど、人間という生物がそれでどうなるのかというのは、現段階ではやはりよく分からない。多くの仕事は機械によって代替可能だが、実際が現実にそうなるというのは、やはり本当には分からない。労働者もお金を使うので、収入を失うとお金を使えない。例えばそういう人が多数を占める社会で機械化したところで、顧客が居ないのだから、意味は無い。また、現在の仕事を失うことに目をやってしまうと見えなくなるが、それらを労働として必要としなくなることで、別の仕事をする時間が生まれることも見落としている。自動車の普及で観光地以外の駕籠屋は失業したが、彼らは別の仕事をしているはずだ。要するに今の仕事が無くなってしまうと、人間というのは違う仕事をすることになりそうだ。(今の世界では)とても考えつかないような不思議な事が、職業として成り立つようになるだろう。
 ベーシックインカムは、検討の余地はあると思うが、今のように人間の移動が容易な場合は、日本だけが実施してもあまり意味が無いと思われる。世界的にやりましょうということになるかどうかの駆け引きは、将来起こると予想される。もちろん、これに乗らないところがあるわけで、EUなんかの問題のように、いつまでもしこりが残るかもしれない。
 この本でふれられていないが、将来的には人工知能が政治をやることになるだろうと僕は思っている。最適解は人間には分かり得ないが、コンピュータなら答えを出すだろう。人間はなかなか機械を信用しない問題はあるが、そもそも政治は人間にとって最適な回答をこれまで選択してこなかった。そうしてこれからも不可能だろう。コンピュータに人間が支配されることが、人間にとって最も幸福であるのは、もはや確定している。感覚的には抵抗のある人も多いだろうが、既に人間には理解が出来なくとも、多くの解決方法の答えを人工知能は知っている。人間には実行も不可能だから(多数決では選択ミスをするので)、やはりこれは機械にそれをゆだねるより他に選択は無くなるだろう。現代でも証券の売買や為替など大量に瞬時に判断を行わなければならない仕事は、すでに人間の裁量では不可能になっているではないか。
 僕にはそれこそが明るい未来だと正直に思うが、現段階でそう思う人はまだ少数だろう。もちろん、そのような社会は将来であって現代では無いだけのことである。時間をかけて身をゆだねていくのが、人間の運命といえよう。
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コロンボをよく知らない上司   権力の墓穴・刑事コロンボ

2017-10-30 | コロンボ

権力の墓穴・刑事コロンボ/ベン・ギャザラ監督

 今回の犯人は、何とコロンボの直属の上司。この人の向かいに住んでいる友人から妻を殺したという相談が来る。警察の友人に相談したというのは事実上自首のようなものの筈だが、この上司は友人をかばって殺人を物取りの犯行にすり替えようとする。アリバイ工作をして、逃げる犯人を目撃したと自ら証言する。その上で、何と今度は自分の妻を殺してしまうのだ。物取りの連続殺人事件として、自分の妻殺しを一緒に処理しようという大胆な犯罪に及ぶのだった。
 お話は評判も高くトリックの完成度も高く、更にコロンボの仕掛けた罠も見事に決まるカタルシスも高い作品。まさにその通りという気もするが、あえて考えてみると一番不思議なのは、このような自分に関わる事件にもかかわらず、上司である犯人が優秀なコロンボを捜査に指名して窃盗犯人を追わせている点にあるかもしれない。いわば勝負を賭けている感じもするし、逆に過小評価してしまうほど愚かな上司という気もする。上司といえども警察組織の役人で、赴任してきたばかりでコロンボのことをよく知らなかったのかもしれない。そう考えるとつじつまは合うようだが、捜査方針を強引にコロンボに従わせようとするところが、かえって苦しい展開を生んでいるようにも見えるのだった。警察組織の人間であるコロンボは、その指示に従って物取りの有力犯人に近づき、そうして逆にこの泥棒と一緒に手を組んで上司を落とし込む罠を仕掛ける。非常に皮肉が効いている訳だが、そんなことやっていいのか、という倫理感が、ちょっと日本の警察とは違うような感じだ。
 また、コロンボの愛車(プジョーらしい)が既に15万キロも走っていることと、下取り価格が80ドル(今とは為替レートが違うが、せいぜい1万数千円という感覚ではないか。要するにはした金。それも冗談としてのサービス料金かもしれない)ということも明かされる。コロンボ・ファンとしては、そういうところでも楽しめる内容である。バーでは多くの人間が、つまみも無いビールをちびちび飲んでいる(あんまり景気は良くなさそう)。当時のアメリカ社会の描き方も、やっぱり楽しいコロンボ作品と言えると思う。
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目の前の事実や明日のことが分かる本   「折れない心」をつくる40のルール 他二冊

2017-10-29 | 読書

「折れない心」をつくる40のルール/大野裕著(PHP研究所)
はじめての認知療法/大野裕著(講談社現代新書)
こころが晴れるノート/大野裕著(創元社)

 実はあんがい前に買っておいたまま積読していたんだが、ある新聞記事に認知療法は非常に効果の高い医療の方法である旨の解説があって、そういえば認知療法の本を持ってたな、と思い改めて手に取った。以前にも走り読み程度はしていた記憶があったけれど、現金なものでそんなに頭に入ってなかった。そういう風に後ろ盾があるという認識で読んでみると、平易な文章の中に、なるほどと思われることが結構あった。平易と書いたが、恐らくうつ傾向にあるような人にとっては、このような文章で無いと読み進められないのかもしれない。そういうことも勘案しながら書かれている感じもあって、医療の専門的な話というよりも、実に軽く読めるエッセイのような口当たりの本になっている。
 よくクヨクヨする性格だから病気になるのではないか、というようなことを聞かれる。そのような性格だから病気になるというものでは無いとは思うが、感覚的には少し分からないではない。物事を自分なりに捉えて、どのような考え方をすると、あんまりよくないのか。実は、ある程度はそういう考え方のクセのようなものは分かっているようだ。要するにそれが認知能力で、物事を自分なりに捉えることによって、現実との折り合いがつかなくなるような考えに陥りやすい人がいる。他にも考え方の方法はあるにもかかわらず、自分の考えに拘泥して抜けられない。そういう考え方のシステムがどのようなものなのか、という事を詳しく書いてあって、当然それでその考えを覆すアドバイスがふんだんにあるわけだ。これを読んだだけでずいぶん気持ちが楽になる人も、相当いるのではないだろうか。
 うつ的傾向の人の悩みというのは、確かになんだか自己中心的なところで渦巻いているようにも見える。仕事上お話をすることもあるが(お話できる状態ならずいぶん良い感じだけど)、同じことをループしながら、なかなか前に進んでいかないもどかしさを感じるものだ。その人の考え方だから勝手にしていいようなものだが、しかしそうした自分の考え方の所為で、自分自身が苦しんでいる。おそらくそれは他人から苦しめられていると本人は思っているだけのことで、自分で自分を苦しめているものと等しいのかもしれない。
 たとえば、というのをいくつか考えてみると面白そうなので、読み返してトレーニングすると、多くの人の精神衛生上にもよさそうな本である。
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勇気が湧いてくる体験   ほしのこえ

2017-10-28 | 映画

ほしのこえ/新海誠監督

 新海監督のデビュー作。わずか25分。しかしながらこの作品、新海監督が全部一人でパソコンに向かって作られたという事で有名であるばかりか、下北沢のミニシアターで大ヒットを飛ばした上にDVD販売でも日本のみならず海外でも爆発的に売れたとされている。それだけ超有名なカルト作であるだけでなく、作品としても歴史的に貴重であると言われている。それも観てみるとすぐに分かるが、非常に完成度が高いだけでなく、何か観ているものを引き込む力のようなものがあるのである。一言でいうと面白いという事だが、内容的には何かよく分からないものがあるにもかかわらず、とにかく凄いものを観ているという実感が伴うのである。これが本当に一人で作られたものなのかという驚きがあるだけでなく、何か同じ人間がこの時代にちゃんと生きて存在していることに対しても、畏敬の念を抱くような感覚になるのである。いや、ちょっと大げさに言ってしまったが、後のさらなる大ヒット作の「君の名は。」を知ってもいる訳で、これは奇跡なだけでなく、実力として桁外れに凄いことが行われていた事実を突きつけられてしまうという事なのかもしれない。
 実際にこの作品の発表後に、自主制作アニメがたくさん作られることになったという。この作品を見たものが、その感動を自分自身の手でも実現したいと思うようになったという事だ。この作品がエポック・メイキングとされるのはそういうことで、ごく普通の市販のパソコンとソフトを使って、まったくの素人が個人では不可能と言われていたアニメ作品を、非常に完成度の高いものとして作ってしまったという事が大きいのだ。ただしその事実は、凄まじく凄いことであるのは変わりがない。たった1秒の絵を作るために24枚の絵を描かなければならないとされている。大変な労力であるばかりか、非常な情熱無しに完成作品をつくることは出来ないのだ。何時間も授業をさぼって書き続けたパラパラ漫画であっても、観る時間はほんの一二秒だ。それでも場合によっては、その作品に敬意を払うことはあるだろう。ましてやそれがフルアニメである。普通の人間なら、やる前に狂気のような恐ろしさを覚えるのではあるまいか。
 という訳で興味が湧いたなら迷わず観るべし。商業作品が何故金を払ってまでも人々を吸い寄せるのか。その意味がこの作品を観ることで理解できることだろう。まったくの素人が、その最初からまったくの素人では無かったという事である。こういうことを成し遂げられる人間が存在する。そういう勇気を、身をもって体験してもらいたいものである(内容は単なるオタク作品だけど)。
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出会いの確率は、あんがい低くない

2017-10-27 | 境界線

 出会いの確率問題というのがある。お互いシャッフルした13枚のカードを持ち、順に出し合う。同じカードが出ない確率は37%であるという。分母が大きくなる(13枚以上)でもその確率は変わらない。つまりパートナーが出来る確率は五分五分でなく、6割に何故か上がるのだ。これは実験で実証され、数学的に正しいらしい。
 いや、人間の場合はもっと複雑なのではないか。いわゆる理想の条件が多かったり高かったりすると確率は理屈上下がる。だけどパートナーを見つけるためとはいえ、誰でもいいとはやはり言えない。
 確かにそうなのだが、条件に合っているからパートナーが成立するという訳では必ずしもない。それが人間の面白さである。印象が悪かった人でも、後に恋に落ちる場合だってない訳では無い。
 やはり出会いの場に出向くような積極性が、確率を上げるのは間違いないようだ。出会いを夢見て家でゴロゴロしているより、外に出て異性の居る場に足を向ける方が有利である。当然だ。
 しかし、闇雲ではやはり仕方がないようだ。合コンのパートナーの成立においては、あんがい少人数のグループの方が、カップル成立の確率が上がるらしい。理想は3対3。次に5対5。何故か4対4は少し確率が下がるらしい。でもまあ、それ以上になると何故かパートナーの成立が少し下がるという。大人数であっても、それくらいの小グループをつくって話をするといいのかもしれない。ある程度じっくりお互いを知る時間と、親密さの上がる適正人数というのがあるのだろう。
 運命の人と出会う確率というのは、分母を地球サイズにするとたいへんな確率であるはずだが、しかしながら実際には、あんがいちいさいサークルの中でパートナーが成立する。当然と言えば当然なことのようにも思う。知り合いの紹介のような出会いで結婚まで至る人の方が、現実には多数派ではなかろうか。
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アクションの為の恋愛劇   サイクロンZ

2017-10-26 | 映画

サイクロンZ/サモ・ハン・キンポー監督

 悪徳ヤクザ企業の弁護をしているのがジャキー・チェン。原告を買収してことを収めようと奔走しながら、原告側の女性に恋して騒動をおこし、仲間と共にアクションを繰り広げるという展開。結局弁護しているヤクザを裏切ってしまうというストーリー。まあ、実際はお話の展開はどうでも良くて、コメディとアクションがてんこ盛りで、そのために作られた作品である。ジャッキー・チェンの映画なので、それでいいのである。さらに監督でもあるサモ・ハン・キンポーとユン・ピョウというアクションスターが三つ巴で戦ったりするので、価値のある作品とも考えられている。とにかくバカバカしいのだが、アクション映画としては感動してしまうので、やっぱり凄い作品かもしれない。
 当時の僕は、何故か友人たちがジャッキーの話題で盛り上がっているにもかかわらず、割とこの手の香港映画には冷めた目線を送っていた。まあ、ちょっと気取っていたわけで、ATCの映画なんかを観て、映画を語るような馬鹿な男だった訳だ。しかしながら実はジャッキー・チェンのことを嫌いだった訳では無くて、「プロジェクトA」なんかを観て感動した覚えもある。何しろブルース・リー世代だし、カンフー・アクションは大好物だったはずだけど、その年代の斜に構えた考え方の所為で、ちょっとふざけた路線のジャッキー映画を、わざわざ映画館まで見に行かないという姿勢があったんだろうと思う。本当にもったいないことをしたものだと思う。たまにこうしてテレビなんかで再放送されて観ていると、これはこれで本当にいい時代だったな、と思う。今ではこんなにふざけた内容では、とても企画に通らないだろう。さらにこのような香港映画は結構需要があって、日本はもちろん米欧でもけっこう流通していたんじゃないかと思う。いわゆるオタク文化の始まりのようなもので、カンフー・アクション・ファンがたくさんいた時代だったんじゃなかろうか。今は彼ら(おそらく僕と同世代)はどうしてるんだろう。
 映画としては面白いのだが、ヒロインが香港映画としてはそんなにきれいな人じゃない。後でアクション・シーンが少しあるが(でも容赦なくやられてしまうが)、そのために起用されたのかもしれない。でもまあ、そういうところも今となっては謎めいて良い感じかもしれない。
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いっそのこと選挙はやめてAIに託そうよ

2017-10-25 | 時事

 選挙の結果は、解散表明の時からのほぼ予想通りとなった。安倍さんの解散の大義は見事に果たした訳だ。しかしながら野党の側を見ると、ずいぶんと様変わりしたようにも見える。選挙戦前に民進党が分断し、小さい希望の党に吸収されて消滅した。もっとも前原さんにしてみれば、そのままでも恐らく消滅したのだろうから同じだ、という考えがあったのかもしれない。今後は自民党とも連立可能だし、派閥を分断させることも可能だ。結果的に選挙には負けた形であるが、将来的には評価されるかもしれない。
 結局しっぽ切りで追い出された勢力が、立憲民主党になり躍進した。今回一番優位に戦いを進められたことは間違いなかったが、マスコミが味方に付いて最大の風が吹いてこれだけなのであるし、政権を取るつもりもないのだから将来があるわけでも無いだろう。すべてに反対し続けるだけの存在は国民の一部には意義があるという事で、結局自民党が無ければ存在できないだろう。
 選挙なので国民が選択した結果がこれであり、それ以外のものでは無い。しかしながら、これが本当に選択の選挙だったのか、という思いはある。日本の国民が馬鹿だとは安易に言えないまでも、このような選挙になってしまう原因は国民性にありそうな気もする。または、近代の民主主義そのものの問題や限界ということかもしれないが。
 過大なコンセンサスとポピュリズムだけの選挙戦だった訳で、権力闘争としての安倍さんは大勝利したと言えるが(結局彼のポジションはその為にあるわけだ)、これが日本の国政として誠実に機能するものとは、やはり考えにくいからである。この国をどうするという政策は語られることはほとんどなく、ほぼすべてリベラル保守で、大きな政府志向で、つまるところ現在の問題点を具体的にどうするという方向は、何も見えない。日本が国として自立して国政を動かすことは、日本の政治家には不可能であるようだ。またその役割さえ国民は求めていないのかもしれない。しかしそうであるならば、もう選挙などは、必要ないのではないだろうか。少なくとも政策で人を選べない選挙である以上、ほとんど選挙の意味は無いように思われる。誰に投票したからといって国に何かをして欲しいという自分の希望を託すことが、選挙では出来ないからである。
 しかしながらそれは、いわばこれまで通りだ。国際政治の中では常に外圧で立ち位置を決め、国内向けには先送りで自然に問題が変貌するまで待ってもらう。鳥の大群があちらこちらに方角を変えながらもなんとなく行先が決まっていくように、政治というものは動かざるを得ないという事なのであろう。
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スリルとサスペンスと風呂敷の大きさ   目撃

2017-10-24 | 映画

目撃/クイント・イーストウッド監督

 腕利きの泥棒がある富豪の家に侵入し、隠し部屋で財宝を見事にせしめる。その時に不意に富豪の妻と不倫しているらしい男が酔って寝室に帰って来た。隠し部屋はマジックミラーになっており外から中は見えないが、中からは彼らの情交は丸見えだ。彼らは盛り上がるにつれおかしな激情にふれ暴力的になり、ついに女の方がナイフを手に取り殺しそうになる。そこで突然銃声が! なんとシークレットサービスが現れ、女を射殺してしまったのだ。彼らは逡巡はしたものの、あれた部屋を掃除し、大方の証拠は隠滅して部屋を後にする。暴れた際に使ったナイフを部屋に落としたまま。やっと泥棒は部屋から出て立ち去ろうとするが、ナイフを忘れていたことに気づいた連中が戻ってきた(大切な証拠だ)。それで部屋の窓からロープを垂らして逃走。組織も必死に泥棒を追うが、間一髪で逃げ切ることが出来た。
 表面的には泥棒が家主を殺した事件として処理されたように見えたが、実際に内容は複雑で操作は進まない。何しろ本当に殺人に関わったのは大統領である。立場としては泥棒は海外に高飛びしようと考えていたが、大統領のあまりの非人道ぶりな態度をみて考えを変え、何とか事件を明るみに出すような方法が無いか思案するようになるのだったが…。
 いろいろなトリックがふんだんに仕掛けてあって、アッと驚く見事な展開。確かによく考えてみるとそんなに簡単でない漫画的なトリックだったりはするんだが、何しろ役者はイーストウッドらの大物たちだ。なかなかやるなあ、と楽しみながら話は展開する。それだけでも面白いのに親子の愛や、仄かな警察の恋心なんかもある。大統領周辺にいる人物の葛藤もそれなりに面白い。これだけのスキャンダルが表に出ないなんてことは、ちょっと考えづらいですけどね。いくら愛国心があったとしても。
 何度も危機一髪を逃れ、そうしていったいどうしたら大統領を貶めることが出来るのかという筋書きも見事である。愛の話もなんとなく収斂する。娯楽作としてこれ以上ないという素晴らしい作品なのではないだろうか。
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分からないことは、無理に分かろうとしなくていい

2017-10-23 | 雑記

 特にひねている訳では無いが(と言いながら、僕は十分ひねたところはあります。たぶん)、内容がよく分からないからといって、詳しく聞きたくないということがある。説明している人も、分からないことがあったら遠慮なく質問なり意見を言えと言う。それは普通の態度だが、それにあえて応じたくない。緊張してできないということでは無い。そういうときもあるにはあるが、それで困るならば普通は質問したりする方だと思う。出来なくても後で事務局へ足を運ぶとか。だからこの場合は、そういうことを指して言っている訳では無い。何か妙な予感がして、この件に積極的にかかわりたくない、ということなんである。
 詳しく分かって賛同した人から、当然この企画に(なりに)積極的に働いてもらう、というような旨の説明があったりする。実はいつの間にか僕自身は、当事者の一人であるらしい。それもひょっとすると推進する側の人間なのかもしれない。最近は立場上、勝手にそういうことになっている場合があるわけで、まあ、事前に了解をした覚えは無いのだけれど、立場上そんなことを言って場を汚さないような人間だからこそ、そんなところに居てしまうということがあるのである。以前なら激しく困って動悸が止まらなかったものだが、経験上、ここが案外肝心だということは分かっている。ここは一時辛抱どころなのだ。
 要するにこれは罠のようなものなのだ。賛同してくれる人のいい人を、選別しているのだ。実は相手だって大人なので、無理に拉致ってオルグするわけにはいかない。実際にはそういう妙な部分をはらんでいるような問題だからこそ、賛同者を表面上は募っている訳だ。もちろん組織としてはやってもらわなければ困るのだろうが、これが上手く機能しない理由だってちゃんとあるはずなのだ。そうして困ってテコ入れをする場合、やんわりと半分強制であることを匂わせて、そうして責任をかぶせてきている訳である。乗ってしまったら最後、泥船の水かき係が待っているかもしれないのだ。
 もちろんこういうものは、分からないままに手順通り、流れに任せて仕事をすれば良い。おそらくそれで上手くいくはずは無いが(行っていたらこんなテコ入れが入るはずが無い)、一度問題点の底まで落ちてしまうのがいい。そうして初めて気が付いたようなことをして、恐らく他にも気づいた人が出てきて騒ぎ出すので、そこで初めて、その他大勢に混ざって質問したらいいのである。
 とりあえず年末あたりまで来ると問題は最大化する。そういう予想を立てて、こちらは分からないままで対応を考えていかねばならない。できないことは一所懸命やっても簡単には出来ない。先に先頭を走ると、どのみち息切れして末尾のゴミを拾うことになってしまうだろう。もちろん、こんな予想は外すこともある。外れた方が少しでも現場は上手くいったという頃になろうから、気にすることなんてない。ここは分かっていないという事こそが、一番大切な立ち位置なんだと思う。
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元は善良でも、欲望には勝てない  地獄の英雄

2017-10-22 | 映画

地獄の英雄/ビリー・ワイルダー監督

 もとは大手新聞社の記者だったが、素行が悪く退職、地方の小さな新聞社に拾ってもらって仕事をしていた男がいた。そこに落盤事故でひとが生き埋めになるという事件が発生する。ところがこの記者は、あえて救出を遅らせてスクープ事件に祭りたてる画策をする。選挙を前にする地元保安官もその話に乗って、救出劇が大きな話題と膨らんでいく。現場には多くのやじ馬が駆けつけ、催し物が行われ、男に関する歌まで流れ出す。生き埋めになった男が経営していた、閑古鳥の鳴いていたドライブインも大繁盛。事故を機に男の元を離れようと考えていた妻も、少し稼いでから逃げようと考えを変えてしまうほどの大盛況で、田舎の町はすっかり様相を変えてしまう。
 どんどん話はエスカレートして、独占で記事を書いている男は、すぐに大手新聞社からスカウトされる。これで地元新聞から抜け出して出世の道に戻ったとますます調子に乗る記者だったが、救出劇が長期化するにつれて、生き埋めの男の容体が徐々に悪化していく。そこで初めて良心に痛みを覚えたのか、本当に急いで救出できるように奔走するようになるのだったが…。
 砂漠の何もないところに全米から車が押し寄せ、遊園地のように変化していく。駅も無い場所に臨時列車が停車して、多くの人が乗り降りする。特撮も無い時代に、実に大掛かりに映像を作り上げたものである。人間模様もその喧騒の中で、自分の思惑を前面に出すような輩が増えていく。実にアメリカ的にダイナミックに正直なのだ。そして薄汚い。
 事故が起こったことは不幸なことだが、それを利用していかに調理するか。そういう手腕こそがジャーナリズムの使命であるかのようだ。そうして大衆がその味付けを気にいると、爆発的な騒ぎへと展開していくのだ。
 皮肉と現実の人間ドラマを鋭く描いて、更に風刺が効きながら娯楽作として楽しめる。ワイルダー監督の才能の光る一作である。
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あまりにも唐突で、しかし見えづらい運命   ジャンプ

2017-10-21 | 映画

ジャンプ/竹下昌男監督

 原作は佐藤正午の小説。そういえば賞を取ったそうで、それでこの映画を借りてみる気になったのかもしれない。僕の住んでいる比較的近所の地元作家さんなので、静かに喜びは伝わってきます。
 さて、映画の方は、突き合っている二人だったが、ある夜、リンゴを買い忘れたといってコンビニに行ったまま彼女が消えてしまう。一晩かえってこなかったのは大変に不審だが、自分は出張に行かなければならないし、携帯電話もあることだし、事情は後から分かるだろう。男はそのまま福岡に出張に行く。その間電話はつながらないままであった。戻ってからアパートに行くが、彼女が部屋に帰ってきているそぶりは無い。まったく心当たりが無いまま、リンゴを買ったと思われるコンビニに聞き込みに行く。確かに客で来たようだが、その時にちょうど具合の悪くなった別の客がいて、彼女はそのまま付き添って一緒に病院に行ったことが分かる。さらに後日ちょうど病院に救急で運ばれてきた患者の家族が知り合いで、そのまま急死してしまったのだという。その死んだ夫に悲しむ友人を助けて、通夜や葬式に寄り添っていたこともわかった。さらにその時に友人宅にやってきた少女に付き合って、天竜川(おそらく静岡)のあるまちまで、少女を伴って行ったということだった。そういう彼女の足取りをたどっている間、探している男は仕事も上手くゆかなくなり、それでもひたすら女の消息を探している(ある意味で当たり前だ)。半年間付き合っていたとはいえ、彼女のことは、本当にほとんど何も知らないのだった。さらにどうしてこれだけ留守電にメッセージを入れているというのに、何の返事もよこさないのだろう。その理由がまったく分からない男は、仕事も何も放り出して自堕落な精神に落ち込んでいくのだったが…。
 中盤から後半にかけて、いわゆる謎解きは行われる。ある意味では衝撃的だが、ある意味では整然としている。男にだけわからない仕組みで物事は進行し、静かに静かに今の時間まで進んできたということなのだ。そのような理解までそれなりの歳月が流れているが、あの時のもしもが違った流れになっていたら、現在はやはり違った成り立ちをしたのだろうか。
 お話の展開とミステリが良く絡んで、面白い話になっている。主演の原田泰三はまだぎこちなさも残っているが、苦悩する男としては、なかなかのはまり役だろう。謎めいた笛木優子も陰のある女っぽくてなかなかいい。それでも黙って男を捨てるなんて、あんまりだけれど…(僕ならとても許す気にはなれない)。
 もっともこの作品で一番恐ろしい女性は他に居て、その恐ろしさは罪を含みながらも、何か咎められるような性質を持たないもののようにも思える(それは実際に見て確認してみてください)。男女の思いというのは、その一生を決めるものだとしても、思いの強さのようなものに勝るものは無いのかもしれない(まさに教訓である)。
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やっちまうのには理由がある

2017-10-20 | 散歩

 売り場に戻る。一日の反省会と明日の注意やってました。



 中打ち上げと懇親会に合流させてもらいました。ほんなごつすんません。ブタしゃぶしゃぶっす。



 まだ昼のトンカツがどっかり残っている感じがあって(だいたい昼にしては遅く食べたし)、正直言って大丈夫かな~、って自分が心配でしたが…。



 なんでもなくバクバクいけます。こりゃ、ほんとにイケます。



 大根おろしでいってもいいし。そんまま食ってもよかとです。





 こういう店構えでした。



 そんで二次会三次会。



 鹿児島ン男はよう飲みますな。熱いお話も聞けました。明日も早いってことでしたが、付き合って下さり、お世話になりました。

 もう1時近く。帰らんば、って話だったのに…。



 ええ、ええ、やっちまいましたよ。海老塩ラーメンの潮風って店だったかと。旨かったッス。




 バタンキューっと寝て朝になると朝飯。



 そんで、今更だけど散歩です。






 当り前だけど、昼と夜ではだいぶ印象が違う。





 昨夜歩いたんだろうけど、ほとんど記憶が無いです。まあ、それでもいいか、また来れば。





 売り場に戻ると、皆さんも元気よく頑張ってました。ありがとうございました。

 ということでしばし後に帰ることに。ホントに鹿児島近くなりましたよね。聞くところによると日帰りも増えたらしいですけど、夜も居た方がいいところですよね。鹿児島市は米国シアトルとだいたい同じ60万都市なんだって。それなりにデカいところなんですよね~。



 昼はパーキングエリアでちゃんぽん食べてしまった。



 個人的には根本的に何かを考えるべきだとは思います。考えるべきだとは…。


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かごんまでごわす

2017-10-19 | 散歩
 朝から自宅に迎えに来てもらって出発。向かったのは新鳥栖駅。



 だいたい「新」と駅名の前につくと、その後の名前のまちとは程遠い。迎えの人の車のナビには鳥栖駅しかなかったらしく、案内は迷走。結局、スマホで探してたどり着きました。まあ、新横浜とか新神戸とか新山口とかに比べたら、ずいぶん近いとは言えますけどね。


 
 新幹線に乗ってビューン。そとは雨でんがな。



 それで鹿児島中央駅に着きました。いきなり目的地視察が始まりました。



 農福連携マルシェというのが鹿児島で開催されてまして、これを長崎でも3月に実施しようというので勉強しに来たのです。



 長崎でもバザーはけっこう開催してるんですけど、ちょっと事情が違う感じ。なかなか金がかかってる設営であるのはよく分かります。予算出てまんな、これは。



 
 アミュ広場自体のデザインは、長崎などと比較すると、だいたい似た感じと広さのようです。ふむふむ。



 事務局の共同受注センターの皆さん中心にいろいろお話も聞かせてもらいました。ネットワークも素晴らしく、内容も素晴らしいです。課題もちょっとずつ見えてきました。なるほどね~。



 イベントも楽しいし、お客さんもにぎわってます。あいにくの雨だけど、これが何より凄いですね。



 ただ、ちょっと思惑と大きく違ったのは、選挙期間中で報道陣があまり集まってくれなかったことだそうです。仕方ないけど、ちょっとした事故のようなものですね。



 スポンサーの説明もしておりますよ。





 イートインというのでしょうか。買ったものはその場で食べられます。(食べられるものは、ということですがな)





 売り子さんたちも気合入ってますよ。



 工芸品なんかもあります。結局いろいろ買わさせていただきました。



 いやー、僕らも頑張らんばですばい。こいばはよーみんなに伝えんばならんばい。


 視察を一区切りして、宿泊ホテルに行ってから昼食にしようということになる。吹き抜けが怖いホテルであります。



 窓からは駅の方角が見えるようだ。



 そんで、ちょっと歩いて探して食べたのは、名店とんかつ丸一のトンカツ。



 実は昼休憩前ギリギリだったようで、ちょっとご迷惑かけました。すんごいボリュームで腹いっぱい。肉もジューシーで素晴らしかった。



 あー、食った食った。ちょっと苦しいくらいでした。ガッツリの人にはお勧めです。



 実はせっかくだからもう一つ目的があって、タクシー乗って移動します。

 鹿児島市の地域生活拠点事業をやってるところがあって、どんなとこじゃろーってことで見に行ったのです。



 なんと木造4階建て。出来たてで木の匂いがものすごくいいです。



 風呂ん中もふんだんに木材つかってある。



 新品ってホントいいですね~。ここに住むのは快適そうです。



 設計デザインは都会の人らしかですよ。なんかさりげなく凝っとらすとですよ。




 まだ全部稼働してないようですが、いいもの拝見できました。これも課題点もいろいろ勉強できて良かった。色々チャレンジしてるところがあるんだね~。偉いですよホントに。









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二人は朝鮮戦争に行った(ことがある)   白鳥の歌・刑事コロンボ

2017-10-18 | コロンボ

白鳥の歌・刑事コロンボ/ニコラス・コラサント監督

 新興宗教に染まっている妻をわずらわしく思った(ほかにもいろいろあるが)歌手が、自家用セスナを墜落させて殺害(一緒に関係のないコーラスガールまで殺してしまう。かわいそうじゃないか?)。自分はパラシュートで逃げて、現場に戻って倒れて助けられるという演技をしている。そのトリックをコロンボが徐々に見破っていくという話である。
 犯人の歌手を実際のカントリー歌手のジョニー・キャッシュが演じている。日本だと加山雄三のようなものか。いや、南こうせつの方かな。カントリーだし。
 という事だが、けっこうアクロバティックなトリックだし、最後はコロンボの罠にまんまとはまる犯人が哀れでもある。途中ギターを弾いてる姿は、やっぱり上手いな、とは思ったが。
 この犯人は前科があって、宗教活動家の妻から保釈金を積んでもらって釈放されたことがあるようだ。いわば恩がある。しかしそのために新興宗教団体への寄付という圧力があって(女性関係の弱みもある)、せっかく音楽で稼いでも報われない思いがあるようだ。要するになんとなく同情できる立場なのである。飛行機事故に見せかけるトリックなので、具体的に手をかけて殺すような印象も薄い。悪いには悪い奴であるけれど、捕まってしまうのは、少し可哀そうではないかという気分にさせられるのかもしれない。近年はそのような犯人が必ずしも悪人ではないと思わせられるような設定というのはありふれているが、当時の世相において、このような犯人像というのは斬新なものがあったのではあるまいか。
 コロンボ・シリーズでは、比較的最初からコロンボは犯人に目星をつけている場合が多いが、今回は流れの中で、なんとなくコロンボが確信を深めていくような感じもある(それでも結構早くから分かっていた風にも考えられるけど)。最終的には罠にはめて捕まえる訳だが、コロンボも特に犯人を悪者扱いにしている訳では無い。妙な哀愁の漂う作品なのであった。
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来年は長崎。みんな来てね!

2017-10-17 | 散歩
 控えめなはずの翌日は、なぜかタコライスとか沖縄そばとか、そんなものを混ぜ合わせた朝食になってしまった。



 また、打ち合わせがあるんだって。みんなまじめだよな。ライブは行き当たりばったりが面白いのに。なんて思うのはたぶん僕一名だけなんだろうな。単にめんどくさいだけなんだろうな。



 で、またスポットライト浴びて(なんもしてないのにまったく無駄だ)、でもちゃんと役割は果たしました。たぶん。

 で、すべて終わって昼飯食べなきゃ。



 向かったのは牧志公設市場。



 行ったことない、という人がいたから来たけど、もう観光より早く飯に行こう、という意見に従って、二階に上がった。



 僕が食べたのは肉そば。結局そうなっちゃうんです。


 そーきと違うものって思ったけど、なんとなくそんなに違わないかもね。


 それからは時間決めて自由行動。



 日本人以外にも観光客多いね~。修学旅行もたくさんだった。




 でもね、とにかく三十度以上。もう暑くて暑くて。



 歩くの大好きで、ちっとも苦にしなくて、できるだけ歩いていたいぼくであっても、この暑さにはたまりません。


 皆とははぐれてしまうし、タクシー乗るのはもっと嫌だし。



 店に入っても何も買いたくない。



 結局空港に行くしかないんだよな。服はべったり体に張り付いているし、不快感極まりない。冷房があるかもしれない場所に行くしかないじゃないですか。



 でも空港で座ってても、なんとなく熱気というか、そんなものは続いていて、もう疲れて何も考えられなかった。



 やっぱりというか飛行機は遅れて、出発も到着も遅くなった。本は読めたからそれでいいけど、もう暑いのはいいです。でも月末又沖縄なんだよな。沖縄好きだけど、もっと寒くなって欲しいです。


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