カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

佐賀でどこに行こう!(その3)

2014-09-30 | 掲示板

 これまでさんざん佐賀を馬鹿にしてきたわけだが、そういうことは普通のことだからすいません。でもですね、僕は実は佐賀のことはやはり嫌いではないのである。あんまり積極性は見られないかもしれないけど、佐賀というのはそれなりに偉大なところいう印象はある。
 単純に長崎と比べた印象では、あんがい佐賀には偉人が多いのではないかという感じがある。大隈重信の存在も大きいが、全部は知らないにせよ、佐賀の七賢人といわれる偉い人を輩出している。長崎にもたぶん偉い人はいるが、スケール感で負けていると思う。
 田舎の人は芸能人の出身ということで暗に自慢するというケースがあるが、これは別に出身であっても育ちが違ったり、そもそも活躍の場がここではないという悲しさがあって、やめた方がいいようにも思ったりする。で、佐賀も長崎も同じように少ないが全国区の人はいる。長崎だと三輪明宏が偉大だが、佐賀には江頭2:50という布陣で遜色はない。
 スポーツの世界だと、なぜか普段はそんなに強くないくせに高校野球では佐賀は二度全国制覇している。佐賀の知人に聞くと、二度ともまぐれだったがゆえにすごい、と言っていた。認識もすごいが、本当ならさらにすごいことだ。
 長崎ならサッカーなのだが、なんだかもう強かった、という表現になりつつあって悲しい。
 佐賀の特産品の話になると少し長崎より地味に感じられることが多いのだが、しかし当然有名なものはそれなりにある。佐賀の肉は旨いし、ここをルーツにした牛も多い。呼子のイカも有名だし、魚介類のほとんどは福岡に出す(これは長崎も同じだ)のだろうけれど、なかなかの産地であることに変わりはない。海苔もとれるし、少ないがタイラギのようなものもある。竹崎のカニという手もある。みやげ物で、菓子類が弱いと感じるが、まあ、羊羹など無いではない。コメどころなので、当然酒も旨い。近くにそういう場所がある恩恵でいえば個人的にもありがたい。お茶も有名だし、イチゴやミカンもあんがい旨い。僕が市場などで仕入れるときに値段にも感心するが、玉ねぎに関しては少しランクが違う。たぶん有名だとも思う。
 また、やはり焼き物の里としては有田をはじめとする全国区である。間違いなく歴史的にも伝統が深く、内容も一流である。
 長崎のような派手さや観光客が寄るようなところが少ないということはあるのだが、やはりそれなりの多様性もあるし、豊かなところであるというのは間違いがない。これは印象的なことで正確には知らないが、長崎より蔵のある古い建物が多いようにも感じられる。もちろん古いものが残っているのは戦災の影響もあるから、長崎に無いのは仕方のないことかもしれないが…。
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こだわりを捨てる

2014-09-29 | ことば

 今は実のところそんなに気にならなくなっているのだが、「こだわり」という言葉が嫌いだった。最近はあんまりそういう言い回しを聞かなくなったということが第一だと思うのだけれど、おそらく少し流行らなくなったというか、ちょっと飽きられてきたからというのはあるだろう。つまり、そういう流行りのような感覚自体もなんとなく嫌だった理由の一つなのかもしれない。
 誤用だからというのはあったかもしれないが、しかし言葉の意味というのは時代によって緩やかに変わることは仕方がない。こだわる、ということは、おそらく腹の中に何かが引っかかっているような感覚というものが先にあるのだろう。だから物事を深く考えたり、納得がいかなかったりする人は、それなりにこだわりが消えない。そういう感覚から、職人などが頑固に仕事をすることにも使われて違和感を持たれなくなり、ひいては「こだわりの味」などというような、良い意味として使われるようになっていったのだろう。僕なんかはそう聞いたとたんに、売れもしないのに、だれにも支持を受けてもいないのに、料理人が自分本位に作って自己満足をしているような様子が浮かぶわけだが、もちろんこだわっている料理人にそのような自意識は無いのだろう。
 そういうのがまず嫌だというのがあるのだが、しかしもっと嫌な感じなのは、こだわりの味をあなたはわかるか、と挑戦を受けている感じなのかもしれない。それをわかる人が当然のように「おいしい」とか「すばらしい」とかほめなければならないような、ほのかな圧力のようなものが、とてもめんどくさく感じられる。
 僕はそのラーメン屋自体はそれなりに旨いと思って食べに行っていたのだけれど、難があるのは、壁にやたらと食べ方や注意書きが多くて、落ち着かないという店があった。通うようになって店主とも顔なじみになり、特にそういう変なこだわりのあるような人には思えなかったのだが、しかし、壁に書いてある注意書きは、むしろ時々増えていったりした。これがなんだか居心地がさらに悪くなる感じがして、そうして旨いんだけど、友人などを一緒に連れて行って、一瞬ぎょっとするような顔を見たりすると、ちょっと申し訳ないような気分になったりした。好きで食べに行くような共通の友達には、これがいい、とかいうような奴がいたが、そもそもそいつはデリカシーのあるようなタイプの人間ではなかった。なんだか面倒であんまり気に食わない奴がこの店の常連と聞いて、それだけでなんとなく嫌になっていかなくなって、しかしそのうち店は移転したらしいと聞いた。ちょっと残念ではあったけど、妙にほっとするような気にもなった。
 要はそういう感じが僕のこだわりの店に対する感情ということになるかもしれない。自分の店なんだから自分の好きなようにすればいいし、そういう態度については僕はむしろ好感を持つ方かもしれない。しかし、そういう店が好きな人には、やはりなんとなく距離を置きたい。ラーメンさえ旨ければそれなりに我慢ができるほどに僕は軟弱な性格だけれど、あの居心地の悪さというのは、やっぱり苦手だったのだろう。
 結局そういうこだわりというものが苦手なのは、他でもなく、僕自身が強いこだわりを持っている人間だからだと思う。人間ができていないので、ついついいろいろなところでこだわりが出てしまう。こだわりを捨てることが人間的にはしあわせの道に違いないのだが、気になることは自然にたくさん見えてきてしょうがない。自分の中のこだわりを消していく作業が、年を取るということだと以前は思っていたんだけれど、年を取るとそれなりに気に入らないことも増えたりしてしまう。まったくこだわることは、人生の不幸の象徴というべきことなのであろう。
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誰にとって都合の悪い事実があるか   IQってホントは何なんだ?

2014-09-28 | 読書

IQってホントは何なんだ?/村上宣寛著

 知能の高い人と低い人を客観的に知りたいという欲求が人にはあるということらしい。だからそのようなことが調べられると考えて研究をしてきた歴史がある。それは、まじめな学問だってそうである。それでどうなったかというと、それなりにはわかるようにはなっているようだ。だがしかしそれでわかることにも限界があって、ある程度ということだ。科学的に知能を理解するという態度はそういうことで、しかしこのある程度のことであっても、それはそれで成果である。
 しかしながらそういうことがわかるようになると、やはり都合の悪いということも時にはある。優生学や差別の問題かもしれない。ただ、実際にそういうことを調べてみると、歴史的には恣意的に差の出るデータを出してしまったことはあるにせよ、実際に現代の公平な目線で調べてみると、優位な差が出ることはない。それは人種であってもそうだし、男女の差であってもそうである。差があるように見せかけた調査をする方法はあるけれど、差が出るのは公平に調査をしていない結果だということが明らかになっている。差が出るほどに有意に知能の差がない。それはその差がわからないということではなくて、結局は差別意識を満足させるような恣意的なことは現在ではできない程度にわかるようになったということだ。そういうことの結果については、それなりに成果のあることなのではないか。
 調べる対象者と、調べたい側の思惑もある。IQの高い人が仕事がよくできるのであれば、それはたとえば会社の人としてはほしい情報に違いない。ある程度の調査を経て、それなりに有意に見える結果もあるようだ。しかしそれはある程度である。実際によくつかわれているテストいうのがあって、それで採用を決めている会社もあるというが、皮肉なことにそのテスト自体があまり信用のできないものであるということもわかっている。これで落とされた人も悲劇かもしれないが、考えてみるとそれで採用してしまった企業だって悲劇である。社会には思い込みでそれなりの損失が出ている可能性がある。そしてそれはおそらくそんなに小さい問題ではない。
 知能が高いのは集団的には遺伝的要素が高い。しかしながら個人に還元すると、環境的要素が高い。矛盾するように聞こえるかもしれないが、知能の高い親がいい環境を整えている可能性があるし、さらに当たり前だが、個人的には勉強した分だけ、それは知能が高まって当然だ。調査で分かることは当然のことだけだ。さらに原因を考えていくと、音楽家の家系には音楽家が多く輩出されるという傾向がある。それは単純に遺伝と言えないことは、優れた音楽家なら普段から楽器の練習などをしている可能性が高いし、子供はそれを見て育ったり、実際に小さいころから習っている可能性が高いだろう。遺伝と環境が分けがたく結果に出るのはそういうことがあるせいだともいえる。
 結局人は遺伝にも作用されるし、その後の自分の努力などの環境や体験にも作用される。その度合いは個人によって多少の違いはあるだろうけれど、やれることをやるしか自分は変えられないという事実があるだけのことではあるまいか。遺伝的に劣っていることを嘆くのは言い訳には都合がいいが、しかし望んでいる自分には都合が悪いかもしれない。
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佐賀でどこに行こう!(その2)

2014-09-27 | 掲示板

 佐賀はお隣の県で、さらに職場は県境にあるので、感覚としては本当におなじみのところだ。職員もお隣から通っている人もいるし、境に住んでいるので佐賀で給油する人もいる(長崎県の事情もあるのですね)。文化的に似通っているところは多いし、佐賀弁だってかなり理解できる。基本的に九州には共通項が多いにせよ、特に長崎佐賀は本来的に関係が深いはずだ。
 ところが近隣問題と言うのは厄介で、そういう馴染みがある反面、ガジン(佐賀人の略と思われる)のことをいろいろ悪く言う習慣もある。「佐賀んもんが通った後には、ぺんぺん草も生えん(生えない)」などという。佐賀商人というか気質というか、長崎に比べるとがめついところがあるせいだと言われる。そんな根拠の無い(あるのか厳密に知らない)悪口を言って楽しんでいるということはあるのかもしれない。差別意識というのは、そうやって自分を慰めている側面もあるから、自分のコンプレックスの裏返しでもあるとは思われる。要するに佐賀も長崎もあんまり変わらない田舎もんなんだが、それでも少しくらいは長崎の方が都会んもん、と思いたいような、そんな田舎もん根性なのだろうと思う。
 佐賀にも自慢話があるのは当然だが、平野があるとか潟があるとか、まあ、それはそうだな、という感じがあるかもしれない。住みやすいというのは聞いたことがあるけど、実体としてはどうなのかというのもある。交通の要所であることから、ションベンタウンといわれることもある。通るけど立ち寄るのはトイレのため、という意味だ。
 またブンカ都市であるという話もある。田んぼもたくさんあってのどかであって、そうして蚊がたくさん飛んでいる。「ブン蚊都市」というわけだ。
 そうやって長崎人からさんざんバカにされた佐賀人が反論するのは、佐賀のほうが福岡に近いというのがある。買い物だって福岡でするし、何しろすぐについてしまうと自慢する。長崎からは遠いでしょ、という。これを言っている人は本気らしいけれど、しかしこれは悲しい自慢であることに気づいていないだけである。ますます長崎人はガジンを馬鹿にしてしまうわけだ。
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局の宣伝ではありませんが…

2014-09-26 | 時事

 自分の住んでいるまちの首長選挙を控えて、立候補予定者による公開討論会が行われた。僕が以前所属していた団体と、その頃から懇意にしている友人がこれとのかかわりが強かった関係で、個人的には結構なじみ深い取り組みなのである。そういうこともあるので少しひいき目のある感想かもしれないが、やはり結論から言うと、こういう感じで候補者どうしの話を聞く機会が絶対的に必要だということが、改めてよくわかった。願わくば選挙権のある人間には、あまねくこの機会が目にふれられることが望ましいことは言うまでもない。ローカルだがケーブルテレビでも繰り返し放映がある(ローカル局の意義は大きい)。行けなかった人は、必見といっていいと思う。もちろん内容にはまだまだ精査されるべき余地はあろうとは思うけれど、現時点では候補者選びや比較検討には、最良の判断材料になろう。
 少し前に選挙カー(街宣車)のことをブログに書いて揶揄したのだが、これは日本やアジア的な風物詩のようなものという側面はあるにせよ、やはりこれに同じように疑問を持つ人が一定数いることもよくわかった。別段欧米通ではないが、彼らの文化としてキャンペーン活動や判断材料に、この公開討論やディベートということがあるようだ。あちらでは基本的に選挙というものが徹底した戸別訪問合戦が中心ということはあるが、それ以外の最大の判断材料として、テレビなどによる公開討論が雌雄を決するということが一般的であるらしい。地方議員すべてがそうなのかまでは知らないが、特に首長選挙には、これの影響力が一番大きいとされているとも聞く。当然だと思うし、まさにそれこそが健全で公平とみるべきかもしれない。個別の講演会に足を運んで見比べるよりも、経済的かつ合理的である。もちろん本当に個別に詳しく内容を精査したり対話したりするためには、個人講演会などの方に分があることは間違いなかろうけれど。
 僕自身の個人的な希望する政策とは異なることが多いものであっても、それでも候補者本人が語る政策の内容を知ることは意義深いものがある。たとえば僕は中学生の給食には(それが小学生であっても)ずっと前から反対の立場だけれど、そういう候補者は存在しない。だからと言ってこの問題をもとに支持をしないということにはならない(もう僕には対象となる子供もいないし、手遅れだ)。実施することは既定路線だけれど、おそらく誰がやるかには少しばかり違いが出そうということもある。いや、その考え方自体を知ることの方に意味があるということかもしれない。問題の多い課題だが、世論受けしやすい題材だからこれを実施する自治体が多いのである。さらにそれで墓穴を掘っている自治体が多いのも間違いがないが、それでもこの考えを進める意味は何か。そういうことが政治家が政策を語る意味となろう。
 僕は政治家になりたい人の心持はちっとも理解ができないが、難しい問題に取り組んでみようという考え方には理解できるものがある。そういう人がいなければ、難しい問題はどうにも動かないだけのことだ。政治的空白のある問題は、すべて政治家が放置している(世論が怖いから)問題である。僕はそういうことの意味には、語る内容の説得であるとか世論の正確な反応であるとかの、政治家個人の生身の感覚から生まれているモノであろうと思っている。選ぶ人間が政治家のレベルを決めているということは、そういう意味だろう。だからこそ討論会というのは、選ぶ人間に必要なだけの機会ではなく、選ばれる人間のための機会でもあるわけだ。口下手な人が政治家になれないということにはなってしまうが、それは訓練していただくよりないだろう。
 繰り返すが、見逃した人は機会を見つけてみるべきことである。それは自分自身への責任問題でもあるだろう。
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佐賀でどこに行こう!

2014-09-25 | 掲示板

 先日佐賀での研修会の後、少し時間もあるので、ミニ観光でもして帰ろうという事になった。なったのだが少し困ったのは、どこに行くのか明確に決められないのだった。会場は佐賀市内だからほぼ県の中央という感じ。どこに行ってもいいんだけれど、北に行くとなんとなく帰るには遠ざかる。しかしながら帰り道となると、極端に選択肢が狭まる感じもする。その上にというかその前にというか、そもそも何処だという明確さが思い浮かばない。例えていえば、長崎だとグラバー園だとか眼鏡橋だとかそういう感じ。
 吉野ヶ里があるじゃないか、とか唐津の虹ノ松原があるじゃないかとか、まあ、いろいろあるんである。でも行きたい! という感じがなかなかしない。ずいぶん前だけど行った事があるというのはある。何しろお隣の県人だから知らない場所ではない。恐らくそういう感じはある。でも行こうか、というと皆がなんとなく沈黙してしまう。「何処でもいいですよ」という声は聞こえるが、「そこでいいです」が聞こえない。
 昼時だからおみやげ買って飯食って考えよう、という事になる。問題の先送りである。で、ようかん買って、何食うか、でまた「……」が続く感じ。
 考えてみると佐賀だと何食うか。近年シシリアン・ライスがあるとは聞く。それでいいかというと、いまひとつのインパクトらしい。佐賀のちゃんぽんやラーメンがあんがい旨いのは知っている。テレビの影響もあるのか、キクラゲがのってるらしいこともあんがいメジャーなようだ。それに確かにこれは面白く旨い。さらにうどん屋なんかもけっこういけるところはあるようだ。でもまあ、それらのスペシャル感というより、日常感の方が強い感じだ。ここに来た、だからここで食う、が弱いのかもしれない。
 こういう感じは、なんとなく佐賀が損しているような印象がある。いろいろあって皆美味しいことは分かっているのに、佐賀の名物って感じがまったくしない。いや、特色があるんだから名物なんだろうけど、本当に佐賀独自っていう感じが乏しいのかもしれない。
 でも佐賀では有名なとんかつ屋があるというので、「きのや」というところでとんかつを食った。庶民的で旨かったので、これはこれで良かった。でもなんとなく僕は知らないといえば知らない感じがあって、たとえば鹿児島のとんかつのようなインパクトがやはり薄い感じがするのかもしれない。旨いのにそんな文句をいわれる筋合いは無いのかもしれないが、そんなことを思って、しかし美味しくいただきました。
 で、やっぱりどこに行く? ってことになるんだが、まあ、ドライブがてら、結局少し北に上ることになったのだった。(つづく)
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歴史はやはり変え得ないものなのか

2014-09-24 | 境界線

 先日観た映画では「桜田門外の変」を題材にした物語だった。映画自体はフィクションだったが、その襲撃事件の模様が、それなりの解釈で再現されているというのも見所だった。
 当日は雪であるとか雪に時折雨の混じる天気であったとされる。もともと不穏なうわさもあったし、その朝には襲撃の予告というか注意の知らせもあったという。当然最大限注意すべきところであることは間違いなく、緊張を強いられていたことも間違いなかったろう。当日はいわゆる雛祭りで、在府の諸侯は皆登城することになっていた。控えることもできないではなかったかもしれないが、井伊直弼の立場上よっぽどでなければ、と考えたとも描かれてはいた。また警備において増強すべきかもということに、あえてそのままにしたとされる。
 問題はこの悪天候の中、皆雨合羽をした上に、刀にも袋をかけて雪から防護したなりをしていたようだ。襲撃に備えているにもかかわらず、天候を考慮して、身なりや武器も守る服装だったということだ。
 そういう時に直訴を装った者が行列の動きを封じた。この時に直弼は直訴を受けると言ったので、籠守の志村は直訴状を受け取りに行く。この時すぐに切り込まれ、あわてて刀を抜こうとするが、袋をかけたままなので刀を抜けない。そのまま隊列は乱され、さらに数名切られる。襲撃者の援軍が乱れ襲い掛かり、あっという間に大勢はばらばらになってしまう。先鋒に長槍を奪われたの見て、志村はその者を追う。やっと短刀を抜くことができ、追いつきやり合うが、その間に殿が討ち取られたとの叫びを聞き、あわてて戻るが時すでに遅かった。という描き方だった。
 映画なのでそれはそれでいい。
 実際には、というかそういうことを紐解いたものを読むと、直訴を装った者がいきなり切りかかり隊列が乱されたのはそうだったようだが、さらに合図の鉄砲が籠めがけて放たれたようだ。そういう中で切り込まれ、井伊直弼は籠の中ですでに鉄砲の弾で負傷していたという。居合もできたはずだが、この負傷で動けなかったとみられる。さらに籠を刀で刺され、籠から引きずり出されて首まで取られたという。しかし首を取った襲撃者の有村も負傷し、遁走する中歩行困難になり、近江三上藩の遠藤家の門前で自決した。そのために直弼の首は遠藤家が一時保管したが、いろいろあって井伊家に戻され、首を胴に縫い合わされたのち、負傷したとして取り繕ったという。もちろんしかし目撃者も多く、体面上の取り繕いであることは見え見えであったことだろう。さらに襲撃した者たちはその後自決したり切腹したり斬首されたりした。警護の者もすべて生き残りも切腹斬首され、後になって家名断絶となり、その処分は親族にまで及んだという。その後の経緯は皆知るところであろう。なお、襲撃者は後に靖国神社に合祀されている。
 井伊直弼側の彦根藩は、この時足軽や籠持ちも含めて60名。襲撃者たちは18名だったことからも、これは明らかな彦根側の警備のミスといっていい結果だろう。しかしながら実のところ、江戸市中で大名籠が襲われた前例というものは無かったようで、悪天候の雨合羽姿というのも、襲撃者側に味方した状況だったといえるだろう。また、襲撃者側は鉄砲も持っていたのだ。井伊直弼襲撃の社会的気運の高まりは承知しておきながら、実際のテロが起こりうると、本当には読み切れていなかった実情がうかがわれる。そのまま幕府が倒れるまでの流れを決定づける事件、またはその端緒となった事件とされるのは、ここで堰が切れたように時代が動いたせいである。奇しくも歴史は、襲撃側の与する思惑とは逆の流れになったわけだが、テロによって時代が変わったことは間違いがない。この事件を防げ得たかどうかは分からないが、様々な偶然が事件を成功させたことは間違いがなく、また、今となっては備えることの教訓としても、生きていない話かもしれない。
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やはり武士のしあわせは過去のもの   柘榴坂の仇討

2014-09-23 | 映画

柘榴坂の仇討/若松節朗監督

 静かに丁寧に描いている場面が多く、いわゆるチャンバラ・カタルシスを狙ったものではないかもしれない。もちろん殺陣にも見せ場はあって、緊張感もあってよい。むしろそれまでの緊張感の方が静かに醸造されていくような展開で、それまでは俳優の演技合戦を楽しんでいるような感覚があった。間合いも長く、役についた人間の力の見せ所という感じもある。役者さんにも位のようなものがあるとは聞くが、そのような役者同士の演技の戦いというような場面も多い。競い合っているとばかりは必ずしも言えないのだろうけれど、その都度中井貴一が戦いながら演じているような悲壮感さえ漂っている。こういうのが我々日本人が日本の役者から感じ取れる機微ということである。日本映画の演技を観るというのはそういうことで、おそらく西洋人だって、これがあるから諸外国の人間が自国の映画を理解できないのではないかと考えていることもわかるわけだ。映像だからそのままでよいはずだが、しかしそのような文化ということも考えさせられる演技と映像美なのではなかろうか。
 別にドキュメンタリーを撮っているわけではなく、史実をもとにしたファンタジーであることは間違いがない。そういうことをやっていて、やはり当時の視線と現代の考え方が混在することになる。その境界はきわめてあいまいになるが、自分が今どこのあたりにいるのかということを見ながら時々考えてしまう。もっとも完全に当時の人間のようには考えられるはずはないのだが、感情移入でかなり近づく感覚はある。そうしてみると、時々現代的な物言いが混ざることに、少なからぬ違和感をぬぐえなくなるということはあったようだ。時代劇の宿命かもしれないが、リアルに演じようとすればするほど、現代的な価値観が少し邪魔をするのかもしれない。結論的にはかなり落ち着くが、それでよかったのかは、果たしてわからない。それはやはり現代的な視点が邪魔をしているということだろう。今や武士の心情など、正確にはわかりようがない。滅びた美学は、時にはエゴだ。現代的にはそれでよかったと安堵するが、それで本当にしあわせかは、やはりわからない。時代に翻弄されたり、運が悪かったり、それで生死すらかき乱される運命の人間には、たまったものではない。最終的には人間は自分の感情に嘘はつけない。そういうことを思いながら、今の自分のしあわせも感じるのであった。
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運命から離れてはならない   ビフォア・サンセット

2014-09-22 | 映画

ビフォア・サンセット/リチャード・リンクレイター監督

 限られた時間だからこそ生きてくるものはある。たっぷり時間があるから十分に語り合えるとは限らない。制限があることは最初から分かっている。時間が来たらさようなら。そのことの制限は、ここでは飛行機が飛ぶまでの時間ということになっている。これは少し含みが無いではないが、しかし強力な時間制限であるとは思われる。9年ぶりの再会。そしてその9年間の間に二人には何が起こったのか。そういうありえないことも含めて、めまぐるしくドラマが展開していく。
 しかしながら基本的に会話をしている時間だけの映画だ。前作はほとんど一日近く歩き回っていたが、今回はリアルな時間とほぼ同じ状態(カットはあるが)で話が進む。ミニ講演じみた集まりを終えて、主催者から空港まで送ってもらう手はずになっている。おそらく廻りの人間は、ファンか知人と少し話があるくらいにしか思っていない状態だろう。ほんのちょっとだけ二人でお茶でも飲みながら話をする程度と誰もが思っている。しかしながら二人には事情がある。歩いて話してお茶飲んで話して船に乗って話して、結局彼女の部屋にまで上がりこんで歌まで聴くのである。運転手は待たされっぱなしだろうけど、しかしもう二人は離れられないし離れたくない。そういう切なさが最後まで持続して途切れることは無い。
 もともと再会の約束をしていた。運命的な出会いをしてから半年後。つまり9年前のことだ。しかしそのときは再会を果たせていない。厳密には男のほうは会いに行ったのだが、女のほうは事情があって行けなかった。このあたりは名画「めぐり会い」のオマージュといったところ。前作は「ローマの休日」だったから、今作もそういう仕掛けということだろう。そういう仕掛けもさることながら、それからのすれ違い人生が本当に切ない。実は本当に近くですれ違ってばかりだったかもしれないのだ。運命で出会った二人に運命のいたずらが残酷にのしかかってくる。会話をしながらそうした自分たちの運命を、失われた9年間を、まさに呪うような気持ちになる。既にお互いには違ったパートナーがいる。そうして9年という歳月のなか、お互いに違った相手とは本当にはしっくりしていないのだ。それは他でもなく運命的に出会うべくして出会った自分たちの、代用のパートナーでしかないからなのだ。運命のいたずらで一時期横道に外れただけのことかもしれない。本当に欲している自分たちの対象というのは、他でもなく9年間離れていなくてはならなかった二人に微塵の違いも無いということだ。
 時間の残酷さもさることながら、二人の出会いが運命的だったからこそ男は小説を世に出すことが出来たわけだ。ある意味でこれは執念である。これが出た事は必ず彼女に伝わるはずなのだ。本当に運命的な二人なのだから、必ず再び出会わなければならない。詩のことを分かっているから、その道を自ら切り開くしかないわけだ。実際に小説家になってしまうという荒業は見事としか言いようが無いけれど(宝くじに当たるようなものだ)、しかしそれでしか二人の運命は再び呼び込むことは出来なかったのかもしれない。多くの人は、そうやって運命の人を失う。運命であることを悟った二人が何をすべきなのか。これ以上示唆的なことを語る映画他にあるまい。自分らの運命を過信したために半年後のタイミングさえ失ったのだ。そうしてその後の時間さえも。
 実際には携帯電話のある現代において、このような物語は成立が難しいのかもしれない。ロマンチックを取るかその後の人生を取るか。選択はあるが選ぶまでも無いだろう。そもそも二人は離れてはならない。それこそが運命的な二人に言える最大の教訓であろう。
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選挙は選挙カーしだい

2014-09-21 | なんでもランキング

 僕が住んでいるまちでは選挙が近くなっていて、何かとあわただしい空気が漂っている。立場上いろんな人がやってきていろんなことを言ってくる。協力しているところもあるし、義理のあるところもある。全部のところと少なからぬ関係がないではないので、そういう核心的な部分では表明できないのでご勘弁ください。
 ということなんだが、大人としてはやはり投票には行くだろう。誰にしたらいいのかという身内話のようなことになると、せっかく行くから誰にしようかということはある。職場でもそういう話をしている人がいて、誰はどうかと冗談も交えているがそれなりに真剣な意見が出たりしている様子だった。絶対に投票には行かない若い人を除くと、やはり選挙というのはいろんな人の考え方がわかって面白いものだと思う。まちのためになるような人と考える人。人柄の方を重視する人。薦めている人の影響を受ける人。過去のことなどさかのぼっていろいろ意味を解説する人。勝ち馬に乗ろうという姿勢の人もいるが、負けそうだから応援しようという人もいる。一人一票というのは、なかなか感慨深いものがある。
 選挙というのは水物で、確かに終わってみないことには何が起こるかわからないわけだが、そうはいっても大体のところは、告示前には大勢は決まる。まさにそれが政治ということで、選挙キャンペーンで意思を決める人というのは、実はそう重要ではない。それ自体は厳密には政治ではないかもしれない。
 まあ、そういうことだが、一人だけ選挙カーしだいだ、という人がいた。以前その人の姉の家で赤ん坊を寝かしつけていて、やっと寝たと思ったら選挙カーが通った。それからが大騒動。その姉は怒り狂い、家族一同その選挙カーの人に投票することは許されなかったという。
 人の動機というのは様々だ。選挙で仲間を鼓舞するのは必要なことだけれど、選挙カーの無い選挙になれば、本当にまちは平和なんだけどな、と思います。でもそれはたぶん変わらない。みなさん、それなりに頑張ってください。
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アメリカ的背景作品   刑事コロンボ・さらば提督

2014-09-20 | コロンボ

刑事コロンボ・さらば提督/パトリック・マクグーハン監督

 なんだかずいぶんいつものコロンボと違う。いつもなら犯人が最初から分かっているわけだけど、なんだか様子が突然変になる。いつもどおり話が進んでいると思ってみている側としては、まったく面食らってしまう。僕は酔っていたので頭が混乱して、トイレに行った後に違う作品を別々に観てしまったのではないかと思ったくらいだ。でもまあ登場人物は繋がりがあるようだ。一体全体何が起こったと言うのだろう。
 まあ、ともかく変な作品なのだが、考えてみるとこれが普通のミステリ作品と言えばそんな感じもする。いわゆる日本のサスペンスドラマあたりの最後の謎解きと同じと言えばそうである。事コロンボだからエラー作品に見えるだけのことで、客を騙すテクニックとしては、これはこれでいいのだろう。なんだか狐につままれたような思いがしたけれど、そのように客を騙す作品としてはアリなのかもしれない。コロンボの若い相方が途中で殺人解説をやりだしたり、なんだかほんとにどうかしている作品という印象が残ったけれど、結局は古いコロンボファンを煙に巻いて喜んでいる製作者側の思惑があって、やっぱりしてやられたのはこちら側であったという落ちであると考えるべきなのであろう。
 だいたい、コロンボの会話の仕方もちょっと違う感じもする。いろいろ考えを述べるのだが、そうに違いないとか、推論のままのものなんかも残る。犯人を絞る仕掛けの重要人物や、その他の従業員との会話も、いわゆる少し強引なアメリカ人的な雰囲気が強い。いわゆる脚本の所為なのだが、聞くところによると、このシリーズが終わるかもしれない途中の区切りの作品でもあったのだという。コロンボの意見も、シリーズの再開を願って、踏み込んで話がなされていた可能性があるのかもしれない。そんなことはタイムリーでみているわけではない僕には何の関係もないことなのだが、シリーズが長く続くと言うことは、テレビ局やスポンサーの関係もあるし、何より人気を維持する努力もあろうということで、それなりに苦労が尽きないものなのであろう。そういう思いが錯綜したまま、このような作品が作られたということなのだろうか。それはある意味で気合が入っていたともいえて、さらに冒険心があったということもいえるのかもしれない。大いなるマンネリもいいといえばいいが、そういうひねりも効かせながら、このようなシリーズ作品は、何とか続けていけるという厳しい現実があるのだろう。やはりコロンボというのは、実にアメリカ的な競争社会の象徴ともいえるものなのであろう。
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鏡の中の自分が見えるか

2014-09-19 | HORROR

 ドラマを見ていたら、戦時中息子や夫が出兵する場面があった。つれあいがふと、僕もあんな場面になったら出兵していくんだろうか?と言った。もちろん、今の僕ならありえないことだが、当時の立場としてなら、それはそうなんだろう。
 戦争当時のことは生まれる前のことだから当然知らない。しかし親は昭和一桁なので、親が子供としての戦争の話は聞かされている。またいわゆる戦争の語り部のお話も聞いたこともあるし、小さい頃には戦中生まれの人はそれなりにいた。働き出して、ぎりぎりそういう人とも一緒に仕事をした経験もある。もちろん彼らは現役バリバリではなかったが、彼らの青春としての戦争という話を聞くのは、不思議な感覚があったことは覚えている。もちろん、小説をはじめ戦争の書物もそれなりに読んでいる。さすがに古いので、今となっては嘘もあっただろうことも知っているし、また本当がなんであるのかを正確に知るというのは、やはりそれなりに難しいものがあるだろう。全体像としてざっくりと戦争を理解しているという感じで、本当にそれで戦争を理解しているのかというのは、ひょっとすると違うものがあるのかもしれない。
 両親から聞いた戦争話は、主に貧困である。とにかく腹が減っていたらしく、育ち盛りに食べられなかった日常というのが、彼らの戦争に対する一番の思い出のようだった。
 そういう中でひとつよく覚えているのは、父が戦中に祖父(つまり父の父)から、「これは学校で言っちゃいけないが、どうも日本は戦争に負けるようだよ」と聞かされたという話である。父たちは戦時中には上海にいたらしい。そこで祖父はアメリカの雑誌をどこからか手にして(おそらくタイムだろう)、戦況を報じた記事を読んだらしい。既に戦況はほぼ決しており、戦後日本がどうなるというようなことまで書いてあったという。そういう話を聞かされた父は、そうか、というより、怒りを覚えたという。父(祖父)はいったい何を弱気なことを言っているのだ。日本人である皆が必死で勝つことを信じて戦っていて、そうして日本は勝つという。それは何の疑いも無いことではないのか。
 そのときはそう思ったらしいが、しかしやはり日本は戦争に負ける。今まで威張っていた兵隊は真っ先に町から居なくなり(先に逃げた)、家族はその後に苦労して引き上げたらしい。支配していた日本人が一気に最下層になって投げ出される。まさに生きるか死ぬかの逃避行で、やっとの思いで日本に帰って来たらしい。そういう中で、俺は今まで騙されていたんだな、父(祖父)があの時言ってたことが、ほんとだったんだな、と改めて思ったらしい。考えてみると洗脳から解けたという経験をしたものと思われるが、その頃の子供はみんな、多かれ少なかれ、そのように世の中を捉えたのではなかろうか。
 個人の戦争体験からすべてを理解するのは不可能だが、一部の意識高い系の人が、戦争中もずっと戦争に反対していたという話は、あまり信用できない。現在のドラマから戦争を知ることは、残念ながら少ないとさえ思う。軍の暴走があったというのはそれらしいが、しかし大衆の圧倒的な支持に応えるという図式であったことは、今となっては自明である。しかし、やはりそれでも先の戦争の否定の意味でも、日本の悪の部分に焦点が当てられすぎていることはいがめないだろう。
 要するに、たとえ僕が当時に生きていたのなら、おそらく不安はあるにせよ、喜んで戦争に行ったのだろうと思うのである。それが人間の本質的なものなのではないか。それは洗脳によって間違った考えを刷り込まれたということではなくて、自然に大衆的にそのような考えを良しとして、そうして進んで理解できることを喜びとしたのではなかろうか。
 そういう自分の姿は確かに恐ろしい。しかし、そういう信じられない自分の姿を、さらに信じられないという思いから全否定することが、本当に平和への思いにつながるのだろうか。たとえば現在であっても、国際的には戦争と呼べるような紛争は、実にあちこちで繰り広げられている。彼らは野蛮で信じられない人間の愚行を行っているに過ぎないのか。もちろんまったくの共感は不可能かもしれないが、彼らの立場なら、彼らのように振舞う方が、実は自然なことなのではないのか。
 戦争から学ぶ教訓というものがあるとしたら、まさにそのような人間の姿なのではないだろうか。人間らしい考え方の、いわばコアなものとして、戦争をする人間というものがあるのではないか。嫌悪するのは鏡に映っている自分の姿だ。それは想像力の無い人間には分からないだけのことなのではないか。僕が怖いのは、そういう姿を見ていない人間たち、ということになるかもしれない。
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屈折に恐怖する   さよなら渓谷

2014-09-18 | 映画

さよなら渓谷/大森立嗣監督

 監督さんは、この映画にも出演している大森南朋のお兄さん。主演の二人とも前に撮られた関係する映画との関連がありそうだ。作品には原作があり、吉田修一の同名小説の映画化ということらしい。モスクワあたりで賞もとった作品とのこと。
 話題としては真木よう子の体当たり演技(要するにある程度服を脱ぐという意味)ということが取り上げられることが多かったようだ。僕には家族が居て、さらに居間で鑑賞するので、しつこい愛の絡みはかえって見るのに邪魔なのだが、まあ、映画的にはそこのあたりは飛ばして見ても差し支えは無い。興味はともかく、ストーリー展開にはさして重要ではない。しかしながらそのストーリーが早く展開するわけではないので、やはりそういう興味やアクセントは必要と考える人もいるかもしれない。エロ目的なら他にありそうだけど、映画に出るような女優が濡れ場を演じることに価値があるということなら、それなりの価値がある作品ではあるのだろう。
 屈折した愛ということだが、罪悪感と憐憫があったことも間違いなかろう。しかしそれだけでは確かに離れてしまうわけで、この苦しさが、かえって愛を確かめる実感を伴うものになっているということになるんだろうか。
 若い頃の過ちについても、特に深くは掘り下げては居ない。むしろ廻りの仲間の反応から考えても、過剰な性的な衝動と、集団心理から行き過ぎたレイプに発展したものだとは考えられる。恐らくそのことから受けた心の傷の大きさが禍根となり、不幸の連鎖の渦に巻き込まれる女としての宿命を背負うことになったのだろう。すべての始まりがすべての罪の償いをすべきなのかということは考えるわけだが、取り返しのつかないということでは、弁明できないという一点に修練されてしまうのだろう。そのような恐ろしさに、最初は逃げていたのかもしれないが、しかし正面から向き合う道を選んだとしたらどうなるか。その答えのひとつが、この映画のリアリティを支えていると考えられる。
 許しを請う気持ちが根源であるかのような考えもあろう。それは確かに否定できないが、そもそも最初から好きだったんではなかろうか。それならどうして集団レイプになるのか、という疑問を捨てられない人もいるだろう。そうして恐らく野球人生絶好調だった人間が、未来を棒に振ったわけだ。それは当然の償いだけれど、どこか彼はそのことを、あえて忘れないようにしているように見えた。ただ一度らしい過ち。廻りの人間の反応から考えると、遊び半分と勢いだけだったはずではなさそうだ。酒を飲んで調子に乗っていたということはあろう。しかし、既に恋には落ちていたのではなかろうか。
 文学的な愛だとは思う。しかし、やはり病的である。不幸であることから逃げられないのは、幸福の後の不幸が怖いからかもしれない。最初にあった大きな裏切りと不幸は絶対に忘れられない。本当は許すことは可能かもしれないのに、その恐怖から逃れることが出来ないのだ。そのような不条理に真実の愛があるとしたら、残酷というより恐ろしいのであった。
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王国の没落と日本人の意外な関係   ハワイ王朝最後の女王

2014-09-17 | 読書

ハワイ王朝最後の女王/猿谷要著(文春新書)

 ハワイ王朝がどのようなものだったのはまるで知らなかった。カメハメハ大王の歌くらいしか知らない。のどかでのんびりした王朝だったのではなかろうか、くらいの認識だったわけだが、1800年末に米国の州となることから、かなり近代化の波の中で、国際社会ともそれなりに関係がありながら、米国に強引に併合され滅亡したということが分かる。大国の都合により侵略に屈した王国の最後に君臨したのは、女王だったようである。
 ハワイ王朝というか、ハワイの歴史そのものに、日本人の移民の役割が大きかったことも初めて知った。ハワイ住民の中で、もっとも人口の多かったのは他でもなく日本から来た移民で、人口比で言っても約半分は日本人だったこともあるようだ。多くはサトウキビ農場などの労働者として入植し、出稼ぎとして帰国するものも無いではなかったが、多くはそのまま定住したということのようだ。しかしながら当時は白人社会が島の政治を牛耳っており、参政権などは当然無かった。原住民すら統治に参加できずにいたらしく、事実上政治的には既に白人に支配されていた社会だったようだ。結果的にそのようないびつな統治の末に、強引な米国への併合の道を歩んだわけで、メキシコの国土などと同じく、侵略により奪われた王国だったのだ。
 また、ハワイ王室と日本の皇室との関係が深かったことも初めて知った。結果的にうまくいかなかったが、ハワイ王朝から姫を迎え入れる話もあったようだ。交流的なものは当然あったし、皇室自体もハワイ王国に対してはずいぶん親しみを抱いていたようだ。後の日本人移民は政治的な思惑もあったようだけれど、このような皇室間の関係が土台にあったことは間違いなかろう。
 さて、主人公は題名の通りハワイ王朝最後の女王リリィウォカラーニの生涯を中心にまとめてある。愛称のであるリディアの名で親しまれた女王さまだが、時代の波に翻弄され、英国人の夫と死に分かれた後、さらに王国の滅亡後にも、ハワイの地で最後まで事実上の女王だった。ハワイの原住の民には、最後まで慕われた人物だったようだ。のんびりとした土地柄にあって、しかしその優雅さとおおらかな栄華の中で育ち、血縁には短命なものに囲まれて、最終的には重責に耐えながら王国の最後を見守らなければならなかった女性の生涯を通して、現在まで続くハワイの成り立ちの最初を生きた重要人物として立ち回らざるを得なかった運命を知ることになった。
 ハワイが米国に併合されなければ、軍事的な拠点として重要な地理にあって、どのような運命を辿ったかは不明である。英国をはじめとする列強は、多かれ少なかれハワイの地を狙っていたとも見て取れる。また、当時重要な位置を占めつつあり、脅威とも見られていた日本とその移民という背景から、当然日本との関係が強まっていた可能性もある。現在も日系移民が多く住む土地柄にあって、観光やリゾート地としても、日本と大変意馴染みの深い場所として、ハワイの存在はそれなりに大きい。しかしながらそのような背景を知っている日本人がどれだけいるというのだろう。自分のことを棚にあげて言ってみれば、ある程度ハワイの歴史を知るだけでも、日本人としてのリテラシーのようなものとして、重要なことになるのではないだろうか。
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ものまねこそ尊い学びの姿勢だ

2014-09-16 | culture

 日本人には発想力が無く、物まねが上手いだけだ、というのはずいぶん昔からある西洋人の偏見ではある。もとにある差別意識と、後から日本の工業製品にしてやられた経験がそのような認識を固めているのだろうとは考えられる。だいぶ言われなくなっていると勘違いしている人もいるかもしれないが、これはいまだに言われ続けている現実のようだ。ドイツのBMW社の人間などは、平気でそのような差別発言をして日本車を牽制している。彼らに言わせると、日本車というのは彼らの作ったものを上手にコピーしたものに過ぎないらしい。
 まあ、それは偏見だからそれでいいのだけど(事実じゃ無いわけだし、間違っている考えのしっぺ返しは自分が被ることになるだろう)、しかしこれはまねることに対する考え方の偏見がそもそもある所為だという感じもある。個人の自由に対する偏見もあわせて、まねるということにある種の窮屈さを感じているらしいことも考えられる。それは現代の日本人であっても同じことで、オリジナリティに対する古きよき考え方への理解が薄れているのではなかろうか。
 そもそも日本を始め東洋的な学びの姿勢には、師匠や先生を手本にして真似るという基本形がある。徹底的に言うとおりにして、そうして盗むように技を真似て、まったく同じようなものが出来るように努力をする。そうして極限まで似せた後に、師匠とは違った同じようなものが出来上がると、そこに個性を見出すことが出来るわけだ。そもそも人間が違うのだから同じもにはなりえない。ひょっとすると、そうして試行錯誤して究極まで真似られたものだからこそ、そのオリジナルを土台として、さらに優れた段階に到達する場合も出てくるのではあるまいか。そうして生まれたものの強さこそが、本当の個性というべきものではないのだろうか。
 最初から好き勝手に誰もがオンリーワンでは(それは目指してない人には楽な生き方だろうけれど)、人々を惹きつけるようなオリジナリティのあるものは生まれないのではないか。
 実はそういうことは、文化の東西を問わず一流の人達は皆分かっていることではあるようだ。かのダヴィンチでさえ、(オリジナルにこだわるせいで)人の良いものをまねる事を躊躇するな、と言っていたようだ。出来ない人ほど我流で通そうとして、変なことを言うのではなかろうか。もしくはひょっとすると、そのようにして他の追従を排除してしまおうという思惑があるのだろうか。それはそれで賢いのか愚かなのか良くわからん問題である。少なくとも自分でいいと思うのならば、やはり物まねといわれようとなんといわれようと、とことんまずはまねてみるということなんであろう。
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