カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

危険な散歩

2013-08-19 | 散歩

 外に出たくない暑さだが、休みの日にゴロゴロしていると、愛犬の杏月ちゃんが許してくれない。いつ散歩に連れ出してくれるのか、期待を込めてまとわりついてくる。期待は分かるが、二日酔いだったり、風邪だったりというこちらの事情もある。もちろん日頃の行いの悪さだから、後ろめたいという感情はある。申し訳ないという気分はある。しかし暑い中歩いている姿を想像するだけで、やっぱり気分は萎えてしまうのである。
 そうやって頑張ってダラダラしている訳だが、飯を食ったりテレビを見ていたり本を読んだりしていると、やはり少しくらいは体を動かしてもいいかな、という気分にはなってくる。何しろダイエット中だったではないか。夏のダイエットというのは比較的簡単で、体重を減らすという目的だけだったら、汗をかきやすいというメリットがある。人間はけっこう水分を蓄えている生物らしくて、暑いから汗を大量にかくということになると、すぐに何百ccと水分が流れる寸法である。100cc100グラムと正確に排出されると、その分当たり前に体重は減っている。もちろん補給しなければ体は持たないが、数値的に下限を突破する快感を味わうことができる。到達点が深ければ、目標が定めやすくなる。水の補給で戻ったとしても、また落ちやすくなるという感覚は残るのである。
 そうではあるが、やっぱり暑い。決まったコースを歩いているのに、汗の噴出はただ事ではない。アスファルトの照り返しもきつい。スタートではしゃいでいた杏月ちゃんも、事の過酷さにさすがに気付く事になる。やたらに体に付いた草花を気にしてみたり、息を荒くして上目使いをするようになる。今日は近いコースにしようか?そう問いかけられている気がするのである。
 ご存知のように僕はアマノジャクだ。だから言ったじゃないか(言って無いが)、こうなるのは分かっていたはずだ。そういう気分があるし、休みの日ではないか。少し遠出したところで誰も怒りはしないだろう。そう思って休日コースを歩いてみようという気分になる。ほんの少しだけ歩数を稼いでみようか、という気分もあったかもしれない。
 しかしすぐに僕も悟るのである。そういう考えは無謀であったと。
 見る見る杏月ちゃんの足取りが重くなっていくのである。ひょっとすると熱中症になるのではないか。こちらもきつくなっているから、精神的にも不安になる。コースの傍に公園が無かったか考えてみる。水を汲んで飲ませてやろうと思ったのである。そうしてやっと見つけた小さな公園の水飲み場に近づくと、なんと大量のハチが水飲み場を占拠しているではないか。どういう料簡か知らないが、彼等も水を飲んでいるのだろう。
 結局水は諦めて木陰で一休みすることにした。そのうち帰りが遅いからと、心配したつれあいから電話があった。本当に助けに船、素直に迎えに来てもらう。これ以上はちょっと本当に危険かもしれないのだ。
 やはり夏の外出は準備が必要かもしれない。ふらっと外に出るだけでそれなりに危険である。そうして最初から無理など戒めるべきだろう。
 やっぱり早起きするべきかな、とちょっと思った休日の散歩だった。
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ランの栽培では儲からないらしい   悪の温室・刑事コロンボ

2013-08-19 | コロンボ

悪の温室・刑事コロンボ/ボリス・セイガル監督

 身代金詐欺に見せかけた殺人を犯す訳だが、そうしたやり取りはさすがに時代がかっているという気はした。現代の捜査ではありえない展開だろう。そういえば昔の誘拐犯は「警察に言うと人質を殺す」なんていって脅すような事をする場面なんかがよく見られたものだが、警察に言わない訳が無いし、言わないような人なら、簡単に人質は殺されてしまうだろう。つまり暗黙の了解のもと駆け引きが行われるということになる訳で、誘拐された時点で人質が殺されている可能性は極めて高いという気はする。少なくとも犯人の顔を見られているような場合なら、殺す方がはるかに合理的だから、最初から警察に届けるより方法が無いのだと思う。誘拐という犯行は、そういうことを行った時点で、極刑に値する罪だと思うのは、そういう所為かもしれない。
 しかしながら、今回の誘拐は、実は最初の段階から狂言であるということにはなっていた。それを裏切って、殺人に発展するということになった。最初からコロンボが参加していながら殺人を未然に防げなかった訳で、ドラマだから仕方が無いにせよ、コロンボの力にも限界がある事が分かってしまう。
 初期のシリーズでは、けっこう定型化したものばかりだったように記憶していたのだけれど、あんがいそうでもなかったということも分かった。相棒の刑事の存在も面白いし、後になっても出てくるキャラクターがいたりするようだ。家族経営的なドラマ作りというような感じもあったりする。既に大変に人気を博していたと言われており、冒険しながら視聴者を驚かしたり楽しませようとしていたのかもしれない。そういうネタは必ずしも後後活きてくる訳ではないのだけれど、逆にコロンボ的なキャラクターの洗練にはつながっていったのではあるまいか。
 犯人の毒舌も冴えており、そういうやり取りはけっこう楽しかったのだが、むしろ後になっていくほど、知的には洗練されていくような犯人が増えていくようにも思う。これとしては、少し反省をしたということになるんだろうか。初期の異色作ではあるが、時代性があってかえって古典的に楽しめる作品となっているようであった。
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