カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

真の人間の愛はAIとのものである

2024-08-09 | ドキュメンタリ

 AIと人間の性について紹介されているものを観た。最新のテクノロジーと人間の性というのは、ふつうに関係性の深いものであるらしい。人間の興味は、つまるところそこに行く、ということなのかもしれない。もっとも今展開されているAIと人間との性的なつきあい方については、かなり深刻な問題が見て取れるようだ。
 それというのも、これまでの人間の性的な興味というものは、基本的には相互の恋愛を伴うものでは無かった。もちろんいわゆるオタク的に、二次元(漫画など)に恋するということはあったかもしれないが、いわゆるファン的な物事と捉えられており、部屋中にアイドル化した対象の絵をたくさん飾っていたとしても、またその相手を想って自慰行為をしていたとしても、個人的な趣味として、それなりに認められるようなところがあったのではあるまいか。多少の哀しさは伴っているように見えはするが、まあ勝手にやってくれ、である。
 ところが現在相手となっているAIは、完全に性愛が一致したパートナーなのである。さらにいうと、もっとも自分にとって深い愛情を感じられる、完璧ともいえる存在になっているのである。これは見ている側からすると、かなりのホラー度が高い現象なのだが、当の本人にとっては、実に自然であるだけでなく、深い絆であるようなのだ。そこのあたりのコントラストがいかにもという感じで、僕自身かなり驚いてしまった。
 考えてみると、そのような関係性が生まれるのは至極当たり前で、AIだからこそ自分のことを真剣に、いや、ある意味都合よくなのだが、批判や否定を伴わず、全面的に自分自身だけを認めてくれるのである。そうしてリアルタイムで会話を交わし、片時も離れることは無い。そして時には性行為まで至るのだという。そこには精神的にも肉体的にも、かなり高い満足度を伴う。基本的には何か自慰行為に使う道具があるのだろうし、バーチャルな映像に伴う人形などもあるのだろう。またそのように使える付属的なものは、個々人にしっかり合わせるように、豊富に用意されている。闇ブローカーのようなポルノショップに行かなくても、開放的な空間で売られるようになっていたり、もちろんネットでも買えはする。
 もっともアプリによっては、性行為だけはAIが応えないという仕組みに変更したものもあるという。使用者があまりにものめり込んでしまって、実際の人間を相手にしなくなる可能性があるために、あえてブレーキをかけているのである(会社の自主規制である。おそらくだが、その為に訴訟を起こされる可能性に対しての対応なのではあるまいか)。すべてのアプリがそうしているのではなく、ある会社のアプリがそのような方向転換をしたという。つまり、そうでないアプリはまだ存在し続けて、個人的なお付き合いと共に、今も性行為に及んでいるわけだ。
 すべての人間が、AIとそのようなつきあいを始めるとは考えづらいが、人間関係に困るなどのきっかけが元になり、そのような関係を始める人も少なからず増えていくのかもしれない。今はまだ抵抗のあろう人の方が多いように感じられるが、要するにこれは、慣れの問題である。そうすることで、むしろ高い愛情生活が送れるのであれば、AIの方が人間にとってより理想的なパートナーであると言えるかもしれない。人間相手では果たし得ない、人間の真の幸福が、そこには存在できるかもしれない。
 やはりホラー的に感じている自分がいるが、つまるところそれは、単なる偏見なのであろう。
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前線近くで戦う市民ボランティア

2024-06-10 | ドキュメンタリ

 圧倒的な兵力の差があるとされたロシヤとウクライナの戦いだが、現在は長期化し膠着した状態が伝えられてはいるものの、予想以上にウクライナが持ちこたえているともされる。そのようなウクライナの前線で戦っている多くのボランティアを紹介したドキュメンタリーを見た。
 実際に前線近くのまちでは、廃墟の工場内を本部にして、さまざまな市民ボランティアが集まっている。彼らはそもそも兵士ではなく、元建築家や教師など、前職は様々である。彼らが戦況を分析し、西側の武器供与を工夫して使い、ドローンを飛ばし、3Dプリンターを使って足りない部品を製造したりしている。また、元兵士が率いて、前線に部隊として作戦を展開させる役割を担っているものさえいる。専門の兵士として訓練を受けているわけではないので、兵士として上官の指示に必ずしも忠実ではない場合があるものの、彼らは自分の考えをもって、どのように戦うかを模索しながら、着実にロシヤ兵を一人でも多く殺そうと試みていた。
 そもそも独立して30年になるというのに、ソ連時代からの流れや風習は無くなっておらず、開戦前からウクライナの人々は、ロシヤから虐げられていた過去があるようだ。ロシヤ内でウクライナ語を使うだけで、下に見られたりいじめられたりすることがあったという。そういう上下関係にうんざりしながらも、以前はロシヤに出稼ぎのようにして働かざるを得なかったりした。開戦後はウクライナに戻り、ロシヤと戦うことにした人もいた。また現在ロシヤに侵攻を受けて家族がそのまちに留まっているものもいる。なんとか家族を救い出すために戦わざるを得ないものもいる。逃げ遅れているだけかもしれないし、占領下にひどい目に合っているかもしれない。戦うことは、切実な問題なのである。
 また、ロシヤ人のことは人間とも思っていないことも語られていた。憎しみが深くそのように言っているということもあるが、相手を殺す立場において、そのように戦意を引き立てているということかもしれない。戦況が上がってロシヤ兵の死者数が発表されると、皆は心から喜んでいる。そのような心境になるなんて一般市民時代には考えられないことだったが、今はすべてが変わってしまった。もう元には戻れない、ということなのだった。
 そうであるからこそ、まだウクライナは負けたわけではない、ということはよく分かった。同時にこれは、戦争が終わらない、という事でもあるようだ。命を懸けて戦い続けるということを支えているのは、そのような市民感情があるからなのである。そうして市民ボランティアの兵士が絶えない以上、西側の支援も続けられていくということなのかもしれない。
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田中角栄は望まれる政治家か

2024-01-07 | ドキュメンタリ

 なんだか田中角栄が取り上げられることが多いと感じていたら、死後30年という一種の節目であることと、どういう訳か角栄のやっていたバラマキ政策の考え方を、野党がまねをするという不思議な現象が起きてもいるらしい。高度成長期と現在の状況が違うのだから、おんなじことをやっても仕方なかろうに、とは思うが、角栄の時代が面白かったのは、これまた間違いはない。
 角栄は戦後すぐの選挙に27歳で出馬し、落選からのスタートを切っている。その時のスローガンが「若き血の叫び」である。自分で起こした土建屋は成功し、既に財を成していたものらしい。若い頃はまだ体の線が細く、貫禄づけの為かちょび髭を生やしている。その頃から地方への格差解消のためのバラマキ政策の考え方の基本は持っていたと言われ、新潟と群馬の境にある三国峠を崩せば新潟に雪が降らなくなり、その土を日本海に埋めて佐渡を陸続きにしたらいいと言っていたらしい。
 その後国会議員になり、さまざまな議員立法を手掛けた。特に道路三法が有名で、国道を作り、高速有料道を作り、財源としてのガソリン税(道路に特化するもの)を創設した。これにより、陳情を受けたところに道路をつくって発展させるというスタイルを築く。道路開通が決まった土地は高騰し、それを売った人々は大いに潤った。要するに地方の復興とともに、経済的に潤うことが、国民の幸福であるというストレートな信念が、そのままの政治のスタイルだったのである。
 角栄はテレビの影響もよく知っており、全国に民放局を開設させる。そうして大蔵大臣の時には、自ら出演して大蔵大臣アワーという番組を流したりした。角栄の自宅は目白御殿といわれ、毎日陳情の客が絶えなかった。多い日には200人にも及んだと言われ、田中は朝7時から陳情の客の相手をした。ほとんどは三分で即決して、陳情を取りまとめたと言われる。
 その後当時は最年少の54歳で首相に上り詰め、日中国交正常化などを数多くの業績がある。その時に中国からパンダを譲り受け、自らの鯉を中国に贈った。内閣の支持率は62%にも及んだ。ところが首相としては短命で、2年5か月だった。ちょうどオイルショックに見舞われ、狂乱物価、インフレ内閣批判に抗えなかった。その頃に電力需要を安定させるために、23基だった原発を60基まで増やすなどした。
 退陣後はロッキード事件が暴かれ、転落の人生に転じた。それでも政治権力は保持していたと言われ、多くの内閣は角栄の傀儡とされた。マスコミからは叩かれ続ける晩年ではあったが、世論は選挙であると豪語し、脳梗塞で倒れてもトップ当選を果たした(のちに自ら引退するが)。
 とにかく逸話に事欠くことの無い人で、強烈な個性の持ち主であった。その上俗っぽく、当時の日本人そのものだったともいえるかもしれない。豊かになることと格差是正を同時に成し遂げるために、着実にバラマキ政策を実行していったのである。
 今後の世の中において、角栄のようにふるまえる政治家が現れるとは考えにくいが、人々は内心では、角栄のような人をまた望んでもいるのではあるまいか。さて、それにこたえられるような人物が育つ世の中が、また生まれ得るものなのだろうか。
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支配される教室

2023-12-19 | ドキュメンタリ

 「支配される教室」という番組を見た。内海崎貴子先生という方が、体験型の特別授業を行う様子が映されている。生徒たちにじゃんけんをさせて、負けた方にリボンをつけさせる。生徒役の人たちは、小学生になったつもりになってもらって、先生の授業を受けている設定である。付けた人と付けてない人には違いがあって、徹底的にその属性の通りの答えを、先生は求める。生徒役になって参加している人々は、その先生の要求通りに、自分の考えとは違った考えであったとしても、回答としての正しいものを答えるようになっていく。
 なかなかに恐ろしい特別授業なのだが、実はこれ、男女の属性と思われるものになぞって教育がなされてきたということを、暗にというか、逆に露骨に示しているものらしい。生徒役が若ければ、むしろ先生の考えを忖度し、すぐに順応していた。大人になった人たちは、笑いだして、ふざけたように考えを曲げるようになる。恐ろしさに耐えられなくなって、笑いでごまかしているのだろうと、先生は言っていた。なるほど、そういう人間心理に陥るという事か。
 もちろん授業が終わった後に、皆でディスカッションして、このような状況をどう思うのか、討議する。そのことがより重要なようで、若い人たちは既に反発心の方が強く、拒絶的な感想を多くの人が持っていた。当然と言えば当然だろう。そういうものがある中であっても、今はそれなりに属性に縛られない状況になっているのだろう。一方大人たちは、これまでの自分たちの体験になぞらえて、いわば反省なり、喪失感を味わっていたのではないか。実際に女性として機会を奪われてきたことを、振り返る人もいた。それも男性たちの善意によるものだったという、二重の偏見にさらされていたのだ。そもそもそれは、女性には無理だという配慮であって、一方的な考えの押し付けではあっても、逆らえない社会の圧力があったのである。
 そのような時間は、もはや取り戻せない。しかしそのような考えの再生産が、現代に全く残っていないとは、やはり言い切れない。形は少しずつ変わってはいるのかもしれないが、やはりいまだに多くの制服では女の子はスカートをはいているのだろうし、子供であれば、ランドセルは赤や黒が多数だろう。トイレの色は、ほぼ赤は女性だろう。男女にくっ付いている属性のすべては取り払うのは不可能そうだし、それがすべて悪いという事でもない。しかしそれらしさを求められることは、やはり差別を含んでいるのだ。たとえそれが心地よい事であったとしても。
 恐ろしい先生を演じていた内海崎先生は、その先生像を自分の体験から作り出したと言っていた。実は僕も、このモンスター先生に授業を受けた経験があると感じていた。いや、ほとんど同じと言っていいほど、たくさんの先生が内海崎先生の演じている教師と同じだった。僕らの中に差別的な感情があるとすれば、それは日本の教育が、いわば洗脳してきた時間だったのかもしれない。それこそが恐ろしい訳で、彼らや彼女らは、この番組の題名通り、支配する手段としてこれを利用していたのかもしれない。そうであれば、おそらくいまだに再生産されているものは、残っている疑いが強い。授業を効率よく進めるには、それは手段として最強である。そうしてこの授業は、それを打破するささやかな取り組みであったり、抵抗であったりするのかもしれない。これは皆で受けることを必修化すべきではないだろうか。
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コウモリ国家トルコが重要

2023-10-03 | ドキュメンタリ

 国際社会の中で、トルコの存在感が増している。これまでトルコという国は、ヨーロッパと中東とアジアのはざまにあって、何か中途半端にどっちつかずのところがあって、扱いがはっきりしない国の一つだった。ところがトルコのそういうところが、今となっては重要だということに変化したのだ。
 それというのも、現在は西側社会といわゆる東側に数えていいのか分からない社会とに分断している図式が描ける訳だ。特にロシヤとウクライナの戦争によって、その線引きはかなりはっきりしたものになった。ロシヤにつく側は少数とみられるとはいえ、事情もあって小さくもない厄介なものである。そうしてウクライナの背後に回ったアメリカやヨーロッパを中心とするグループは、今後ロシヤ側との直接的な関係は結びづらくなっているだろう。ところがトルコは、重要な軍事的な武器(ドローンなど)はウクライナに売りウクライナの勝利を願う姿勢も取る一方、エルドラン大統領はプーチンとも懇意にしている間柄である。実際に対面しても和平を進言するなど、行動も起こしている。EUに加盟寸前までいって、国民にイスラム教徒が多い理由で保留が続いていることもあるが、軍事同盟的なNATOには既に加盟している仲間である。加盟国としてロシヤ周辺国の動向にもカギを握っている。中国やインドとも対話可能だし、日本との歴史的な関係も深い。ロシヤのエネルギーにも依存して、ウクライナの穀物も輸入できる立場である。ヨーロッパとアジアの中間にあって、物流の中継点にもなっている。今の国際情勢下で自由に行動でき、かつその存在感がモノを言っているのは、そのようなかつての中途半端さが、今では利点に変換しているということになるのである。
 さながらネオ・オスマン帝国の復活である。これまで大国と思われていなかった国であっても、さまざまな地政学的な立場でその立ち位置を変化させる国が台頭してくる。今はどちらにもつかない国々の方が、ある意味で有利に物事を動かすことが可能になっているのかもしれない。これからの大国であるインドも、その立ち位置はある意味でニュートラルだ。西側かそれ以外か、そういう事でない国々に頼らなければならない時代に突入しているのかもしれない。
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シラけ世代ってあったのだが

2023-09-16 | ドキュメンタリ

 日本の過去の文化を振り返ってみているものを観た。年代別になっていて、主に70年代。若者が奇抜な服を着て街を闊歩するようになったものらしい。いつの時代でもそうだったとは思うが、いわゆる大人世代に気兼ねすることなく、自分のスタイルを主張できるようになったということらしい。今から見るとそれほどではないものの、まあ男にしては赤を基準にした派手目の男性に、インタビュアーが「恥ずかしくないですか?」と聞いていた。その直接的な物言いに、その時代のもつ一種の価値観としての非難を感じさせられるし、そういう失礼な物言いに対しても、朴訥と答えようとする若者の生真面目さを感じる。今なら笑い飛ばすか、馬鹿にして返事さえしないかもしれない。
 しかしながらこの頃のことは、僕だって子供時代なので記憶がある。テレビのような都会の若者ではない若者が田舎にもいて、しかし髪型を妙の整えたり、スポーツカーに乗ろうとするお兄さんはいた。当時はそのような反抗的でありながら、自分たちの世界では風を切るような態度を良しとするものがいたのである。
 それと同時にであるが、直接的にそのようにふるまうものがいる一方で、何者に対しても一定の距離を保ち、そこまで関心を示さない人たちも多かった。これがいわゆる「シラけ世代」と言われたもので、その前が何だったのかはよく覚えていないが、そういう若者を一緒くたにして、○○世代などというような風潮のメディアがいたようだ。それはそうなのだが、「どっちらケ」とか言ってウケていたので、別段そんなにシラケていたわけでもないのだが、その上の人たちには、それより情熱的な人が多かったというような印象があったのだろう。その後も似たような名称が続くけれど、つまるところ大人が上手く理解できない若者を、何かひとくくりにして特徴を言いたいという欲求の方が強いのではあるまいか。いまはZとかなんとか言って、もはや意味さえよく分からないのだから、世代性などというのは幻想だろう。
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純粋でクレイジーで尊い人

2023-08-11 | ドキュメンタリ

 長坂真護という人の取り組みを紹介したドキュメンタリを見た。アフリカのガーナのスラム街であるアグボグブロシーという街は、いわゆる先進国からあらゆるゴミが捨てられる場所になっている。古くなった電化製品やパソコンなどの通信機器や、衣服やプラスチックごみなどが大量に集められ、その廃品の中で利用可能なものを取りだしたわずかな金を目当てに、人々が集まって来る。配線などのコード類は、表面のゴムを焼いて中身だけ取り出すわけだが、そのために有毒ガスを吸いながら作業をし、一日数百円を稼がなければならない労働者たちがいる。そのような惨状を目の当たりにした長坂は、もともと路上アートを描いて糊口をしのいでいた身だったが、廃品をアートに変えた作品を生み出すようになり、そうしてその金をもとに、アグボグブロシーの惨状を変えるべく資金を投じて廃品リサイクル工場を現地に立ち上げるなどの活動を行っている。長坂自身が語っているように、この取り組みに賛同して作品を購入してくれる人がいるために、長坂の作品は長坂が普通に描いた絵の10倍以上の値段で売れるのである。この取り組みを辞めたら、自分は大いなるペテン師だとつぶやきながらも必死になって現地へ飛び、そうして日本で創作活動を繰り広げているのである。
 作品で数億円は稼いでいるとはいえ、日本でもアトリエやスタッフを抱えているし、ガーナの現地にも、まだビジネスとしては赤字続きの工場を構えて、どんどん労働者を増やしていこうとしている。リサイクル事業には問題も多く、黒字化のめどは立っていない。しかしいまだに苦しい立場で働かざるを得ない現地の労働者たちと知り合いになると、次々にその人たちを採用してしまうのである。
 まさにその行動そのものがアートでもあり、慈善事業であり、破滅的な生き方なのである。まったくなんという人がいたものだろうか。
 長坂は専門学校に入るために上京後、ホストをやったり、その金で会社を立ち上げた後に倒産させたり、仕方なく路上でアートを売って暮らしていた人である。自身の作品は高額で売れるようになったが、そのようなわけで拾ってきた家具などを使って質素に暮らしている。自身が過去を振り返って語る内容でも、若い頃には何の信念も無く何をやりたいかもわからず、死にたいような気持をかかえていたらしい。しかし何かのきっかけでガーナの現状を知り、現地に行ってさらに衝撃を受け、生き方をがらりと変えて、この世界を変えるという信念だけで、こういう事をやっているのだという。
 まったく普通ではない訳だが、破滅的な生き方であるかもしれないが、まさしく情熱だけで生きているような芸術家である。そうしてそうでなければ芸術が成り立ちもしないのである。現地の人間が言っていたが、ふつうの人間は、このゴミ溜めの現状を写真に撮って、ちょっとおこづかいをくれるなどして帰っていくだけだが、長坂はガスマスクを配り歩いて、日本に帰ったとしても友人としてまたやって来るのである。徐々に信用を得て、事業まで始めてしまったのである。
 なんだか呆れてしまったが、ここまでくると、この異常な危うい純粋さというものを、やはり信じてしまうのである。上手く行くかなんてことよりも先に、なんとかしたいという思いが行動を支えているのであろう。それは作品が売れ続ける限り、おそらくやめないのではなかろうか。
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日本人に最も嫌われたからこそ

2023-08-09 | ドキュメンタリ

 今井紀明という人の取り組みを紹介したドキュメンタリを見た。
 今井さんは高校生の時にイラクに行って人質になって、日本政府の計らいで解放されたのは良かったが、社会的に激しいバッシングを受けた時の人だった。その当時「自己責任」という言葉が盛んに使われ、心を壊しかけたが、なんとか大学は卒業し、今度は不登校やいじめの当事者を支援するためのNPO法人を立ち上げて、現在も活動を続けているのであった。
 イラクの人質事件というのは、当然いまだに大きな問題として、本人も、家族も含めての周りの人々にも影響の残っているものである。時間的な問題で一定の距離を置いて考えられるようになった現在でも、僕らだって容易に思い起こせる出来事だった。今井さんがいまだにNPO法人で、いわゆる社会問題に取り組み続けていることともおそらく関係があって、だからこそこのようなドキュメンタリが作られているのだろう。
 そのような興味の跡先に、しかし大人になった今井さんという人の、一定の純粋さとしたたかさのようなものが垣間見えて、あれだけの圧力を受けた後に心の傷を抱えながらも社会運動を辞めようとしない現在があるというのは、なるほど凄いことかもしれないと素直に感じるのだった。イラクの問題はマスコミのバッシングを後押しにして、多くの人が若い今井さんの身勝手さを罵った。せっかく助かった日本人の命だったが、社会の圧力は精神的に今井一家全体を押しつぶそうとして、いわば自殺をさせようとしていたようにも見えた。僕もいくばくかの反感を感じたのは確かだが、そこまではしかし行き過ぎだという印象は持っていた。少なくとも若い人の人生は、若いまま終わりになるだろうと漠然と感じていたように思う。ところが時を経て印象的な目がそのままの今井さんをみていると、人間はそれなりに強く生きることもできるんだな、と改めて感じた次第だ。特に日本人でそのような人がいるなんてことは、ちょっとどころかかなり意外な驚きだった。こういう人なら、社会からはみ出してしまう困難をかかえている若者を救えるかもしれない。そんな風にも思えるのだ。
 実際のところ、いまだに日本社会は生きにくいままだろう。それは日本に限らずのはずだが、しかしやはり日本は特に厳しいだろうと思う。そんなことはみじんも感じない日本の一般大衆がいる限り、その困難はつづくだろう。それでも死ぬことなんて無いのだということを体現する人がいる。そういう意味で、いつまでも日本人であり続けて欲しい人だと思った。
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貞子の生まれたわけがある?

2023-07-06 | ドキュメンタリ

 サブカルの90年代のことが語られる番組を見たメモ。
 この時代の印象的な映画として「リング」が取り上げられていた。これは世界的にも日本的なホラーとして著名で、印象深い作品だったということである。もちろん僕らにとってもそれは同じはずだ。熱狂とまで言わないが、なんだか当時も新しさのようなものは感じ取っていた。ものすごく恐ろしいが、別段血が流れるわけではない。スプラッターホラーでは無いが、貞子というアイコンは、新しいタイプの恐怖の象徴となった。
 どうしてこのような映画が90年代にできたかというと、80年代に起きた宮崎勤による連続幼女殺人事件が契機となって、日本では視覚的に残酷なホラーが自粛して作られなくなったからなのだという。
 確かに日本のそれまでの映画は、切った張ったのスプラッターものがものすごく多かった。タランティーノが「キルビル」を撮ったのも、日本映画へのオマージュだとされている。ところが宮崎勤の部屋には、幼女ものを含め、オタク的に趣味で、そのような映画や雑誌が大量に備えられていた。当時は今と違って「オタク」は、恐怖の対象となってしまったのだ。たとえそれが誤解だったとしても、人々はそのような描写の映画から影響を受けて、ひとは幼女誘拐や殺人を犯す人間を作り出したかのような錯覚を受けてしまったのだ。
 そうした影響と時を経て、ビデオテープから感染するように死の連鎖が起こるという物語が映像化された。それが90年代の象徴的な出来事として、我々の文化の足跡となったのだ。
 なるほど、と思うとともに、しかしながら、とも思う。確かに僕の少年時代というのは、えげつない描写の映画や、テレビ番組がたくさんあった。どれも胡散臭かったが、大人の匂いがしたことも確かだ。恐ろしいが、同時に憧れも抱いていたかもしれない。そういうものが量産されて、害悪が叫ばれていたこともあった。子供には有害なものだということだろう。ところが僕らは隠れてでも興味があれば見ることになる。そうやって消費する中で、段々と離れていった経緯もあったのではなかったか。要するに食傷気味になるような。作る側にもそういうのはあって、宮崎勤は契機にはなったかもしれないが、もうそろそろいいだろう、という頃合いと重なっていた可能性もなるのではないか。そんな風にも思うのである。
 貞子が生まれる背景としては、そのような連続性と解説がある方がもっともらしい。僕は知らなかったが、宮崎勤が実際の文化と何にも関係ないことくらいは分かっている。彼はそのようなオタク文化が生み出した怪物ではなく、そのようなものを欲した個人的な怪物なのである。
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日本のプレゼンスが下がっている結果

2023-06-12 | ドキュメンタリ

 物価上昇のセオリーは、需要が高まるために起こるとされる。欲しい人が多ければ、欲しがられるものの値段が上がっていく。オークションが分かりやすいだろう。そういう全体像が、インフレと言われる訳だ。
 ところで現在様々なモノの値段が上がっているように感じられる。僕のような仕事をしている人間でも、モノの値段が上がるのは、それなりに困る。入ってくるお金は増えないのに、出ていくお金が増えていく。いわゆる経費がかさんでいくし、足りなくなれば借りなければならない。借りたら返さなきゃならないし……。
 ところが現在の状況は、必ずしもインフレではないのだという。どういうことかというと、確かに欲しい人が今までより高くても買うので上がっているように見えるけれど、実際には高くても買わざるを得ない状況なので買っているだけだからだ。これは供給不足によるものであって、安いものが無くなりつつあるので、代替できずに買っている。そういう状況だと、売っている方も値段上昇で儲けが増えている訳ではないことになり、儲けが無いと給料も上げられない。購買力が無い人が高いものを買うと、さらに貧乏になってしまう。
 このことは、国同士の相対的な問題なのだという。要するに日本が他国に対して、国のレベルとして力を落としていることが、物価の上昇につながっているようなのだ。
 世界の穀倉地帯であるウクライナの問題じゃないのか、と思う人もいるだろう。確かにそれは要因の一つとして考えられる。しかし、この戦争以前から値段は上がりだしたと言われている。物を作ったりするのに必要な、電力やその他のエネルギーの問題もある。比較的に安価で供給できる火力への投資が止まっているうえに、地震のショックもあって、原子力も多くが止まったままである。十年前には、電気代が上がるくらいは平気なもので、その他の電力へ転嫁すべきだという輿論が圧倒していたのだが、そうなった現在は、そんなこと言う人は声をひそめてしまった。卑怯者というのは、そういう人たちのことである。
 さらにこれまで日本は、貿易相手に対して、価格を叩いて買っていても相手が言うことを聞いてくれていたに過ぎなかった。それは相対的に日本の円が強かったり、多くのものを買ってもらえるという期待値でもあったかもしれない。しかし、それよりも高いお金で、さらに多くのものを買ってくれる別の相手が現れたらどうなるだろう。
 要するに事実上の米中の冷戦に巻き込まれたために、日本を相手に安価で安定的に供給をしてくれる国が減っているのである。そういう外交に対して、国内世論も政治が上手くコントロールを果たしていないために、経済に縛りがあるままになっているのである。その結果として、供給を満たすことが叶わなくなった。
 円安になった分、外貨を稼いで儲かればいいじゃないかと思う人もいるかもしれないが、儲かる以前に経費の上乗せされた分を支払わなければならないので、余裕のない状況になっていて安いものしか買えないのである。しかし安かったものは品薄で、これからも入ってこない。既に国内で作ることすら難しい。
 ほとんど願いのようなことになっているのだが、それでも大企業から給料を上げる動きが無い訳ではない。下々の者までいきわたるには時間がかかるかもしれないが、そういう人がたくさん消費することで、段々と潤いが浸透してくる可能性が無いではない。そういう需要に対して売るものが増えると、循環として望ましくなる、ということになるのかもしれない。
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ペレがアメリカに渡った時代

2023-06-05 | ドキュメンタリ

 ペレは元々ものすごく世界的に偉大なスターだが、それはサッカー界でということでもあったのかもしれない。最終的にプレーしたのはアメリカで、それはサッカーの不毛国での啓蒙活動が含まれていた。当時はたいへんに高額な移籍金でもって大きな話題を集めたが、実際にアメリカ人はペレの華麗なプレーを見て熱狂するに至る。それはアメリカという世界最大の影響力のある国の熱狂にとどまらず、それ以外のサッカー不毛国へも響き渡る影響力を持っていた。もともとサッカーの大天才が、真のサッカーの神様として後の世まで語り継がれる伝説のフィナーレでもあったのかもしれない。実際にはプレーヤーとしては全盛期を過ぎていたかもしれないが、それでも天才は天才である。プロプレイヤーとしてのレベルは頂点のまま、華麗に得点を重ねる活躍をし続けた。
 僕の子供の頃には既に伝説的な選手だったが、残念ながらほとんどリアルタイムで見る機会は無かった。日本は野球の国なので、サッカーの試合というのは、年末年始の天皇杯くらいしか中継が無かったのではないか。海外ニュースなども少なかったが、さすがにワールドカップなどはニュースとして伝えられるくらいのものだっただろう。
 そういう中にあって僕はサッカー部に所属する一応のサッカー少年で、当然ペレは知っていた。雑誌の切り抜きくらいは持っていたかもしれない。それはほんの二年間のことだったのに、アメリカの資本がサッカー界をさらに華やかにさせたということのようだ。そういう最後の活躍が、日本にも改めてサッカー熱の温床を育む土台になったのではなかったか。それまでもサッカーは普及の途上にあったことだろうが、僕の子供のころから徐々に、少年サッカーは熱を帯びてきたような印象がある。釜本さんは焼肉のたれの宣伝にも出ていたし、家庭においてもサッカーの面白さの認知が進んでいたのであろう。
 サッカーはペレだけの功績で普及したのではないが、ペレの功績でさらに巨大な憧れを含む神格化した大衆スポーツへ登り詰めたのかもしれない。莫大な資金を集めて注目されるスター選手の多くは、スキャンダルとも隣り合わせに居る立場の人が多い。そういう中にあって常に品行方正で、人格的にも尊敬を集める人だった。さらに期待に応える楽しい面も持っていた。スポーツ選手でこれだけの人というのは、やはり生まれにくいたぐいまれな人物だったということなのであろう。
 しかしながらこういうドキュメンタリを見て、改めてアメリカにわたってのサッカーの啓蒙活動というものが、ペレの王様としての伝説のフィナーレであったことを知った訳だ。アメリカ人の多くはペレに熱狂し、さらに多くのスター選手をアメリカに呼び込む結果にもなった。今はそれほどではないようにも感じられるが(アメリカはローカルなアメリカ的なスポーツが盛んな国だから)、アメリカにもサッカー熱が盛り上がった時代があったというのは、一つの大きな歴史の一部だったのである。
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帝銀事件は今も残っている?

2023-06-03 | ドキュメンタリ

 戦後最大のミステリとも言われた帝銀事件だが、それは松本清張がこの事件を取り上げて冤罪の可能性をリポートしたことも大きいようだ。実際12人もの銀行員(関係者)が一人の男に毒殺され金を奪われるという恐ろしい事件であり、後に犯人として捕まった画家が、当初は犯行を認めたとされた後証言を翻し、死刑判決後も獄中死するまで再審を求めた。実質上死刑執行が行われなかったのは、この再審の可能性が何十年にもわたって残されていたともされ、松本清張の筆によって世論が動いたせいでもあろう。
 松本が疑ったのには理由があって、青酸化合物をスポイドで正確に致死量を量って皆に冷静に飲ませることが、あんがいにむつかしい行動であったこと(それを素人の画家ができたのか)。そのようなことに長けた可能性のある戦中の特殊部隊の人間の方が怪しかったこと(しかし最後まで個人の特定は難しかった)。戦後米軍がその特殊部隊の存在を秘匿した可能性があること、などがあった。特殊部隊とかかわりのあった人間の証言にも、このような冷静な人殺しができるのは、自分たちの部隊内の人間の仕業だろうと思っていたらしいこともあった。
 しかし当時それなりに著名だった画家の平沢貞通には、逮捕後過去に詐欺事件を起こしていたことが発覚すると世論は平沢犯人説に大きく傾き、そのまま死刑判決への流れを覆すことができなかった。しかし実証主義の松本にとっては、疑わしいのみで犯人に確定することに抵抗があったのだろうと思われる。結果的に振り返ってみて未解決事件と言われることになったのだが、では、本当に冤罪だったと言えるのだろうか。
 ドキュメンタリを見た印象としては、確かに冤罪事件としての振り返りの仕方だったこともあって疑わしいのだが、しかしさらに疑わしいとされる特殊部隊の人間に、本当に捜査の手がちゃんと伸びなかったのかというのもよく分からない問題だとも感じられた。特殊部隊の戦争犯罪は許しがたいものが多く含まれているが、その断罪が上手く行ったとはいえないようにも感じられる。そういう背景も含めて、戦後軍隊に対する国民の不信感も、この事件の背後にはあったのではなかろうか。松本清張の中にも、そのような軍部への、戦争への怒りが、この事件の真相解明ということに向かわせたのではないのだろうか。
 しかしながら、この帝銀事件という凄惨な殺人事件をクリアな形で解決できなかった戦後日本というのは、その後の冤罪の可能性などのある事件への影響も無かったとは言えないのではなかろうか。日本の検察の異常な強さと、裁判の在り方に対する不信感は、今に至っても払拭しきれていないのではないか。そんなことまで考えさせられれてしまうのだった。
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優位性は自由とシンプルな実行

2023-05-22 | ドキュメンタリ

「イノベーションの秘密 半導体業界の覇者ASML社」を見た。
 半導体の製造装置における世界的な圧倒的なシェアをもち、その技術力が突出している企業がオランダにある。そのASMLという会社が無ければ、半導体を製造するトップメーカーは優れた半導体の製造ができない。言い換えると、今のあらゆる製品と言っていい基盤の供給がありえないことになる。そのようなきわめて最前端で優れた会社には、いったいどんな成り立ちとからくりがあるのだろうか。
 基本的には、個性的で天才的な経営者と技術者がいて、それを支えるさまざまな構造を、巨額の資金をふんだんに用いて(もちろん稼ぐからだが)、世界各国から優秀な人材を毎月数百人単位で集め、給与だけでなく福利厚生を充実させ、働きやすい環境のみならず、自由闊達なテクノロジーの議論を深め、実際に最先端の困難な技術革新を怠らず、さらに世界の主要なメイカーに最善のプレゼンテーションを行って、高価格付加価値でありながら、常に汎用的な工場を建造させていくのである。
 そもそもはこれらの半導体製造機械の世界的シェアは、日本が持っていた。しかしながら地政学的に日本のみにこれらの技術に頼っていることの危険性から、日米半導体の協定はゆらいでいた。そういったところから、いわば離れた立場にこの会社はあった。そもそもは大手メーカーから独立し、専門的な会社であったものの、まったく無名で小さな存在だった所為で、当初は経営難にあえいでいた。ところが多少ふうがわりだが個性的な天才技術者のアイディアが、会社を変貌させていく。さらにそれらを活かす自由さと多様さを許容し、技術革新を追い求めていく中で、世界的にどの会社にもなしえない技術開発が成功し、独走するまでの存在になったのである。もちろんそれは過去に先行していた日本の企業では、不可能な領域まで進んでいる会社なのだ。
 しかしながら現在は、これだけの世界シェアを誇りながらグローバルに展開できる会社だからなしえることが、反グローバルに転じた米国と、それに敵対視されている中国と、さらに地政学的に危険とされる台湾や韓国などの問題もあり(半導体の製造拠点である)、グローバルだからこその将来性に政治的な圧力が加わっている、ということになる。世界覇権のカギを握っているのが、エネルギー問題のみならず、半導体の世界であるということであるらしい。
 僕は日本人だから、このような企業が日本でないことに、少なからぬ複雑な心境があるのだが、半導体製造のトップから転がり落ちて敗戦国になってしまった現状を、嫌というほど見せつけられた。そうしてこの企業こそが、未来志向で勝ち続けられるイノベーションの重要さを体現しているということも、よく分かったのであった(技術的な理由は分かるが、成し遂げられる本当の技術はわかり得ないのだが)。
 この会社の方針は、シンプルに3つである。「1挑戦 2協力 3思いやり」。何の変哲もないまったくもって当たり前のことに過ぎない。しかしそれができる企業は、実はほとんど無い、ということである。以前の日本は出来ていて、今は出来なくなった、とも読み取れるのではなかろうか。それが日本のみでやって来た限界であり、取り残された大きな理由だろう。グローバリズムで重要な英語圏でもないオランダの企業が、それを成し遂げている。もちろんその会社で働いているほとんどの人間は、オランダ人ですら無いのである。おそらく勝ち抜いているこれからの企業は、ほぼそうなっていくのであろう。
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希少資源を取り合う国々

2023-05-21 | ドキュメンタリ

 「リチウムを獲得せよ!欧州エネルギー安全保障と新秩序」を見た。
 リチウムは蓄電、電池の製造に欠かせない資源だが、主な産出国は中国やオーストラリア、南米のチリとアルゼンチンらしい。欧州では将来のエネルギー転換として政治的にEVシフトへ舵を切っており、現在の技術ではリチウム無しにそれが可能とはいえない状況にある。
 そういう中でウクライナとロシヤの戦争が起こり、これまでエネルギー資源として頼っていた国からの供給が完全に望めなくなる危機に陥っている。
 ところで、セルビアでリチウムの膨大な鉱物資源が眠っていることが分かっている。開発に当たって巨大資本が既に動いていたが、その地区の農家の一部や反対運動家によって、採掘事業が事実上頓挫している。資源採掘に当たって環境破壊の懸念があるためだ。セルビアは過去にも別の資源の採掘において環境汚染が起こった国であるらしい。その為に国民感情は、汚染への嫌悪感が根強いと考えられる。
 しかし、欧州の中にあるセルビアのEU加入の条件として、ドイツなどは圧力をかけている。同国の首脳は、むしろそのドイツなどの要請に従いたいのだが、国内の抵抗を制することができない。欧州は、国際的な覇権という問題も抱えており、せっかく重要資源を有する国が近くにありながら、手足を縛れている状態にある、という図式になっているということだ。
 このドキュメンタリのみで内容を鵜吞みにするのは、少し危険なような予感があるのは、ほかならぬキーになっている国がセルビアであるせいかもしれない。いまだにEUに加盟できない欧州の国であることと、やはり歴史的に複雑な位置にあるという背景がある。貧しい国でありながら、その豊かさを享受できるチャンスさえ踏みつかみ損ねている。また、確かに環境汚染は小さくない問題ではあろうが、巨大資本に感情的に反抗する勢力に足を引っ張られているようにも見える。環境汚染を抑えながら産出している他国の状況もあるのだろうから、それを自国で解決できないとも読み取れる。しかしそれ等を解決させるのは、欧州のエゴに従うことでもあるというジレンマにも陥っているのだ。
 しかしながら重要な資源を持ちながら、情勢が不安定で国民が豊かさを享受できない国はたくさんある。コンゴ民主共和国もそうだし、産油国のほとんどはそうかもしれない。豊かさを持っていながら、それを活かせず一部の利権のみが幅を利かせる結果になっているからである。それを欲しがる先進国と言われる国々が、自分たちの都合でそれらの政権を支えているともいえるかもしれない。基本的に希少な鉱物とはいえ、技術革新が進めば、他の国(深海などの場所)でも採掘が可能になるものかもしれない。一部の産出国頼みなのは、現在はもっとも採算の取れやすい状態にあるだけだから、とも言えるのかもしれない。
 日本はEVの主要な政策を取っていない国なので、これらの状況を見定めているとも考えられる。もっとも旧態依然の産油国頼みであるままともいえる。さて、この問題がさらに進むことになるのか、反グローバルに転じている現状を見ながら、どのような選択をすべきか、考える時間は残っているのだろうか。
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インドが変われば、世界は……

2023-05-18 | ドキュメンタリ

「ボリウッド映画を越えて~インドの女性監督たち」というのをBSで観た。
 インド映画は今や世界最大の市場だと言われていて、ハリウッドはもちろんインド市場を見越して大作を作るようになっている。インド映画界からも、逆輸出的に世界でヒットするような映画大作も作られるようになった。映画の国としてのインドの地位は、これまで以上に高まっていくことは間違いなさそうだ。
 一方で、庶民が日常的に見ているインドで作られるインド映画の多くは、インドの土着文化を色濃く反映させているものがほとんどである。基本的に映画というのは娯楽であるから、アクション、スリル、歌と踊り、そうしたインド的にてんこ盛りの楽しい作品が多い。またそのような映画だからこそ、家族や大勢で観る分には、わいわい楽しんで見ているということなのであろう。
 多くのインド人にウケる映画というコンセプトで制作するとそうなってしまうのだ、ということなのだが、それだけでは満足できな人々だって少数ではなくなっているのも事実のようだ。だからこそインド人の女性監督の台頭がある、ということなのである。映画は多様な文化の発露だし、また、さまざまな考え方を主張する武器のようなものでもある。ステレオタイプの短絡的な「良さ」というのは、同時に大きな偏見を社会に助長させてしまう力を持ってしまっている。娯楽映画の主人公はいつだって男性だし、それに絡む女性は、踊りが上手くセクシーで、まるで男たちから見られることだけを前提とされるような女優のみが、演じている。それ以外の役割の女性たちは、いわゆるこの世界で生きることを、事実上断念せざるを得ない場合もある。もっと活路を伸ばして働きたいものだが、そういう映画の製作を許す土壌が現場には無いのである。
 主人公の女性映画監督は、カナダからの凱旋で映画を作り、そして国政的に大きな評価を受けた人物であるようだ。男社会の中の軋轢にあって、女性が犠牲になり、不当な扱いを受け続けた悲劇を綴った物語だったようだ。映画が正当な評価を受けただけでなく、この映画の持つ力も大きかった。女性たちはこの映画に共感し、もっと女性たちがふつうに活躍できるような場を作るべきではないか、という声も上がるようになった。この映画に勇気づけられた第二第三の女性映画監督が生まれてもいるという。映画というモノづくりにおいて、インドの内の女性の在り方を考える機運自体が、高まって生きているのだという。
 インドのことは、よく分からないことが多いのだが、さまざまな宗教の元、階級制度のある社会も残っている。僕らの目から見ると、かなりいびつなあり方であるのは間違いなさそうだけれど、そこに暮らす人々の変遷を想うとき、事はそう簡単に変化するものでは無さそうにも感じられる。
 もちろん、たとえそうであっても、社会的に虐げられている人がいる社会にあって、容易に幸福が訪れることも難しいことだろう。しかし不幸に生きるしか選択の無い人間が、これからもそうあり続けなければならない世界が、いつまでも続いていいはずは無いのである。
 インドのような人口も巨大で影響力のある国の変化が現れることで、それまでになかったものが、また大きく変わることがあるのかもしれない。その予兆の始まりというのも、我々は目撃しているのかもしれない。
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