カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ストレスに対処してない理由とは

2013-08-04 | culture

 日本ではストレスにどう対処するのかという問題の立て方をあんまりしない、という話を聞いた。そんなはずは無いと思う方もいるかもしれないが、実際はどうなんだろう。
 ストレスにどう対処するのかという答えを聞いてみると分かる訳だが、息抜きをするとか、運動するとか、カラオケを歌うとか、酒を飲むとかいう答えになってしまう事を指しているらしい。これはストレスそのものを対処している訳ではなく、ストレスを軽減させたり、発散させる方法である。つまり直接ストレス元に対して対処することはほとんど無いということらしい。ストレスが起こる原因には目を向けず、溜まったストレスの方に目を向けて対処しようとしている訳で、それでは根本的に対処していることにはならないという考えのようだ。
 どういう場面でストレスを感じるのかという問題や、ストレスを持っていることの感覚の違いにも特徴がありそうだ。ストレスは何かの圧力や障害があって、実際にキズが付いたものを指す場合が一般的な解釈だ。傷を付けたものが何なのかということを解決しない限り、ストレスはまた再生産され続けることになる。傷の回復が軽いうちは修復も可能かもしれないが、取り返しがつかない深手を負うと、それなりに厄介なことになる。そういう認識はたぶんあるのだろうけど、棚上げにしてやり過ごす道を選択する。それは日本人の精神性そのものに原因がありそうだ。
 しかしながら、相手の事は自分ではどうにもならない問題である場合も多いような気がしないではない。日本人のストレスの根源はたぶん人間関係を指しており、相手の事を考えるならば、自分の方は差し控える選択をしているだけの事のようにも思う。相手は自分の事を当然考えており、その上で自分がストレスになる事をしているのである。苦情を言ったところで始まらないということもあるかもしれないし、黙っていてもそのことに気づくはずだという期待もあるかもしれない。
 しかしながら、やはりこれはムラ的な社会だから成り立つ考え方ではあるようだ。その中に異物が混ざると、自分のストレスは永遠に解決されそうに無くなる。自分がストレス元に対して強くならざるを得なくなり、つまりやり過ごすうちに自分が力を付けるなり成長してしまうより無い、という考え方になるのではいだろうか。
 ストレスというものは困ったことではあるが、しかし必ずしも本当に悪い事では無いという捉え方もあるのではないか。そのような自分の成長の糧になるようなものだからこそ、付き合う術をやり過ごしながら対処していこうということなのではないか。
 それは本来的にはストレスでは無く重圧であったり、プレッシャーのようなものを指しているということも考えられる。結果的に受けている傷も無いではないが、その前段階を指してひとくくりにストレスと捉えているのだろう。
 もちろん、本当にストレスと向き合って相手に対峙する方法だって無い訳ではないし、実際にそういう行動を取れる人だって居ることだろう。だが、多少の性格はあるだろうが、日本人の場合には、その行動は少し無鉄砲に感じられるのではなかろうか。つまりさらに強い軋轢を生む危険もあり、別のストレスを生みそうな予感もある。そういう選択をしないという考えには、つまり大きなストレスの発生を事前に回避しているということなのではないだろうか。
 こうした選択が賢いものか正しいものかはよく分からない。しかしながら、やはりこういうものから逃げているだけの事ではなさそうな背景がありそうにも思う。そうして、やはり諸外国の人には、これが出来ないだけの事ようにも思える。
 事情が違うにしろ、一般的に日本の犯罪発生率は、諸外国の平均の100分の1程度である。ストレスに上手く対処した結果であるとは言い切れないが、やはりまったく関連が無いとも言えないだろう。大きなストレスを各個人が個別に回避して発生させないように努めているとしたら、驚くべき対処法だとはいえないだろうか。
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