カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

階段の下の睦月

2024-04-16 | 睦月ちゃん

 睦月ちゃんは体つきもしっかりしているし、体力も有り余るくらいだし、実際散歩でも終始リードを引っ張り続けてゼーゼー苦しそうにしながら歩くような獰猛さがある。駆けずり回ってカーペットの位置をずらしたり、モノを噛んで傷つける。いくら叱られても何にも思っていない(たぶん)。何か言われてもものともしないし従わない(そんなつもりがそもそもない)。
 しかしながらどういう訳か、階段を上ることができない。もちろん下りも難しい。これまで飼ってきた歴代のワンちゃんたちで、階段を登れなかった例が無いので、なんとも不思議に思えてしまう。身体能力として出来ない事ではなさそうでありながら、事実として登れないのは確かである。成長するにつれてそんなことも無くなるかもしれないとは考えていたのだが、一年と半年が来ようという現在に至るまで登れないので、ひょっとするとこれからも登れないのかもしれない。登れない理由は本人に聞かなければわかり得ないことかもしれないのだが、真相を勘ぐって考えるならば、単に怖いだけであろう。
 そもそも極端な怖がりで、子供のころは散歩もうまくできなかった。散歩の理由がよく分からなかったらしく、なんとか歩きだしても元に戻ろうとする。それこそ毎日のように少しこしづつチャレンジし続け、その結果やっとのことで、今は様々なコースを自在に歩けるようになった。体力はあるので、一時間歩き続けても平気になったくらいだ。それなりに気温が上がると苦しそうになる場合もあるが、しばらく後ろ足で耳の裏をかいていると復活する。口の周りはよだれで大変なことになりはするけれど……。
 散歩をしていても基本的には階段は難しい。多少の段というか、近所の田んぼのコンクリの段差などは、自分の体高くらいはあるが平気で飛ぶくせに、階段状になっているとだめらしい。公園にある少し幅の広い階段状の段差は斜めに走りクリアするが、これは階段と思っていない可能性がある。
 階段に限らず前にすすめなくなるのは、聞きなれない音を聞いたときとか、路地の風が顔に当たるときとかでもある。アスファルトとコンクリートの境目のコントラストがはっきりしたところも、何となく苦手である。点字ブロックも嫌いで、おそらく色の違いの境目が駄目なようだ。もちろん側溝の網蓋は苦手だが、飛び越えるので問題はない。それなりに広いものでも飛び越えられるようになった。今でも立ち止まってしまうのは、線路の境目と小さな橋などである。怖くて体が固まってしまい、抱えて歩かなければ先に行けないことがほとんどだ。橋などはたまにクリアするので、考えすぎなければいけるようになるのかもしれないが。
 しかしながら我が家の二階には上がれないので、それはそれで管理上はいいことかもしれない。二階にあるものは、荒らされる心配がなくなるからである。噛まれそうなものを高いところにおいておく必要が無い。
 そうして階段から降りようとすると、階段の下から上を見あげて待っている姿を見ることができる。この顔が何とも言えずかわいい。そもそもかわいい顔をしていると思っていたが、階段の下の顔は、一段とかわいい。ずっと登れず見あげていてほしいものである。
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視線の先のこと

2024-04-08 | 睦月ちゃん

 散歩していると車からの視線を感じる。もちろん実は僕に対してではなく、睦月ちゃんを見ている人がいるのである。おばさん率が圧倒的に高いように感じるのだが、しかし男性もいる。基本的に運転中の人はチラ見だろうけれど、信号待ちの場合だとその率はがくんと上がる。横断歩道で信号待ちしているときは、ほぼ見られている。睦月ちゃんはまた信号の意味を本当には理解していないし、道路との小さな段差を気にしてるし、アスファルトの色のコントラストも気にしている。点字ブロックは踏まないように歩いているし、信号機の根元の匂いも気になる。しかし僕は立ち止まっていて、その意味は読み取りにくい。そうして僕は、わずかな視線を気にしているわけだ。
 犬を見ているのは、睦月ちゃんが可愛いからに他ならないが、特に熱心に見ている人は、あるいは犬を飼っている人かもしれない。自分も犬を飼っているので、散歩している犬が気になる。実を言うと僕もそうで、散歩している犬は間違いなく見ている。もちろん運転の範囲であるが、よそ見をしているともいえるかもしれない。睦月ちゃんは少し黒っぽいところがあるので、黒っぽい犬は特に気になる。大きさも睦月ちゃんくらいの小型犬が気になる。つまり何となく比較している、ということなのか。そう多くは無いが、同じようなミニチュア・シュナウザーだと、いわゆるガン見である。おお、同志よ! とまで考えているのか分からないが、飼い主ももちろん見る。僕のような年代の男性だと、なにか親近感も持つかもしれない。よく分からないが、少なくとも好みは似ているところがある訳だ。酒を飲み交わしてもいいかもしれない。もちろん運転中なので声まで掛けないが。
 熱心に見ている人の中には、この黒っぽい塊は何だろうと、素直に疑問に思っているらしい感じの人もいる。確かにちょっと分かりにくいコントラストであることは分かる。そういう犬種である。そうして何やら焦りながら先を急いでリードを引っ張っている。この犬はいったいなんだろう。もう少しよく顔を見せてくれ。まあ、そういったところか。車の中から眺める風景の中で、何やら不思議な物体が歩いている。そうして黒くて得体がしれない。そういうものの興味を引く存在が、睦月ちゃんなのかもしれない。
 若い女性は、小学生の高学年くらいから30歳前半くらいまで、ほぼだいたい「かわいい」とだけ言う。これはほとんど多様性が無い。反射的にそう言うように訓練でもされているように。しかしその後の興味の示し方には、多様性がある。目の追い方に本気度が現れる。自分の気まぐれに見ただけの人から、いわゆるお近づきになりたい人まで、グラデーションがある訳だ。本当に近づく人はほとんどいないが。
 男の場合だとこれは、ほぼ無視が多数を占める。こういう反応は、男には向かない分野なのかもしれない。たまに動きのある人は、なんだか見たことがあるぞ、という感じかもしれない。確かに散歩中に見たことがある人のような気もする。それは本能的な確認欲求のようなものかもしれない。男は「かわいい」とつぶやかないし、そういう習慣が形作られていないのかもしれない。感想はあるはずだが、それは心の中にしまわれている。表に出す訓練は、それなりにむつかしい道のりがあるのではないか。
 まあ、実のところ視線の多くが、実際に好意的なのかどうかはわかり得ない。見られているのは睦月ちゃんだから、僕が意識すべき問題ですらない。しかしながら僕が一人で歩いているときには、決して感じ得ない視線の力がある。芸能人なんかは、いったいこれをどう処理して生きているのだろうか。まあ、分からなくても特にどうでもいい事なのだが。
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子供になった睦月

2023-11-16 | 睦月ちゃん

 いまだに噛みついてくることには変わりないが、睦月ちゃんはいくぶん落ち着いてきてはいる。少なくとも赤ちゃんとか幼児ではなくて、子供になったという感じだろうか(そういえば1歳になりました)。やんちゃでお転婆で悪い事ばかりしているには違いないのだけれど、なんとなく物事を考えるようにはなっていて、いわゆる僕らが何をしているのか、ということにも興味を持つようなところがある。その上で僕らと遊んでやったり、部屋の中を嗅ぎまわったりする、ということかもしれない。際限なくものを壊して散らかしてはいるが、テーブルの脚などを削るように噛むことは少なくなったし、ケージの中に入れられれば、水を飲んで諦めて寝ている。抗っても仕方ないし、また出されるタイミングというものも、なんとなく理解しだしている感じである。帰宅すると、だから激しく出すように促して暴れているし、ちょっと長時間の外出だと、その激しさは度を越していく。そういうところはなんだか切ない訳で、申し訳ないです。
 人間関係のようなものもなんとなく考えるようになっているようで、僕やつれあいや、母に対する態度もそれぞれに違う。散歩に行くと道行く人に対する反応も違う。おじいさんは無視するし、おばさん方には近づいてもいいようなしぐさをする。実際に近寄るとちょっとまだ怖いようで、すぐに離れてしまうけれど、熱心な人には身を預けるようなしぐささえ見せるようになった。単に吠えて威嚇するときも無いでは無いが、実際には噛みつくことは無いし、心持おとなしくもするようである。子供や猫だけは気に入らないようだけれど。
 しかし車の中では外にいる人に向かって吠える。それも結構激しい。これはおそらく自分の車の中という安全圏にあって、外の世界から攻撃を受けないことをわかっていて、そうして相手に対して威嚇してかっこつけている訳である。実際には何の自信も無く臆病だからこそ、いわゆる強がっているということなのだろうと思う。外の世界のことはいまだによく分かっていないし、車の外の人というのは、未知の人々だ。先に威嚇しておいて自分を守るようなところが、あるのかもしれない。それなら黙って静かにしていればもっと安全である道理があるはずだが、外の人に興味もあるし、怖いからこそ吠えてしまうのだろう。口を押えたり目の前を遮ったりすると、必死で暴れる。要するに甘えである。僕らは安全な存在なので、いくら暴れても大丈夫であることを知っている。そうしておそらく守ってもくれる。それなら外部の人々に対して吠えていい、ということになるのかもしれない。もっとも車の外にいる人が、窓を閉めた車の中で吠えている犬のことなんかに、関心を寄せるわけではない。単に車の中の人(つまり僕ら)が、うるさくて仕方ない思いをするだけのことである。こういうことがいつまでも続くものかどうは予断を許さないところであるが、以後それは報告いたします。
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アメリカ的でないアメリカの多様性

2023-09-26 | 睦月ちゃん

 ミニチュア・シュナウザーはブルース・リーが愛犬として飼っていたために、特に有名になったともいわれている。だが、別段それを意識して僕らはシュナウザーを飼っているわけではない。それはあくまで結果であるという事だけのことで、以前飼っていた犬と似ていたから気になったという、きっかけがあったからである。しかし似ていたのはそういう雰囲気上のものであって、実際に飼いだしてしばらくすると、やはりぜんぜん違う犬だということが分かるようになる。それはしかし失望を含んでの違うということでは無くて、違っていて全然全く問題の無いものであった。似ていようと似てなかろうと関係なく睦月ちゃんは可愛い、という事実がそこにあるだけのことである。そうして大好きなブルース・リーも、この犬種を飼っていた。彼はどのような思いで、この犬を見つめていたことだろうか。
 ブルース・リーは米国生まれの香港人だが、やはりアメリカで暮らした月日が長く、そうしてアメリカで成功するために努力した。カンフーを使ってのアクションに自信を持っており、どうしても自分が主役のドラマなり映画なりを成り立たせたかった。その為に甘んじて脇役を演じ、チャンスを待った。脇役としての一定の人気を得ながら、しかしアメリカ社会では東洋人を主役に据えるのは、常識的に許されるものではなかった。ブルース・リーは、アクション指導などの裏方にも徹し、映画関係者との交友の維持を図った。そうする中で、自分で脚本を持ち込んだりして、なんとか主役の座を得ようとした。しかし脚本を使われることがあっても、主役に抜擢されることは無かった。既にアメリカ人の妻をめとっており、自分はアメリカ人だという自負もあったことだろうが、東洋人としての風貌である限り、アメリカの映画界では、その常識を破ることができなかったのである。
 結局香港に戻り、香港で映画を作る機会を得て、凱旋しての活躍ということになり、一気に人気が沸騰した。香港ではもちろん記録的な人気を博したが、その人気は海外にも飛び火した。カンフーブームを巻き起こすとともに、アメリカ資本にも注目されることになった。そうして初めて、ハリウッド資本の映画を作るに至る。その作品は世界的な大ヒット作となり、ブルース・リーは東洋人としては初めて主役作品を演じた人物でありながら、世界的な大スターとして認められるに至った。しかし残念ながら、その大ヒット公開を前に突然亡くなってしまっていたのだった。
 ミニチュア・シュナウザーは、本国のドイツよりもアメリカで人気が高く、アメリカで改良がすすめられた犬種である。名前はドイツ語でありながら、アメリカのスターであるようなものである。ちっともアメリカ的では無いが、多様性においてはアメリカ的である。やはりブルース・リーの逸話と共にアメリカ人になじんだ犬として、世界的に親しまれるようになった犬だと言えるのかもしれない。まあ、ちょっと風変わりなところもあるが、そういうところも含めて、非常に愛くるしい存在なのであった。
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眼鏡まで噛まれる

2023-05-19 | 睦月ちゃん

 睦月ちゃんは、ほぼ何にでも噛みつくわけだが、そのために、うっかりものをその辺に置くことができなくなった。新聞雑誌はもちろん、郵便物なども危ない。家にいる時には、座椅子の前に小テーブルを置いていて、その上にノートパソコンを置いている。パソコン本体は不思議と噛まないようなのだが、これに電源コードが付いている。当然咬まれて銅線が露出するようになり、これはもう買い替えた。マウスは無線なのだが、落とせばおもちゃになる。ここでは、以前は雑誌や郵便物は無造作に置いていて、要するに見ながら何かができた。それらは無くなりシンプルな机の上となっている。
 様々なものは、いったん食事をするテーブルの上に置かれることになる。着替える時に、小銭車のカギ万歩計メモ帳マスクボールペンなどをいったんテーブルの上に出す。そうしてシャツやズボンを着替える。着替えているときにも攻撃を受けているが、ベルトや腕時計をしばらく噛んでいることもあるが、なんとかやり過ごせる。
 棚の上には、日ごろ呑む薬や血圧計などがある。他にもいろいろあるが僕が動かすこれらのものを、使用後しっかり戻さないことには大変なことになりそうだ。そういうところの間に新聞雑誌などが挟まれておかれるようになり、段々と窮屈になっている。メモやノートも置かれるし、寝る前には腕時計などもここに置く。
 目が覚めてしばらく手探りしてて「あ」っと思ったのは、メガネが見当たらないのである。寝る前に無造作に、パソコンを置いているテーブルの上に置いてしまったのである。布団の周りを探すと見つかったのだが、掛けてみると、ぼんやりした陰が左目の下の方に見受けられる。外して観察すると、噛んで瑕つけられた跡が複数あり、陰の部分の噛み跡が特に大きいようだ。視界は不良だが、まったく見えなくなったわけではない。いったんはそれで通勤して様子を見たが、なにぶんずっと靄のようなものがあり、ある程度慣れもするとはいえ、見づらい。結局めがねは新調することにした。思わぬ出費である。
 眼鏡を変えて明るい世界を取り戻したのだが、遠くがよく見えるようになって余計に気になることができてしまった。それは他でもなく老眼が進んでいることで、本を読んだりするときに活字がぼやけてしまう。僕は基本的には近視なので、ボケている文字はめがねを外してみると見える。しかしながら生活上、いつも忙しくかけたり外したりするのが面倒なのである。時折なら何とかなるが、夕方になると目が疲れてくるのか、やっと一段落して本を手に取ると、ずっとぼやけて見えるようになった。噛まれて買い替えたのだから、もう少しそこらあたりまで考えて買い替えるべきだったのだかもしれない。
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睦月ちゃんの体重が増えていく

2023-04-17 | 睦月ちゃん

 睦月ちゃんがぐんぐん成長している。ミニチュア・シュナウザーの体重は4~8キロとされていて、実に大雑把なのだが、4か月以上ですでに6キロはあるようで、まだ増えるのだろうか。もう大きくならなくていいと思うが、僕が思ったところで仕方がない(実は今量ったら6.4キロでした)。
 前に飼っていた杏月ちゃんとどうしても比較してしまうところがあるのだが、杏月ちゃんはだいたい5キロ以下だったこともあって、特にものすごく大きく感じるのかもしれない。胴回りがずんぐりしていて逞しい。別段肥満でそうなっているということではなく、成長段階でそういう体型であるということだろう。半年は成長するものと考えられるので、おそらくまだ大きくなるのかもしれないのである。
 いまだに無駄噛みが多いし、じゃれ合いも激しい。要するにつまるところまだ赤ちゃんのようなものだし、いや、少なくとも幼児なのだろうと思われるのだが、ともかくでかくなった。駆けずり回ってうるさいし、しかし疲れてコトンと寝ている。寝る子は育つというので、また大きくなるのは困る。起こすべきなのだろうか?
 噛みつきながら体当たりしてくる力強さがあって、ウェイトの分だけ衝撃度も強くなる。日々これが強くなっているような感じもあって、引っ張り方も激しい。都合の悪いものを噛んで、逃げる。これがまた捕まえられないくらいすばしっこい。運動神経はいいのである。自分からはしつこくかみついてじゃれついてくるくせに、捕まえようとすると捕まえられない。そういう時は呼んでもキョトンとしたりして来ない。困ったものである。
 抱っこしている間も何かに嚙みつこうとするし、そうするとバランスも崩れて、さらに重たい。落とすわけにもいかないのでこちらは頑張るわけなのだが、何しろそういうこちらの事情を勘案しないで暴れる。いったい何を考えているのか。
 それだけやんちゃなのに、いまだに外が怖くて、ろくに散歩ができない。散歩できないストレス(運動量が多いので)で、暴れているわけでは無いのかもしれない。車に乗っている間がおとなしいらしく(つれあいがドライブに連れていくらしい)、その時は可愛いのだそうだ。おとなしいと可愛いのだからおとなしくして欲しい。しかしその願いは、外出で怖がっているとき限定なのだろう。
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噛まれて喜んでいる日々

2023-04-02 | 睦月ちゃん

 犬を飼っていて生活のうるおいを感じるのは、なんと言っても帰宅時である。僕の帰りを最大限に喜んでくれる存在がある。ちょっと大げさすぎる歓迎なのだが、正直に言って本当に嬉しくなる。家に帰って唐突に嬉しくなれるなんて、どれほど素晴らしいことだろうか。犬を飼っている家庭の多くは、その幸福な日々に浸っているのである。
 ただし睦月ちゃんの困ったところは、この瞬間から始まっている。噛み癖が激しいのである。歓迎されて喜びながら、痛みに耐えている。本当にマゾである。幼いので歯が尖っているというのもあるが、まだ加減を十分に覚えていない。特に帰宅時は興奮しているので、動きも激しいが噛み方も激しい。「痛い!」というが、まるで無視している。しばらく噛んでも、まだ飽き足らなくかみついてくる。いちおう制止しようとするが、それも遊びの一つと思っているのか、さらに激しくなったりもする。指はもちろん手の甲は傷だらけである。手を洗う分にはそこまで痛みは感じないが、いまだに店などにはアルコール消毒が置いてあって、うっかりこれを使うと滲みて痛い。ポスト・コロナということで、これからは遠慮したい。
 いつも着ているパーカーも袖の部分などの糸がほつれてきている。長袖のシャツもそうである。こちらもかみつかれて引っ張られるのを楽しんでいるときもあるが、やはりしつこすぎるのには閉口する。世の中には程度というものがある。本人は何が楽しいのかよく分からないが、いつまでもかみついて引っ張りまわして唸っている。犬は一般的に子沢山だから、普通なら子供時代はきょうだいたちとこのようにじゃれ合う時期があるのかもしれない。それにしても生身の体で嚙みつき合うと、それなりに痛いのは間違いなかろう。そうやって喧嘩のようなことになり、噛み具合を調整していくのではなかろうか。相手が人間だと、そういう加減をいつまでも覚えないのではないか。そういう心配をついしてしまうのだが、さて僕が唸って抵抗したところで、そういう加減を覚える様子はない。
 ものの本には、噛まれて不快なことを示すために、いったん部屋から出てワンちゃんに噛んだらそのように楽しくない状態になることを分からせる、という方法が紹介してある。実際にこれは試してみたが、何の効果も無かった。効果のある犬がいるのかもしれないが、睦月ちゃんは対象外であるようだ。
 基本的に叩くことはしたくないしできもしないが、そうするとどうなるのか、とも考える。動物を叱る場合はそういうことをする人もいるだろう。しかし犬の場合は、その後の成長段階で性格的な問題が出る場合も心配される。他の人を噛むような犬は、そういうケースも多いと聞く。自分の犬にそういう実験的なことはとてもできない。
 噛みついているワンちゃんの口の奥まで手を突っ込んで、押さえつけるようにすると、それなりに苦しい状況になり、懲りてひどく噛まなくなる、という話もある。もちろん何度か試したが(一発で治るという話もあるが)、これもほとんど効果が無い。いったんどうしたの? って顔をされる場合もあるが、再度攻撃が再開される。もっと興奮したりもしている。
 これもある方の聞いたが、ワンちゃんの前足を口に突っ込んで口を閉じさせると、その痛みにキャンと哭く。それで治まるという。これはつれあいにはかなり効果があったらしく、それなりに甘噛みするようになったらしいのだが、僕の場合は前足を掴んだ時点でそうされることを察知し、さらに唸り声が激しくなり、痛みにキャンと哭くけれど、やはり激しさはそう変わりないように感じられる。少し効果のある場合もあったが、時間が経過すると忘れてしまうのではないか。まあいいかと遊ばれているうちに、また傷が増えていく。
 睦月ちゃんが来て二か月が経過し(※現在は二カ月半)、だいぶ体が大きくなった。マズルも長くなり、黒の中の白い毛もはっきりと浮き上がってくるようになった。一度毛は切ったが、また伸びておじさん顔になっている。体重は倍以上になって(※現在は約三倍)、体当たりしてくる衝撃も強くなった。抱っこするとずっしりとした重量感がある。しかし暴れ方はそのまま激しいので、まだ子供なのだろう。早く大人になる必要は無いのだが、噛み癖は困ったままなのである。
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睦月ちゃんがやって来た

2023-03-26 | 睦月ちゃん

 なんとなく雰囲気でお気づきの方もいらっしゃるのではないかと思われるが、また犬を飼うことになった。
 一年半にわたりペットロスの状態が続いていて、とてもまた新たに犬を飼うなんてことはできないという精神状態にあったのだが、出会いというのがあって、トントンとお話が進み、ワンちゃんがうちに来ることになった。最初は亡くなった杏月ちゃんに面影が似ているという理由だったのだが、やはり実際は違う訳で、どんどん違うことが増えていったのだけれど、今はそれがかえっていいというか、まあ当たり前なので、それ自体がいいという感じなっている。
 そういうことはおいおい伝えていこうと思うが、そのまったく違った新生ワンちゃんの名前は、睦月ちゃんということにした。つまりもう一月から一緒に暮らしているのである。
 名前はつれあいがつけた。略して呼ぶと最初は気に入らない様子だったが、やっぱり「むっちゃん」とか「むっきー」とか言ってしまう。来たばかりのころは、前の杏月ちゃんの名前である「あづ」ってつい言ってしまっていたが、いつの間にかめったに言い間違えなくなった。そうしてそれはそれで寂しくも感じられなくなってきた。睦月ちゃんは、間違いなくもう家族になっていて、かけがえのない新たな存在になった。家に帰るのも楽しみになっているし、いまだに心配なこともある。そのような新生活というものを、また紹介していきたいと思う。
 先に、まだまだ心配なことから。犬種はミニチュア・シュナウザーなのだが、骨格が結構たくましく、家に来た時からすると体重は既に二倍以上の5キロ近くになった。もうこれ以上大きくならなくてもいいのにな、と思うが、成長するものは仕方がない。しかし大きくならないことを密かに祈っているのである。まあ、大きくなっても受け入れるのだろうけれど……。
 それと未だにトイレの失敗が続いている。つれあいが甲斐甲斐しく処理するが、成功と失敗で毎日ワイワイ言っている。これって本当に覚えるようになるのだろうか。なるかもしれないし、ならなければ何か対策を抜本的に考える必要があるかもしれない。でもまあ、困るけど楽しいです。
 噛み癖が激しいのも困っている。これは別項目で書こうと思います。今はもう、手が傷だらけになってしまった。街中でいまだにアルコール消毒があるのでだが、痛いので嫌になっている。
 だんだんと感触は良くなっているものの、いまだに散歩はできないでいる。睦月ちゃんは、外が怖いらしい。最初はブルブル震えるだけで一歩も歩けなかった。土のところだと草などをクンクンしておしっこをしたりすることもあったが、コンクリもアスファルトも苦手のようだった。今は家の周りなら少し歩くが、すぐに立ち止まり、無理に引っ張ることもできない。継ぎ目が嫌なのか、ヒビが怖いのか。それとも車の音などが嫌なのか、鳥の声もだろうか。分からないが、立ち止まるとしばらく動けなくなり、その後動くことも無いでは無いが、基本的には座り込む。風が吹くと顔を向けるが、歩くのはダメである。
 そういったことを繰り返していて、心配の方が大きいが、期待もしている。早く一緒にお散歩して(そういえば、杏月ちゃんとの日々は、主に散歩に記していたかもしれない)みたいのである。一緒にお散歩する楽しみを共有できるなんて、まるで夢のような感じだ。これからは、その経緯について書いていけたら素晴らしい。今は、そう考えております。
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