カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

実にコロンボ的な名作   二枚のドガの絵・刑事コロンボ

2013-08-09 | コロンボ

二枚のドガの絵・刑事コロンボ/ハイ・アヴァーバック監督

 これはラストシーンをやはり覚えていた。実に鮮やか。そしてあっぱれ。これだけのために物語があるようなお話だ。
 トリックはいくつかあって、共犯者もいる。単独よりいろんな手を使えるという利点はあるが、しかし後々邪魔になる。この犯人もそう考えて、あらたに殺人を重ねてしまう。自分が捕まりたくないという思いは、殺人の動機として非情にまっとうになるということらしい。日本だとしかし一人と二人では罪の重さが違う。そういうことを考える人だと殺人を思いとどまるだろうか?少なくともお話は面白くなくなってしまうが…。
 結局コロンボを手玉に取るために新たな策を練り直し、最終的にコロンボの罠にはまっていくということだ。狙われている人間はジタバタしてはならない。そのままならコロンボだってもう少し苦労するかもしれないのだ。そういう意味では愚かな人間だが、そうでなければカタルシスも無い訳で、やはり上手い仕掛けだろう。
 トリックとしては良い話だったのだが、一つだけ実は倫理的には引っかかるものがある。美術館などに行くと、作品に手を触れるのはご法度だ。それは本当に当たり前だと思う。作品を傷つけるとまではいかなくても、手を触れてみてはならない。しかしガラスの向こうにあるよりさえぎるものが無い中で絵を見られる環境はしあわせだ。お互いの信用があって初めて成り立つ関係である。そういう心得こそ大人としての嗜みというか、絵画鑑賞が子供に許されない理由であるとか、そんな感じもする。さらに鑑識にかける時の指紋検査。テレビで見る限りは何か粉のようなものを振りかけて指紋の形を見るのではなかったか。そんなことを絵画にして良いのかがよく分からない。
 つまらない事にこだわりなさんな。そういう声は聞こえてきそうだ。しかしそういうことにこだわるのがコロンボ中毒者にはあるはずである。それは最初からあった習慣だろうか。今はそのことを疑うべきではないだろうか。
コメント
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