カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

洞窟ゲーム

2010-05-31 | 読書
洞窟ゲーム/まどの一哉著(清林工藝舎)

 なんか凄いものを読んでしまったという読後感。ちいっとも理解できないのだが、面白くないわけでなく、つまり面白く読んでしまったので更に性質が悪いと思う。感想を書こうとしても上手くいく訳が無い。
 実はそういう感想を漏らしていた竹熊さんのブログを読んで迷わず購入。あんたも好きね、というモノ好き根性で臨んだ訳で、あえなく撃沈したという訳である。
 わけわからんというと難解な哲学じみたものを想像する人もいるかもしれない。ひょっとすると哲学だったかもしれないが、そういう訳でもない。ナンセンスということではあるが、はたして作者はナンセンスを狙っているようにも感じられない。筋は一応整っているように見える。しかしその狂い方が、実は単なるシャレの連想に思えなくもないし、深い狂気に思えなくもない。まあ、手に取るしかないと思うが、そういう勧め方をされて手に取る人が増えるとも思えない。人を選ぶかもしれないし、あんがい万人向けかもしれないとも思う。たぶん普通に読んでもちゃんと面白いからだ。絵もしっかり上手だし、僕は知らなかったけど、まったく無名の漫画家さんでは無いようだ。確かにドラマの原作になったりキャラクターが売れたりするような事は考えづらいが、ひょっとすると海外芸術賞のようなものも取りかねないし、そのような水準で注目されているのかもしれないように感じられる。少なくともそのような尋常の無さを持っているから、読んで楽しいという気分になるのかもしれない。その上ひとに勧めてみたくなるのだ。ぜひ読んでもらって、お互いに頭を抱えて楽しみたくなるのである。
 興味本位にすぎなかった僕は、ある意味でいっぺんにもっていかれた。普段漫画を読まない僕がそうなのだから、漫画好きな人ならもっと理解できるのではないか。目に触れる人がそれなりの数になると、必ずコアなファンのつく作家だと思う。もっと貪欲に違う作品を読んでみたい。その為にもこの本が話題になって、売れてくれることを願うばかりである。
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常に指向性は読み取られている

2010-05-31 | HORROR
ネット全履歴もとに広告

 既にそのようなものを感じていたので、なんとなくいまさら感が無いではない。閲覧する指向性に合わせて広告が打たれている気配はあった訳で、流れを止められないということでもあるのではないか。アマゾンなんかのサイトでは、以前に買ったことのある傾向を読み取り、平気で関連書籍などを紹介してくるし、メールも送られてくる。ありがたいようで、迷惑も感じる。しかし、ついクリックしてしまったこともあったようだ。
 スピルバーグの映画でトム・クルーズの出ていた「マイノリティ・リポート」という作品では、移動中も個人に向けて様々な広告が溢れている未来の作品だった。ネットと実生活が混在する未来の姿は、騒々しい広告の嵐にさらされているという、皮肉でもありリアルのあるものであった。
 エロ・サイトの広告などが煩わしいという話をしていたら、それはあなたのパソコンがあなたを男だと認識している結果だと指摘されたことがあった。名誉のために正直に言うと、普段からエロ・サイトばかり閲覧闊歩しているという覚えは無い。その、まったく無いとは言い切れないところが、チト苦しくはあるが、そればっかりでは断じて違う。いわゆるエロ・サイトのお得意さんなどでは無いと思う。しかしながら、そういうことなのではなくて、一度でもそのようなところに足を踏み入れた経験さえあれば履歴として残り、男のユーザーという認識をしてしまえば、そういう傾向の広告を打つシステムになっているらしいということだったのだ。事実女の人しか触らないパソコンには、めったなことではエロ・サイトの広告はないらしい。代わりに美容ダイエット関係などの広告が行くものであるらしい。なるほど。自宅のパソコンは子供も扱うので、僕がまったく立ち寄らないゲーム関係の広告もよく見るようだ。職場のパソコンではそのような傾向はまったく無いので、自宅のものは子供も使うパソコンであると認識している証拠である。
 今やパソコンや携帯電話はパーソナルであることが当然ではある。その帰結としてその個人でないと使えなくなるという事情も生まれてきたのではあるまいか。誰かと兼用するには恥ずかしすぎるものになってしまったのではないか。パソコンだから個人の趣向性を発揮できるということはあるにせよ、本当にセキュリティが必要なのはそういう恥ずかしい背景がもっとも大切なことになりつつあるのではないだろうか。
 米国などは会社の情報が流出することを防ぐために、解雇通知を受けた瞬間に会社のパソコン(今までその人が使用していたパソコン)に触れることすら禁止されているのだという。日本は解雇規制が厳しく事実上できないので、会社のパソコンは米国より恥ずかしい個人情報が詰まっている可能性が高いのではないか。日本の規制緩和が進まない理由は、やはり日本の個人があいまいだという背景がありそうな感じがしないではない。それがいいことなのか悪いことなのかはよく分からないが、身の回りの整理は日頃から心がけておく必要がありそうではある。
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還暦の女性、双子を出産

2010-05-29 | 時事
還暦の女性、双子を出産
 国が大きいといろんなことが起こるらしい。さらにインドに記録があるというが、そっちはなんだか怪しいにおいがしないではない。孫がかわいいという話もあるが、自分の子ならさらにかわいいかもしれない。しかし、子供が二十歳になるころには自分は80になっているのだから、それはやはりよく考えないでも無謀な気がしないではない。お元気でお暮らしください。
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高齢社会の到来

2010-05-29 | 時事
77歳が84歳から引ったくり
 こういう事件にも高齢化の波が…。
 というか、この77歳が引ったくりの常習のようではある。年をとっても改悛しない人間はしないということだろう。
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今が分かれ道

2010-05-28 | 雑記
日本は変われない

 残念だがまったくそのとおりだと思う。危機感を持っていないとは言わないが、分かっていない人が多すぎると思う。じゃあどうするの? と他人に聞くことしかできないような日本人が多すぎる。どうするかは自分で考えなければ意味がないのに…。
 日本は変われないわけでは無い。一度変わってしまえば変わり身の早いのは歴史が証明している。しかしながら多くの場合、外圧のような他人任せの圧力で変わってきたことも事実だ。あんまり自虐的になりすぎるのも問題かもしれないが、いつまでも自分がないまま生きている人が多すぎるのだと思う。
 もちろん僕自身も心当たりがあるし、普段はそのようにはふるまっている。日本人の輪の中にいる限りはとりあえずそうしてしまうように慣らされてしまっている。その中には日本の美徳というものもあって、必ずしも悪いものだけではないことも理解はしている。しかし、いいことだからと言って胸を張ってみたところで、泥船は沈んでしまうだけのことなのだ。
 ここまで言われてその通りだと言っている場合では無い。気づいた人から変わればいいのだと思う。ここであきらめる人と力に変える人との分かれ道ができている。残念だが、皆が同じ道を歩いていける時代は終わったのであろう。
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普通の判断能力さえ無いのではないか

2010-05-27 | net & 社会
ネット選挙を解禁しても、ツイッターは許さなかった日本政治の限界
 
 怒りを通り越してあきれて徒労を覚える。この人たちっていったい…。
 ネット解禁という意味も、おそらく本当には理解していないだろうという馬脚まであらわしている。ひたすら痛いが、鈍感なのでなにも感じもしないだろう。
 多くの人たちは政治を理解したいし関係を持ちたいという気持ちは持っていると思う。これまでのように一部の人たちのために物事が決められ、自分たちの生活を勝手に決められたくないという思いも持っていることだろう。すでに諦めているという多数の掘り起こしもふくめて。
 政治家の能力というのはある意味で特殊なのかもしれないが、特殊過ぎて人間離れしてしまっているようだ。彼らの目的が政治離れを助長するものだというのなら別だが、そうではなかろうというところに、ひたすら悲しい距離感を感じるのであった。
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バラマキはまともだという答え

2010-05-27 | 時事
 昨夜いろいろと話をした中で、以前から考える自分の考え方の大衆性のなさを確認するということはできた。それは理屈というか感覚というか。
 子供手当などのバラマキ政策は、将来的な税金の先食いなので貯蓄に回るという可能性が高いというのは、いわば常識的な認識だと思っていた。だから政策的には期待している人などほとんど居なかったろう。要するに子供手当目当てに民主党を選んだ人などおそらく少数で、財政の健全化や税金の適性な使い道に希望を託して政権交代が実現したというのが、多くの人の認識ではなかろうか。やるにしても埋蔵金や弁当の間仕切りを変えて財源を充てるということなんだから、それができなければ実行する必要もない。だから先に子供手当などのマニフェストから実行するのは筋違いなのであって、結果的に現在の状況は民主党の裏切りであるというのが素直な読み方だろうということになる。
 しかしながら実際に投票する人は、子供手当に現在喜んでいる人ではないかという意見があった。つまり選挙においてはバラマキ政策は残念ながら効果があるはずだという。僕自身もバラマキがまったく選挙のインセンティブにならないとは思わないけれど、そういう認識はそれなりにショックだ。結局は誰かが負担することは間違いがないので、それが選挙民だというのは常識ではないのか。そこまでは投票時には考えないということなのだろうか。
 家計の支出増を期待するなら減税こそ効果があるというのも、僕は常識だと思っていた。もちろん社会保障が行きとどかないという不安があって貯蓄に回るという考え方も無いではないが、日本が社会保障が不足しすぎている国とは考えにくい。社会主義に近い北欧と比較するには国の規模が違いすぎる。つまり左すぎる思想の人以外そのような認識の人など居ないだろう。ところがやはり減税をしても、貯蓄に回るだけではないか、という疑問の声も出た。いや、そういう人もいないとは言えないが、減税をすれば手取りが増えることだけでなく、小さい政府にならざるを得ないということで、緊縮財政を余儀なくされる。政府はさらに財政を圧迫するような手を打てなくなる。その上に企業活動は自由度が増し、投資による将来的な期待も高まるだろう。そうであれば先々の不安はむしろ払拭され、現在支出可能な選択は増えるだろうと思われる。もちろんその前に現在の日本の財政は信用できないという側面が大きすぎて困る面はあるが、バラマキ政策をするよりはるかに支出に対するインセンティブは高いと考えるのは常識的なことなのではないのか。バラマキも減税も同程度に貯蓄に回るという感覚は、僕にはよく分からなかった。が、確かにそう考える人が多いという指摘はやはりよく考えると分からないではない。
 世論調査を見る限り、現在の国民は将来的な不安に対して増税もやむなしという賢い認識を持っていることは知られている。しかしそれでも政治はその国民の民意を信用せず増税しないままバラマキを拡大している。むしろその規模は加速拡大してしまってさえいるのが現状なのだ。それでも破綻しないのは、やはり将来的には増税の選択をいづれすることにならざるを得ないことと、想像以上に日本の資産も大きいということが担保になっているからであると考えられる。政治が無茶を続けてもこれまでも耐えられたし、現在も持ちこたえている。とるべき政策は限られているはずであるのに、その限られた選択をする政治家はいない。
 そのような考え方は僕が知る限り多数ではないようだ。僕の考える政策はそういう訳で多数派ではない。つまり魅力は無いのであろう。そういうことが分かって僕としてもよかったと思う。もちろん多数派であったためしはないのだからそれでぜんぜんいいことだ。僕のとるべき選択はますます明確になったということが明らかになったということなのであった。
 
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ポジティブシンキングとでも

2010-05-26 | culture
行動力があることを上官にアピールしようと、強盗を計画

 自己主張が大切な国というのは、このような理屈もありということなんだろうか。そういう理由ならもっと重い罪にすべきなんじゃなかろうか。
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仕分け対象施設ってどんなだろう

2010-05-25 | 時事
仕分け対象「ふらり見学」

 僕がテレビを見ている範囲内では、事業仕分け対象の事業なり施設なりがどのようなところでどんなことをしているのかという映像を見たことはない。もちろんネットでもこの程度しか知らない。このレポートでも分かる通り、実際に見ていると意外に面白い施設が多いのではないかとは思った。映像が入ると客人をもてなす視点になるだろうからそんなに悪い面が簡単に見抜けるとは思えないけど、少なくともどんな感じなのかというのは、もう少し多くの人が見ておくべきなのではないかとは思う。必要不必要というのは、文化的なものほど仕分けられやすいという気がないでもない。国家機密的なものがどれくらいあるのかは分からないが、それ以外のものならむしろ積極的に公開して議論した方がいいんじゃなかろうか。
 実は僕の事業所が当てにしてた補助金事業も仕分け対象になっているようで、少しばかりは気になっている。こちらは必要だから申請しているわけで、その受け皿が不必要な存在ならどうなるのだろう。まあ、そういうものがあるからこちらも申請する訳で、無くなれば勝手にやってくれというだけの話なのかもしれない。

 こうなれば面倒だから一律全部何パーセントか削ってしまってから、本当に必要だというところが必死に分捕り合戦やった方がいいんじゃないかとは個人的に思います。とりあえず全部が手をあげるんだろうけど、その必死度で対象はかなり絞られるんじゃなかろうか。まあ、ある意味そういう乱暴な話は最初から取り上げられないのかもしれないですがね。
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龍馬は本当に存在したのか

2010-05-24 | 雑記
 講談社の「本」をパラパラと読んでいると、中に伊井直行という人が自著(「宮崎彌太郎」(講談社現代新書))の紹介を兼ねて、時代考証という視点で「龍馬伝」のことにふれている。子供も楽しみに観ているし、僕自身も面白く観ているは事実なのだが、やはり少し考えさせられた。
 「龍馬伝」の設定はかなり思い切ったものであるというのは、僕の少ない知識の中でもなんとなく知ってはいた。伊井氏が指摘しているとおり、時代の空気がまずかなり今までの多くのドラマなどの視点と比べてユニークだ。代表的なのは、善悪をはっきり描きすぎているというのがある。特に攘夷派の描かれ方が随分暗くて悪人っぽいトーンで貫かれている。武市半平太などは、今までずいぶん若者のヒーローとして認識していた物語が多かったので、正直かなり僕には違和感があった。ドラマというのは基本的にフィクションであるとはいえ、このような大河ドラマのようなもので、思い切って背景を変えてしまうのはどうなのだろう。
 もっともはっきりフィクションなのは、どうも物語の柱になっている関係である龍馬と彌太郎のものだろう。彼らは龍馬の死の前の数か月しか交流が無かったというのが実情らしい。また山内容堂や吉田東洋は、その時代にそれぞれ20代30代である。ドラマではどちらも白髪の老人だ。あの時代には20代30代がそうであるという意味ではあるまい。
 ドラマを面白くする演出であるというのは分からないではない。現代人が当時の人の心情を理解するのは、確かにほぼ不可能だ。今の人たちが人間が生まれつき違う位で生活していた常識社会を上から目線でしか捉えられないということなのかもしれない。今の時代には確かに非常識になってしまったことではあるが、当時では今の感覚の方が非常識だったはずなのだ。そういう中で当時の人間たちがさまざまな軋轢の中で維新の時代を築くというドラマが、実際に起こった歴史なのである。忠実に再現しても、現代人が面白く感じないのであれば、ドラマにさえならないという考えがあるのかもしれない。
 以前にPTAの大会が鹿児島で行われた際に、同じくNHKの大河ドラマである「篤姫」の脚本家の田渕久美子さんのインタビュー形式の講演を見たことがある。僕にとってはこの時の田渕氏の話がかなり衝撃的だったのを覚えている。脚本家という精神性は大河ドラマという世界を描いているということ以前に根本的に考え方が違うということを知ったからである。また、そうでなければ脚本というものは書けないのかもしれない。
 まず田渕氏は、原作の存在をまったく否定してしまう。原作を着色して物語を構築したのではなく、自分がオリジナルとして書いたというのが実情だと言うのだ。意味あいとして原作とは別物だということなのかもしれないが、最初は面白いことをいうな、とは思った。そしてその時代を調べていくうちに、篤姫と薩摩藩家老の小松帯刀が同じ年だということを知る。そこでインスピレーションが働いて一気に「これでいける」という物語を書くことができたという話だった。つまり実際にどうであったという時代考証などは関係が無く、物語を書くのが脚本家の仕事だということなのだろう。なるほどテレビというのはそういう世界かもしれないが、僕はこの話を聞いて、やっぱりそれでは決定的にダメだと観念した。つまりそれは、ウケるためには嘘をついていいということであって、ウケた作品(を書くことができる脚本家こそ、最も大切なことという意味だろう)こそがいい作品だったと言っているからである。もちろんそれで生活しているのだから職業を否定することはできないが、そのようにして創られるしかない時代物のドラマというのは、宿命的にその時代を現すことは不可能になるということなのだろうと思った。
 そういうことなので、大河ドラマが史実と違うというのは、実は当たり前のことなのだろう。もちろん本当の過去などというのは、その時代を描いた視点でしか存在しえないのだから、どうしてもフィクションにならざるを得ないということは言えるのかもしれない。それでいいとはぜんぜん思えないが、事実に基づいている話は、その時点で事実ではないということくらいは、観る者はあらかじめ心掛けた方がいいのではないか。
 龍馬という人物は、確かに魅力的な若者だが、それは現代人が欲している姿にすぎないのかもしれない。過去の人物だから勝手にしていいと僕は思えないが、彼が本当の姿として現代によみがえる事は、事実上無くなっているのであろう。しかし、龍馬がどのような人であったかということを現代人が決定権を持って描くことは、たとえそれが好ましい人物だからといって、本当に許されることなのであろうか。
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桜前線終わってなかった

2010-05-23 | 時事
桜前線、稚内に到達

 まだやってたの、というか、そうなんだ。
 こんなニュースに触れると日本って広い国なんだなあ、と思います。ひょっとすると時差だって必要なのかもしれないですね。
 いろいろ面倒だから画一的にしていることって多いんじゃないだろうか。しかし、考えようによってはそういうことって案外乱暴なのかもしれんですよ。人間の都合なんて、所詮自然に合わせるよりないんじゃないだろうか。
 ところでやっぱり稚内の人たちは今頃花見の宴をやっているんでしょうかね。それだけは参加したいものであります。
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40男のバージンロード

2010-05-22 | 映画
40男のバージンロード/ジョン・ハンバーグ監督

 元題はI love you.manだからずいぶんニュアンスが違うと思う。「愛してるぜ、この野郎」ってな感じかもしれないが、日本語だとやっぱり難しいか。
 向こうの風習に結婚式にベスト・フレンドに付き添ってもらうというのがあるようだ。日本にはないよな、確か。まあ、友人代表の挨拶をしてもらうというのはあるが、あちらの場合それ以上に親友の役割がちょっと複雑で多いのかもしれない。そして、それはどうも名誉なことみたいだ。
 主人公は少し変わっているようで、親友と呼べる友人がいないために結婚式までにそのような友人を作ろうとしている。女性から見ると魅力的な男性だが、ちょっとひ弱な男のようだ。ギャンブルもやらないしパブでの馬鹿騒ぎする(これも日本の風習ではないから分かりにくいが)こともしない人物ということらしい。かと言ってオタクではないので、単におとなしい優男ということなんじゃなかろうか。
 いろいろ試行錯誤はあるわけだが、仕事中に偶然出会うかなり変わった独身を謳歌する人物に惹かれていって、男版のマリッジブルーに陥ってしまうという物語である。コメディなのでハチャメチャなんだが、まあ、今言うようにそれなりに特殊な話のようで、あんがい共感のある話なのではないかとも思われる。
 有名な俳優さんが出ているわけでもないから話題にもならなかったが(何しろご多分にもれず劇場未公開だ)、なかなか楽しめた。はっきり言って当たりの映画といえる。ちょっと下品なところはあるが、男的な本音もあるし、女の人が観てもそれなりに勉強になるのではないか。少なくとも僕は、またバンドでもやってみたいなあ、という気分になってハッピーだった。
 まあ、僕はこのような付き合いの友人を欲しいという感覚はないけど、居たら居たで、それはそれなりに楽しいだろうとは思う。子供みたいな付き合いを大人になってもやっているという感じはあって、相手の影響で主人公もそれなりに成長する。お互いに補完する間柄でもあるようで、確かに伴侶が埋めることができない領域ということもあるのかもしれない。
 考えてみると異性というのは伴侶以外で親しすぎると問題がある訳で、親しい友は同姓でなければ都合が悪い(同性愛は複雑になるので割愛する)。映画の中でもいろいろと問題提起はあって、たとえばゴルフにダブル・デートで行くのだけど、エスコートに問題があるということはあるにせよ、大失敗に終わってしまう。ゲームとしては体力差もあるし、本当には競って楽しめないということらしい。自然に男は男同志、女は女同志の方が面白い事はたくさんある。いくら親しい伴侶であっても、不可触の領域はある訳だ。そういう領域をお互いに了解し合える仲だからこそ、夫婦としてふさわしく暮らせるということでもあるようで、なかなか示唆的な映画であるともいえるのではなかったか。
 日本の場合そういう付き合いも妙にまじめな建前が必要な気がするのも何となく気にはなるところだ。いちいちなんとかの会というような組織をつくって集まったりすることが多いのじゃないか。友人とばっかり遊んでいるというのも問題だけど、そういう使い分けが上手くできないと夫婦生活は結局は上手くいかないし、ハッピーにもならないということなのだろう。まあ、人にもよるという問題ではあるにせよ、一方的なバランスの悪い不満というのは、このようなサイドのバランスの悪さもあるような気がする。おっと、他人のことは言えないな。自戒を込めて観賞することをお勧めする。
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腹の調子と民主主義

2010-05-21 | 散歩
 天気が悪かったのとなんとなく朝寝坊のちぐはぐさもあって、杏月ちゃんの散歩は久しぶりになった。
 彼女は少しばかり体調を崩しているようでお腹の調子が悪かった。普段通り溌剌と歩いているようにも見えるが、オシッコのマーキング(雌のくせに足をあげてマーキングするのである)の時の足あげの角度が低いような気がする。まあ、雌なので足をあげても出来るだけ高い所に印をつけようということではなくて、そのまま下にするんではあるんだけど。
 いつもの場所ではそのままスルーして、住宅街に入ってから臨戦態勢にやっと入った。久しぶりだから調子が違うのだろうか。内容としては小さいものの一応固形物である。最近はすっかり柔らかかったので路面を拭き取るのに難儀したものだが、固まっていると楽である。これで少しは安心できるというものだ。
 ウンチを見届けたので僕自身も特に仕事をやり終えたような気分になったが、救急車がやってきて目の前に停まって何やら慌ただしい。別に知り合いの家でもないので通り過ぎるが、ご高齢の方でも住んでおられたのだろうかと勝手に想像する。そのまましばらく歩いていると、何人かの人が先ほどの救急車の方角へ野次馬移動をしているようだ。かなりご高齢のおばあちゃんが、「救急車は何処ね」と僕に訪ねた。この道をまっすぐですよ、と、何やら変な道案内したりした。住宅街を抜けて別の集落を抜けたところで再度サイレンが聞こえた。やっと搬送されているということだろう。ご無事をお祈りいたします。
 今年の総会などの会議は半分以上終了した。まだ僕の責任のあるものが数個残っているにせよ、だいぶ心落ち着く感じになってきた。今年行われる事業の多くは、どういう訳か踏襲するようなものが多い。様子を見据えたうえで、という先行き感の無さだと思われる。もちろん未来のことなど分からない。そうではあるが、本当に数年先がよく分からなくなっているような感じがある。人によってはそれは閉塞感に似たものかもしれない。しかし妙な連帯感があるようで、泥船に乗っている人たちは運命が同じということらしい。
 そういえば先日ネットのユーストリームの中の番組で、オタク評論家の岡田斗司夫が話している内容で面白いものがあった。もっとも弾子飼が言っていたという内容なのだが。その弾子飼の話では、政治はグーグルにさせればいい、というものなのだ。いきなり聞くと乱暴だけど、今や検索エンジンこそ世論のことを一番よく捉えている存在だと言える。政治が世論にこたえていないという皮肉もあってのことではあるが、そういう意味で最も国民が望んでいることを政治に反映させようということになると、検索エンジンが一番すぐれているのではなかろうかということなのである。グーグルがそう判断したということが一番国民の望んでいる結果を表せるのであれば、極端な話、たとえば北朝鮮と戦争すべきかどうかという判断にしても、グーグルが戦争を選択すればそうすればいいのだ、ということらしい。さらに乱暴に聞こえるだろうが、それは大変に正しい政治の在り方であるという正論には聞こえた。もちろん世論に応えることが政治ではないという前提にたてばこれは暴論だけど、それはすでに民主政治ではないという馬脚を現している。政治はグーグルに任せて、人間はもっと違うことをやればいいということで、ハッピーじゃないか。
 ということで、人間が解決するには難しすぎることが多すぎる訳で、オートマチックに物事が進んでいくシステムを考えるというのは面白いのかもしれない。今の民主主義のシステムは、もちろん万能ではないが、欠陥を抱えながら別のシステムが見つからないから使われているものにすぎない。おそらく今の人類はそのような合理的なすぐれたシステムを選択することはできないだろうけど、答えがあるということが分かっただけでも有意義な気もする。
 今朝がたはそれなりに冷たい空気だったが、坂道を登るにつれ長そででは暑くなっていった。そして家のそばに近づくと杏月ちゃんの足取りは再び力強いものに変わった。散歩も楽しいが、家に帰るのも楽しいのだ。ちょっとしたことに激しく感情を変える犬という動物は本当に偉いものだなあ、と思う。僕ももう少し頑張ろうかな、と、力をもらう散歩なのである。
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昔読んだ少女漫画の世界そのままだ(嫌いじゃない)

2010-05-20 | 音楽
Taylor Swift - You Belong With Me


 眼鏡外すと美人に変身するというのは映像的にはいまだにある題材なんですね。それにしてもこの男の方が最低のような気がしないでもない。
 個人的には眼鏡のままの方がいいというのは、たぶん男的な同意も多いんじゃなかろうかとも思う。女の人には分かりにくいだろうけど、ドレス着てる時にきれいより普段着でかわいい方が点数高いと思います。

 僕はラジオからの情報しか知らなかったのだけど、美しすぎるシンガーという話は聞いてはおりました。まあ、流行りのお嬢さんといったところでしょうね。
 どういう訳かこの曲は気に入って車の中で聞いております。

Taylor Swift - Love Story


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かわいくはない

2010-05-20 | 時事
ロンドン五輪マスコット、「かわいくない」

 どこの国であってもイタいものはイタい。ま、分からないだけの問題なのかもしれないけど、選考する段階でこれを支持した人もいたんだろうしね。万人にウケるものもつまらないが、ウケすぎないのも考えものではありますね。だからと言ってポケモンにすればいいという問題でもないし、現代のマスコットって意外に難しい問題かもしれない。
 考えてみると話題にさえなれば覚えてもらえるわけで、それを狙ったということなのかもしれないし…。まあ、考えすぎだろうけど。
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